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一章 10歳になって
41、今夜は 1(第三者)
しおりを挟むさあ、時は来た! と、いうやつだ。
アルベラは高鳴る胸を抑え、町娘用の服とローブを被りエリーとニーニャと共に屋敷を抜け街へと向かっていた。先ほど夕食を食べたばかりでお腹が重いのは仕方の無い事である。
本当は緊張で食欲などなかったのだが、こんな日に「調子が悪い」「食欲がない」など言って食事を残せば、母に何か怪しまれてしまうのではないかと不安になり、とにかくいつも通りでいることを務めてきた。おかげさまで怪しまれることもなく、まだ数回目だがいつものごとくノーマークで自室から抜け出すことが出来た。
「なんで、なんでわたしまで………、嫌だって、言ったのに、なんで、なんでぇ」
何の予告もなくエリーに食後の散歩に誘われていたニーニャは、有無を言わせずにそのまま同行させられていた。
「こうなると思ってたんだ~。良かった、何も言わないでおいて」
ぐずるニーニャと手を繋ぐと、アルベラはご機嫌でその手をブランコのように前後に振る。
先に今夜の件をニーニャに伝えていれば、きっと逃げたり隠れられたりしたはずだ。そんな手間を見越しての急な呼びつけだったからこそ連れ出すことが出来たという事だ。
「大丈夫よニーニャ。あなたは離れた空き家でお嬢様と景色を眺めてればいいだけだもの。ちゃんと通信もできるし、何かあれば駆けつけるから、ね?」
エリーの言葉に励まされ、ニーニャはグスリと涙をこぼしつつ「ほんとですか?」と顔をあげた。
だがエリーのこの言葉、前半は本当でも後半は嘘だ。
研究所に攻め込む以上、八郎を救出し無事抜け出すまでは何があってもこちらへ駆けつけるのは難しいだろう。少なくとも八郎を縛っている術具の破壊をするまでは無理だ。
術具を破壊し、八郎を解放してしまえばエリーもこちらの危機を優先してくれる可能性もあるだろうが、果たしてそう簡単に抜け出せる事態で収まってくれるものか疑問である。
「ま、八郎は何があっても術具破壊後は私たちと合流するから、ね。安心安心」
「ハチローさんって強いんですか?! あんなですよ! もうこんなですよ! こう! それでこう! 戦えるんですか?!」
ニーニャは必死だ。必死で八郎の体系をジェスチャーする。
「大丈夫大丈夫。八郎は強い強い」
アルベラは適当な言葉を並べ、弱気な使用人が前向きになれるよう雑な協力心を見せるのだった。
「では行ってきますね」という言葉で別れ、エリーは研究所となっている屋敷近くの酒場へと向かっていく。
アルベラは渡された葉を丸め、通信機の端へと詰める。
「ニーニャ、これの使い方分かる」
先ほどより落ち着いたものの、安定の涙目のニーニャはアルベラから渡された銀の筒を見ると「これ、旦那様の」と驚いた声を上げる。
「そ。今晩だけ貸してもらってるの」
「え、で、でも、こうしてるのヒミツなんですよね?」
「うん。だから言わないでね。これも家でふざけて使っただけ。いい?」
「は、はいぃ………」
ニーニャは、もうどうにでもなれといったふうに頷く。
そして受け取った筒に「ふー」と優しく息を吹き込んだ。すると、筒の両端が淡く緑色に輝きだした。
「はい。これで通信回路が通った状態です。あとは同じ株の人たちが話せば聞こえますし、こっちもその穴に向かって話せば言葉が送られるはずです」
「へぇ。息を吹き入れればいいんだ」
「そうですね。魔力を送り込めればいいので。お嬢様も魔法を使う感覚、なんとなく感じられてるとは思うので、その感覚を息に乗せて吐き出せば出来ると思いますよ」
ニーニャは通信機に、今度はふっと短く息を吹き入れる。すると緑の光がゆっくりと消える。
「どうぞ」と渡され、アルベラはどきどきしながら「ふー」と中央の穴に息を吹き込んでみた。最近掴みだした、霧に自分の魔力が溶け込んでいくような感覚を思い出しながら。
すると、ニーニャの時と同様、通信機の両端が淡く緑に輝き始める。
「おお! 凄い! できたよニーニャ!」
お嬢様の嬉し気な呼びかけに、ニーニャは表情をぱーっと明るくし「うわあ! できましたね! 良かったですねぇ!」とすっかり楽し気なテンションに乗せられる。
アルベラは無邪気な笑顔の裏、この可愛らしい使用人に一言素直な感想を漏らす。
(ちょろい)
***
「フー」と息を吹き入れ、エリーは通信機を起動させる。ツーファミリーから借りた通信機は、無事起動し、その両端に明かりを灯す。
「よお、エリーの嬢さん」
酒場で既に一杯飲んでいたリュージが店の前、現れたエリーに声をかける。
エリーが合流すると、薬の会合の日のメンバーがそろっていた。そしてエリーも会合の日同様、青い髪の鬘やネイルをしていた。この街では金髪と赤いドレスが定着しているので、気休め程度だが変装しておいたのだ。
「どうも」「よろしくっす」とネズミ使いの男とただチャラいだけに見える青年とに挨拶され、エリーはそれに返しつつクスリと笑う。
「あらあら。あの日のまんまね。面白い」
「姉さん、嬢ちゃんはどうしてます?」
「嬢ちゃん」とはもちろんアルベラの事だろう。
アルベラが話の中で「善き小鬼」と呼んでいた男が人が好さそうにニコニコと尋ねる。
「お嬢様なら、我慢できなくて。ほら、あそこに」と指さした方角にはどの部屋にも明かりの灯されていない屋敷があった。
「ははは。ったく。いたずら盛りだろうからなぁ」と小鬼のおじさんが笑う。
「ったく。やっぱりか、あのクソガキ」
忌々しそうに頭を掻くリュージにエリーは「ありがとうございます」と礼を述べる。
「ああして妥協案があってくれたおかげで、お互い気持ちよく出てくることが出来ました」
「礼なら親父に言ってくれ。俺もあのクソガキの面見ないで済んで清々してる」
拳を握り震わせるリュージの姿に、手下たちは苦笑いしていた。
「リュージさん、でなくても部外者に厳しいからなぁ。身内でも認めてくれるまで時間かかるし」
とチャラい青年が不貞腐れたようにこぼす。
「テッソ。まさかてめぇ、もう認められたなんて思ってんじゃねーだろうな」
「さーせん。精進します」
男性陣のたわいのない会話を聞きながら、エリーはお嬢様がいるであろう屋敷の三階の真ん中の部屋の窓を見る。
二人はもうあそこにいるのだろうか、と。
じっと目を向けていると、その中、よく見ればろうそくかランプか、はたまた日光石かのような弱弱しい明かりが小さく灯って移動しているのが見えた、気がした。
(まさか、お嬢様明かりを?)
『明かり? いざとなったらでいいかな。変に誰かに見つかりたくないし』
エリーの記憶の中、お昼ごろのお嬢様の言葉が再生される。
「おい、エリーの嬢さんよ。ぼちぼち向かうぞ」
リュージに呼ばれ、エリーは「はーい」と嬉し気に振り返る。
会計を済ませ、八郎のいる屋敷へと向かうようだ。
「こいつはギエロ、こいつはコーニオ、こいつはテッソ」と大まかなメンバー紹介をしつつ歩く。
「俺は別に、嬢ちゃんもいても大丈夫だと思ったんだけどなぁ」
と小鬼のおじさんもといコーニオが言うので、「バカいえ!」とリュージが声を上げた。
「ふふふ。そういえばお嬢様、ギエロさんとコーニオさんはきっといいヒトだ。あの人ちしか信用しないっておっしゃってましたよ」
もちろんアルベラは二人の名など知らないので「ネズミのおじさん」「善き小鬼」と呼んではいたが。
「へへへ。見る目あるねぇ嬢ちゃん」と満足げに鼻をするコーニオの横、テッソは憤慨してる様子だった。「ええ? なんでコーニオさん?! あの嬢ちゃん悪趣味だなぁ。見る目ないよ絶対!」と異を唱えている。その言葉にギエロというネズミ使いの男も若干肯定するような苦笑いを見せた。そんな二人にコーニオは「わかってねぇなぁ」とこぼす。
「ていうか俺は?! リューさんは犬猿の仲でギエロさんとコーニオさんは仲良しこよしで俺だけ空気じゃない? ずっりー」
「うっせーぞテッソ!」
「させーん」
一番下っ端であろうテッソは肩を落とし黙って足を進める。
そんな彼の姿に、お嬢様が「あのチャラ男はただチャラいだけだから影薄いのよね。特筆なし!」と言い切っていたのを思い出す。
言わないでおこう。
エリーはチャラ男テッソにただそっと優しく微笑む。そんな彼女に年ごろの青年テッソは頬をほんのり赤く染める。
***
「じゃーん!」
暗い室内。余計な家具も私物も一切ない、ほぼ空っぽの真四角の空間。
あると言えば部屋の隅に一つ、埃をかぶり破れた蜘蛛の巣が引っかかる椅子がある位。
アルベラとニーニャは月明かりで視界を確保しつつ目的の部屋に着くと、適当に腰を下ろせる場所を確保していた。
そしてまだ何も起こっていない様子の研究所の屋敷を見張りつつ、アルベラは腰に携えてきた香水をニーニャに見せる。
「お嬢様、それは………」
ニーニャの脳裏にコーヒーと蝶の記憶がよぎる。
「これが眠り、これが痺れ、これが混乱。どう、いい感じじゃない?」
「お、お嬢様。その香水は一体どうやって、」
「エリーにもらったの。いらない奴欲しいって言って」
「エリーさんのばかぁ! なんて恐ろしいものをお嬢様に!」
ニーニャはぶんぶんと拳を振る。
「もう。やらなきゃ成長しないんだし仕方ないでしょ。まだ虫でしか試したことないから気休めだけど、多少の護身にはならないかな。悪党相手なら遠慮なく試せるしラッキーとも思ってたんだけど」
「まだ、虫だけなんですよね。今日ケビンがやけに眠いって言ってましたが、お嬢様のせいではないんですよね? あ、絶対こっちには向けないでくださいね!」
「心外ね。いくら私でも本人の了承なしに無断でやったりしないってば」
と、いいつつ心の中で「多分」と付け加える。
「ケビンの眠いのなんていつもの事でしょ。けどほら、ニーニャがもし寝れない日があったら言って。このラーベンの香りの奴なんかは安全だと思うから。きっと快眠間違いなし」
「だ、大丈夫です。お気持ちだけいただきます!」
「ぶー。いじわるー」
首をぶんぶんと横に振るニーニャに、アルベラは頬を膨らませがっかりして見せる。
まだあちらの屋敷は静かだ。
侵入の際はエリーから通信が入る。その他のチームも連絡を取り始めるはずだ。
街の明かりを見つつ、アルベラはニーニャに向き直る。
「そういえばニーニャ。土の魔法ってどんなの使えるの? ここで見れる?」
「は、はい。良いですが、室内ですしね。がっつりやっちゃうと床がもろくなってしまうと思うので………ええとここなんかは行けるかな」
足元をトントンと蹴り確認する。
床にたまった砂ぼこりがわずかに散って月明かりにきらめく。
「じゃあ、ちょっとだけ、行きますね」
「埃立つと思うので気を付けてください」と前置きし、ニーニャはスカートを両手で摘まみ上げ、またトントンと何かを確認するようにつま先で地面を蹴る。
それを繰り返すうちにニーニャのつま先にオレンジとも黄色とも黄緑ともとれる光が灯り始める。
「良し。そろそろ」と呟くと、ニーニャはお嬢様に見やすいように、窓の方へ向き合った。あるベラはニーニャを右側から見る形になる。
ニーニャは窓から少し間をとると、地面をつま先で擦るように蹴り上げた。
すると、足の軌跡を追うように地面から何かが「ぞわり」と競りあがる。ニーニャは競りあがったそれを補強するように、また2~3同じ動きを繰り返す。彼女の動きに合わせ、この部屋の砂ぼこりが生きてるかのようにアルベラの足元を流れ、ニーニャの元へ集まっていく。
「ふう。こんな感じです」
ニーニャが示すと、そこには彼女と同じくらいの高さの壁が一枚出来上がっていた。
下から生えて来たかのように、床材を巻き込みながら砂埃を主にして構成しているらしいそれは指一本の太さよりも薄く脆そうだ。
アルベラの予想通り、ニーニャがこんこんと拳でたたくと、いとも簡単に高い音を上げてひびが入った。
「外の地面でやれば、それなりに頑丈な壁が出来るんですが。今回は室内への負担をできるだけ減らして周囲の砂とか埃に集中したのでこんなもんです」
「おお~。ニーニャ凄い!」
アルベラはぱちぱちと手を叩く
「これ、屋敷に気を使わなければもっとすごいの作れるの?」
「多少は、ですね。お屋敷の壁には土を使ってます、し………?」
急に辺りを見渡すニーニャ。
「どうしたの?」とアルベラは尋ねる。
「いえ、気のせいでしょうか。物音が」
ニーニャが耳に手を当てる。石のピアスがほんのり緑に光っていた。
「どう?」
「いえ、とくに。気のせいですかね」
『―――A班、突入開始』
アルベラの持つ通信機から、筒の中を反響するような音でリュージの声が発せられる。
『ハチローちゃん奪略してきます。箱破壊して、本人連れてたら私はリュージさん達から分かれるので宜しくねぇ』
エリーの声の後、『あいよねぇさん』『姉さん了解』『了解っす姉さん』『好きだぜ姉さん』と矢継ぎ早に返事が返る。
思っていた以上に通信の質が良い。余計なノイズもなく、筒の向こうから話しかけられているかのようなリアルさだ。
「ニーニャ」
「はい」
「音の方、また気になる様だったら教えて。私はあっち見てるから」
「わかりました」
ニーニャは頷くと、自分の作った壁は放置し部屋の扉の方へ様子を見に行く。
(こんな場所、私たち以外に来る人なんているのかな)
アルベラは双眼鏡を片手に窓の外に広がる夜の街を眺め考える。
いるとしたら持ち主か、自分たちと同じ野次馬か全く関係ない誰か。前者はこの時間だ。管理で回るには不便だろう。後者だとしたらどうなる事か。一緒に仲良く観戦、と行けばいいが。もしこちらにちょっかいを出してくるような輩なら自分たちには逃げの一手しかない。ツーがこの屋敷に見張りを置いてくれているともなれば心強いが、あまりその線は期待しない方が良いだろう。どうか売人側や不届きな輩でないことを祈ろう。
だれもいないことが一番望ましいのだが。
アルベラは念入りに埃を払い済みの床と窓枠に膝を立て、肘を乗せる。エリーが侵入したであろう屋敷を双眼鏡で覗き、通信機から何か聞こえないかと耳を澄ます。それぞれの行動に際する物音が、かすかに聞こえてくる程度で大した会話は無さそうだ。
まだ少しの間は、特に変わった変化はないだろう。
自分の家より一回り小さいその屋敷は、一階と二階それぞれに明かりを灯し、一見何の変哲もない小奇麗な家に見える。廊下をたまに歩いているメイド服の女性たちはカモフラージュなのか。アルベラの見える範囲では柄の悪い輩の姿はない。八郎の情報では地下が主に機能しているという事なので、柄の悪い輩は特に人目につくあの辺りの廊下はうろつかず林側の通路や地下に限定して行動しているかもしれない。出入りもきっと正門からでなく林側からしている事だろう。
(あっち側の廊下はどうなってるんだろう。街側からだと大して面白いものみれないのかもなぁ)
アルベラは少々残念な思いで息をつく。
後ろからカタリと物音がした。そして「とっとっと」とこちらへ駆けてくる足音。
「ニーニャ、どう? 誰かいそ―――」
後ろを振り向こうとしたアルベラの首に、ひやりとした冷たい感触の何かが当たる。
(?―――??――――――――???????)
訳の分からないまま、アルベラはピタリと凍り付く。
「お、おじょうさま………」
扉の方から困ったような、弱弱しいニーニャの声。そしてその側から「くつくつ」と、ニーニャの物ではない笑いを抑えるような声も聞こえる。
アルベラの心臓が状況を理解し、少しずつ早鐘を打ち始めていく。窓枠へ置いた通信機へ手を伸ばそうとするが、後ろから「動くな」と落ち着いた声があがり、首に当てた凶器を更に皮膚へと押し付けられた。
腰の香水を取るにも結構な身動きが必要だ。念のために持ってきたロープや火といった道具類も部屋に入ってそうそう適当に床に放ってしまっている。
きょろきょろと目だけを動かし、何かできないかと探るアルベラへ、後ろの人物は首に当てた凶器を若干離し、指示を出す。
「いいか。声は出すな。両手を上げてゆっくり振り向け」
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