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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
138、実戦と地図 1(彼らは冒険者)
しおりを挟む「箱は?」
深夜の王都の宿。何事もなく戻って来たガルカに、アルベラは寝ぼけ眼で、ベッドの上起き上がらずに尋ねる。
部屋の主が熟睡しているものと思い込んでいたガルカは、自分の帰宅がバレて少し驚いていた。窓から入り込んだ体制のまま、「さあな。多分壊れた」と返す。
「手土産だ。ここに置いておく」
その言葉の後、「かさり」と何かがテーブルに置かれる音をアルベラは聞いた。だが意識は殆ど夢の中だ。音の正体は朝確認することとして、「あんたの部屋、隣。エリーと同室だからー」と言いうと、あっさり眠りへと落ちた。
(無関心なものだな。好奇心より眠気か)
アルベラの部屋から出て、ガルカは隣の部屋の扉を開く。だが、扉の開いた隙間から、真正面に迫り立つ、怒りの炎を纏った筋骨隆々のシルエットが目に入り、部屋に入ることなくそっと扉を閉じた。
翌朝アルベラが確認すると、テーブルの上には、禁術の箱に入っていたクッキーのみが、小袋に入れられ置かれていた。
(とんでもない危険物がこんな安易に………)
とりあえず帰りに、長期保存可能の箱でも買って帰るか、と本日の大まかな流れを軽く考える。
午後には講師がくるので、それまでには帰らなければ。
***
ツーファミリーのアジトの一つ。とあるビルの一室。奥の部屋の扉が開き、黒髪の短髪オールバックの男が姿を現す。
「ティーチ、これからか」
「あ、リューの若さん。はい、今から」
「そうか」
リューは煙草に火をつけると、一口吸い、煙を吐き出す。
あれから例の不審な人物が、ここら辺を嗅ぎまわっている様子はない。何者なのか、目的は何なのかは気になるが、できる事ならまた来て欲しくなかった。
(ったく。あのガキ。どこであんなのに目を付けられた。他の情報得られないような小物でもなさそうだったし、クソガキを出禁にしたところで意味は無いだろう。………火傷の跡………砂、石化された腕………………。例の『はじき者』の人間か? ………だとしたら何であのガキに。公爵さんが藪でもつついた………まさかあのガキが自分で藪を荒らしに行ったなんてことは………)
ため息と共に煙を吐き出すリュージの様子に、ティーチはケラケラと笑い出した。
「も~。若さんたら素直じゃないなぁ。嬢ちゃんが心配ならそう言えばいいのにー」
ティーチの胸倉が勢いよく掴まれ、そのまま片腕で宙へと持ち上げられる。首が締まる掴み方に、彼女の顔は徐々に青みを帯びていった。
「楽しそうだな」
「ハイ。スミマセン」
(リューさん女にも容赦ねぇ)
(なんでこの人分かってて余計なこと言うかな)
他の数人の構成員たちが静かに見守る室内、ティーチの体がぶらぶらと宙で揺れる。
「おーい。またせたね」
町の冒険者組合、兼酒場にて。正午前の明るい日差しが窓から差し込む。臨時収入に浮かれて酒を仰ぐ者達がいる中、湾曲した幅広の短刀を、腰に二つ下げた女性が大きく手を振って一つのテーブルへと向かう。彼女が歩く度、一つに束ねた黒髪が艶かしく揺らめき、辺りに良い香りを散らせた。
白い肌の黒髪美女。彼女が近くを通ると、酒を交わしていた冒険者たちが、顔を青くして背中を丸め、声を潜める。
顔見知りであろう者たちは、視線を逸らし、彼女から距離を取るように移動する。
女性が向かう先のテーブルで、一人の青年が手を振った。
「遅いぞー姐さん。話があるから早めに来いって言ってたくせに遅刻かよ」
生え際がこげ茶の銀髪頭の彼は、ビリュ片手に不機嫌な表情を浮かべる。
「今日は小悪党退治だろ。時間取って打ち合わせなんざ必要か? ………ん? アンナ。なんだそのガキ」
二メートルはありそうな、無精ひげを生やした大柄な男が、パーティーのリーダーである女性の後ろに連れられた人影に目をやる。
「へへへ。今日の臨時メンバー」
「は? 臨時? 聞いてねーよ」
「いーからいーから。これから説明するよ。こっち来な」
アンナ。それが今の彼女の名前だった。
「ティーチ」改め「アンナ」は、コインを一枚受付に支払うと、空いている個室のカギを受け取り二階へと上がっていく。密談用に準備されている部屋だ。
四人が部屋に入ると、アンナはカギをかけ、遮音の魔術を施す。
「これでよし、と。さて」
フードを深くかぶった子供の姿に、彼女のパーティーの二人は興味津々だ。
「アンナ。臨時たぁどいういう事だ。そんなに手がかかる相手か?」と、年配の男の方が尋ねる。
「いんや、むしろその逆だね。この三人なら楽勝さ」
「は?」
「なーなー。それより報酬は? 三等分から四等分か?」と青年の方が尋ねる。
「報酬の事は気にすんな。それよりあんた達。この子、誰だと思う?」
「知るかよ。どっかのパーティーの聖職者か回復係でも引っこ抜いてきたか?」
「特殊な技術もちか?」
「いいや。全部ハズレだ」
アンナはニッと笑い、「正解は―――」と、連れてきた少女のフードを外した。
「今日の足手まといの、アルベラちゃんでーす!」
顔を露わにした茶髪緑目の少女。室内に暫し沈黙が流れた。
「………で、誰?」
青年の間の抜けた問い。
男性陣二人はちゃんとした説明を求め、アンナを見上げる。
***
休息日の日中。外から聞こえる馬車の音や、行きかう人々の話声を聞きながら、男はペンを走らせていた。
たまに手を止めては計算をし、ペンを進めて、また手を止める。
彼が軽く息をつき、ほぐすように肩を動かした時だ。先ほどまで聞こえていた外の音が、聞こえなくなっていることに気づく。
———ダン!
「よおーーーし! 覚悟しろ悪党ー!」
突然、荒々しく扉を開けられた音ともに聞こえてきた能天気な大声。
留守番をしていた彼は、びくりと体を跳ね上がらせる。
隣の部屋から数人の人の気配を感じたかと思うと、直ぐに自分の居る部屋の扉が開かれた。
「よしよし。ちゃんといるね」
白い肌に艶やかな黒髪が印象的な女性は、室内にいる男を見て満足げに頷いた。
彼女の首には冒険者のプレートが掛けられており、その後ろには数人の仲間の姿があった。
部屋にいた男は眼鏡を軽く持ち上げて、その面々を静かに眺める。
アルベラは、ピンクのパンチパーマから、黒髪のサラサラストレートヘアーへと劇的な変化を遂げたティーチの背から中の様子を眺めていた。
ランプ一つが照らし出す室内。奥のテーブルで台帳に向き合いペンを手にしていた男が、呆然とこちらを見ている。
「な、何だいあんたら。場所間違えたんじゃないのかい?」
見るからに商人といった風貌の彼の、ぽかんとした顔。アルベラはそれを見て、まるで自分たちが強盗に来たかの様な気分になった。
「間違えてないよ? あんたはバイヤーだね? ここで五人、悪党を雇っただろ? そいつらを回収しに来たんだ」
「………あくとう? ………は、はぁー。成程、あの用心棒たちの事か。た、確かに彼等、気性が荒いとこはあったけど。………君達(冒険者)が来たって事は、賞金でもかかってるのかい?」
「ああ。細かい悪行については省略。どうでもいいしね。私たちはあいつらを役所に連れてって、組合に顔さえ見せられればそれでいい」
「そ、そうか。………分かった。じゃあ、私はここから逃がしてもらっていいかな? 彼らが自ら重ねてきた行いとは無関係なものでね」
「いいよ。あんたは組合からの依頼には含まれてないからね」
アンナは肩をすくめて道を開ける。
商人は台帳を近くの肩掛け鞄に入れると、アンナの横を通り外へ出た。
「た、頼むからあまり物を壊さないでおくれよ。借家なんだ」
「あいよ。分かったから、巻き込まれたくないならさっさとここから出な」
「た、頼むよ」
そそくさと立ち去る彼に、アルベラの隣にいた男が「薄情なもんだね」と呟いた。彼はアルベラの視線に気づくと、気さくな笑みを浮かべる。
「心の準備は良いかい、嬢ちゃん?」
「ええ」
正直少し緊張はしていた。エリーは今、ファミリー側のお仕事を請け負っていて別行動だ。
(エリー無しで、自分の身を自分で守る初めての機会。………ていうか、喧嘩を吹っ掛ける初めての機会。………ティーチ姉さんが判断して私を呼んだんだもの。大丈夫)
「にしても、アンナの姐さんもなかなか無茶言うよな。もしかしたら嬢ちゃんを冒険者として鍛えて、そのままこのパーティーに引き入れようとでも画策してるんじゃないか?」
「いやいや。報酬貰ったうえ、恩着せて今後の繋がりを作っておこうって魂胆だって」
後ろから青年が、笑い交じりに告げる。
「お父様やお母様に恩を着せるならまだしも、私個人にはどうかしら。姐さん、本当にただの気まぐれって感じに見えるけど………」
アルベラは苦笑する。
「へへへ。それは違いないかもな。あの人楽しきゃなんでも良いってよく言ってるし………あ、はいよ」
彼はアンナに示され、奥の部屋への様子を見に行く。
『大丈夫。私のファミリー所属も頑なに隠そうとする奴らだ。変に身元を隠すより、今回はアルベラの嬢ちゃんはアルベラの嬢ちゃんとして来な。その方があいつら、あんたに協力的になってくれるだろうさ。ちょっと大袈裟なくらいにね』
(ファミリー所属について口外しないのは、我が身可愛さだと思うのよ、姐さん)
この町出身の冒険者であればダン・ツーに目を付けられたくないと思うのも自然だろう。何しろ彼は過去、ここの領主を二人失脚させるに至った当事者だと噂されている。その間に、城の騎士達との交戦もあったと聞く。それでも今なおこうして健在なのだ。貴族相手に喧嘩を吹っ掛けて、その後もぴんぴんしているような得体のしれない集団。
(確かに良い人たちだと思うけど)
底の知れない相手に目を付けられたくない。命が惜しい。
彼等の「アンナ」の個人情報の扱いについては、きっとそういう心理も働いているのだろうな、と想像しアルベラは苦笑する。
大柄な体格の三十代後半と思われるゴヤと、十代後半であろうスナクス。どちらも攻撃専門とのこと。
今回のパーティーはアンナ含め三人だが、他にあと四人いるそうだ。報酬の金額や内容的に、今日はこの人数が適切だろうと判断したらしい。
「何かあれば守ってもらえるけど、今回はそれを期待しない事。ある程度の喧嘩の仕方は教えたし、嬢ちゃん一人で相手をとっ捕まえるんだ」
「はい。師匠」
アルベラは冗談めかして「師匠」という言葉を口にし頷く。
「うむうむ。頑張り給え。………ちゃんと場は整える。そう簡単に死ぬ相手でもないだろうし、手を抜く事は無いからね」
「わかった。やれるだけのことはやってみます」
(にしても)
アルベラは辺りを見る。
(喧嘩。実戦練習。………うーん。実力を試せるのは嬉しんだけど。私、主旨ずれてないよね。『悪役令嬢? 何だっけそれ』って感じが拭えない)
冒険者の恰好のティーチ。そのパーティーの二人。がらんとした民家。先ほど訪れた冒険者組合。
(いつかの薬騒動然り。少し前のシズンムの騒動然り。自分で自分の身を守れるようにならないと、と思ったのは確かなんだけどな。………あの乙女ゲー、流石にこういうのは出てこないよなぁ………多分)
ゲームでは、当然だが主人公の恋愛ストーリーは学園を中心に行われる。
立場上、主人公が悪を払う描写はあるらしいが、実際に戦闘を操作する事は無い。その時のパラメーターや他のキャラとの友好度により、話の分岐として「退治イベント」があるのだと八郎から聞いていた。
自分で退治し、聖女としての素質を上げるルート。ヒーローに助けられ、聖女としての素質をあげつつ、その彼との関係性を深めるルート。友人を助け、何かのパラメーターを上げたり、アイテムをもらうルート。
冒険者や組合という単語でさえ、あのゲームに登場するか怪しいものだ。
(………まあ。深くは考えないでおこう。あれはあれ。ここはここ)
他の二人が室内を調べる中、アルベラはアンナと共に玄関のある部屋で、目的の人物たちを静かに待つ。
彼等は暫くして現れた。
日中だというのに酒気を帯び、浮かれた表情で帰って来たのは七人。
「やっと来たかぁ」
待ちくたびれたスナクスが大きく伸びをした。
「ゴヤ。その二人は無関係だ。外に放り投げな」
「あいよ」
「嬢ちゃん」
「はい」
「準備しな」
「はい!」
アルベラは言われていた通り、奥の部屋へ駆ける。
(先ずは、自分の実力をちゃんと確かめるために正々堂々と。体術と魔法をそれぞれ試して、自分が与えられるダメージを把握。次が、使える手はすべて使って何でもありで。その後は………えーと)
「ほらよ! ナイフで風だ!」
アンナの言葉と共に、一人の男が部屋に放り込まれた。
男は飲酒後だというのに、慣れた様子で受け身を取り部屋に転がり込む。
「なんだ? ガキ?」
『いいかい、嬢ちゃん、どちらかの視界に入った時点で始まり。油断大敵だよ』
最近ティーチが口にしていた言葉が、頭の中浮かび上がる。
(先手頂き!)
一先ず一発目。一気に距離を詰め、アルベラは呆然としている相手の顔面目掛け、大きく拳を振るった。
***
言われていた通りの手順。
まずは素手、その後に魔法。しかし当然、相手も体で受け止められるものは受け止めるし、魔法を使い防御や攻撃もしてくる。何より相手は小さいながらも武器を持っていた。
はじめの拳が見事相手の顔面に入ってくれては良かったものの、その一発のせいで気を荒げた男は、無遠慮にその凶器を丸腰(一見丸腰)のアルベラへと振り回すこととなってしまった。
(………ふう。打撃はいまいちだなぁ。蹴りは威力無いとキャッチされて諸刃だし)
一通りの攻撃を試してみた物の、どれも大したダメージは与えられなかった。魔法での場合は真正面から打ち合ってもはじかれてしまう。
だが嬉しい発見もあった。数年よりは確実に、魔法の威力や防御力は上がっている。水を壁にした防御は、男の放つ風の刃をしっかり受け止め散らしてくれていた。まだ耐久性が低く、一発を受けるたびに弾け散ってしまうのは悲しい所だが、実戦でそこそこ使える範囲だと分かった。
(今のとこ無傷か。初めての対人にしては上々じゃないか)
見守るティーチはどしりと構えて笑みを浮かべる。
攻撃を幾つか試してからというもの、アルベラはずっと守りの体勢を決め込んでいた。そんな彼女の様子に、敵対するごろつきは明らかに調子に乗っていた。酒が入っているせいもあるが、初めの時よりも動きが大雑把で大振りだ。
部屋の外で、他の四人のごろつきを拘束し終えた男性陣が観戦に加わる。
「ちょこまかと面倒くせえ!!」
男がイラつき、腕を大きく凪ぐ。
(風!)
アルベラは身構える。目の前に大き目の水の壁を展開するが、荒々しく力任せな魔法に弾き散らされてしまった。
風は勢いを保ったまま、アルベラを壁に叩きつける。
(私だって少しくらい………)
大ぶりな風の勢いの割には、アルベラが受けた衝撃は軽い。男それには気づきそうもない。外で観戦する者達も、それは同じだ。
アルベラの背中と壁の間には、僅かな隙間が空いて風が渦巻いていた。衝撃緩和のため、アルベラが自分の背後に放った物だった。
(私も少しなら、風は使えるんだから)
アルベラが壁に叩きつけられたのを見て、部屋の外で見守っていたスナクスが武器に手を触れ、身を低くする。今にも飛び出していきそうな彼を、アンナが制止した。
「もう少しは大丈夫さ」
(………多分)
アルベラが壁に叩きつけられ、風がそこかしこに散る。風により壁に押し付けられていた少女の体が、どさりと床に落ちた。明らかに弱ってるような少女の姿。男はためらわずナイフを振り上げ、彼女の首元目掛け飛び掛かる。
「―――?!」
アルベラへと距離を詰めた男の動作が、何かに反応し一瞬鈍った。
『力差がはっきりしてる相手に、正々堂々なんて馬鹿らしいだろ? いいかい嬢ちゃん、弱いうちは兎に角―――』
(―――騙し合いの短期決戦)
男が飛び掛かって来たのを認めた瞬間、アルベラは素早く体制を立て直す。ローブの下から手を振り抜くと、手の中から赤い液体が飛び散った。その液を混ぜた水の壁が、男を弾き飛ばし反対側の部屋の壁へと叩きつけた。水の塊は形を崩し、そのまま彼の上へ降りかかる。
(全力投球の威力、結構いい感じじゃない)
魔力を全て放出してしまったため、今日はもう、暫くはまとまった魔法は使えないだろう。
アルベラが「ぱっぱ、」と、指先に残った液を手を振って払った。
弾き飛ばされた男は、両手で顔を覆い蹲っている。
ただ壁に叩きつけられただけなら、すぐに体制を立て直すことくらいできただろう。だが彼はそうしない。
何かが起こっているのは確かだ。
男が身を震わせ、顔を上げた。
「くっそおおおお!! 何だこの水! あつい!! 熱いいいい!!!! 目がああぁぁぁ!」
そう叫び、苦しそうに咳き込む。
彼の皮膚の所々は、炎症を起こして赤くなっていた。
アルベラは「ふふ」と笑い、彼の元へ駆ける。
先ほどの赤い液体。あれは、アルベラが護身用で持ち歩いている激辛の催涙液「チリネロ」の濃縮液だ。八郎のお手製で、相手に叩きつけて使用する棒状の物と、瓶にそのまま入れたものとを持ち歩いていた。
先ほどは、瓶の蓋をあけておき、相手が距離を詰めてくるのを待っていたのだ。魔法で液体を手の中に呼び込んで、後は相手の顔に当てれば目つぶし成功。
今回は相手がナイフを振り上げていたので、それを回避するための水壁への混入だった。
アルベラお得意の「液体を霧状にする魔法」も、水壁の前に密かに展開していたため、相手がアルベラの周囲に足を踏み込んだ時点でもう罠にかかっていたのだ。
(霧の魔法? って言って良いのか分からないけど、こっちも威力上がってるな。………チリネロ液は火傷の症状か。辛い物って共通でこの効果なのかな。………人に気安く魔力込めて使わないよう気を付けないと)
香水や飲み物、場合によっては固形の食品も、アルベラが魔力を込めて使用すると、それらには効果が付与される。
酸っぱい物は痺れの効果が、もともとリラックス効果のあるものは眠りの効果が、コーヒーは何故か即効性の毒のような効果を発揮する。たまに虫で試すのだが、コーヒーの場合なぜか即死するので、まだ人には試したことがない。
(目つぶしだけのつもりだったけど、これ失明するんじゃ………。まあ、魔法で幾らでも直せるか………)
傍に少女の気配を感じ、男は目を抑えながら「このクソガキ!!!」と声を荒げた。そしてすぐに咳き込む。きっと飛びかかって来る際に、チリネロの霧を吸って喉を火傷したのだろう。
「可哀そうに」
「………は」
アルベラは優しく男の顔を包み込む。その行動に、部屋の外の三人もキョトンとする。
「この液の辛さは私も十分知ってるわ。ほら、水で洗い流してあげる。目を見せて」
「………? ………?!」
突然の優しさに男は呆然とする。頭が混乱していたが、言われるがままに顔から両手を離し、水を待った。
―――カシャン
―――カシャン
「よし」
両手首と両足首から金属音が上がり、冷たく重い感触を感じた。
「は? ………は? み、水は………」
(拘束完了)
「ふう」
アルベラは満足げに額の汗をぬぐう。
混乱している男の手足には、アルベラ自前の手錠と足枷。彼女の腰には、予備として同じものがもうワンセットずつぶら下がっていた。いざという時のスペアも万全だ。
「………お、おい! てめぇ、クソガキ!! 騙しやがったな!! せめて水を寄越せ!!! 汚ねぇぞ!!!」
男は咳き込みながら、苦しそうに声を荒げる。逆上する彼の周り、攻撃の前触れと言わんばかりに風が渦巻き始めた。
(おっと、そろそろ)
役目も忘れて眺めてしまっていた。アンナが「いけないいけない」と頭を掻いて男を回収しようと動く。
「ごめんあそばせ」
「うぎゃああああ!」
アルベラはチリネロ液の入ったガラス棒を、男の額めがけて勢いよく振り下ろした。「パリン!」と薄いガラスが割れ、男は顔全体に襲い来る熱と痛みにうめき声を上げ蹲り、あの危なげな風の渦が消える。
アルベラは魔力を込めていない………というよりも、込める魔力も残ってないので、単純に激辛の液が与える刺激に男は苦しんでいるようだ。あと、所々の炎症に激辛液がしみているのだろう。
「大人しくしてくれる? じゃないともっとチクチクネチネチした痛い思いするわよ? ………大体」
アルベラは目の開けられない男の胸倉を掴みあげ、顔を寄せた。
「汚い? なにそれ? 人にナイフ向けといてよく言う。………死ぬかと思ったの、わかる?? こっちは丸腰だったの………分かる???」
(まるごしってあんた………。しかもこの図………どっか既視感あるなぁ)
アンナは、アルベラが「念のため」と、ローブの下に隠し持っていた武器類や拘束具の類を思い出し疑問に思う。そして、相手の胸倉を掴みあげ、ガンを飛ばす今の姿と空気は、どこかの若さんに少し似ていた。
「くそぉぉぉ、目が! 目があああ!!!!」
「ほらほら嬢ちゃん。………どうどう。拷問は依頼されてないよ」
もう一本、チリネロ棒を取り出し始めたアルベラへ、アンナが慌てて駆け付ける。
部屋の前では、黙って見ていたゴヤが「うげぇ」という表情を浮かべていた。
スナクスも表情を引き攣らせる。
(………何だろう。素直に褒められない)
喜ばしいはずの少女の勝利に、二人は全く同じ感想を抱き、口を紡ぐ。
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