王宮に咲くは神の花

ごいち

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最終章 神饌

閉ざされた宮2

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 扉を潜ったテオドールは辺りを見回す。
 かつてはこの庭も、季節ごとに美しい花を咲かせて王の目を楽しませたのだろう。
 枯れて密集する木々と大理石でできた噴水が、この庭園が華やかだったころの姿を思わせた。
 ――しかし今は栄華の残骸が残るのみだ。

 国中を襲った干ばつは、この庭にも例外なく襲い掛かったらしい。
 足元には枯れ落ちた葉が厚く積もり、木々は緑を失っている。噴水は涸れて底に薄く砂が溜まっていた。
 辛うじて生きているのは蔓草のたぐいだけだ。

 木と木の間、垣根や小道を超えて、細くしなやかな蔓が伸びている。
 通路と思しき道を進むと石造りの白い宮が見えてきたが、蔓草はその小宮殿にもびっしりと絡みついていて、まるで牢獄のようだとテオドールの目に映った。




 剣を構えて行く手を阻む蔓を断ち切りながら、テオドールは先頭に立って宮の中を進んでいく。

 通路に積もる枯葉や道を塞ぐ蔓草を見るに、ここは何年もの間放置されていたようだ。
 置き去りにされた古めかしい調度の数々は、高価なものではあるのだろうが、王家の財宝と呼べるほどのものでもない。ここにあるものをすべて売り払ったとしても、兵士たちが故郷へ帰るまでの路銀にもならないのは明白だった。
 そもそも、今更これらを買い取ろうという余力のある商人など、王都の周りにはすでに存在しない。
 廊下を進むテオドールたちの足取りは自然と重くなった。

 宮は小さく、探索するのにさほど時間はかからなかった。
 全ての部屋を見尽くして最後に足を踏み入れたのは、宮の主の居室と思しき二間続きの部屋だった。

 さすがにここには幾つかの宝飾品が残されていた。
 兵士たちが必死で部屋の戸棚を漁るのを安堵して見つつ、テオドールは隣に続く寝室に入った。
 時代を感じさせる天蓋付の大きな寝台が、部屋の中央に鎮座している。
 テオドールは何かに導かれるように寝台に近づき、寝台を覆い隠す天蓋布を捲り上げた。





「……!」

 瞬間、息が止まるかと思った。
 閉ざされていた寝台の上に、人が眠っていたからだ。






 人、なのか――。
 テオドールは寝台に横たわるものを信じがたい思いで見下ろした。

 白い肌に白金の髪。
 長い睫毛に縁どられた瞼は、安らかな眠りに落ちているようにそっと閉じられている。

 細い鼻梁、小さく形良い唇。薄衣を纏う肢体はしなやかな線を描き、少年とも少女とも判別しがたい。
 青い大粒の星石を嵌めた宝環が額を飾り、丁寧に櫛を通した長い髪が、肩の両側から足元へと一糸の乱れもなく流れている。
 その胸の上では嫋やかな白い両手が祈るように組み合わされていた。





 閉ざされたこの宮に、生きた人間のいるはずがない。精巧に作られた人形だ。
 一瞬、人が眠っているのかと思ったテオドールは、自らの思い違いを振り払うように頭を振った。これほど非の打ちどころなく麗しい生き物が地上にいるはずもない、と。

 ――それにしても、とテオドールは人形を間近で見つめた。




 まるで今にも目を覚まして動き出しそうなほどの精巧さではないか。

 額から零れ落ちる絹糸のような髪、磁器のように滑らかな肌に優しげな弧を描く眉。
 うっすら開いた唇の間からは整った白い歯まで見える。
 青年期に差し掛かる直前の、瑞々しく儚い一瞬を切り取って時を止めたような、類稀なる芸術品だった。

 これを創った人間は、その手に神の御業を宿していたのに違いない。
 気高くもあどけなさえ感じさせる目鼻立ち。
 目を閉じて眠る姿は清らかな乙女そのものだが、同時に、どこか甘い色香を漂わせているようにも見えた。

 これは男なのか、それとも女か。
 唇から流れ出る声は高く澄んでいるのか、それとも低く柔らかだろうか。
 閉ざされた瞼の下に嵌まる瞳は、いったいどんな色をしているのだろう。

 ――あまりにも神秘的で、だからこそ手で触れて確かめてみたい誘惑がテオドールを駆り立てる。

 作り物のはずの唇は血を通わせたように淡く色づき、寝息が聞こえぬのがいっそ不思議なほどだ。

 テオドールは身を屈めて美しい人形に顔を寄せた。
 懐かしい花の匂いを感じたような気がして目を閉じる。
 もう何年も花など目にしていないというのに、記憶の底から芳しい香りを呼び覚まされるかのようだ。





 誘惑に抗いきれず、テオドールは花弁のような唇にそっと口づけした。

「……!」

 ――柔らかい。

 そう思った次の瞬間、大地に眠る膨大な量の歴史と記憶が怒涛のように流れ込んできた。
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