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二章 水底に沈む玉
92、お嬢様は滝へ行きたい 3(知らぬ間の参戦)
しおりを挟む「なんだ、これは」
ある日の夕食後、ラーゼンは届いた文書に目を通し、手元を震わせていた。
手紙の内容を垣間見て、青年姿のガルカがクスリと笑う。
最近、ガルカが見た目の年齢を前後できると知ったラーゼンは、その日の都合によって、ガルカの見た目の年齢を変えさせていた。自身に敵対心を抱いている貴族の元に出向く際には、二十歳前後の姿で。年を食った、堅苦しい相手には二〇代後半の姿で。それ以外は自由にしていいという事で、ガルカはもっぱら十五歳前後の少年の姿を取っていた。
今日は世間体に煩い貴族がいる場に出向いていたため、二十代前後の青年の姿でいたのだ。
「公爵様のご令嬢はモテモテだな」
ガルカの言葉に、イラつきが爆発しそうになったラーゼンの手元が盛大にその紙を破く体制に入る。
上部が音を上げて小さく裂けたのと同時に、レミリアスがため息をついた。
「まさかあなた、騎士長様からのお手紙を破り捨てる………………………だなんてこと、なさらないですよね?」
後半は何とも威圧的な笑みを浮かべてレミリアスが扇子をぴしゃりと閉じた。
「………ああ、もちろんだとも」と、ラーゼンは手紙を机の上に叩きつけて項垂れる。
頭を動かさないまま、手探りでのろのろとペンとインクを探しているので、ガルカが使用人らしく希望の品々をその手へと添えてやる。
ラーゼンは返事を書くべく、インクに浸したペンを大きく動かす。
その目には涙が浮かんでいた。
(私の娘は、まだ誰にもやらんぞ!!! やらんのだからな!!!!!)
―――断る!!!
ガルカが見届けるなか、真っ白な紙一面に大きく、その一言が描かれた。
***
「エリー、本と品物、持ってこうか?」
「いえ。大丈夫です。馬を仕舞ったらすぐに行きますので、先にご帰宅ください」
「ありがとう。じゃあよろしくね」
とりあえず、と一番薄い一冊を手に持つと、アルベラは先に屋敷の玄関へと向かう。
「ただいまー」と扉を開き屋敷へ入ると、通りがかった使用人が扉の前に駆け寄り出迎えた。
「お帰りなさいませ。お風呂の準備等は出来ています。脱衣室に全て揃っておりますので、いつでもお入りください」
「そう。ありがとう」
(お嬢様、ちゃんとお礼が言えるようになって………)
アッシュブラウンのボブミディアムの髪を揺らし頭を下げた使用人は、心の中でお嬢様の成長に感動しつつ速やかにその場を去っていく。
夕食は済ませてあるので問題はない。帰宅も予定より十分早かった。お風呂の前に早速、今日の手土産を拝むとしよう。アルベラは持ってきた一冊を眺める。
簡単な魔術—水系統編—。歩きながら表紙のその文字を見ていると、丁度父の書斎からガルカが出てきた。顔は上げてないが、声でガルカだと判断した。
「なんだ。思ったより早かったのだな。これから合流してちょっかいをかけてやろうと思ってたのだが………ん? ………今日はまた随分と面白い匂いをさせているな」
自分を覗き込んでいるであろう魔族の影が本に落ちた。クンクンと頭上から匂いをかがれている。多分、ケギャックの香水の残り香の事を言ってるのだろうが、とアルベラは顔を上げる。
「もう、室内で翼を使うのは控えたら………………………誰」
アルベラが見上げた先にあったのは、上品な顔立ちをした色白の青年の顔だった。
あの黒髪少年の奴隷が浮遊して、上から揶揄いに来た様を想像していたアルベラは目を丸くする。
「誰」
再度尋ねる。
「おやおや。お嬢様はやはり阿呆でいらっしゃったか」
「やだ。そのクソ生意気な口、ガルカなの?」
青年姿の彼はにやりと笑う。確かにその笑みはガルカのよくするものだった。その顔になったとたん、上品な印象が薄れ一気に性悪で腹黒な印象に見えてしまうので不思議だ。そしてどこか、遊び盛りの猫のような印象も受ける。これはもともとのガルカの印象なので、正体が分かって引き継がれたイメージなのだろう。
アルベラの確信と共に、人間の物と同じだった耳の先が小さく尖り、いつもの形へとなった。肌の色も色白からやや血色の悪い物へと変わる。まるでアハ体験だ。
残るは整えられた髪をいつものナチュラルヘアにすれば、成長し背丈の伸びたガルカそのものとなるだろう。
「どういうこと。あんた変身できたの」
「そうだとも。多少はな。どうだ、俺のこの姿。貴族の女共には結構評判いいらしい」
片方の前髪をかきあげ、ガルカは色香を振りまくような素振りで覆いかぶさるようにアルベラに顔を寄せる。
「………確かに」
アルベラは手元の本を閉じて顎に手を当てる。神妙な顔で、背が伸びたガルカを覗き込んだ。
「うん。綺麗な顔してる。これはお父様も重宝するわね。美形の使用人を連れてるだけで見る目を変えるような評価基準の連中には、効果がありそう」
照れもしなければ臆することもなく、自らも顔を寄せてじっくり観察し始めたお嬢様に、ガルカは目を据わらせて呆れる。
「つまらん。貴様、もっと動揺してはどうだ。それとも、まだ大人の男の恐ろしさを知らんくらいお頭が子供なのか?」
「失礼ね。一般的な程度ならよく存じておりますことよ。ふざけて馬鹿な真似でもした日には去勢するから覚悟なさい」
持ってた本でガルカの額を軽く叩いたところで、横から風を切る音があがる。スカートの裾を上品に摘まみ上げたエリーが、ガルカの頭部を狙って脚を蹴りを上げたのだ。
「あなた、何かしらその姿。お嬢様の目に毒よ。いつものちんちくりんな姿に戻ってはいかが?」
「子供の成長の悪影響に一役買ってる貴様が言うか?」
いがみ合う二人を見て、アルベラは息をつく。
エリーの持っている鞄。購入した品々が入っている方を手に取ると、この荷物がばれないうちにと自室へと退散した。
***
ジュノセの三の月に入り、休みの明けた学園。
教室の教壇を半円に、階段状の席が囲っていた。
久々に見るラツィラスの姿に色めき立つお嬢様方の視線の先、いつものように仲睦まじく話し込む二人の姿があった。
ジーンは頭を抱え伏せっている。その横でラツィラスがケタケタと、さも楽しそうに笑っていた。
昨日はジュノセ3の月の一週目の休息日だった。ジーンが城での訓練終わりに家に立ち寄った際だった。
リビングの机の上に、見知った紋章が押された封筒が目に入った。
ザリアスは仕事からまだ帰っておらず、勝手に見ていい物かと思ったが、封筒の下に覗く大きな文字に既視感がある。
「………!? ま、まさか、な………」
自然と口元が引きつっていた。
これが家にあるはずがない、とジーンはその紙を手に取る。
———断る!!!
前後の文脈はない。
ただその大きな一文字だけが強い存在感を湛えて書かれていた。ジーンはその紙を手に取ったまま固まり、頭に浮かんだ信じがたい想像を必死に否定した。
ひらりと、落とすようにその紙を机に戻すと、足元をふらつかせながら我が家を後にしたのだった。
「なんでアレが、ザリアスのところにあるんだ………」
嫌な予感がずっと胸から消えなかった。
ザリアスにあの手紙の真意を確認してはいない。だがあれは、先月にラツィラスから見せられたあの紙と全く同じものだった。………確率は、極めて高い。
「絶対そうだよ、ジーン。ザリアス、ディオール公爵に申し出の手紙出したんだって」
「うるさい、やめろ。絶対違う………信じたくない」
机の上、腕の中に顔を埋めてジーンは首を振る。
「大体、俺は王族じゃない。そんな話が事実だとしたら、候補とかじゃなく『婚約者』って形で申し出さないといけないんだぞ」
ありえるわけない。何故。どういうつもりで。という思いで呻くが、ザリアスが公爵夫人を異性として慕っているのを知っていた。だがそれはただの憧れの分類のはず。何もないのに、前触れもなく急にこんな具体的な動きをするのはおかしいと思った。
(なにもなく………なにも、なにも?)
「………そうか」
「ん?」
「お前のせいだ」
「何が?」
「もしもあの手紙が、お前の言う通り見合いか何かの申し出だったとして。ザリアスが突然そんな話を持ち掛けるはずないんだ。お前に触発されたんじゃないのか?」
「触発? 僕に?」
「お前というか、お前のお父様だよ。城のメイドや兵が噂してたぞ。ディオール公爵が王様の申し出を断ったって。兵は賭けもしてたくらいだ。何度目の申し出で公爵が折れるかってな。だからザリアスの耳に届いてないはずがない。それであいつ、お遊び感覚で手紙をだしたんだよ。レミリアスサマとお近づきになれるかもっていう下心ありきで」
自分で言って、ジーンはその言葉を頭の中で繰り返した。すると、不思議とこの案の真実味が増していった。
「なるほど。確かにあり得るね。………手紙が申し出のソレだったとして、この話、アルベラは知ってるのかな」
くすくすと笑う王子に、「勘弁してくれ」とジーンは頭を抱えた。
「人を遊びの駒にしやがって………。今度の訓練試合。何があってもあの爺に一発入れてやる」
「………それ、どういう、こと?」
ガタン!
ラツィラスとジーンは驚いて身を引いていた。
二人の後ろ、隣のクラスのはずの級友の姿があった。アルベラに思いを寄せている彼は、頭を半分机の上に覗かせ、ジーンとラツィラスに視線を送っている。絶望したような顔で、最近桃色の範囲が広くなってきた瞳を震わせていた。
黄緑に、黄色のメッシュが入った髪の、人の良さそうな顔をした少年。ストーレムの街の、隣の町の領主の息子、キリエ・バスチャランだ。
「や、やあ、キリエ」
キリエは「やっと」という様子で机の影からずるりと這い出て、上体を机の上に乗せた。引きつった表情を浮かべる二人へ、自身の顔を寄せる。
「ぼく、いや、おれ、その話初耳なんだけど、どういう事?」
「婚約者候補の話か?」
「そう。あと騎士長様の話」
「そっちは僕も昨晩聞いたばかりなんだ。だから誰も知らないと思うよ?」
「キリエのお父上、公爵と親しいだろ? 両親から何も聞いてないのか?」
「ぼく………お、おれ。この前の休みは生物研究をしている先生の所でお世話になってたんだ。学園入学後は、暫くは休日はそこでお世話になることになってて家に帰れてなくて。休みを頂いたらトレーニングしてたから、全然………」
「スカートンからは? 彼女、アルベラから何か聞いてなさそうだったの? ………ていうか、最近また、スカートンの様子おかしいよね。休み中何かあったの?」
ラツィラスは自分と目を合わすと、絶望するような表情を浮かべ逃げていくスカートンの姿を思い出し苦笑した。
キリエは首を振る。
「スカートンはそういう話、アルベラから何も聞いてないみたい。多分知らないんじゃないかな。………スカートンの様子がおかしいのは、………その。それも婚約者候補の件だよ。知らない?」
「は?」
ジーンは頬杖をついていたが、拳から頬を浮かせ目を丸くする。
「え?」
ラツィラスも意外な話だったのか少しおどろしていた。
「え?」
二人の反応に、キリエも目を丸くした。
「あの、本当に知らなかったんだ。スカートンに婚約者候補のお手紙が来てたんだよ。聖女様、スカートンが知らない間にそれをお受けしていたようで。それが、その、いろいろと彼女にとって衝撃だったみたい」
と、声音を下げてこそこそとキリエは言った。
「お前、一体何股してんだよ」
ジーンが目を座らせラツィラスを見やる。
「それは僕も知りたいな。この学園の四分の一のご令嬢には手紙が送られててもおかしくないと思うけど。………そうか、スカートンにまで」
「スカートンからその話を聞いたとき、きっとアルベラにも行ってるんだろうなとは思ったけど………けど、」
ずるり、とキリエが机の上さらに這い出て、ジーンに顔を寄せた。
「どういうこと? ジーン君、アルベラが好きなの?」
桃色に輝くキリエの虹彩。耳に被る程度の長さに整えられたストレートな髪が、ぱちぱちと静電気音を上げて小さく弾けていた。
ジーンは身を引く。
「キリエ、おちつけ。俺の親がレミリアス様に近づきたくて勝手にやったことだ。しかもあっさり断られてる。こいつも」
「レミリアス、様?」
キリエは身を乗り出したままキョトンとしていた。
「もう。僕の『お父様の』赤っ恥まで引き出さないで上げてよ」
「そういえば、ラツィラス様、婚約候補の話断られたの?」
「今更そこに戻るのか」
ジーンは呆れて息をついた。
「おいキリエ! ここに居たか!」
「わ!」
背中を引っ張られ、キリエは声を上げて身を持ち上げた。
「次の授業温室だぞ。早くいかないと減点だ」
「よ、呼びに来てくれたんだ。ありがとうミーヴァ。聞いてよ、アルベラが」
「やめろ、そんな悪趣味で不快な名前を出すな。それより時間だ、早くいくぞ」
キリエは身だしなみを整え、気づいたように教室の時計へ目をやった。
「ラツィラス様、ジーン様。こいつ、何か無礼でも?」
「ただ楽しく話してただけだよ。気にしないで、フォルゴート」
「ご歓談中に失礼いたしました。ほら行くぞ。減点食らうのはごめんだ」
「う、うん。お二人とも、失礼しました!」
「うん、行ってらっしゃーい」
ぱたぱたと駆けていく二人に、ラツィラスは片手を振って見送った。
慌ただしい二人を見届けて、教室は一瞬音を潜めるがすぐにいつもの音量を取り戻す。
「あの子、平民の特待生だったかしら?」
少し離れた席で、四人組の少女たちがラツィラス達から漏れ出た話題に触れていた。
「ほら、アート・フォルゴート様のお孫さんよ」
「あら、フォルゴート様の? じゃあ魔術の腕が素晴らしいんでしょうね」
「そうそう。魔法と魔術の授業で入学からずっと上位なんですって」
「トップはずっと王子が独占しているものね。けどまだ入学したばかりだし、いつ誰に追い抜かれるかまだまだ分からないでしょう?」
「あら、サリーナったら、最近魔法が使えるようになって随分強気ね」
少女たちの中にクスクスと笑いがこぼれる。
「ところで公爵様がどうしたの? 婚約候補のお話をされてたみたいだけど」
「あら、ご存じないの? ディオール公爵のお話よ」
「確か隣の地域を仕切っている公爵様よね? どうかされたの?」
「私知ってるわ」
二つに結んだ髪を楽し気に揺らし、少女が身を乗り出す。
「婚約候補をお断りになったんでしょ?」
その言葉に他の二人から驚きの声が漏れる。
「婚約候補って、王子の?」
「そうそう」
「もう始まってらっしゃったのね」
「王子の婚約申し出をお断りになるなんてもったいない………。いいわねぇ。うちにも来ないかしら」
「婚約じゃないわよ。『候補』。これからさらに篩ふるいにかけられていくの。小伯家じゃ何か目立った功績がないと難しいわよね。うちも希望のない話だわ」
「あら、うちには来てよ? お母様ったら燥はしゃいで、学校に手紙を送ってくださったの」
四人の中の一人が「ふふふ」と自慢げに笑った。
「うそ!?」と他の三人が声を上げる。
「いいなー」
二人はそう声を上げるが、一人は考え込むように視線を落としていた。
その様子に、一人が彼女に問いかける。
「どうしたの、ルトシャ?」
「あ、その。王子との婚約もいいのだけど、私は、………その」
彼女はそっと、あの二人の少年へと視線を向ける。他の三人もそれにつられてラツィラスとジーンへ視線を送っていた。
「ああ、そうか。ルトシャはジェイシ様が気になるのよね」
「しー!」
慌てて口元に指を当て、言い当てられた少女は顔を真っ赤に染めた。
「確かに。ジェイシ様、いつもしかめっ面で初めは怖い印象だったけど、普通に紳士的だしね。よく見ると、顔もまあまあ………」
「騎士様って聞くと、ときめくものはあるわよねぇ」
「逞しくて、頼りがいのある男性………素敵よねぇ」
「もう、茶化さないでよ! ………あら、」
「あ、先生ようやくいらしたのね」
少女たちが照れる友人を囲ってくすくすと笑う中、授業時間に遅れた教師が慌てた様子で教壇の前へと現れた。
教室は数秒、席に着く生徒たちがざわめき、すぐに静まり返る。
「失礼。さあ、授業を始めます。今日は隣国との歴史について」
教師が教室全面の漆喰の壁に札を張ると、壁に三つの色使いで描かれた大きな地図が浮かび上がった。
昨日の手紙で頭を抱えていたジーンと、それをからかうラツィラスも授業を受ける体制に切り替える。
指示された資料集を開こうと手元を見たジーンは、自分の資料集がないことに気づき鞄を開く。だが見当たらない。
トントン、とラツィラスに肘をつつかれ顔を上げると、彼の資料集がこちら側へ、机の上に寄せられていた。ラツィラスの顔を見るが、丁度地名を示し説明する教師の方へ向けられていた。ジーンは息をつき、黙ってそれに甘えることにする。
ずっとこのままではない。そのうち少しずつ、あちらの動きは変わってくるはず。飽きて無くなればそれでいい。物足りなさに悪化するようなら…………。
(…………どうするかな)
ジーンは考えながら、ラツィラスの反対どなりにある大きな窓を眺めた。
追々考えよう。
こうなることは入学前から予想できていた。だから気にする必要はない、とジーンは自分に言い聞かせる。
空は青く、疎らに白い綿雲が浮かんでいた。その姿が呑気に見え、少し羨ましく感じている自分に気づいた。
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