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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

143、入学準備

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 父方の祖父母への挨拶も済み、遂に明後日は入学式だ。

 学園生活に必要な荷物は全て送り終えており、寮部屋の準備は整っていた。残るはこの身一つ。

 明日のお昼に寮入りし、寮生活の説明を受け、寮生たちの食堂での晩餐会。翌日の入学式に備えて、退場は各自の判断に任せるとのことだ。なお、食堂はこの日は二十二時まで開いているらしい。

 晩餐会はそこまで豪勢な催しではなく、正装不必要の気軽な催しだと聞いている。制服、又は普段着で良いとのことだ。

(遂に………)

 アルベラは暖かい自室で、学園指定の制服を着て姿見に向き合っていた。

 春夏秋冬があり、その周期が日本と同じこの国の学園入学は年始だ。そのため、着ている制服は冬物である。

 学園生活での実用性を重視した、清楚なデザイン。魔法の実技授業時、邪魔になるのを避けてか、ヒラヒラした装飾は控えめだ。服の裾や袖には金の装飾が施されており、シンプルだが高級感があった。

 今までにない緊張。自分を落ち着かせるように目をつむり、胸に手を当てる。心臓の鼓動がいつもより大きく指先に伝わって来た。

 「ようやく来た」「楽しみで仕方ない」。そんな武者震いの感覚が心地いい。

(明日の晩餐会………きっとヒロインとの顔合わせ。どう出るかはその時勝負だ)

 「ふー」と息を吐き、精神を落ち着かせる。

「お嬢様、お手紙です。―――あら、とってもお似合いですわね。この間も見ましたが、やっぱりお似合いですね………ふふ、ふふふ………」

「あんた………そこから動くんじゃないわよ」

 言いながら、エリーとアルベラの姿勢が低くなり、二人の間に一定の距離が生まれる。

(頬を守らねば………)

 抱き着きたい使用人と、抱き着かれたくないお嬢様の図である。





「………あら、ルーからなんて初めてね」

 エリーへ部屋の隅に待機するよう命じ、アルベラは受け取った手紙に目を通していた。

 読み終わった彼女は「へぇ」と呟く。

「転入ですって。わざわざ手紙なんて、律儀な奴」

 本名サールード・ウォルド。ニベネント王の弟君の嫡子で、ラツィラスの従兄いとこだ。

 この国の王のファミリーネームは「ワーウォルド」であるが、それは王と、その子供達だけに使用が許される。王以外の王族とその一家は「ウォルド」と名乗るのがこの国の仕来りだ。

(本名を知っても、まだ素顔は見たことないんだよな。五年の付き合いにはなるけど、会ったことがあるのは五回だけ。殿下の誕生日のみ。一体どんな面してんのやら)

 ラツィラスの誕生日で毎年共に踊る少年………、今はもう十七らしいので、青年だろうか。彼は毎年、鼻上の仮面を付けて目元を隠している。相手はアルベラがディオール公爵の娘という事を知っていたようだが、アルベラは彼の名前を知るまで「ルー」という愛称しか教えられなかった。

 ラツィラスの十三の誕生日で、ラツィラスの知り合いという事が分かり、翌年の誕生日会でようやくその素性を聞き出せたのだ。

(十七歳………ってことは、三学年か。どうしたんだろ。留学先の学校追い出されたとか?)

 女好きな彼の質を思い出しながら、「まさかね」と冗談めかして笑う。

 アルベラは明日の寮入りに思いを馳せて窓の外を眺める。外では、ふくふくとした雪がゆっくりと舞い降りていた。





 ***





 窓の外、白く染まった王都を眺め、ルーは楽しそうに笑んだ。

「あいつ、聞いてるかな。………ま、聞いて無いはずないか」

 城の敷地内、王族用の宮殿の一室。ここはルーの一家が城に来た際に使用するお決まりの部屋だ。

 備え付けの豪勢な家具が置かれたその部屋には生活感など一切ない。彼一人分の旅行バックがベッドの横に置かれているのみで、明日になればまた、この部屋は暫く主が不在となる。

(ステュートに、ルーディン………)

「面白いことになるな。どうする、ラツ?」

 彼は窓枠に腰かけ、明日から自分が通う学園へ視線を移す。





「キリエ、しっかりするのですよ。高等部は、中等部の時よりも位の高い方が集まります。粗相のないようにね。何かあったら、お兄様をちゃんと頼るのですよ」

 実家での休暇も明日で終わりだ。

 新しい制服を改めて試着していたキリエに、キリエの母ジューコ婦人は中等部の頃よりも心配そうに、息子に言い聞かせる。

「大丈夫だよお母様。皆もいるし、変わりなく失礼のないように努めます」

「………そうね。あなたは優しくて穏やかだから、人間関係は大丈夫だとは思うけど、けど………キリエ、あなたのあの魔法。むやみやたら人に見せないようにね」

 以前息子が、さも自慢げに披露した「あの魔法」と、その時受けた衝撃を思い出しながら、ジューコは言葉に力を籠める。

「え、なんで?」

 全く理解できていない。我が息子がそんな顔で聞き返すので、ジューコは彼の肩に手を置き、大事な事なのでもう一度強く言う。

「あの魔法、むやみに人に見せては駄目よ」

「え、だからなんで」

「駄目よ?」

「………はい」

 気迫ある母の言葉。キリエは促されるままに頷いた。





(遂に明日)

 ミーヴァは積もり行く新雪を眺めながら、胸を高鳴らせる。

 何やら嬉しそうに瞳を輝かせている孫の姿に、祖父のアート・フォルゴートもつられて顔がほころぶ。

「ミーヴァや、今日は遅くまで研究はしないで、早めに暖かくして寝るんだよ」

「はい、爺様」

 素直に頷く孫を見て、祖父は「随分大きくなったものだな」と心の中で感傷に浸っていた。

 今は亡き自分の息子と、その妻である、血のつながりのない娘へ思いを馳せる。

(お前たちの息子がしっかりしていてくれたお陰で、あの子は私の元でもちゃんと大きくなってくれたよ。………できればあの子の晴れの日は、お前たちに傍にいて貰いたかった)

 フォルゴート卿は暖炉の前でロッキングチェアを揺らす。心地よい揺れの中、ここ数十年の記憶がぽつりぽつりと頭に浮かび上がった。

(そういえば………)

 ふと、自室に仕舞われたとある化粧箱を思い出す。

 数か月前、いつの間にか寝室の窓に置かれていたものだ。箱の側面から裏側にかけて、若かりし頃に生み出した、長らく見る事のなかった魔術印が施されていた。





 ―――『敬愛の? へえ、凄いな。そんなものが世の中にあるとは。………面白いですね。それ……で………か、試してみたいな。……………………え? だってもしこれが運よくでも完成すれば、少しでも効果のあるものが出来れば、交流のちょっとした入り口になるでしょ? そうすれば貴方は、もっといろんな人に―――』

 ―――『久しぶりです。ああ、あれですか? あれは酷い出来で………………敬愛なんて優しいものじゃ無いです。欲望………いや。色欲だな。色欲の魔術。人の心というのはやはり難しいですね。………え? いやいや。すみません。あんなの見せられませんよ。流石に貴方に飲ませるわけにもいかないし、僕も飲みたくありませんし、誰かに飲ませて見せるのもちょっと気が引けるな………。悪用されかねないので処分しました。けど、まいったことに幾つか弟子が持ち出してしまっていたのもあって。簡単にトレースできるものではないと思うんですが。………え? ええ。そうなんです。………だから、いつか目にした時は破壊を―――』





 青々とした木々の香りと、差し込む木洩れ日。髪を揺らす柔らかい風。赤黒い大きな体と、鋭い爪と、その先に止まり羽を休める蝶。

 懐かしい記憶に、フォルゴート卿は気持ちよさそうに目をつむる。

 あの箱を窓際に置いていったのはいったい誰だろうか。魔術は破壊されていなかったので、自らの手でその印を焼き、斜線を入れておいた。あの箱はもう、保存の効果しか発揮しない。

(………どこかで貴方も見ていているのでしょうか。炎土の魔徒)

 小さな寝息を聞いて、ミーヴァは顔をあげた。

「爺様………。全く。自分はだらしないんだから」

 それにしてもなんとも安らかな寝顔だ。いつもよりどこか楽しそう………嬉しそう、だろうか。

(夢でも見てんのかな)

 ミーヴァは慣れた手順で居間のソファーをベッドへと変形させる。軽量の魔術を祖父に施し、自らの風魔法にて祖父を浮かすと、起きないように丁重に、彼をソファーベットへと移した。軽量の魔術を忘れずに解いておく。

「ふう。さて、俺も荷物整えないとな」

 祖父に毛布を掛けると、ミーヴァは今の明かりを消し自室へと向かった。





「ねぇベル~。次はいつ来てくれるの?」

 露出の多い服を着た女が、鬣のような長髪を携えた青年へもたれかかる。

「あぁ? 来ようと思えばいつでも。俺、明日からそこの学園の学生様になるんだよ」

「えー! ベルって学生なの?! 嘘! 見えなーい!」

 他の女が声を上げる。

「そこの学園って、王都立学園よね。まさか中等部?! 流石にお姉さんたち罪悪感なんだけどぉ」

「ちげぇーよ。高等部に決まってんだろ。でなくても老けて見えるってのに、こんな面の中坊がどこにいるよ」

「けどまだ入学前って事はぁ、今はギリギリ中等生ってことでしょ?」

 はんなりと、青年の後ろから、また別の女が彼の首へ腕を絡ませる。

 「確かに」と彼は歯を見せて笑んだ。

「だがそれが何だ? 問題あるか?」

 強気な表情の彼は、そこらの十代や二十代よりも十分に大人びていた。逞しい体躯。凛々しい顔つき。

 堂々とした彼の姿に、店の女たちはうっとりと見惚れる。

「どうした? 俺の入学祝で来たんだが、お子様お断りか? 誰も祝ってくれねぇえのか?」

「祝う祝う! ベルがお子様ならそこらの男は皆赤子よ!」

「おう! 祝え! じゃんじゃん酒持ってこい! けど安い酒なんて持ってきてみろ。全部火つけてこの店ごと蒸発させてやる!」





『いやーん! 豪快ー!』

 王都の高級クラブの一室。

 部屋の前に控える護衛の男二人は、中から漏れ聞こえる黄色い声に顔を見合わせ溜息をついた。





「雪………」

 真っ白な髪に、銀の瞳の儚げな少年が空を見上げる。

「セーエン様、こんな所に。お体に触りますよ」

 宿の庭先に出て、薄着で空を見上げている主に、使用人が慌てて上着を被せる。

「大丈夫。寒くない」

「そうでしょうけど、見てるこっちが我慢できませんって」

「大丈夫だから、一人にしてくれる?」

 他者を寄せ付けようとしない強く静かな声音に、使用人は身を引いて頭を下げた。

「………はい。失礼いたしました」

「これ返すよ。邪魔だから」

 肩にかけられた上着を預けると、セーエンは雪の積もった庭をゆっくりと歩き出した。

(明日は晴れる)

 彼は空を見上げ、白い息を吐く。

「きっと、星が奇麗だ」





 ***





 配置された騎士たちが敬礼をし、訪れた二人が階段を上がっていくのを見送る。

 第一妃への謁見は、限られた人物と、限られたタイミングでのみ許される。部屋の扉とそこに向かうまでの廊下には強力な魔術が施され、階一帯が守られていた。

 妃の部屋の周囲を警備する甲冑の中は無人。魔力で動く魔術兵だ。

 妃の身の回りの世話をする数人の使用人たちには誓いの魔術が施されており、決められた情報や単語を口外しようとすれば、即座に命を落とす契約が交わされている。

 それほどに、彼女の扱いは厳重に守られていた。





「あら、また来てくれたの」

 明かりを灯した部屋の中、やつれてやせ細った第一妃が顔を上げる。

 部屋の入口には、彼女の可愛らしい息子と、たまに見る赤がいた。

「こっちにいらっしゃいな」

 彼女は片手に写真たてを握ったまま、骨の浮き上がった腕を持ち上げ、弱弱しく手招きした。

 この国の王子であり「息子」である彼は、彼女に手招きされるまま部屋の中央、彼女のベッドの横へと訪れる。

「………お久しぶりです。お母様」

 彼はいつものように彼女の手を取る。

「ああ、私のかわいい子。私の大事な宝物」

「………随分と御元気で。………明日から高等学園に入学いたしますので、そのご挨拶に参りました」

「あの人にそっくり。奇麗な赤い目、金色の髪。私の大事な大事な宝物。ずっと一緒。………ええ、ずっと一緒よ」

 彼の言葉が聞こえていないように、彼女は我が子の手を撫でながら、ふわふわとした力のない言葉を呟き続けていた。

 いつもの事だ。彼は構わず続ける。

「次はまた、来年の誕生日に」

「可愛い可愛い、私の子。大事な大事な私の子。ずっと一緒………ずっと、ずっと一緒なの」

「それか」

 赤い瞳が、第一妃の胸に掛かった、黒い大きな宝石へ向けられる。

「………それか、それまでに来れれば、また。きっと」

「ずっと一緒。ずっと一緒よ、『アジェル』」

 彼女は愛おしい我が子の名前を呼ぶ。

 彼はそれには応えず、ニコリとほほ笑んだ。

「それまでどうか、お元気で」

 この国の第五王子ラツィラス・ワーウォルドは椅子を立ち、静かにその部屋を去っていった。

 彼の姿が部屋からなくなると、彼女はまた手に持った写真を見つめる。

 十数年前の、その技術が生まれたばかりの頃に撮った、白と茶色で構成された写真。

 彼女のベッドの横には、他の三人の息子たちや、四人の子共達と夫と撮った家族写真も飾られていた。だがそれらには目もくれず、ただひたすらに、手の中にある、たった一人を写した写真だけを大事に眺める。

「ずっと一緒よ………」

 彼女は薄くなった唇を小さく動かし、瞬きもせずに呟いた。

 使用人が数人壁際で待機する室内。時間が止まったように、その部屋では全てが静止していた。





***





 都立高等学園。殆ど宮殿にしか見えないその格式高い学園の門前、少女はコクリと息を飲む。

 生徒の証明であるバッチを見せると、門番はそのバッチに施されている魔術を展開し、生徒情報を読み取った。

(この人も騎士なんだよな。………うわあ。あの胸当て、一般兵が使用するのとはやっぱ質が違うな………)

「―――はい、」

「は、はい?!」

「確認取れましたよ」と門番がほほ笑む。

「ジャスティーア様ですね。申請の方伺っております。寮の方に入りましたら、スタッフがいると思いますのでお声がけをお願いいたします。部屋への案内と大まかな設備説明がありますので」

 門番は顔を上げ、緊張の面持ちの少女を安心させるように柔らかい言葉を続ける。

「寮の方、もう数人入ってはいますが殆ど貸し切り状態です。明日になったら賑やかになりますから、今のうちに満喫されると良いでしょう」

「は、はい!」

 少女の緊張は、これしきでは解けそうにない。

 門番は「きっとすぐに慣れますよ」と苦笑した。

「はい! ありがとうございます!」

 少女は頭を下げて門横の専用通路口を通る。

「あ、あと、」

「―――!?」

(何か失礼したかな………)

 少女は身を固くする。

「―――ご入学、おめでとうございます」

 振り返ると、門場の騎士様が「がんばれよー」とでも言うようにひらひらと手を振っていた。少女はその姿に、自分を見送ってくれた村の人たちの姿を重ねる。

(騎士様も、手を振るんだ)

「―――ありがとうございます」

 少女は微笑み、頭を下げる。
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