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二章 水底に沈む玉

68、ドラゴンの巣の大滝 2(妾の人数)

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「ふん。やっぱりお前、ヒトだったか」

 忌々しげな男の声。

 乱雑にローブの背中部分を掴まれ、気が付けば足元には林が広がっていた。地上から軽く五十メートルといったところか。目と鼻の先にはあの滝もある。

(お、落ちる………)

 頭の中では大絶叫だった。だが、こんなところで実際に大声を出したり暴れたりの抵抗をすればどうなるか、考えただけで恐ろしかった。

 アルベラは自分を掴む者を刺激しないように言葉を探す。

「あ、あの。どちら様でしょう?」

「ヂノデュだ」

「は、はあ」

 こんなこと、聞いたところでなんの手掛かりにもなりはしない。

(これは私の質問が悪かったか)

 暴れて落とされでもしたらたまらないと、アルベラは出来る限りじっとする。顔だけでも確認できないかと見上げると、青年の頬の辺りに見覚えのある模様が見えた。

 里の入り口に居た魔族だ。

(仲良さそうに見えなかったけど………)

 となると自分が引っ張り出された理由が穏やかなものだとは思えない。

 上の青年から小さな舌打ちが聞こえてきた。どうやら滝の方を眺めているらしい。

「同族食いめ………」

 大きな鷲の翼が、バサリ、と空を扇いで高さを保つ。

「同族食い?」

 アルベラの声に、青年は彼女へ視線をやるが、大してコミュニケーションをとる気はないのかそれを無視してあたりへ視線を走らせる。

(共食いって事? 魔族が魔族を食べる。………ありそうっちゃあありそうだけど、この感じだと普通はないって事? それとも食べられたくない人を食べられちゃったとか?)

「来るか」

 アルベラは浮遊感を感じ体をこわばらせる。少し揺れたとかそういうレベルではない。自分を掴む人物が急降下を始めたのだ。

 ローブの袖にぶら下がっているだけの状態で、アルベラは不安定に風にあおられる。ローブから抜け落ちてしまいそうな恐怖を味わいながら「いいいいやあああああああ!!!」と本日何度目とも知れない悲鳴を上げた。





 穴の中、アルベラが消えた方を見てガルカは何もせず、棒立ちになって裏からの滝を眺めていた。

「はぁ………ヂノデュか」

 面倒くさげなため息が漏れる。

『主ノニオイ………イイノ?』

 大きな体から発された声は成人男性の声がいくつにも重なって、地の底で反響したようなおどろおどろしいものだが、それが扱う言葉は幼い子供のようだ。

「………うむ。生意気で気に食わんし、ここで捨て行くのも手かもしれんが」

 生憎自分には縛りの魔術という呪いがかけられていた。もしこのままアルベラを見捨てると、心の奥底の本心が確定した場合、それはすぐさま自分に瀕死の重傷を負わせることだろう。

「仕方ない。………これも人の世で言う仕事という奴なのかな」

『エライ、エライ』

 大きな犬の尾が嬉しそうに振られる。

 滝の外へと飛び立つガルカの元、コントンがガルカの影へ飛び込み潜り込む。





 ガルカが水を割って飛び出た先、滝壺の周辺に数人の人間がいた。

 彼らの一人が声を上げる。

 「魔族だ! 気をつけろ!」





 ***





 白壁に赤茶の屋根が印象的な街並み。家々は寝る準備に入り、室内の明かりを柔らかく心地よい暗さのあるものへと変え始めていた。町の中心部にある教会の明かりはすでに消えており、その宿舎の窓がオレンジや黄色く輝いている。

 ここは、チヌマズシのスリーニエという街の宿だ。王都周辺には及ばないが、この地域一帯では一番物が揃っていて栄えている。

「王族ってのは大げさなもんだな」

 宿の厩の中、騎獣を見に来たホークは入ってすぐの騎獣を見上げ、憐みを含めそう言った。見上げている鳥の騎獣には、城の紋章のついた首輪がかけられている。

 正式に外へ出ようとすると、数人の大人を引き連れていかなければならないラツィラス。ホークは、もしそれが自分だったらと思うと、大人の存在が邪魔で邪魔で仕方なかった。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、もっと気の赴くままにうろうろしてみたいが、大人がいることでそれが制限されてしまう。

「まあ慣れれば案外気にならないぞ。ちょっとした遊びの範疇だったら見逃してくれることもあるし」

 ジーンは自分の乗ってきた、赤茶の大きな鳥に手を伸ばす。耳のような飾り羽が付いており、嘴が黒く、先は黄色い。赤い羽根先は薄く白い線で縁取られていて、全体的に等間隔の白い小さな斑が配置されていた。胸元は白く、尾羽の中心数本は真っ黒だ。アカミミオオダカだ。

 あまり羽ばたかず、大きな翼を気流に乗せて飛行するため、乗り心地が安定しており、空の手軽な騎獣として重宝されている。

 人が二人乗れるほどの巨大な鷹は、ジーンの手に嘴を摺り寄せ、首の後ろを頼む、と差し出す。その羽根へ手を沈めながら、ジーンは慣れたように撫でてやる。

「なあ、俺もいいか?」

 ホークが駆け寄り、ジーンと入れ替わって鷹の首を撫でててやる。

 満足そうな唸り声が鷹の喉元から上がり、ホークも満足げに手を離した。

「すげー。こいつらって意外と人懐っこいのな」

「城のは飼いならされてるからな」

 二人は厩の中の騎獣を眺める。知っているものはジーンが説明し、ホークはそれを興味深げに聞いていた。

 十数頭を堪能し、厩の中に置かれた木箱に腰かけると、ホークは「流石にこんな田舎にドラゴンで来てるのはいないな」とこぼした。

 ジーンはくつくつ笑う。

「あいつらは戦闘向きだからな。それしか持ってないならともかく、他のがいればただの遠出じゃ使わない」

「正直ラツィラスが言ったときは俺も乗りたかったんだけど………残念だなぁ。こんな経験、今後一生できないかもしれないし」

「………もう少し俺らが大人になった時、あいつを訪ねにくればいい。どうせやることなくて暇してるだろうしな。手紙さえ先に出しておけば遊ぶ時間位つくれるさ」

 ジーンの言葉に、「王子なのに暇なのか?」とホークは首を傾げる。

「ああ。あいつに残されている仕事と言ったら、将来公爵になってどっかの適当な良い領土を継がされるくらいだろう、って本人が言ってる」

「へー。王様にはならないんだな」

 なんでならないんだろう。王様になれば好き放題だろうにな。とホークはぼやいて膝に肘をつき、手に顎を乗せる。

 そこでホークは何を思いついたのか、にやりと笑い、ジーンへ赤い目を向けた。

「俺、ラツィラスが王様になるに一票」

 ジーンはその目を受け、一拍置いて小さく息をついた。

 首を振り、「だめだ」と返す。

 「なんでだよ」とホークは不服とばかりに眉を寄せた。

 ジーンは賭けを吹っかけてきた隣の赤い目へ首を向け、ニッと細く横長に歯を見せた。

「それじゃあ賭けにならない」

「は?」

「俺もそれに一票だ。どっちかが折れないとな」

「ちぇー! なんだよ。じゃあ、メカケの数でどうだ?」

「妾って、お前………」

 ジーンは呆れる。

「言葉の意味わかってんのか?」

「お前、学がないってバカにしてんのか? つまり愛人だろ? そんくらい知ってるさ」

「馬鹿にはしてない………けど、………………けど、そうだな………。ま、それの方が賭けやすいか」

 ジーンはぼーっとした様に厩の天助を見つめ、ぽつりと言った。

「じゃあ俺は三十人」

 ホークは吹き出す。

「はぁ?! 飛ばしすぎだろ。こういうのってせめて四~五人から始めるもんじゃないのか? 節操なしかよ! お前、あいつの事そんな目で見てたのかよ……」

「まあ……わりと無くもなさそうだなって」

 ジーンは本気か冗談か分からない笑みを浮かべていた。

 「ラツィラスが可哀そうだな」とホークは呆れる。

「じゃあ……俺は五十人」

「……お前はまだ見たことないだろうけどさ、あいつ、かなりの人ひと誑たらしなんだよ。おまけに根が拗れてるから、大人になったらきっと、愛とか恋とか、性欲とか、そういうのよりかなり打算的に動くだろうな……って、思う時がある」

 確かに、ラツィラスと打ち解ける速度の早さはホークも身をもって感じていた。

 散々この間まで人を呪って生きてきたというのに、そんな自分を忘れてしまうくらいすんなりと彼を受け入れられたのだ。王族の存在のせいで、自分のような「ニセモノ」という存在が生まれてしまった。それを思えば、彼を恨む気持ちも湧き出ていいはずなのに、自分の中にそんな気持ちは全くない。

 だが、それにしても随分な言いようだなと、あの王子様のお付きであり親友であるはずのジーンの顔を見る。

 ジーンは真面目な顔で、諭すように口を開いた。

「もし他の王族から一方的に好きだって言い寄られたら、あいつきっと、『平和的解決』って言って手っ取り早く籍だけ入れて、程よくほったらかしにするってのもやりかねないと思う。権力のある人間なら、ほっといたりするどころか率先して都合良く使うって事もありえるかも。………ってな。七十」

「はぁー。そういうもんなのかな。…………まあ、確かに顔がいいしモテそうではあるけど。もしそうなったら将来泥沼だな。八十」

「あいつの持つ『寵愛』、厄介なんだよ…………。頭が切れるってのもあるけど、変に運も良い。………泥沼どころか、周りを上手く回しそうだなって。リアルに思える。恐いよな………百」

 さらっと百を迎えてしまい、ホークは顔をしかめる。

「おい、さすがに百って現実味なさすぎじゃね? あんま盛り過ぎても賭けになんないだろ」

 そういいつつ、「百十!」と間髪いれずに付け足す。

「盛ってない。そば付きの俺が言うんだ。信じられないならホークはここで止めとけばいい」

 ジーンはわざとらしく余裕の笑みを浮かべた。

「百五十」

「じゃあ俺は二百だ。ほら、世の中のご令嬢にも限りはあるだろ? そろそろ引いたらどうだ?」

 むきになったホークは更に数を足して見せる。それはもう、なんの数字か何て事はどうでもよかった。

「三百。年齢層も国境も超えればご令嬢の数なんて幾らでもだ。ご令嬢である必要もないだろうしな。女なら平民にだっている。それに、前に先輩兵が人妻って色っぽいって言ってたから、そっちに目覚める可能性もある」

「はぁ?! 四百。なら俺だって、クソ商人から『好き好んで男を買う変態貴族がいる』って聞いたぞ。あのお坊ちゃんが男に目覚める可能性を考えたら妾の数なんて蟻の数だ。10歳もいかない子供の数も足せばそりゃあもう―――」





「そのお坊ちゃんって、どのお坊ちゃんかな?」





 ぱっとその場の環境音が鳴りやんだ。

 厩に居た騎獣たちも、夜とはいえもっと嘶いたり身動きしてもいいものだが、まるで空気を読むように何もかもが静まり返った。

「お、おう。ラツィラス」

 ホークが取り繕うように笑顔で片手をあげる。

「よう、ロリコン男色家」

 しんと静まり返った室内。ジーンは取り繕うこともなく、自分の主へ平常時の不愛想で気の抜けた挨拶を向けた。

 その瞬間、ぶわっと一斉に厩の中の騎獣たちが身震いし、嘶き始めた。

 ラツィラスは騎獣たちの気が荒れた厩の中、とつとつとつ………と歩き、二人の前で足を止めた。

「ねえ、僕を仲間外れにして、二人はなんの話で盛り上がってたの?」

 甘いマスクが、真っ黒な笑みで満たされる。どこからかは不明だが、一通りの話の流れは聞いていたのだろう。

 今更ごまかしても無駄だと悟り、ジーンはつらつらと説明する。

「ああ。ホークがお前の事を年も性別も関係なく、人に色目を使う節操なしだって。それで将来きっと妾を四百………」

「わーーー!!! お前ずるいぞ!!」

 ホークが大きく両手を振り、ジーンの言葉を妨害する。

「違うラツィラス! ジーンがお前の事をいろいろ言うから、俺はただそれに乗っただけで!!!」

「うんうん。ちょっと盛り上がっっちゃって、悪口が極端な方向に行っちゃうときってあるよね」

 その言葉は柔らかく、あたかも二人のおふざけに理解を示しているように聞こえるが。その身にまとう空気からは言葉とは正反対の意思が伝わってくる。

「違う! お前全然分かってな」

 すっと二人の手を取って、ラツィラスは黒い笑顔のまま首を傾ぐ。変な気配を感じ、ジーンはその手をとっさに引こうとしたが、間に合わなかった。

「ラツ、おまえ―――!」

「ちょ、な―――!」

 ジーンとホークの背中が、脊髄反射のようにぴんと硬直し、一瞬息を止めた。見た目には大した外傷はないが、その目に意思はなく、確かに瞬間的に意識を失っていた。三秒ほどそうなり、二人同時に硬直が解け、どっと疲れが押し寄せたかのように箱や膝に手をついてうなだれた。二人は脂汗をにじませ、荒い呼吸を繰り返す。

「な、なんだよ今の」

 ホークは言い様のない不快な感覚に戸惑っていた。

「生きたまま背骨をズルズル引き抜かれてるみたいだった………」

 ジーンはホークの言葉に納得する。魚や家畜が食料の保存のために神経締めをされるというが、きっとこんな感じなんだろうなと想像した。勿論痛みの程度は、自分達の食らったものはそれより弱いはずだが。

「お前、そうほういほい使うもんじゃないって、先生にも言われてなかったか」

 ジーンは前かがみになって心臓の辺りに手を当て、自分の主に胡乱気な目を向けた。

 今のは人の精神に働きかける魔法だ。一般的に、使える者たちでの間では子供の躾や罪人への罰に使われたりしている。

 人の悪意や信仰心に反応し、その程度によって威力が異なる。聖職者に向いているような者たちに、使用適正が現れる事が多いと言われ、生まれつき神の寵愛を手厚く受けているラツィラスもその例に当てはまるようだ。特に彼は人の正や負の感情を事細かに拾い集めるのが得意らしく、この魔法を使うと他の者たちよりも大きな効果を発揮してしまう。

 どんなに無害な人間にも、信仰心の厚い者でも、生きてる以上はある程度の負の感情は抱いてしまうものだ。ラツィラスの「負の感情や力へのセンサー」は、そんな些細な感情まで掬い上げてしまうようほど敏感なようで、「訓練を積んで力の制御ができるまで人には使わないようにしましょうね」と先生から言いつけられていた。

「大丈夫大丈夫」

 と、ラツィラスは人差し指を振って見せた。そこにはめられているのは制御の指輪。

「聖職系の魔法は調節が難しいからね。僕も考えなしには使わないよ。今日の夕方立教会に立ち寄ったでしょ? そこで神父様が譲ってくれたんだよ。彼も若いころに魔法の制御には四苦八苦したって。それはそれは懇切丁寧に聖職系の魔法についてのコツを色々教えてくれてね。———早速さっき、カザリットの了承も得て、少し試させてもらったんだ。そしたらばっちり! 慣れるまでは対策としてちゃんとこれをつけるから、君たちも安心して僕の体罰を受けられるよ」

 にこっと笑う王子様に、ホークは「うわぁ」と零し、ジーンは「また厄介な知恵を」と額に手を当てた。





 宿に取った部屋へ戻ると、護衛にとつけられた私服姿の兵士たちが酒を飲んで談笑していた。

「よお、お前ら! 王子の洗礼は受けたのかあ?」

 昨晩同様、ほろ酔いで気分の良いカザリットが、三人の帰宅早々投げかける。

「そりゃあもう、流石『オウジサマ』だ」

 皮肉交じりなジーンの言葉に、隣からにこりと無害な笑みを向けられた。滑らかな動きで手を取られそうになり、素早く身を引く。

 護衛達はその様子に一斉に声を上げて笑った。

「こりゃ俺たちは必要なさそうだ」

「王様が心配するのも分かるが、この悪ガキっぷりを見たら考えを改めてくれるかもしれんな」

 がははは! と護衛の誰かが笑う。

「あ、今悪ガキって言ったの誰ですか? マイクラッセの方から聞こえた気がしましたが」

「違うおれじゃねえ! ゲンズだ!」

「てめえマイク! バレバレの嘘つきやがって! カザリット! そっちから押さえろ! 王子こいつだ! 遠慮なく聖なる力をぶっ放してやれ!」

 ゲンズという兵が隣のマイクラッセという兵を羽交い絞めにし、マイクの反対隣りに座るカザリットが名を呼ばれて参戦する。それを、卓を挟んで反対側に座るテインという兵が「やれやれー!」と拳を上げて楽し気にヤジを飛ばしていた。

 王子は兵士たちに呼ばれて喜んでマイクの元へと駆け寄った。

 躾の魔法を放つラツィラスとそれに声を上げるマイクへ、他の三人から歓声が上がる。

 カザリットはともかく、ラツィラスもジーンも、他の護衛三人とは今朝であったばかりだ。だが、ラツィラスはすっかりその輪の中に馴染んでいた。

「な。あれが人誑たらしの一角だ」

「なるほどな」

 大人の男たちがラツィラスに悪知恵を仕込んで楽しんでいる様を扉の前で眺め、ジーンとホークは頷き合う。





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