76 / 138
第五章 王宮の花
砦への帰還
しおりを挟む
走り続けていた馬車が停まった。
並走していた騎馬隊が馬の足を止めさせ、騎士たちが一斉に下馬する音が聞こえる。馬車の中でシェイドは静かに息を吐いた。――外に出なければならない。
馬車の扉が四つ叩かれる。シェイドは狭い座席から身を起こし、扉の前に立った。顔を上げて前を見据える。
許可を求める声に応えると、扉はゆっくりと外から開かれた。
扉の正面には国王ジハードが立っていた。
王としての威厳は損われていないが、その顔には疲労が色濃く滲み、表情は痛みを耐えているかのように固い。
それを目にするのが辛くて、シェイドはあえて遠くを見つめた。高台に停めた馬車からは、城壁の向こうに傾いていく夕日が見えた。
「足元にお気をつけください」
扉のすぐ横に立った将校が支えとなるよう手を差し出していた。中肉中背の、これと言った特徴のない壮年の男だが、見覚えがある。
サラトリアが奥侍従として王太子宮へ入る夜に、ともに宮に入る側仕えの従者として、控えの間に居た一人だ。
確か坑道の中では軽冑を身に着けて、ジハードの後ろに従っていたはずだ。籠手は血と泥に汚れ、頬には返り血を浴びている。
見渡せば、砦の前庭を埋め尽くす騎士たちは、どの顔も泥や土埃に汚れていた。返り血を浴びた者は勿論、中には負傷して軍服を赤黒く染めている者もいる。
重傷を負ったものは現地に残って手当てを受けていたので、ここにいるのは無傷のものか軽傷者だけだ。
無数の目が馬車の入り口に立つシェイドを食い入るように見つめていた。
死地を潜り抜けた騎士たちの視線は厳しい。
彼らは王兄を助けるために命を賭し、馬車の中の相手がそれに見合う人物であったかどうか見定めようとしているように感じられた。
死に損なったことを悔いていても、今はそれを見せるべき時ではない。
「……逆賊から助け出してくれたことに感謝します。勇猛に戦い負傷した者たちを、よく労ってやってください」
シェイドは手を差し出して待つ将校に、王兄として言葉をかけた。無表情だった男の顔に、虚を突かれたような感情の揺らぎが浮かび上がる。
だがそれは一瞬のことで、男は直ぐに元の無表情に戻って深々と頭を下げた。
「お褒めの言葉をいただき、光栄に存じます」
それに軽く頷き、シェイドは顔を上げて馬車を降りた。
砦の入り口からはドルゴ・グスタフが走ってくる。足を踏み出すと眩暈のようなものを感じたが、それを堪えて歩き出した。
体中が痛み、膝には力が入らない。けれどここで無様を晒せば、尊い血を持つ王族のために戦った者たちが報われず、ひいては戦いを命じた国王への不信に繋がりかねない。
今は王兄の身分に相応しい立ち居振る舞いをしなくてはならないときだった。
ドルゴに案内されたのは、往路にも休息の場所として提供された貴賓用の一室だった。
フラウに促されるまま長椅子に腰を下ろすと一気に体の力が抜けてしまい、そのまま椅子の上に倒れ込みそうになる。
身も心もどうしようもないほど疲れていて、いっそ永遠に眠ってしまいたいと願ったが、まだそうはいかないようだった。
「シェイド……」
戸惑いを隠しきれない様子で、ジハードが長椅子の端に腰を下ろした。
二人の間にできた人ひとり分の空間を、シェイドは悲しい気持ちで見つめる。
エスタート旧砦から移動するときに馬車への同乗を拒んで以来、ジハードはシェイドにどう接すればいいのかわからないようだった。
かつてなら迷いもなく肩を抱き寄せただろうに、今は傍に寄り添って座ることさえ出来ない。衝動のまま誤って手を触れてしまわぬよう、膝の上で拳を握りしめているのが見えた。
腫れ物に触れるような、遠慮がちな声でジハードが言った。
「……少し早いが、今日はこのまま一晩休もう。お前の体調に問題がなければ明日出立しようと思うが、どこか具合の悪いところはないか」
思わず涙が滲みそうになって、シェイドはそれを堪えるために眉を寄せた。
以前この砦にやってきた日が、今ではもう何年も前の事のように思える。
王都ハルハーンを馬車で出立し、この砦で短い休息を取った時、シェイドの胸は悲しみで圧し潰されそうだった。
どうしてこんなに心が苦しく、涙が溢れて止まらないのだろうと不思議だったが、今ならばその理由がわかる。
ジハードに惹かれていたからこそ、一言もなく放り出されたことが悲しくて寂しくて仕方がなかったのだ。
それゆえに、夜風の冷たさを纏ったままのジハードがこの部屋の扉を開けて駆け寄ってきたとき、言葉にできないほど嬉しかった。
抱き合ってジハードの鼓動に包まれれば、胸の内が温かい思いで満たされる。永遠にこうして抱かれていたいとも思った。
この王のために全てを捧げようと思ったのは、臣下としての忠誠心からではない。
ジハードの情愛で心が満たされ、幸福を知ったからだ。
それが、今はなんという違いだろう。
たった半月ほどの間に、ジハードが側に居ることをこれほど辛く思うようになるとは。
「……王都へは、戻りません」
自らの決意を確かめるように、シェイドは低い声ではっきりと口にした。
「ハルハーンへは、陛下お一人でお戻りください。私は戻りません」
「……シェイド……」
ジハードの声が震えたのが分かったが、シェイドはそちらを見なかった。見れば決意が鈍ってしまう。
砦で穢されたことを知られたくない。胸に奴隷の証がついているのを見られたくない。
国王の側にはもういられない。どこかに隠遁し、忘れ去られた頃静かに消えなければ。
それ以外にもう道は残されていない。
「駄目だ、シェイド。お前が戻らないというなら、俺もここにいる。お前がなんと言おうと、俺はお前を置いていかない。……絶対にだ」
幾分身を乗り出して、ジハードが言い募った。
どこかで聞いたような問答だ。シェイドはそれを思い出し、苦く笑った。
並走していた騎馬隊が馬の足を止めさせ、騎士たちが一斉に下馬する音が聞こえる。馬車の中でシェイドは静かに息を吐いた。――外に出なければならない。
馬車の扉が四つ叩かれる。シェイドは狭い座席から身を起こし、扉の前に立った。顔を上げて前を見据える。
許可を求める声に応えると、扉はゆっくりと外から開かれた。
扉の正面には国王ジハードが立っていた。
王としての威厳は損われていないが、その顔には疲労が色濃く滲み、表情は痛みを耐えているかのように固い。
それを目にするのが辛くて、シェイドはあえて遠くを見つめた。高台に停めた馬車からは、城壁の向こうに傾いていく夕日が見えた。
「足元にお気をつけください」
扉のすぐ横に立った将校が支えとなるよう手を差し出していた。中肉中背の、これと言った特徴のない壮年の男だが、見覚えがある。
サラトリアが奥侍従として王太子宮へ入る夜に、ともに宮に入る側仕えの従者として、控えの間に居た一人だ。
確か坑道の中では軽冑を身に着けて、ジハードの後ろに従っていたはずだ。籠手は血と泥に汚れ、頬には返り血を浴びている。
見渡せば、砦の前庭を埋め尽くす騎士たちは、どの顔も泥や土埃に汚れていた。返り血を浴びた者は勿論、中には負傷して軍服を赤黒く染めている者もいる。
重傷を負ったものは現地に残って手当てを受けていたので、ここにいるのは無傷のものか軽傷者だけだ。
無数の目が馬車の入り口に立つシェイドを食い入るように見つめていた。
死地を潜り抜けた騎士たちの視線は厳しい。
彼らは王兄を助けるために命を賭し、馬車の中の相手がそれに見合う人物であったかどうか見定めようとしているように感じられた。
死に損なったことを悔いていても、今はそれを見せるべき時ではない。
「……逆賊から助け出してくれたことに感謝します。勇猛に戦い負傷した者たちを、よく労ってやってください」
シェイドは手を差し出して待つ将校に、王兄として言葉をかけた。無表情だった男の顔に、虚を突かれたような感情の揺らぎが浮かび上がる。
だがそれは一瞬のことで、男は直ぐに元の無表情に戻って深々と頭を下げた。
「お褒めの言葉をいただき、光栄に存じます」
それに軽く頷き、シェイドは顔を上げて馬車を降りた。
砦の入り口からはドルゴ・グスタフが走ってくる。足を踏み出すと眩暈のようなものを感じたが、それを堪えて歩き出した。
体中が痛み、膝には力が入らない。けれどここで無様を晒せば、尊い血を持つ王族のために戦った者たちが報われず、ひいては戦いを命じた国王への不信に繋がりかねない。
今は王兄の身分に相応しい立ち居振る舞いをしなくてはならないときだった。
ドルゴに案内されたのは、往路にも休息の場所として提供された貴賓用の一室だった。
フラウに促されるまま長椅子に腰を下ろすと一気に体の力が抜けてしまい、そのまま椅子の上に倒れ込みそうになる。
身も心もどうしようもないほど疲れていて、いっそ永遠に眠ってしまいたいと願ったが、まだそうはいかないようだった。
「シェイド……」
戸惑いを隠しきれない様子で、ジハードが長椅子の端に腰を下ろした。
二人の間にできた人ひとり分の空間を、シェイドは悲しい気持ちで見つめる。
エスタート旧砦から移動するときに馬車への同乗を拒んで以来、ジハードはシェイドにどう接すればいいのかわからないようだった。
かつてなら迷いもなく肩を抱き寄せただろうに、今は傍に寄り添って座ることさえ出来ない。衝動のまま誤って手を触れてしまわぬよう、膝の上で拳を握りしめているのが見えた。
腫れ物に触れるような、遠慮がちな声でジハードが言った。
「……少し早いが、今日はこのまま一晩休もう。お前の体調に問題がなければ明日出立しようと思うが、どこか具合の悪いところはないか」
思わず涙が滲みそうになって、シェイドはそれを堪えるために眉を寄せた。
以前この砦にやってきた日が、今ではもう何年も前の事のように思える。
王都ハルハーンを馬車で出立し、この砦で短い休息を取った時、シェイドの胸は悲しみで圧し潰されそうだった。
どうしてこんなに心が苦しく、涙が溢れて止まらないのだろうと不思議だったが、今ならばその理由がわかる。
ジハードに惹かれていたからこそ、一言もなく放り出されたことが悲しくて寂しくて仕方がなかったのだ。
それゆえに、夜風の冷たさを纏ったままのジハードがこの部屋の扉を開けて駆け寄ってきたとき、言葉にできないほど嬉しかった。
抱き合ってジハードの鼓動に包まれれば、胸の内が温かい思いで満たされる。永遠にこうして抱かれていたいとも思った。
この王のために全てを捧げようと思ったのは、臣下としての忠誠心からではない。
ジハードの情愛で心が満たされ、幸福を知ったからだ。
それが、今はなんという違いだろう。
たった半月ほどの間に、ジハードが側に居ることをこれほど辛く思うようになるとは。
「……王都へは、戻りません」
自らの決意を確かめるように、シェイドは低い声ではっきりと口にした。
「ハルハーンへは、陛下お一人でお戻りください。私は戻りません」
「……シェイド……」
ジハードの声が震えたのが分かったが、シェイドはそちらを見なかった。見れば決意が鈍ってしまう。
砦で穢されたことを知られたくない。胸に奴隷の証がついているのを見られたくない。
国王の側にはもういられない。どこかに隠遁し、忘れ去られた頃静かに消えなければ。
それ以外にもう道は残されていない。
「駄目だ、シェイド。お前が戻らないというなら、俺もここにいる。お前がなんと言おうと、俺はお前を置いていかない。……絶対にだ」
幾分身を乗り出して、ジハードが言い募った。
どこかで聞いたような問答だ。シェイドはそれを思い出し、苦く笑った。
21
お気に入りに追加
1,210
あなたにおすすめの小説
犬用オ●ホ工場~兄アナル凌辱雌穴化計画~
雷音
BL
全12話 本編完結済み
雄っパイ●リ/モブ姦/獣姦/フィスト●ァック/スパンキング/ギ●チン/玩具責め/イ●マ/飲●ー/スカ/搾乳/雄母乳/複数/乳合わせ/リバ/NTR/♡喘ぎ/汚喘ぎ
一文無しとなったオジ兄(陸郎)が金銭目的で実家の工場に忍び込むと、レーン上で後転開脚状態の男が泣き喚きながら●姦されている姿を目撃する。工場の残酷な裏業務を知った陸郎に忍び寄る魔の手。義父や弟から容赦なく責められるR18。甚振られ続ける陸郎は、やがて快楽に溺れていき――。
※闇堕ち、♂♂寄りとなります※
単話ごとのプレイ内容を12本全てに記載致しました。
(登場人物は全員成人済みです)
獅子帝の宦官長
ごいち
BL
皇帝ラシッドは体格も精力も人並外れているせいで、夜伽に呼ばれた側女たちが怯えて奉仕にならない。
苛立った皇帝に、宦官長のイルハリムは後宮の管理を怠った罰として閨の相手を命じられてしまう。
強面巨根で情愛深い攻×一途で大人しそうだけど隠れ淫乱な受
R18:レイプ・モブレ・SM的表現・暴力表現多少あります。
2022/12/23 エクレア文庫様より電子版・紙版の単行本発売されました
電子版 https://www.cmoa.jp/title/1101371573/
紙版 https://comicomi-studio.com/goods/detail?goodsCd=G0100914003000140675
単行本発売記念として、12/23に番外編SS2本を投稿しております
良かったら獅子帝の世界をお楽しみください
ありがとうございました!
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
俺☆彼 [♡♡俺の彼氏が突然エロ玩具のレビューの仕事持ってきて、散々実験台にされまくる件♡♡]
ピンクくらげ
BL
ドエッチな短編エロストーリーが約200話!
ヘタレイケメンマサト(隠れドS)と押弱真面目青年ユウヤ(隠れドM)がおりなすラブイチャドエロコメディ♡
売れないwebライターのマサトがある日、エロ玩具レビューの仕事を受けおってきて、、。押しに弱い敏感ボディのユウヤ君が実験台にされて、どんどんエッチな体験をしちゃいます☆
その他にも、、妄想、凌辱、コスプレ、玩具、媚薬など、全ての性癖を網羅したストーリーが盛り沢山!
****
攻め、天然へたれイケメン
受け、しっかりものだが、押しに弱いかわいこちゃん
な成人済みカップル♡
ストーリー無いんで、頭すっからかんにしてお読み下さい♡
性癖全開でエロをどんどん量産していきます♡
手軽に何度も読みたくなる、愛あるドエロを目指してます☆
pixivランクイン小説が盛り沢山♡
よろしくお願いします。
愛してほしいだけなのに~純情少年は大人の嘘に堕とされる~
あいだ啓壱(渡辺河童)
BL
義父×少年ののち、歳の差×少年。
義父にセックスを教えられた高校生「宏隆(ひろたか)」のお話。
宏隆はある日、母の再婚相手に「大人になるため」と抱かれてしまう。
しかし、それがバレて母親に勘当され、行く当てがないときに32歳の会社経営者「健二(けんじ)」に拾われた。
宏隆は、義父が行った刺激を忘れられないまま健二に求められる日々を送るのだが…?
※R-18作品です。
※調教/開発/乳首責め/寸止め/アナル責め/尿道調教/快楽堕ち表現がございます。ご注意ください。
※2018/10/12>今後の展開をするため、01を少し改稿いたしました。
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
クズ男はもう御免
Bee
BL
騎士団に所属しているレイズンは、パートナーのラックに昼間から中出しされ、そのまま放置されてしまう。仕方なく午後の演習にも行かず一人で処理をしていると、遅刻を咎めにきた小隊長にその姿を見られてしまい、なぜだか小隊長が処理を手伝ってくれることに。
騎士ラック(クズ、子爵家三男)×平騎士レイズン(25才)の話から始まります。
恋人であるラックに裏切られ、失意の中辿り着いた元上官の小隊長ハクラシス(55才、ヒゲ、イケオジ、結婚歴あり)の元で癒やされたレイズンが彼に恋をし、その恋心をなんとか成就させようと奮闘するお話です。
無理矢理や輪姦表現、複数攻めありなので、苦手な方は注意してください。
※今回はR18内容のあるページに印をつけておりません。予告なしに性的描写が入ります。
他サイトでも投稿しています。
本編完結済み。現在不定期で番外編を更新中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる