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第一章 結婚は人生の墓場と言うが
不釣り合いな政略結婚
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皇帝は、この婚姻のために現実離れした大出世と侯爵位、離宮のような立派な邸宅をグレウスに与えた。どれ一つを取ってみても、並みならぬ待遇だ。
裏を返せばそれは、皇帝ディルタスがそれほど強く異母弟の降嫁を望んでいたということの証明でもある。高額の持参金と引き換えにしてもいいと思うほど、彼を城から追い出したかったのだろう。
古い慣習を排して改革を進めていこうという若き皇帝が、異母弟を居城から排除するためにその古い慣習を利用した。――皇帝を尊敬していただけに、グレウスはこのやり方が残念でならなかった。
降嫁を受けるに相応しい人間が他にもいただろうに、どうして『無能者』の平民を選んだのかと思うと、やりきれない気持ちになる。
誰の目にも不釣り合いな政略結婚。
しかし、婚姻は結ばれてしまった。グレウスにとっても皇弟にとっても、今更ほかの選択肢はない。
取り戻せない過去を惜しんでも仕方がないことはわかっている。これからのことを考えなければ。
男同士であること。年齢の差。あまりにも大きな出自の違い――。
何一つ釣り合わず、互いに望まぬことではあるが、グレウスと皇弟は縁あって家族となってしまったのだ。
ここでの生活が皇弟にとっても居心地のいいものになるように、少しずつ努力していこうと、グレウスは思った。
それぞれの部屋に通された後、グレウスは軽食を取り、湯を使って体を清めた。
湯浴みを終えたグレウスのところに、ちょうど時間を見計らったように盆を掲げたマートンが訪れた。
盆の上には小振りのグラスが載っている。中は琥珀色の液体で満たされていて、どうやら寝酒のようだ。
初めての大邸宅で緊張して眠れないかもしれないと思っていたので、細やかな心配りがありがたかった。
「本日はお疲れでございましょう。邸内の案内は明日以降にさせていただくこととして、今宵はどうぞゆっくりと夜をお過ごしください」
「お気遣いありがとうございます。いただきます」
礼を言ってグラスを煽る。
喉を焼く液体を飲み干すと、グレウスがグラスを返すのを待って、白髪の執事は穏やかな様子で口を開いた。
「旦那さま。わたくしにそのような丁寧なお言葉遣いは不要にございます」
穏やかだが、毅然とした話しぶりだった。
「旦那様はこの屋敷の主にして、侯爵家当主。そして降嫁されたオルガさまの夫君にございます。下の者にも示しがつきませんので、どうぞ相応しいお振舞いをお願いいたします」
物言いは柔らかだったが、要するに使用人相手にへりくだった態度を取るなと言うことらしい。
上品な老執事に偉そうな口を利くのは抵抗があるが、グレウスの評判は、嫁いできた皇弟の体面にも関わる。噂になった時に嗤われるのは、グレウスよりもむしろ皇弟の方だろう。
たとえ付け焼刃であっても、それらしい態度を身につける必要があることは理解できた。
「んん……教えてくれてありがとう、マートン。まだ慣れないが、努力する」
考えながら答えると、執事は皺深い顔に笑みを浮かべて一礼した。
「では寝室にご案内を」
初めて足を踏み入れた自分の屋敷は、グレウスにとっては迷子になりそうなほど広く思えた。
あちこちに絵や花、彫刻などが飾られていて調度品も多く、まさに離宮のようだ。掃除にも手入れにも手間がかかるに違いない。
夜遅いせいか、さっきから使用人はマートンしか見かけないが、他にも大勢いるのだろう。彼らの顔と名前も少しずつ憶えていかなければいけない。
貴族の当主が当主らしく扱われるには、それなりの接し方が必要だとカッツェからも聞かされていた。マートンから学ぶことも多いだろう。
前を行く執事は、長年皇族に仕えてきた熟練の執事だと聞いている。
初めて城で顔合わせをした時に、ずいぶんな高齢に思えたので歳を尋ねたが、年齢不詳ですよと笑ってはぐらかされた。確かに年齢を気にする必要はないほど、頭も体もしっかりしているようだ。
湯浴みに使った部屋と寝室は、少し離れていた。静まり返った廊下を歩く足取りはしゃんとしていて、むしろ寝酒を飲んだグレウスの方がふらついているかもしれない。
歩いているうちに先程の酒が回ったようで、体が火照ってきていた。
「こちらでございます」
マートンが案内する寝室は、広い階段を上った先の二階にあった。屋敷全体でも一番奥に位置しているようだ。
扉を開きながら、執事は言った。
「明日はお休みと伺っております。御用の際には呼び鈴でお呼びください。食事はこちらへご用意いたしますので、何時でもお目覚めの時で結構でございます」
「ありがとう」
暗に昼まで寝ていても良いのだと言われて、グレウスは心遣いに感謝した。食事の作法に自信がなかったので、食堂で皇弟と顔を合わせずに済みそうなこともありがたい。
騎士団からは五日間の新婚休暇を貰っている。
その間に皇弟との接し方を学びつつ、最低限の礼儀作法を身につけられればいいのだが。
「……どうぞ、お励みくださいませ」
おやすみ、と言おうとしたグレウスの後ろで扉は静かに閉じられた。
貴族の屋敷では眠ることを『励む』と言うのかと可笑しくなって、グレウスは少し笑ったのだが――。
老執事の言葉が意味するところは、すぐに判明した。
大きな寝台が据えられた部屋の中に、大聖堂で誓い合った相手が待っていたからだ。
裏を返せばそれは、皇帝ディルタスがそれほど強く異母弟の降嫁を望んでいたということの証明でもある。高額の持参金と引き換えにしてもいいと思うほど、彼を城から追い出したかったのだろう。
古い慣習を排して改革を進めていこうという若き皇帝が、異母弟を居城から排除するためにその古い慣習を利用した。――皇帝を尊敬していただけに、グレウスはこのやり方が残念でならなかった。
降嫁を受けるに相応しい人間が他にもいただろうに、どうして『無能者』の平民を選んだのかと思うと、やりきれない気持ちになる。
誰の目にも不釣り合いな政略結婚。
しかし、婚姻は結ばれてしまった。グレウスにとっても皇弟にとっても、今更ほかの選択肢はない。
取り戻せない過去を惜しんでも仕方がないことはわかっている。これからのことを考えなければ。
男同士であること。年齢の差。あまりにも大きな出自の違い――。
何一つ釣り合わず、互いに望まぬことではあるが、グレウスと皇弟は縁あって家族となってしまったのだ。
ここでの生活が皇弟にとっても居心地のいいものになるように、少しずつ努力していこうと、グレウスは思った。
それぞれの部屋に通された後、グレウスは軽食を取り、湯を使って体を清めた。
湯浴みを終えたグレウスのところに、ちょうど時間を見計らったように盆を掲げたマートンが訪れた。
盆の上には小振りのグラスが載っている。中は琥珀色の液体で満たされていて、どうやら寝酒のようだ。
初めての大邸宅で緊張して眠れないかもしれないと思っていたので、細やかな心配りがありがたかった。
「本日はお疲れでございましょう。邸内の案内は明日以降にさせていただくこととして、今宵はどうぞゆっくりと夜をお過ごしください」
「お気遣いありがとうございます。いただきます」
礼を言ってグラスを煽る。
喉を焼く液体を飲み干すと、グレウスがグラスを返すのを待って、白髪の執事は穏やかな様子で口を開いた。
「旦那さま。わたくしにそのような丁寧なお言葉遣いは不要にございます」
穏やかだが、毅然とした話しぶりだった。
「旦那様はこの屋敷の主にして、侯爵家当主。そして降嫁されたオルガさまの夫君にございます。下の者にも示しがつきませんので、どうぞ相応しいお振舞いをお願いいたします」
物言いは柔らかだったが、要するに使用人相手にへりくだった態度を取るなと言うことらしい。
上品な老執事に偉そうな口を利くのは抵抗があるが、グレウスの評判は、嫁いできた皇弟の体面にも関わる。噂になった時に嗤われるのは、グレウスよりもむしろ皇弟の方だろう。
たとえ付け焼刃であっても、それらしい態度を身につける必要があることは理解できた。
「んん……教えてくれてありがとう、マートン。まだ慣れないが、努力する」
考えながら答えると、執事は皺深い顔に笑みを浮かべて一礼した。
「では寝室にご案内を」
初めて足を踏み入れた自分の屋敷は、グレウスにとっては迷子になりそうなほど広く思えた。
あちこちに絵や花、彫刻などが飾られていて調度品も多く、まさに離宮のようだ。掃除にも手入れにも手間がかかるに違いない。
夜遅いせいか、さっきから使用人はマートンしか見かけないが、他にも大勢いるのだろう。彼らの顔と名前も少しずつ憶えていかなければいけない。
貴族の当主が当主らしく扱われるには、それなりの接し方が必要だとカッツェからも聞かされていた。マートンから学ぶことも多いだろう。
前を行く執事は、長年皇族に仕えてきた熟練の執事だと聞いている。
初めて城で顔合わせをした時に、ずいぶんな高齢に思えたので歳を尋ねたが、年齢不詳ですよと笑ってはぐらかされた。確かに年齢を気にする必要はないほど、頭も体もしっかりしているようだ。
湯浴みに使った部屋と寝室は、少し離れていた。静まり返った廊下を歩く足取りはしゃんとしていて、むしろ寝酒を飲んだグレウスの方がふらついているかもしれない。
歩いているうちに先程の酒が回ったようで、体が火照ってきていた。
「こちらでございます」
マートンが案内する寝室は、広い階段を上った先の二階にあった。屋敷全体でも一番奥に位置しているようだ。
扉を開きながら、執事は言った。
「明日はお休みと伺っております。御用の際には呼び鈴でお呼びください。食事はこちらへご用意いたしますので、何時でもお目覚めの時で結構でございます」
「ありがとう」
暗に昼まで寝ていても良いのだと言われて、グレウスは心遣いに感謝した。食事の作法に自信がなかったので、食堂で皇弟と顔を合わせずに済みそうなこともありがたい。
騎士団からは五日間の新婚休暇を貰っている。
その間に皇弟との接し方を学びつつ、最低限の礼儀作法を身につけられればいいのだが。
「……どうぞ、お励みくださいませ」
おやすみ、と言おうとしたグレウスの後ろで扉は静かに閉じられた。
貴族の屋敷では眠ることを『励む』と言うのかと可笑しくなって、グレウスは少し笑ったのだが――。
老執事の言葉が意味するところは、すぐに判明した。
大きな寝台が据えられた部屋の中に、大聖堂で誓い合った相手が待っていたからだ。
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