王宮に咲くは神の花

ごいち

文字の大きさ
上 下
92 / 138
第五章 王宮の花

愛する人よ

しおりを挟む
 神山を臨む南側の庭に、墓守がエレーナのための墓穴を掘っている。
 二階の寝室からその様子を見下ろしていたシェイドは、サラトリアが戻ってきた気配を感じて振り向いた。

 サラトリアは手に折り畳んだ絹の手巾を握っていた。
 窓辺の椅子に座るシェイドに歩み寄ると、青年は手巾の端を開いて中に収めた金の髪の束を見せた。

「主だった領民の挨拶も終えましたので、御髪を一房いただいて参りました。王都へ戻り、ベレス陛下の墓所のお近くに埋めて差し上げましょう」

 差し出されたそれを暫く見つめたが、シェイドはそっと包み直してサラトリアに押し戻した。

「その任は、どうか公にお願い致したく存じます」

「シェイド様」

「私は……」

 王都に戻る意思はないと首を振って告げるシェイドに、サラトリアはそれ以上言い募らなかった。手巾を上着の隠しに収め、落ち着いた様子で向かい側の椅子に掛ける。
 何かを悟ったような穏やかな笑みが、サラトリアの顔に浮かんだ。

「よろしいですよ。シェイド様がお戻りになられないのでしたら、私も戻りません。貴方がここで暮らされるなら、私もここで暮らします。王都へは使いをやりましょう」

 労わりの籠った優しい声に、シェイドは首を横に振った。

「いいえ、貴方は王都へ戻ってください。国王陛下には貴方の援けが必要ですから」

 サラトリアの微笑みが寂しげに曇った。




 シェイドはサラトリアを見つめる。
 サラトリアは何もかも投げうって、この北の果てで暮らすと言ってくれた。ヴァルダン当主としての責務も、国王の右腕としての地位も捨てて。

 だがこの地上に、シェイドが生きていくべき場所はない。これから進むのは、誰も伴うことのできない道だった。

 言葉にしないその答えを、サラトリアはすでに察していたのだろう。
 彼は懐から物入を取り出し、テーブルの上に置いた。
 蓋を開けると、中には褐色の小さな丸薬が二つ入っていた。

「では、これなら受け取っていただけますか? ――苦しまず、安らかな眠りにつくことができる薬です」

 シェイドは青い目を見開いて、向かいにあるサラトリアの顔を見つめた。
 サラトリアは明るい榛色の瞳でまっすぐにシェイドを見つめ返してきた。

「どこまでもお供すると申しました」

 シェイドは小さな容器に入った薬を見つめた。
 二つ用意された丸薬は、一つはサラトリア自身の分だろう。静かな声にサラトリアの決意が滲んでいるような気がして、シェイドは目を閉じ、息を吐いた。

 愛していると、サラトリアは言う。
 シェイドの過去を知ったうえで、愛を返せなくても良いとも。

 ――サラトリアの求愛を受け、ここで共に暮らしていく道はあるだろうか。
 そんな考えが頭をよぎった瞬間も確かにあった。





 サラトリアはきっと自分を守ってくれるだろう。
 彼は傷の癒し方を知っている。腕の中で守られて過ごせば、身も心もきっと癒されていくはずだ。
 長い時が過ぎれば、いつかはあの砦での出来事も過去のものとなり、サラトリアを愛せる日が来るかもしれない。
 幸福だと、生きていてよかったと、思える日が来るかもしれない。

 だが、ジハードを忘れる日は、きっと永遠に来ない。

 ジハードに愛されたことを忘れることはできないだろう。あの気高いウェルディの化身を愛し、恋焦がれ、嫉妬に狂った自分を忘れる日も訪れない。
 どんなにサラトリアを愛そうと努めても、心の隅にはジハードが住み続ける。

 だとすれば、サラトリアとともにいても裏切りへの嫌悪が付き纏い、自分を蔑んで生き続けねばならない。それが果たして幸福だろうか。

 それにサラトリアはこの国に必要な人間だ。
 ジハードが即位してから、まだたったの一年しか経っていない。この国を強くするには、ヴァルダンの持つ権力と財力が不可欠だ。
 ジハードとウェルディリアのためにも、サラトリアをここで失わせるわけにはいかなかった。

「――公。私は公のご厚意に感謝しています。ですが、旅立ちは一人で逝かせてください」

 シェイドは手を伸ばし、丸薬を二つとも、サラトリアが止める暇もなく口に含んだ。





「シェイド様!」

 椅子を立ったサラトリアが慌てた様子で肩を掴んできた。喉を鳴らせば苦みのある丸薬の匂いが鼻から抜けて行く。
 完全に嚥下してしまったのを知ると、サラトリアは悔しそうにシェイドの肩を揺さぶった。

「貴方は! どうして生きようとなさらない! 誰のために命を絶とうというのです!? これが最期ならば教えてくださってもいいでしょう!?」

 叫ぶようなサラトリアの声が聞こえた。痛いほど肩を掴む手が震えている。
 だがそれらの感覚は、数回息を吐く間にも遠ざかっていった。
 長旅の疲れも相まってか、急速な眠気に襲われて、シェイドは重い瞼を瞬かせた。

 窓からは鮮やかな緑に彩られた神山が間近に見える。
 建国の男神が棲まう山は、世界を切り取ったように向こう側を覆い隠していた。

 あの山の向こうはもうハルハーン――男神の末裔が治める、城壁に囲まれた都があるはずだ。

「……ジハード……」

 この穢れた体を脱ぎ捨てて魂だけになったなら、神山を駆け抜けてあの地に戻りたい。愛しいジハードの側で、彼の治世が長く平穏に続くのを見守るのだ。

 背に翼を得て鳥のように飛び立つ姿を思い描きながら、シェイドはサラトリアの腕の中で瞼を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生主人公な僕の推しの堅物騎士は悪役令息に恋してる

ゴルゴンゾーラ安井
BL
 前世で割と苦労した僕は、異世界トラックでBLゲーム『君の望むアルカディア』の主人公マリクとして生まれ変わった!  今世こそは悠々自適な生活を……と思いきや、生まれた男爵家は超貧乏の子だくさん。  長男気質を捨てられない僕は、推しであるウィルフレッドを諦め、王太子アーネストとの玉の輿ルートを選ぶことに。    だけど、着々とアーネストとの距離を縮める僕の前に唐突に現れたウィルフレッドは、僕にアーネストに近付くなと牽制してきた。  うまく丸め込んだ僕だったけど、ウィルフレッドが恋しているのは悪役令息レニオールだと知ってしまって……!?  僕、主人公だよね!?主人公なのに――――――!!!! ※前作『俺を散々冷遇してた婚約者の王太子が断罪寸前で溺愛してきた話、聞く?』のサブキャラ、マリクのスピンオフ作品となります。 男性妊娠世界で、R18は保険です。  

婚約破棄王子は魔獣の子を孕む〜愛でて愛でられ〜《完結》

クリム
BL
「婚約を破棄します」相手から望まれたから『婚約破棄』をし続けた王息のサリオンはわずか十歳で『婚約破棄王子』と呼ばれていた。サリオンは落実(らくじつ)故に王族の容姿をしていない。ガルド神に呪われていたからだ。 そんな中、大公の孫のアーロンと婚約をする。アーロンの明るさと自信に満ち溢れた姿に、サリオンは戸惑いつつ婚約をする。しかし、サリオンの呪いは容姿だけではなかった。離宮で晒す姿は夜になると魔獣に変幻するのである。 アーロンにはそれを告げられず、サリオンは兄に連れられ王領地の魔の森の入り口で金の獅子型の魔獣に出会う。変幻していたサリオンは魔獣に懐かれるが、二日の滞在で別れも告げられず離宮に戻る。 その後魔力の強いサリオンは兄の勧めで貴族学舎に行く前に、王領魔法学舎に行くように勧められて魔の森の中へ。そこには小さな先生を取り囲む平民の子どもたちがいた。 サリオンの魔法学舎から貴族学舎、兄セシルの王位継承問題へと向かい、サリオンの呪いと金の魔獣。そしてアーロンとの関係。そんなファンタジーな物語です。 一人称視点ですが、途中三人称視点に変化します。 R18は多分なるからつけました。 2020年10月18日、題名を変更しました。 『婚約破棄王子は魔獣に愛される』→『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』です。 前作『花嫁』とリンクしますが、前作を読まなくても大丈夫です。(前作から二十年ほど経過しています)

モブに転生したはずが、推しに熱烈に愛されています

奈織
BL
腐男子だった僕は、大好きだったBLゲームの世界に転生した。 生まれ変わったのは『王子ルートの悪役令嬢の取り巻き、の婚約者』 ゲームでは名前すら登場しない、明らかなモブである。 顔も地味な僕が主人公たちに関わることはないだろうと思ってたのに、なぜか推しだった公爵子息から熱烈に愛されてしまって…? 自分は地味モブだと思い込んでる上品お色気お兄さん(攻)×クーデレで隠れМな武闘派後輩(受)のお話。 ※エロは後半です ※ムーンライトノベルにも掲載しています

ぼくは男なのにイケメンの獣人から愛されてヤバい!!【完結】

ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。

前世の記憶を思い出した皇子だけど皇帝なんて興味ねえんで魔法陣学究めます

当意即妙
BL
ハーララ帝国第四皇子であるエルネスティ・トゥーレ・タルヴィッキ・ニコ・ハーララはある日、高熱を出して倒れた。数日間悪夢に魘され、目が覚めた彼が口にした言葉は…… 「皇帝なんて興味ねえ!俺は魔法陣究める!」 天使のような容姿に有るまじき口調で、これまでの人生を全否定するものだった。 * * * * * * * * * 母親である第二皇妃の傀儡だった皇子が前世を思い出して、我が道を行くようになるお話。主人公は研究者気質の変人皇子で、お相手は真面目な専属護衛騎士です。 ○注意◯ ・基本コメディ時折シリアス。 ・健全なBL(予定)なので、R-15は保険。 ・最初は恋愛要素が少なめ。 ・主人公を筆頭に登場人物が変人ばっかり。 ・本来の役割を見失ったルビ。 ・おおまかな話の構成はしているが、基本的に行き当たりばったり。 エロエロだったり切なかったりとBLには重い話が多いなと思ったので、ライトなBLを自家供給しようと突発的に書いたお話です。行き当たりばったりの展開が作者にもわからないお話ですが、よろしくお願いします。 2020/09/05 内容紹介及びタグを一部修正しました。

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています

八神紫音
BL
 魔道士はひ弱そうだからいらない。  そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。  そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、  ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

異世界に転生してもゲイだった俺、この世界でも隠しつつ推しを眺めながら生きていきます~推しが婚約したら、出家(自由に生きる)します~

kurimomo
BL
俺がゲイだと自覚したのは、高校生の時だった。中学生までは女性と付き合っていたのだが、高校生になると、「なんか違うな」と感じ始めた。ネットで調べた結果、自分がいわゆるゲイなのではないかとの結論に至った。同級生や友人のことを好きになるも、それを伝える勇気が出なかった。 そうこうしているうちに、俺にはカミングアウトをする勇気がなく、こうして三十歳までゲイであることを隠しながら独身のままである。周りからはなぜ結婚しないのかと聞かれるが、その追及を気持ちを押し殺しながら躱していく日々。俺は幸せになれるのだろうか………。 そんな日々の中、襲われている女性を助けようとして、腹部を刺されてしまった。そして、同性婚が認められる、そんな幸せな世界への転生を祈り静かに息を引き取った。 気が付くと、病弱だが高スペックな身体、アース・ジーマルの体に転生した。病弱が理由で思うような生活は送れなかった。しかし、それには理由があって………。 それから、偶然一人の少年の出会った。一目見た瞬間から恋に落ちてしまった。その少年は、この国王子でそして、俺は側近になることができて………。 魔法と剣、そして貴族院など王道ファンタジーの中にBL要素を詰め込んだ作品となっております。R指定は本当の最後に書く予定なので、純粋にファンタジーの世界のBL恋愛(両片思い)を楽しみたい方向けの作品となっております。この様な作品でよければ、少しだけでも目を通していただければ幸いです。 GW明けからは、週末に投稿予定です。よろしくお願いいたします。

病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!

松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。 ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。 ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。 プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。 一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。 ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。 両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。 設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。 「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」 そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?

処理中です...