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二章 水底に沈む玉
64、魔族の里 5(少年たちの休日)
しおりを挟む休息日とは、無条件に楽しみにしてしまうものだ。
授業のない二日間の始まりに開放感を感じながら、ジーンは身支度を済まし朝練へ向かう準備を済ませた。
休息日の朝練はジーンの自主的なもののため、ラツィラスは寝たままだ。
そっと部屋を出ようとした際、唸るように呼び止められて足を止める。
「今日はホークとの約束、忘れないでね」
「ああ。時間までには戻る」
「うん。いってらっしゃーい」
もぞもぞとベッドの中でうごめきながら、ラツィラスはひらひらと手を振ってジーンを送り出した。
ホークが来て二~三日の間。
このままこの部屋に匿っているわけにもいかないと、三人で話し合った。
その結果、三人が一番しっくり来たのが保護施設に行くことだ。
つまりは孤児院なわけだが、難民や、各々の事情で両親を亡くした子、身寄りのない子共たちを保護する施設というのがどの町にでもある。王都ともなれば東西南北に二つずつあるが、その質もピンキリだ。
「いつまでもここに居るわけにいかないしな。ひとまず近くでそういう所があるなら、そこを頼ってみようと思う」
ホークは頷く。
「前に、身寄りのない子供、働き口のない奴なんかは、国属奴隷になる手もあるって聞いたことがあったんだ。普通の奴隷よりはまだマシそうだったから、どうしようもなければそれでもいいかなとか思ってたけど」
「やめとけ。確かにいろいろと決められてはいるが、結局買い手次第だ。避けようのない理由がない限り、自分から奴隷になりに行く必要はない」とジーン。
「そいうえば、教会はどこか空きがないかな。先に教会に当たる方がいいよ。運が良ければ、そこで十八まで受け入れてもらえるし、その後の稼ぎ口も、農家とか職人とか、生活しているうちに教会が手配してくれるから」
「そうなのか! 流石都会。俺の生まれた町より充実してるな」
ホークは職人と聞いてワクワクしているようだ。
「教会の空きはあんまり期待するな。あそこは空いてもすぐに埋まる」
「そうか、分かった。けど期待はさせてくれ」
それが先週の頭の事だった。
翌日の早朝に、ジーンはいつもの朝練に出る風を装い、ホークをつれて城の兵士の寮棟へと向かった。
自室の戸を叩く音に、カザリットは「だれだぁ? こんな朝っぱらから」と面倒くさげな声を上げる。
「どうせ訓練所で会うってのに………」
(またワズナーの野郎が変な薬持ってきたんじゃないだろうな)
ぎぃ、と戸を軋ませておすと、ピンクの髪を後ろの低い位置で一つに束ねた少年が立っていた。いや、鮮やかな色に気を取られたが、ピンクの部分は頭の上だけだ。額から後頭部にかけてのラインがピンク色をしており、そのサイドはこげ茶色をしている。
(スカックみたいなやつだな)
スカックとは、たまに森で見る四本足の獣だ。黒い体で、背中に一本白いラインがあり、敵を威嚇する際に臭い匂いを放つ。
「よお、」
ぶっきらぼうな声。壁側に寄っていたジーンが顔を出す。
「おお、ジーン。おはよーさん。なんなんだぁ、朝っぱらから」
「カザリットに頼みがあるんだ」
ラツィラスとジーンとカザリットは約六年の付き合いになる。少年らが六歳の頃からだ。城を抜け出すラツィラスとジーンを偶然見つけてからというもの、城を抜け出すのはともかく、街を子供二人で出歩くのは危険だと、カザリットが同伴を引き受けたのだ。もちろん他の大人たちには内緒で。ジーンの父である、城お抱えの騎士団の団長であるザリアスはそのことを知っているが、我存ぜぬを貫いている。
自分がジーンの従兄であるということもあるが、カザリットは王子への興味もあった。
五歳から城に連れてこられた王子。
四歳を前に母を亡くし、祖父母に育てられ五歳まで田舎で育った少年は、城に来ても違和感がないくらいに育ちのいいお坊ちゃまだった。だが、普通の平民として育ったこともあり、街への溶け込み方も知っている。世間知らずのお坊ちゃまのような容姿をして、意外とそこらの街に居る同年代の子供たちと同じような価値観や感性も持ち合わせていた。
その頃から同年代の側付きとして使えるようになったジーンか、無茶苦茶な奴だ、という話を聞いていたので、どんな風に無茶苦茶なのか、ぜひ拝ませていただかねば。と悪乗りしたのだ。
「立ち話もなんか。ほら、入れてやるからありがたく思え」
カザリットに招かれ、ジーンは遠慮なく中に入り、慣れたように椅子に座る。
ホークは中の様子を見ながら「うわー。男の一人暮らしって感じの部屋」とぼやいた。
部屋の持ち主本人はそんなに汚しているつもりはない。同僚の部屋で飲む機会もあるので知っているが、大体皆こんなものだ。
洗濯物がどこかにまとめて積んであったり、ちょっとした食器類が流しに置きっぱなしになっていたり。今さっき起きたばかりなので当然だが、ベッドのシーツが乱れていたり。
「お花の香りがしてくるような部屋じゃなくて悪かったな」
カザリットは自分用に沸かしていたお湯に丸薬のような固形の保存コーヒーを入れて溶かし、三人分コップに注ぐ。
「あ、いや、そうじゃなくて。普通にいいなと思って。俺の家荒れてたし、部屋とかなかったし」
「ん。そうか。お前も兵士にでもなるか。こんな部屋くらいならちょろいもんだぞ。で、ジーン。こいつは?」
コーヒーを三つテーブルに乗せると、カザリットはテーブルによりかかる様に椅子に腰かけ足を組む。
「ホークだ」
「そうか。ホーク、よろしくな。俺はカザリットで、こいつの兄貴みたいなもんだ。なかなか兄ちゃんとは呼ばんがな」
「どうも」
「お前が呼べ呼べしつこいから呼びたくなくなるんだよ」
「俺のせいか? 酷い弟だ。………で、頼みってなんだ?」
兵士にも朝練がある。その時間が近いのだ。
ジーンも兵士の一日の時間割なら大体は知っている。なのであまり長居が出来ないのを分かっていた。
だが、それほど時間をとる話でもない。自分はたった二言を伝えればいいだけなのだ。
ジーンはもらったコーヒーを苦そうに口にした。飲みきれそうにないそれをテーブルに置き、カザリットを見上げる。
「ホークを来週の休息日まで預かってくれ。詳しいことは今晩ホークが説明する」
「は?」
「じゃ、」とジーンは席を立ち、「よろしくな、ジーンの兄ちゃん」とホークが頭を下げた。
「は?!」
そろそろ訓練へ向かう時間だ。ジーンとホークに説教を垂れている時間はない。明らかにそれを承知の上での犯行。
(こいつら図りやがったな!!)
呆然とする視線の先で扉が静かに閉まり、外から聞きなれた馬の蹄の音が遠のいていく。
カザリットは悔し気に拳を握り、苦笑いを浮かべるホークを見下ろした。
ホークをカザリットに預けて早二週間。
ラツィラスとジーンがカザリットの部屋を訪れたのは休息日の前の晩だった。
間に挟んだ休息日は、ラツィラスに用があったためホークのもとへ出向くことが出来なかった。ジーンも側付きとしてラツィラスについていなければならなかったので約束よりも1週間多く時間が経ってしまったのだ。
だがその時間は無駄ではなかった。ようやく明日からホークの施設探し、と行く予定だったが、この二週間の間に、ラツィラスの執事が王都内や王都周辺の孤児院について調べ上げといてくれたので三人が動くまでもなくその問題はあっさり片付いてしまった。
ちなみに教会はどこも満員で空席はなかったそうだ。
「流石ギャッジ」とジーンが零す。
「いやー、もしかしてとは思ってたけど、もしかしてだったね」
ラツィラスは楽しそうにクスクス笑う。
「じゃあお前ら明日はギャッジが見つけたっていうそこに行くのか?」
カザリットの問いかけにラツィラスは首を振る。
「それが、受け入れ準備があるとかで、一週間待ってほしいって」
「そうなのか?」
「うん。だからカザリット、悪いんだけどもう一週間お願い」
手を合わせる王子。
「まあ、別に手もかからないし良いんだけどよ。………孤児院で大丈夫なのか?」
カザリットはジーンとホークの目を見て言う。
カザリットはジーンの例を見ているので、赤い目の扱われようを知っていた。孤児院はいろんな子供が集まる。大人だって、孤児を養っているといえば聞こえはいいが、援助金欲しさでそうい形をとっているだけの者たちもいる。支給されたお金を子供たちの生活金に当てず、死なない程度に養いケチった分を自分たちの懐に入れる者たちも勿論いるのだ。
そんな者たちの所へ行けば、苛めや虐待の格好の餌食になるのでは、とカザリットは心配しているのだ。
「たぶん、大丈夫………まあ多分なんだけど」
と、ラツィラスがほほ笑む。
「ギャッジの選んでくれたところだからね。施設の雰囲気とか、不正がないかとか、色々目は通してくれたみたい」
「そうか。あの執事さんのお眼鏡に叶ったんだもんな。無駄な心配か」
ジーンも多少は心配していたのだろうが、とりあえずその場はラツィラスの言葉に頷いた。
ホークも頷き、ポケットの中に入れてた花のブローチをなでる。
できればこれを使わずにあの子に返したい。だから、その孤児院で暫く問題なさそうなら、ブローチをもとの持ち主へお礼とともに返しに行きたかった。
幸い、彼女と出会った場所や特徴を、ラツィラスとジーンに話したところ思い当たる人物がいるようだ。隣街だし、希望すればいつでもブローチは返しに行けると思うと気が楽だった。本来ならすぐに返すべきなんだろうが、もう少しの間お守りにさせて欲しかった。
これを持っていると、ほんの少しでも人を信じられる気がするのだ。
ラツィラスとジーンの事も、カザリットという大人の事も。
「大丈夫」
ホークは強気な笑みを浮かべる。
「もしそこが気に入らなかったら、俺また逃げるし」
その顔を見て、他の三人は心配の色を無くす。
「逃げるが勝ちだな。そしたらまたカザリットが部屋を貸してくれる」
同類の心強い言葉に、ジーンはくくくっと笑った。
「で、お前ら明日はどうするんだ?」
夕食がまだだったカザリットとホークのため、四人は近くの酒場へと来ていた。
ラツィラスとジーンとホークは水で、カザリットのみビリュというビール的なお酒を頼んだ。
串焼きの肉を頬張りながら訪ねるカザリットの目を盗み、隣に座っているホークがビリュへ手を伸ばす。
「———ったく。お前の口にゃあまだ早いぞ」
気にする様子もなく、カザリットはあっさりとビリュをホークに盗ませる。
警戒しながらそれを口にしたホークは、「うえ、まず………」と舌を出した。
「ジーンも飲んでみろよ。水が甘く感じる」
斜め前に座るジーンへ、ビリュの入ったジョッキを押し出す。
「いい。俺もそれ嫌い」
ホークに正面から目を向けられ、ラツィラスもにこやかに首を横に振り拒否をする。
三人の少年の誰もがお口に合わないようだ。
ほらみたことか、と卓の上行き場を無くしたビリュを掴み、カザリットはそれを一気に飲み下す。
「っはー! おねーさーん! ビリュ一杯!」
店員から明るい返事が返る。
「でね、明日なんだけど」
ラツィラスがカザリットの問いに答える。
「チヌマズシの方に行ってみようと思うんだ」
「へー。ホークの里帰りか?」
「俺行きたくねーぞ」
ホークがビリュを口にした時のような苦い顔を浮かべる。
ラツィラスはくすくす笑う。
「違う違う。ただの観光だよ。ホークの話を聞いて、あっち側を見に行きたくなっちゃって。ほら、大きな滝あるでしょ?」
「ああ。ドラゴンの寝床とか言われてる」とホーク。
「前に僕ら、あそこに行ったことあるんだよ。近くの街に宿でも取って、久しぶりに観光もいいかなって」
「おまえ、かなり急だな」
この話はジーンも初耳だったようで半ば呆れていた。
「気まぐれは王子の特権! て、前にカザリットが教えてくれたんだ。責めるなら、まずはカザリットを責めてね」
「おう! よく覚えてたなラツ坊! 偉いぞ~!」
ラツィラスの視界、突然斜め前から大きな手が迫ってくる。がさつに王子の頭をなでるやや酔っ払いに、ラツィラスは気を抜いていたのか「うわあ!」と驚きの声を上げた。そこにカザリットにビリュが届き、ラツィラスは直ぐに解放された。ジーンがもの言いたげに笑みを浮かべ、それに対しラツィラスが「結構大変だね」と髪を直しながら苦笑を返す。
「けどどうするんだ? 早い馬でも一日くらいかかるだろ?」
カザリットが尋ねる。
ジーンは「確かに」と肘をついて頬を乗せた。以前はいろんな街に寄りながら通ったので、王都から直接向かった際の正確な時間は分からない。だが、地図上での直線的な距離で言えば、少なくとも半日は絶対にかかる距離だ。その間の道もどんなものか分からない。目的地に向かって真っすぐ進めれば話は別だが。馬に乗って王都の周辺で訓練をしたことのあるジーンには、そうもいかないだろうと簡単に想像ができた。
「一日?! そんなに近いんだな」
ホークは声を上げる。商人についてここまで来た際は、五日くらいかかっていたように思えた。だが、よく考えてみれば馬は常に走っていたわけではないし、細々と立ち寄る場所があった。品を運び、商売をしながらの道だったことを思えば当然なのかもしれない。
「けど、空を行けば半日の半分位で済むよ」
「まあそうなるよなぁ」とカザリット。
「半日の半分?!」
ホークがさらに驚きの声を上げた。
「お前まさか………」
ジーンは呆れる。
王子はにこりと笑い指を立てる。
「馬がだめならドラゴンに乗ればいいじゃない」
そして翌日、ジーンが早朝の自主練を終え寮へと戻り、ラツィラスと共に約束の時間に城へ行くと、王が我が息子へと用意していたのは純白のペガサスだった。
ドラゴンはまだ早い、という父の意向だ。
遠出自体は護衛を数人つけるということですんなり了承を得ることが出来たのだが、ドラゴン、またはフライに乗りたかったラツィラスは、朝から不満一杯の渋い顔で見るからにテンションを落としていた。
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