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一章 10歳になって

48、今夜は 8(結果と事実)

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「いや、は………いやは、ひひはふは………」

 伯爵は涙を浮かべていた。無理に話そうとするものだから、閉じられない口の端から涎がだらしなく流れ落ちる。芋虫が必死に抵抗するように、動かせる部分をどうするでもなく動かしてみる。嫌だ嫌だと首を振り、言葉以外の身振りでなんとか意思を伝えてみる。

 その間、少年はじーっと伯爵の顔を覗き込んでいた。

 何を言うでもなく。哀れな姿を面白がるでもなく。考える様にしゃがみ込んだまま静止する。

「何を言ってるのかさっぱりですね」

 首を傾ぐそう言った少年は、多分だが、また微笑んでいた。

「ひゃ、ひゃめ、ひゃめ―――――――」

「そい」

「―――――――!!!」

「ラツィラス、何やってる」

 伯爵のもとで屈みこんでいた王子を、ジーンが後ろから覗き込む。 

 王子は伯爵の頭の上に寸止めのチョップをかまし止まっていた。覗き込むジーンへ、悪戯が見つかりばつの悪そうな表情が返される。

 困った笑顔を浮かべる王子の、その何の衝撃もないはずの小さな手の下で、大の大人が涙を流し白目をむいて気絶していた。

「お前、何したんだ………?」

「こんな驚かれるとは思ってなかったんだけどな………。伯爵が目を覚ましてて、何か言ってたんだけど、口塞いでるからさっぱりで。ちょっとふざけてこうしたら、また気失っちゃった」

 こうしたら、と王子はチョップの動きを軽く数回繰り返す。その姿を、胡乱気に見下ろすジーン。

「なにかな、ジーン?」

 王子はジーンへ、ニコリと笑いかける。そんな友、兼主に、どうせ他にも何かくだらない悪戯をしてたのだろうと推測し、ジーンは息をついた。

「………いや。なんでも。まあ。静かなのはいいんじゃないか。お前、公爵にはちゃんと連絡したんだろ?」 

 「そうだった!」と王子は思い出したように立ち上がる。

「鉢合わせる前に、アルベラ嬢には撤収してもらわないとね」





 ***





『では公爵。ソネミー伯爵のお迎えお願いしますね』

「ええ。王子。お願いですから、どうかじっとしていてください」

 その言葉に、王子の苦笑が返される。

 ラーゼンはため息をついて通信を切った。片耳に填はめた銀製のイヤホンのような物を安定させるように指でひと押しし、通信機である銀の筒の端に取り付けられた回しを一つ回す。その表示が『二』になっていることを確かめると急ぎ早に指示を出す。

『北北東の屋敷だ。ああ。ツーファミリーの手下が数人いるかもしれないが手は出すな。話は通っている。伯爵のほかにメイドが一人、兵士が二人だ。皆拘束済みらしい。私も後少ししたら合流するよ。頼んだ』

 ふっと息を吹きかけラーゼンは振舞われた自分用のコーヒーを口に運ぶ。

「やったじゃないか坊主。また功績が残る」

 疲労の色を浮かべるラーゼンの左側から嘲るような低い声が投げかけられる。ラーゼンが目を向けると、そこにはこの部屋の主。自身の机に肘をつき、椅子に腰かけたツーの姿があった。

「功績か。喜ばしいものだが、こうも人が居すぎると身動きがとり辛くて仕方がない。人手が欲しいと思った頃もあったが………あなた方の信頼関係が羨ましいよ、『親父殿』」

「クソ坊主が。次『親父』の『親』の字でもいってみろ。うちの腕のいい肉屋にてめぇの頬肉削がせてソテーにして食わせてやる」

「肉屋はコックじゃないだろ。どうせなら腕のいいシェフに焼いて欲しいね」

 「口のへらねぇガキだ」と胡乱気な言葉が返る。

 ツーは葉巻を深く吸い、同じくらい深く煙を吐き出す。その表情はゆったりとしたもので、言葉の内容程の暴力的な感情はうかがえない。だが好意的な空気でもないのは確かだ。

 ラーゼン同様、ツーの耳にはめられた通信機の音声受信機器には、少女の声が届けられていた。

『いまから公爵陣が伯爵を回収に来るそうです。急いでここを離れます』

 次いでリュージの声。

『親父。そういう事だ。ガキはこのまま屋敷へ帰すがいいな?』

 「ああ」とツーは頷く。

 耳に填めた機器を連動させているので、通信機本体から音が漏れることはない。ツーも公爵も、対面しているお互いの言葉は聞き取れるが、その通信先の相手がどんな声で何を言っているかは分からない。

 公爵が先ほど王子から受けた連絡は「伯爵を捉えた」というものだった。王子達と仲の良い一人の兵が、売人たちの塒ねぐらでそちらのボスを拘束後、王子達と落ち合うべくあの空き家へと向かったらしい。そこで合流した後、運悪くか運良くか、自分の屋敷から逃れてきたソネミー伯爵と居合わせたそうだ。兵と王子達の協力の元、ソネミー伯爵とその連れは捕らわれた次第。ということだ。

 屋敷周辺にはツーの手下もいたが、そちらとは大したもめ事は起こしてないとも言っていた。公爵はその言葉に、ロケーションがいいが故にこうも人が集まってしまうとは、と息をついた。仕方がない。まさか今日、ツーが自分たちより早く動くなど考えてもいなかったのだから。分かっていれば、もしもの事を懸念し他の場所を探していた。

 一方、ツーはアルベラや他の手下達が起動した通信機から常にその会話や環境音を聞いていた。場の収束後、一応言葉での連絡は受けたが、あの屋敷での一通りの経緯はリアルタイムで聞いていた。だから公爵から受けた説明により、あちら側がどう手を打ったかを理解した。

「ごくろうさん。さっさと戻ってこい」

 ツーは通信機をつけたまま机に置く。

「そちらも話はまとまったかい?」

 公爵の言葉に、ツーは今しがた吸った葉巻の煙を吐き出しきってから答える。

「お前らと一緒にするな。端からまとまってしかいないんでな。俺の指示なんかあってもなくても同じだ。優秀なバカ息子たちで助かってるよ」

「………人望か。素晴らしいな」

「民から慕われてる公爵様が何をおっしゃる」

「あなたも意地悪なものだ。仮初だよ。知っておきながら」

 この言葉に、公爵自身が微笑む。これは自嘲ではない。本当にただ「こういう一例も面白いものだ」と、一つのケースとして受け入れているように。

 ツーはその笑みにたばこの煙を吹きかける。厄介な男だ。今まで、数度の対面の度にそう実感してきた。どうのようにと言えば、単純に「気にくわない」というのが主なのだが、戦力や知力といったものでなく、その根っからの質が厄介なのだ。

 誰にでも物の価値観がある。それを、この男は理性をもって自分にとって価値の高いモノを最優先にする。そこに「情」が入り込む隙は一切ない―――かと思いきや、この男は、理性をもって「情」を優先すべきと判断する時もある。理性の塊かと思いきや、たまに見せる人間らしさ。それら全てがツーにとって厄介だった。そして気にくわない。可愛げがない。

 それも最近家族が出来てからは変わったらしい。たま覗く父親という生き物の一面は理性で拘束しきれないようだ。

 それでもやはり、それ以外は以前と変わらず。久方ぶりに対面したラーゼン・ディオールという男は、相変わらずツーにとって「気にくわねぇ奴」だった。

(………まあ、人として嫌いなだけで、人としてクズでないのは認めるがな)

 ツーがこの男を噂で知ったのはあの「死の水」の頃だ。

 全てが丸く収まり、死の恐怖が生むピリついた空気が街から消え始めた頃だった。

 それは一人の男に対する三種の話だ。

 ひとつは街で流れる称賛の話。

 ひとつが貴族の中で流れる非難の話。

 ひとつは一部の研究員が話していた「裏話」とでも呼べばいいものだ。

 その裏話というのが、川を浄化したという伯爵位の男は、その行為に及ぶまでの約一ひと月近くを解毒した「死の水」を飲んで過ごしたというものだった。

 男は自身がその水を口にするまでに、まずは魚を泳がせ安全性を試した。そして小型の動物から大型の動物へ飲ませ即死の危険性は無いことを十分に確認し、苗木に与え様子をみつつ、研究員達と共に約一月近くその水を摂取し人体への影響がないかを試し続けたそうだ。

 自身等の健康状態を元に、研究員たちにその毒と解毒剤の割合を詳しく調べ上げさせ、水の「白濁」についても人手を分けて並列して研究させていたという。死までとはいかないが、水の白濁は確かに生体にとって宜しくない成分であったようだが、それを吸着力してくれる鉱物を使用することで人体に影響がないくらいまでに薄めることはできた。

 彼らはそれらを準備できるだけ準備し、病が到達するであろう次の村の川上の岸を陣取って水の洗浄活動を行ったのだという。

 この話は、一部の研究員と、彼らと交流のある貴族たちの間で囁かれていたものだった。毒の件で非難を受けた公爵だったが、この話を真実と信じ、称賛側に転じた貴族たちももちろんいた。

 それが、今日ラーゼン・ディオールという男に向けられている対局した評価の始まりだった。

 自分の体を犠牲に安全性を保障していた、とだけ言えば敵は多少は減っていたかもしれないが、この男の厄介なところは「この情報は広く共有すべき」と判断したら、その理性に従い自身の悪口の種を増やすと知りながらもそれを遂行したところだ。

 おかげで、「弱めた白濁も多量の摂取は人に悪害だ」という報告を聞いた反対派は、喜び勇んでその情報をバッシングのネタにした。

 ラーゼン・ディオールは川に毒を撒いく非道な男なのだ、と。

(―――まるでマシンだな。利己的であり利他的。自分の事を自分の道具として制してやがるのが気にくわねぇ)

 律義に冷め切ったコーヒーを飲み切り、「ごちそうさま」と出ていく公爵へ、ツーはいつもの通り「二度と来るなよ、クソ坊主」と愛想無く投げかけた。





 ***





 アルベラは伯爵拘束後になだれ込むように加勢しに来てくれたツーの手下たちを眺める。

 ファミリーの男たちが九人。リュージも合わせて十人。そのほとんどが祭りの後のようにぐったりとしていた。

 なぜぐったりしているかと言えばもちろんあの霧のせいだ。

 廊下側の壁は穴だらけになり、その中の一つの穴の手前には、床に大きな穴が開いていた。それは八郎の体重により抜けたものだった。

 あの時の惨劇に、アルベラはまだ頭を整理しきれずにいた。

(あの力、良しとすべきか、無しとすべきか………)

 むやみやたらに使えば自分も痛い目を見ると今回学んだので、少なくとも「使いどころはよく考えようと」いう事だけは心の奥深くに刻み込めた。

 あれだけ心配していた八郎とエリーも、彼らと同じ時に何事もなく合流できた。―――大惨事だったので何事もなくはないが、目立つ外傷も無いなか、見事にメロメロになってくれていた。

 さらに王子を迎えに来たという兵らしからぬラフな格好の兵が合流し、しばしあの惨劇に参加していたが、正気に戻った際にエリーと顔を合わせ驚いていた。というか喜んでいた。

 どうやらエリーは彼に足止めされ合流が遅れていたらしい。はた迷惑な男だ。

 はっはっは、と湿った息が顔の横に掛かる。

 顔を向ければ、魔獣はまだ魔法が解けていないのか尾を振ってお座りをしていた。一度封印され召喚された魔獣は、召喚者以外へは無差別に襲い掛かる、という話を授業の合間小話で聞いたことがあったような気がする。

 アルベラは今はただ可愛らしい大きな犬をどうしたものかと見つめる。

 試しにその頭を撫でてみようかと手を持ち上げた時、霧を纏う黒い犬の背に、サクッと銀の光が突き立てられるが見えた。

 ジーンだ。

 霧がすっかり晴れたのを見計らい室内に戻って来たらしい。

 未だ警戒するような不機嫌な目を向けられ、アルベラはむすりと返す。

「もう、大丈夫なんでしょう? 頭も、もうぼーっとしないって言ってたじゃない」

「ああ、そうだな。けどやっぱ、あんた悪趣味だ」

 犬が霧となり散るのを見届け、ジーンは刀を腰に収める。

 ニーニャも伯爵も先ほどの犬もおかしくなってしまった時、ジーンはなんとか持ちこたえた。持ちこたえはしたが結構ギリギリの所だったらしい。それを根に持っているのだろう。

 彼は必死に頭を振り、霧の効力から何とか逃れようとしていた。王子の肩に縋り、定まらない視線で『いやだ………あんなのいやだ………』と譫言うわごとのように繰り返していた。

 それを耳にしたアルベラは、一瞬ビンタを食らった気分だった。まるで自分が「変態」とでも言い放たれたような気分。あるのかないのか良く分からなかったプライドや人間性といった部位を深く抉られたようなショックを受け、ややふらついてしまった。

 あの時のショックを思い出し、アルベラも開き直ったように負けず劣らずジーンへやさぐれた目を向ける。

「悪趣味に思われて結構。騎士見習い様こそ、躊躇いもなく背後から一撃って、騎士道に反すんじゃなくて?」

「悪いな。俺が先生から教わった騎士道は『実践に卑怯など無い』だ。あと『やれるときにやれ』。ちゃんと先生の言葉通りに動いたまでだ」

 アルベラは目を丸くし「なにそれ」と呟いた。そして「いい言葉ね。あとでメモしなきゃ」と続ける。ジーンは「だろ?」と大真面目な顔で深く頷いた。

 アルベラの魔法から既に解放され我に返っていたニーニャは、二人の会話を聞き困り果てた様な声を漏らした。

「騎士道をメモって………お嬢様、まさか次は剣でも振る気ですか………?」

 そんなことになったら本格的に誰にも手に負えなくなってしまう。と、お嬢様とその周囲の今後を案じたが、もちろんアルベラに剣を振る気はなかった。



 その後、王子の指示によりアルベラ達はその屋敷を去り、集まった兵たちにより、ソネミー伯爵とその連れは役所へと連行されていったのだった。

 王子とジーンは大人達の後に続き、迎えに来て、今回ソネミー伯爵とその付き添いたちを捕らえたことになっている兵を見上げ労いの言葉をかける。

「お疲れ様、カザリット」

「おう。お前らもお手柄だったな」

 とび色の髪の青年は、王子の頭を撫でるわけにはいかないので代わりと言わんばかりにその隣のジーンの頭をガシガシと無遠慮に撫でまわした。

 「おい」とジーンの抗議の声が上がる。
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