王宮に咲くは神の花

ごいち

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第五章 王宮の花

弔いの鐘

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 ――重々しい弔いの鐘が鳴っている。

 あれは貴人の死を悼む大神殿の鐘の音だ。ハルハーン中に広がる重苦しい鐘の響き。葬儀が行われているのだろうと、シェイドは思った。

 シェイドの身体は白桂宮のホールに安置されていた。
 棺の中には無数の花が敷き詰められ、その下には匂い消しのための香草の葉が敷かれていた。
 額には第一王位継承者を示す額環が、胸元で組んだ指には指輪が嵌まっている。

 今はいったい何日だろうか。

 往路と同じだけかかったとすれば、誕生祭までいくらも日がない。
 そのような時期に葬儀を執り行うなど、誕生祭に支障がありはしないだろうか。
 そこまで考えて、シェイドは自嘲した。

 死んだ身で今さら何を案じても遅いというものだ。なるようにしかならない。





 人の気配を感じて、シェイドはそちらに意識を向けた。少し離れたところに椅子が置かれ、そこにジハードが座っていた。

 肩を落とし、顔は伏せて足元を見つめているようだ。……いや、その目は何も見ていないのかもしれない。
 痛々しいまでの悲哀が、静かに座るその姿から感じ取れた。

 悲しまないでください――。シェイドは胸の内で語り掛けた。

 異母兄であるシェイドの死によって、ジハードの王位が脅かされる怖れはなくなった。
 サラトリアが右腕として政を支え、ヴァルダンから迎えた姫が妾妃となって世継ぎの王子を産んでくれる。
 ウェルディリアは繁栄の時を迎え、ジハードは賢王として歴史に名を遺すだろう。輝かしい未来の、今日がその始まりの日なのだから。

 だが、シェイドの声なき声はジハードには伝わらない。
 彼は打ちひしがれたように椅子に腰かけ、彫像のように微動だにしなかった。

 葬送の儀が始まる前の最後の別れなのか、ジハードは一人きりで、ホールには他に誰もいなかった。





 ――と、中庭の奥から人影が現れたことにシェイドは気づいた。

 小山のように大きな影は、人目を避けるように柱の間を隠れながらやってくる。
 ホールに座るジハードの元へと近づいてくる人影は――あれは、旧エスタート砦で国王軍に倒されたはずのニコではないか。

 どうして彼が……、そう思う間にもニコは足音も立てずに中庭を横切り、ついにジハードのいるホールに入ってきた。

「……ッ……!」

 ジハード、と声を上げたつもりだった。だが死人に声など発せられるはずがない。
 ジハードは床を見つめたまま、逆賊の生き残りが密かに白桂宮の中まで入り込んでいることに気付きもしない。
 この宮に勤める他の誰も、この侵入者に気付かなかったのか。

 肉体を離れて誰かを呼びに行かねば。
 そう考えた瞬間、ニコが獣のようにジハードに飛び掛かった。

「……!」

 ジハードは床に引き倒され、ニコの巨体がその上に圧し掛かる。
 床の上でジハードの両足がもがき、両手が襲撃者を引き剥がそうと掴んだ。ニコの広い背が邪魔になって見えないが、首を絞められているらしく声を出せない様子だ。

「……ハ……ッ!」

 助けなければ……!

 動け! 動け! 動け!
 せめて片手だけでも動いたなら、ニコの背に物を投げつけて止められる。
 だが肉体との繋がりはすでに断たれて、動かし方がわからない。手足は鉛のように重く、棺の中に沈みそうに思える。
 焦るシェイドの目の前で、ジハードの四肢の動きが徐々に鈍くなっていく。
 長い足が床の上で震え、服を掴んでいた手から力が抜けた。
 ――駄目だ。ジハードを殺させてはならない。ニコを止めなければ!

 強く念じれば指が動いたような気がした。胸元で組んでいた指が剥がれ、両手が離れる。もう少しでニコを止められる。

 ……だが、シェイドがそう思った時にはすでに、ニコはジハードを放して立ち上がっていた。

「……ニ……コ……」

 呼びかけるシェイドに気付くはずもない。

 ニコは床の上に倒れたジハードを暫く見つめた後、ホールを後にして中庭の奥へと消えていった。
 後に残されたのはピクリともしない床の上の国王だけだった。





「……ジ、ハ……ド……」

 国王が襲撃されたというのに、白桂宮の中は静まり返っていた。誰一人駆け付ける者もない。
 重々しい鐘の音がまた一つ響いた。
 まるで死の世界へと旅立つ国王を送るかのように。

「ジ……」

 棺の花を蹴散らしてシェイドは床に転がり出た。
 どうやって手足を動かしたのかもわからないが、無我夢中でジハードの元へ這いずって行く。
 冷たい床の上に四肢を投げ出した国王は、息をしていなかった。

 絶望のあまり世界がぐにゃりと歪んだような気がした。

「…………ッ……」

 胸の上に突っ伏して、シェイドは声にならない慟哭を上げた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。
 ただジハードの御代の安寧を祈っていただけなのに。
 そのためになら命を投げ出すことなど、少しも惜しくはなかったのに――。





 ……いや、違う。
 泣きながら、シェイドは自分の愚かしさをやっと直視した。やり方を誤ったのだ。

 力のないものは何一つ守ることが出来ないのだと、捕らえられた砦の中で痛感したのではなかったか。
 死ねばまさに何の力もなくなり、運命に干渉することなどできるはずもない。

 ジハードを守りたいのなら、どれほどの苦悩と恥辱に満ちた生でも生きねばならなかった。しぶとく生き続けて、力を手にしなくてはならなかったのに。

 ジハードのため、ウェルディリアのために命を捨てたなどとは、綺麗ごとの言い訳だ。本当は、自分が辛くて耐えられなかっただけではないか。
 ジハードが自分を疎んじて見放し、他の誰かを腕に抱くのを知りたくなかった。
 世継ぎの王子が生まれるためには、ジハードがその母となる女と交わらなくてはならない。それを目の前に突き付けられるのが怖ろしくて、死という安寧に逃げただけだ。

 ――その代償が、ジハードの死に繋がると知っていたなら、どうして命を捨てたりなどしただろう。

「ジ……ハ……ッ、ッ……あ、いして……いま、す……ッ」

 もう遅い。今更どれほど言葉を尽くしてもジハードは還ってこない。
 体はまだ温かいというのに。胸はまだ、脈打っているようにすら思えるのに……。

 ジハードの胸に顔を埋め、しゃくりあげて泣いていたシェイドは、ふと目を瞬いた。本当に、胸がまだ鼓動を打っているように聞こえたのだ。

 胸に耳をつけて確かめようとした瞬間――、覆い被さっていた身体が大きく動いた。
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