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一章 10歳になって

51、騒ぎの後は休息を 3(キリエの告白とエリーの素っぴん)

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「まさか、生まれるとは……」

 アルベラは外行き用の格好で自室にいた。白い丸テーブルに肘をつき、その中心に置いたガラスコップを眺め息をつく。 

 今日こんにちはオノディ2の月、18日。キリエの誕生日だ。

 身支度を終えているアルベラは、外の準備が終わるのを自室で待っていた。

 眺めているコップの中には7~8センチほどの青魚のような生き物が、コップの輪郭に沿ってクルクルと水の中を旋回している。―――このコップの中を泳ぐ生き物は「水コウモリ」だ。

 あの薬の売人たちの件で購入した卵が、色々あるうちに孵ってしまったのだ。

 エリーの話では、盗聴器として使われる卵は孵るための環境条件が合わないために、通常であれば2週間ほどで卵のまま死んでしまうという。

 その卵がこうして孵っている事について、アルベラには一つ心当たりがあった。





 いつの日か八郎の家に行った際、ギエロのネズミ「さん」がアルベラの元を訪ねてきた。預けたまま忘れていた卵を返しに来てくれたらしい。鮮度が落ち、殻に小さなしわが入り、中の液体の透明感がやや失われているそれを見て、アルベラは捨てるか、もしくは「このネズミの餌にしても大丈夫だろうか?」などと考えていた。そこに八郎が水を入れた小瓶を持ってきて、その卵を入れ、スポイトで吸った薄いピンクの液体をその中に一滴たらした。

『栄養剤でござる。植物に使っても効果覿面。これでまた少しの間使えるようになるでござるよ』

 と言って卵を入れた瓶と共に、「栄養剤」の瓶もくれたのだ。

 流石六つの国を潰したクエスト達成者(世界は滅亡させてないが)の作った薬だけあって、その効果は確実だった。

 次の日にはしわしわの表面がぴちぴちに再生していたのだ。

 だが、ギエロにネズミを返してしまっているので、盗聴出来る場所はこの屋敷内にほぼ限られてしまったため、新鮮になった卵を使う事は殆どなかった。

 最後、試しに父の部屋に置いていた卵が拾ってきた情報は、通信機で誰かと話す父の声。

『皆上手く役を演じてくれて助かったよ。お陰で予定してた二人以外にも潜入できたし、また何かあったら君らにお願いしようかな――――――――――ああ。―――――――ああ。ヴァージルについては追って頼む――――――――――――――』

 多分この間の薬の売人たちの件についてだろうが、八郎を救い出した今、もう急ぎで盗聴しなければならないような話は無い。

 見た目が綺麗だったため窓際の勉強机の上に置き、日に当たり青く透明に輝く姿を見て楽しんでいた結果、栄養満点な水の中、偶然にも孵化に必要な条件が揃ってしまっていたのだ。





(狭そうだな。使用人に言ってガラスボウルか何かに入れ替えといてもらおう)

「お嬢様、準備が出来ましたよ」

「はーい」

「今日も元気ですね」

 コップの中を泳ぐコウモリを見てエリーは微笑む。

「これ、もっと大きくなるよね?」

「はい。確か5年くらいかけてカラスくらいの大きさにはなったはずです」

「カラスくらいか。結構大きくなるな……。キリエ、動物好きだし飼い方知ってるかしら。それか逃がすのも手だけど……」

(……どうしよう。結構かわいいんだよな)

 今は水中から出ることもなく泳いでいるコウモリは、卵の時同様綺麗な青色をしていた。

 コウモリの翼部分は動物で言う前足であり、翼の関節のように見える部分はそれぞれ肘や指なのだそうだ。

 水コウモリの、その肘や指に当たる部分と胴には魚のような鱗生え、日の光にキラキラ輝いている。首元にはふわふわな毛が生えているが、今は水の中で体にくっついている。翼の膜の部分は水中でレースのように揺れていた。

(コップに入ってるせいでベタっぽいなぁ。割と……結構綺麗だし、可愛いし……けどコウモリって飼うの難しそう……)

 「うーん」と悩むお嬢様の背を、エリーは「馬車の中で考えましょうねー」と背を押して下へと誘導する。





「お父様、お母様……その、我が家ってペットOKですか?」

 東へ向かう馬車の中、アルベラは遠慮気味に両親へ切り出した。

「ペット? 犬でも拾ったのかい?」とラーゼン。

「いいえ。ええと……魚、のような物を……」

 「コウモリ」と言っていいものか。アルベラはつい視線をそらしてしまう。

「魚? ピラリやシャークと言った危険なものでなければ別にいいが……」

 父が口にしたのはどちらも肉食性な獰猛な魚だ。森の深くや海に行かなければいないような生き物なのでアルベラが手に入れられるはずもない。彼女はぶんぶんと首を振る。

「そうか。なら私は構わない。レミリアスも、多分構わんだろ?」

「ええ。生き物を飼うのは心を養うのに良い事です。アルベラ、ちゃんと面倒を見てあげなさい」

「ありがとうございます、お父様、お母様!」

「それにしても初めてのペットが魚か……。どんなものか、帰ったら見せておくれ」とラーゼンはアルベラへ笑いかける。

「勿論です。―――けど、お父様。あとで『やっぱだめ』とかは言わないでくださいね」

「ああ、言わないとも」

「絶対の絶対よ?」

「ああ。男に二言はないさ」

「わーい! とってもキレイなの! お父様もきっと気に入るんだから」

 どんな魚を拾ったのか知らないが、娘のはしゃぐ姿にラーゼンは幸せを噛みしめる。

 家の近くに小川が流れているので、そこで捕まえた小魚でも気に入ったのか。それを私たち両親に隠し、こっそりと飼っていたのだろうか。―――と、健気にも思える娘の姿を想像して父である彼の表情がだらしなく緩む。

(娘のペット一号だ。どんな小魚であろうと、私も大事にしようじゃないか)





 その小魚がまさかコウモリであるとは予想もできず。この日帰って見せてもらった娘の珍ペットに、ラーゼンは虚を突かれ暫し言葉を失うのだった。





 ***





「キリエ、お誕生日おめでとう」

 アルベラは持ってきた花束とプレゼントを今日の主役へと手渡す。

「ありがとう、アルベラ」

 キリエはさも嬉しそうに目を輝かせた。

 例年通り、バスチャラン家の誕生日会は青空の下で行われた。屋敷の庭からは馬小屋や牛舎がみえ、長閑に草を食む家畜たちが柵の向こうに眺められる。

 キリエの父の領地は、ストーレムの街の東隣りだ。そこからさらに東側の領地には牧草地帯が多く、国境までの殆どが畜産や農業に特化した町や村が続いている。

(国の北側は漁業。西側は鉱物。南側は技術製品。と、地域ごとの産業の話をスレイニー先生がしてたっけ)

 自分の暮らす街よりも建物の平均的な高さが低いパスチャラン家の領地は、アルベラが見慣れたストーレムの町と大分雰囲気が異なっていた。

 領主の屋敷の周りが牧草地なので他の人間の姿が見えないが、町の中心地にはちゃんとそれらしい施設もそろっているというので、「田舎は田舎だが、便利な田舎なのだ」と領主であるムロゴーツは胸を張っていた。

「お、おめでとう、キリエ」

 アルベラの後ろ、もぞもぞとスカートンが顔を覗かせる。

「スカートン……」

「そんなに隠れなくても大丈夫だよ」

 アルベラとキリエは苦笑した。





 その後、アルベラは領地内の貴族や小金持ち達と挨拶をし、スカートンとキリエと話して過ごした。

 日が沈む前に王都へと帰っていくスカートンを見送り、キリエの父と楽し気に話し込んでいる我が父を見ながら、「時間的に我が家もそろそろかな」とアルベラが思い始めた頃―――

「アルベラ」

 キリエが躊躇いがちにアルベラへ片手を差し出した。

「あの、ちょっといい? 帰る前に、少し散歩に付き合ってほしい……なって……」

 彼の霧出し方に、アルベラは目を瞬いた。

(え………………まさか告……いやいや、そんな……こんな急に……誕生日に……)

 頭の中に一つの文字が浮かび上がるが、断定するには早計だろうとその一言を消し去る。

「ええ。護衛にエリーもいい?」

「うん」

 何かを拒否したいから、回避したいから、という訳ではなく、本当にただ子供だけでふらついては大人たちが心配するだろうと思っての事だ。

 緊迫した空気を感じつつ、アルベラは黙ってキリエの後に続き、歩きなれた彼の屋敷から続く道を行く。





 キリエとアルベラが小さいころからよく使う散歩コースは、屋敷の周りをぐるっと一周するだけの単純な道だ。

 単純だが、牧場があり、使用人が大事にしているという色とりどりの畑があり、小川を渡る小さな可愛らしい橋がある。

 キリエはその橋に至るまで。いや、今日にいたるまで、ずっと悩んでいた。

 ―――このままではいけない。

 王子様の誕生日で、他の貴族からダンスに誘われる幼馴染の少女。自分も彼女と踊る事ができたが、それは王子様のひと押しがあったからだ。

 彼のひと押しが無くても、もしかしたら誘えてたかもしれない。

 だが、あの時の自分は王子様に言われて……、王子様が言・っ・て・く・れ・て・安心してしまったのだ。

 あれ以来キリエの心の中に、「臆病者」という言葉が以前よりも濃くはっきりとへばりついて離れないでいた。アルベラの顔を思い出すたびに、「臆病者」と自分の声がチクリと彼の心に棘を刺すのだ。

(このままじゃ駄目だ)

 キリエは、ピタリと橋の上で足を止めた。

 エリーは二人の後を一定の距離を保ちついてきていたが、ずっと俯いたまま先を歩いていた少年が止まるのを見て足を止め、更に一歩下がった。

(青春ね……)

 頬に手を当て、彼女は小さく微笑む。

「アルベラ」

「な、なに?」

「ボク……。ボ、ボク……!」

 口を開いたは良いが、いざ決めていた事を言おうとしたら頭が真っ白になってしまった。脚が震え出す。キリエは今すぐここから逃げ出したい気分になった。

(だ、駄目だ……!)

 キリエは首を振る。

 ―――そうじゃない。そうなりたいんじゃない。





 目の前で黙って俯く少年。彼の方が小さく震えているのがアルベラにも分かった。

 だが、どう声をかけたらいいのかは分からない。

 きっと、この行動に至るまで、とてつもない気力や勇気を振り絞ったことだろう。

 八郎から、キリエが攻略対象の一人である事は聞いている。だが、だからと言って幼い頃から知る彼の、初めて見るこの勇気を無下にするのは気が引けた。

 なにより自分は「もっと強くなりなさいよ」「シャキッとしなさいよ」と散々本人に言ってきた立場なのだから。

(まさか本当に頑張られてしまうとは……)

 こうなってしまっては仕方がない。と、アルベラも覚悟を決める。

 自分は何も言うべきではない。

 助けてもいけない。逃げてもいけない。この場を濁してもいけない。

 少年の言葉をアルベラは静かに待った。

 やがて、キリエはため息をついた。その吐く息も小さく震えていた。

「……アルベラ。ボク、……ボクは、アルベラの事が好きだ。ずっと前から、あった時から―――」

 「はい」も「うん」も「知ってた」ともアルベラは返さない。この言葉には続きがあるような気がして耳を傾ける。

「―――だから、ボク変わろうと思うんだ。アルベラは公爵家のお嬢様だから、きっとこれから、もう少し大きくなったら、沢山の縁談が来るかもしれない。うちのお父さんもよく言ってるんだ。お前も良いお嬢さんを見つけないとなって―――。いつかお前を……公爵、に……縁談持ちかけるの、楽しみだって……。よく……ふざけるんだ。ボク……けど、そのたびに、こわ、くて………………………。―――弱虫で、臆病だって分かってる。わかってるから、他のカッコいい貴族の人に勝てる気が、しなくて……」

 このまま、彼は泣いてしまうかもしれない。少年の消え入りそうな声に、アルベラはそう思った。

 だが、キリエは一旦息をつくと涙をのみ込み俯いていた顔を上げた。

「ボク、変わる! 強くなる! ………それを、えっと、アルベラに聞いて欲しくて!」

「―――う、うん」

 アルベラは思わず背筋をただした。

 二人を少し離れた所で見守っていたエリーは目元に浮かんだ涙を拭う。

(ああ、健気……)

「そ、それで……、あの、ごめん。それだけなんだ。他になんて言ったらいいか分からなくて…………………あの、ごめん。こんな話……急に……」

 謝り、自信なさげにまた少年は俯く。

「キリエ」

 アルベラに呼ばれ、キリエは顔を上げた。

 ―――パン!

 顔を上げた矢先、両頬を挟みこまれるように叩かれる。それは痛くない程度の力加減で、音ばかりが分かりやすく響いた。

「そんなに謝らないでよ……。さっきみたいにシャキッとなさい」

「……あ、うん。ごめ……あ! ええと、ごめ………!」

 言った側から次いで出てくる謝罪の単語に、キリエはどうしようと両手で口を押える。

「ちゃんと聞いたから。だから、その謝りすぎる癖も直しなさい。じゃないとまた弱虫意気地なしって、同等の爵位の子達に苛められるんだから。―――私もその一人なわけだし……」

「……? ボク、アルベラに苛められたことなんてないけど」

 その言葉にアルベラは息をついた。

 出会った頃から、キリエは彼女の理不尽な要求を、子犬のように嬉し気に聞いては従っていた。

 アルベラにとって、キリエは格好の下僕一号だったのだ。

(なんでかな……)

 自分の事を何でも聞く気の弱いお坊ちゃま。自分がそのようにキリエを見ていた事は事実であり、彼に恨まれたとしてもそれは当然の報いとなるはずなのだ。

「―――キリエ、私の事怖がって半泣きした事もあったじゃない」

「伯爵家としての態度とか、マナーの事とか? アルベラに凄い剣幕で怒られて、失敗するたびに頬っぺたつねられたりおでこ叩かれたり?」

 キリエが思い出し、情けなさそうに笑う。

(ぐっ……!)

 本人に言われると突き刺さる物があり、アルベラはよろめいた。

「……ま、まあ……そんなのもあったわね」

 「あの時はやり過ぎた」とアルベラの胸に罪悪感が沸き上がる。

「確かに怖い時もあったよ」

(やっぱあったか)

「……けど、そんなの吹っ飛ぶくらいアルベラは強くて優しくて、あと楽しかった」

「……うっ」

 キリエの言葉と輝くような笑顔を直視できず、アルベラは視線を逸らす。

「あ、ごめ、楽しかったっていうか、今も楽しいし、いや、えーと……―――お、お父さんがね。アルベラとボクは親分と子分みたいだなって言ったんだ」

「そ、そう。親分……」

「そう。お父さんにはそう見えてるんだよ。苛めっ子じゃなくて『親分』。ボクもそれ聞いて、たしかになぁって。………大きくなって、その言葉思い出すたびにだんだん切なくなってきて」

 照れくさそうに笑いながら、キリエは続ける。

「だから、親分でも子分でもなくなるように、ボク、頑張るよ」

「そう……」

 幼馴染の顔付きの変化にアルベラは目を細めた。

 少し前の彼とこうも違って見えるのは、自分の思考や視点が変わったからだろうか。

 それとも、前世の記憶がなかったとしても、自分には今の彼が同じように見えただろうか。

 ある日突然加わった、公爵の令嬢には邪魔になりえる庶民的な価値観やマイナス思考、逃げ癖の記憶。

 けど、彼の小さな成長に気づけたのが、前世の大人としての視点があっての事だとしたら。

(……前世の私の視点も、案外捨てたもんじゃないかも)

「分かった。頑張りなさい」

 ぱしりとアルベラは、まだまだ頼りない少年の背を叩いた。





 帰ろうと、どちらともなく歩き出した二人。

「あ、そうだ。ねえ、アルベラはどんな人がタイプ?」

 キリエがアルベラへ恥ずかし気に尋ねる。

「タイプ?」

(信頼出来て安心できて一緒にいて面白い人)

 アルベラは心の中即答していた。

 ありきたりだが、結局は前世で出会えることのなかった人種だ。

 だがそんなふんわりとした回答をしたとして、返されたとして、きっと求めてるのはこうじゃないだろうとアルベラは考える。

(具体的で、分かりやすくて、共通して知っている……)

 そこでとある人物が頭に浮かび、はっと後ろを振り返る。

(あのオカマ。容姿端麗で空気が読めて強くていざという時にそこそこ頼りがいがあって体臭以外は完ぺきでは!?)

 突然振り返るお嬢様に、エリーは「え?」と足を止める。

「エリー」

「な、なんでしょう」

(ちょっと嫌な予感ね……)

 エリーは笑顔を引きつらせる。

「男になって」

「は?」

 一拍遅れてキリエが「え?」と疑問符を浮かべた。

「キリエ。エリーは男なの。好きなタイプ聞いたでしょ? だから今から見せてあげようと思って」

「え? ………………ええ?!! エリーさんが男?!」

「あ、これ、お父様にも秘密だから。誰かに言ったら絶交! 分かった?」

 ずいっと顔を寄せるアルベラに、キリエはこくこくと頷く。

「ね、エリーここならだれも見てないし、女装を解いて男らしい姿をキリエに見せてあげて。何より私が見たい」

 最後が一番の理由だ。

「あ、え、お嬢様……本気ですか?」

「ええ。でないと、……でないと―――」

 ここで「クビ」という言葉は効力を発揮するのだろうか? もしかしたら「次の雇い手なら幾らでも探しようがある」とこの有能なオカマらな言い切ってしまうのでは。と、アルベラは暫し考える。

 そうしてる間に、エリーはエリーで、今なのか? タイミング的に今なのだろうか? と悩んでいた。

 同室のニーニャは毎晩見ている姿。あの屋敷では、彼女以外にエリーの素顔を知る者はいない。いつかは雇い主であるアルベラにも、しっかりと素顔を晒しておくのが筋だろう。その上でこの雇用を拒否されたなら、関係はそこまでにすべきだ。と考えていたのだ。

(それなりにお給金いいし、のびのびと過ごせる楽しい職場だし、何よりこのお嬢ちゃんの成長をもう少しは見届けたくもあるけど……あとできればコソコソと一人で何を企んでいるのか知りたいけど―――ええ。駄目な時は仕方ないわ)

「わかりました」

 とエリーが口を開く。

「いいの!?」

「はい。覚悟はできました」

 エリーはニコリと笑み、もぞもぞと背中辺りに手を突っ込む。そこからローブを取り出し茂みへと入っていった。

(え? ローブ? どこに持ってたの?)





 呆然とアルベラとキリエが見守る中、「できましたよ。お嬢様、いいですね」と

低い声が木々の中から上がった。エリーが良く興奮した際に漏らす男の声だ。

「い、良い……!」

 アルベラはキラキラと瞳を輝かせる。

 キリエはこくりと唾をのんだ。

「じゃあ、今出ます」

 木々ががさがさと揺れ、奥で鳥の群れが飛び立つのが見えた。

 茂みをかき分け出てきた一人の男に、アルベラとキリエは数秒言葉を失った。

「だれ……?」

「ええええええ……エリー……さん?」

「はい。エリーです」

 それは、細身で背が高く肌の白い金髪碧眼の美青年―――ではなく、ゴリゴリの筋肉に覆われたクマのような体格で、無精ひげを携えた強面の男だった。肩幅はどう見てもエリーの三倍はある。

 硬直する二人の姿に、男は両手を胸の前に組ん体をくねらせた。

「もう! やっぱり驚いてる!! だからどうしようか悩んでたのにー!」

 野太い声はエリーと全く同じオカマ口調だ。

「い……いやいやいやいやいや! おかしいって! 全部化粧って言ってたよね?! おっぱい何処いったの?! 髭どっからでたの?! その体格化粧でどうにかできるレベルじゃないでしょ!?」

「体格なんて気合ですよ、気合。―――もぉ! キリエ様までそんな顔。……私、お化粧直してきますから、お二人とも少し待っててくださいね。何かあると困るのでじっとしててください」

 エリーらしきその人物は、また茂みの中へと戻っていった。

 その背を見送り、キリエはごくりと唾をのむ。

「……アルベラ」

「ん?」

「アルベラの好きなタイプ、分かったよ。ボク、頑張るね」

「はあ?!」





 ものすごい勘違いをさせたままにするわけにはいかない。

 帰りの道中、アルベラはキリエに「人は見た目じゃないからね! 中身なの! 精神なの! 心なの!」と力説したが届いたかは不明だった。

 エリーはまた茂みから出てくると、いつものメイド服を着ており、あのオカマ口調の男が着ていたローブを携えて一仕事終えたように清々しい表情をしていた。それを見てアルベラは「先ほど見たもの全てを受け入れるしかない」と諦めたのだった。





 ***





 午後の授業の終わったひと時。

 アルベラは勉強机にノートを開き、大して変わってもいないだろう自分の仕事内容(悪役令嬢業)を思い浮かべていた。

(あれ?)

 その項目からは、「キメラを倒す」という何とも物騒な項目が消えていた。その代わり「筋肉集団を手名付ける」という謎の項目が追加されている。

(え……? え?)

 思わず頭の中の項目を二度見する。

『お嬢様』

「―――!」

 部屋の扉がノックとエリーの声に、アルベラは慌ててノートを閉じて引き出しにしまった。引き出しの鍵を掛けながら、「な、何?」と彼女は答える。

『今お忙しいですか? お茶を飲んでゆっくりするお時間はおありで?』

(お茶……ならいつもみたいに部屋に持ってきてくれていいのに)

「ええ、あるけど……」

『あら、良かった。でしたら下へ降りてきていただいてよろしいでしょうか? お客様がお見えでして』

「え」

 遠回しに「時間がある」という答えを引き出された気分だ。

「エリー、お客人はどなた?」

 返事が無いどころか、扉の外からは人の気配さえしなかった。

(……)

 アルベラはじとりと目を据わらせ扉を見つめる。





「あ、やっと来た! アルベラ嬢、お疲れ様です」

 二階の手すり越しに見下したエントランスホールから、キラキラと眩い笑顔を向けられアルベラはふらつく。

「お、おうじ……」

 天使のような笑顔を浮かべる彼の横には、勿論赤髪の友人もセットだ。

「早く降りてきてください」

 彼は無邪気そうな声で、何の悪意もなさそうにさらりと「命令ですよ」という言葉を付け足す。

 王族である彼の言葉に、アルベラは「はい……」と魂が抜けたような返事を返す。





 出会いがしらの挨拶も軽く済ませ、ラツィラス王子はアルベラの手を取り親し気な笑みを向けた。

「アルベラ嬢、僕らこれからホタルドリを見に行くんです。一緒に行きませんか?」

「ホタルドリ? これからですか?」

「はい。すみません、僕らも今日偶然この話を耳にして、急に立てた用事だったんです。丁度ストーレムを通り過ぎた辺りにある丘が目的地だったので、ダメもとで公爵邸に立ち寄ってみました。―――けど、アルベラ嬢はお時間は空いているとの事で。寄ってみて良かったです」

 真っ直ぐにアルベラへ向けられた透明な赤い瞳には、困惑しながらも社交辞令で笑みを浮かべた彼女の姿が映り込んでいた。

 つるりとした真っ赤な宝石に魂が吸い込まれしまうような感覚を覚え、アルベラはぶんぶんと首を振る。

「えっと、駄目ですか?」

 懇願するように、同情を煽るように王子様の目が潤む。

 「良いと言ってあげなければ」とアルベラは咄嗟に思うも、少し遅れて「いや、相手はきっと断られるなんて思っていないんだ」とも思う。

 後者の言葉が頭に浮かぶと同時、アルベラの心に反発心が沸き上がる。

「―――い、嫌です!」

 はっきりと言い切り、「よし、言ってやったぞ」とアルベラは息を吐いた。

 「わぁ……」と言い、王子様の瞳がパッと嬉しそうに輝く。

「良かった」

「はい。ご足労をおかけし大変申し訳ありませんが―――はい?」

「じゃあ馬は乗れますか? 一応馬車もありますが、アルベラ嬢が馬に乗れるなら馬車は置いていこうと思ってまして」

「私の返答聞いてました?」

(嫌って言ったよね? ……え? 言えてなかった? え? ん??)

 助け舟をとエリーを見上げれば、彼女は両手を合わせて頷いた。

「今外套を持って来ます。靴も歩きやすい物を準備しますわね」

「違う!」

「良いですねぇ、ホタルドリ……。長い尾が夜空に舞う姿はとても綺麗で。私も見るのは久しぶりです」

 アルベラの否定も聞かず、エリーは楽しそうな足取りで階段を上がっていく。

 アルベラはダメもとでその場にいるもう一人へ視線を向けた。観察するようにこちらを見ていたもう一つの赤い双眼と目が合う。

「……」

「……」

 ジーンはそうっと視線を逸らした。

(くそう、味方がいない!)

 あれよあれよと準備は整い、アルベラはエリーに手を引かれながらか考える。

(私、この子達と敵対するかもしれないのに……。将来この子達と仲良くなるヒロインに嫌がらせしなきゃいけないのに……)

「ほら、アルベラ嬢楽しそうにしてください。王族命令ですよ」

 王子様はくすくすと笑う。

(鬼畜か!!)





 この後、「今日の所は仕方ない」とアルベラは現状を受け入れ、そのイベントを素直に楽しむことにした。

 だがこういった出来事が今回だけで済まない事を、彼女は後々―――割とすぐに知る事となるのだった。



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