王宮に咲くは神の花

ごいち

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第四章 三人目のハル・ウェルディス

戦神の血

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 坑道に反響する軍靴の音は徐々に近づいてきていた。
 ラナダーンは少しの時間も惜しむように、地面に膝をついてシェイドに寄り添った。

「神聖文字など読めないとばかり思っていた。それに、ヴァルダンの屋敷に星青玉の額環が隠されているという話も、偽りだとは思えぬほどよくできていた。お前を見た目で判断したせいで、最初から最後まで敗北続きだ。……ウェルディの戦の才は、案外お前が一番強く受け継いだのかもしれないな」

 シェイドは、目覚めた時の憑き物が落ちたようなラナダーンの横顔を思い出した。

 破り取られた経典に気付いた時、ラナダーンは誰が自分を罠に嵌めたのかを悟ったのだろう。
 あのまま殺されていてもおかしくなかった。なのに、ラナダーンは汚れた体を拭き清めて傷の手当てをし、ともに逃げようとこの坑道に伴ってくれた。

「お前の望みを教えてくれ。……最後くらいは、本当のことを教えてくれてもいいだろう?」

 音が響くために判別しづらいが、追手はすぐそこまで来ているようだ。
 他愛もない問答に費やす時間はもうなかった。

 シェイドは手を伸ばし、ラナダーンが腰に挿していた短剣を手に取った。
 刃が厚くずしりと重いそれを、ラナダーンの手に握らせる。切っ先は自分の方へ向けた。

「私はジハードのために死にます。貴方を道連れにして」

 それが、シェイドが選んだ道だった。





 シェイドとラナダーン。この二人は、ジハードにとって負の遺産だ。
 二人にそのつもりがなくとも、生きているだけでその存在を利用され、今回のような状況を再び生み出す可能性がある。
 だから今ここで、禍根を絶っておかねばならない。
 シェイドがジハードの心の中に住まうことができるとすれば、これが唯一の方法だった。

 ジハードのために死ぬ。
 邪魔になる者を一人でも多く道連れにして、逆賊の手で無惨に殺される。生きて側に侍るには汚れすぎてしまったから、後は自分を始末して、清らかだった頃の姿を一日でも長く覚えていてもらいたい。
 それだけが望みだ。
 惨めで浅ましい願いだが、今となってはそれ以上の願いはなかった。

 迫る足音に急かされるように、シェイドは短剣の柄を握ったラナダーンの手を上から強く握った。

 ラナダーンは自分を罠に嵌めた相手をその手で殺して復讐を果たし、ジハードはシェイドを殺したラナダーンを生かしておかない。
 万事が収まり、これですべてが終わる。

「……シェイド」

 ラナダーンが笑みを浮かべた。
 ジハードがシェイドによく見せた、慈しみの中にどこか一筋の悲しみを滲ませた微笑だった。





 その表情に気を取られた瞬間、シェイドは首を掴まれ、後ろから羽交い絞めにされた。喉元に短剣の切っ先が突き付けられる。
 抵抗せずに刃を受け入れようとした時、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

「シェイドッ!!」

 驚きのあまり、確かめるようにシェイドは目を見開いた。
 進んできた方向に追手の一団が見える。その先頭にいるのは、どれほど恋しく思ったか知れないウェルディの現身その人だった。

「……ジ、ハード……」

 シェイドは名を呼び、それきり声を失った。

 こんな穢れた体で、二度と生きて会うことなどできないと思っていた。
 だが顔を見れば嬉しくて懐かしくて、最後に一目会えてよかったという喜びが湧き上がる。

 無事だった。大きな怪我も負っていないようだ。それが嬉しい。

 姿を見れば欲が出る。もっとその顔を見ていたくなるし、その体に触れ、怪我のないことを確かめたくなる。
 思わず手を伸ばしかけたシェイドの体を、羽交い絞めにしたラナダーンがぐっと引き寄せた。

「武器を捨てろ!」

 シェイドの顔に刃を突き付けながらの怒号に、ジハードは迷いなく手に持っていた剣を落した。
 背後の兵士たちは戸惑いの表情を浮かべたが、それでも国王に倣って次々と武器を足元に置く。

「お前こそ剣を下ろせ。今すぐ人質を離して投降すれば、この名に懸けて命を奪うことはしない」

 興奮させないためか、低く落ち着いた声でジハードが呼びかけた。
 よく見ればジハードはまともな甲冑も身に着けず、胴当てと籠手だけの軽冑姿だった。
 狭い坑道を追うために装備を外してきたのだろう。国の主たる人間のやることではとてもなかった。
 逆賊に対して、投降すれば死一等を減ずるとの通告も甘すぎる。国を治めていく者はもっと非情に徹しなければ、その命が危うくなるではないか。

 今更ながら歯痒く思うシェイドの後ろで、突然ラナダーンがクッと笑った。

「……ふ、ふふ……は、ははは……ッ」

 まさか命と引き換えに、最後に丸腰のジハードの命を奪うつもりなのではないか。
 そう危惧した瞬間、耳元でラナダーンが囁いた。

「――すまない」





 短いその言葉の意味を問う暇もなく、シェイドの身体は荷物のように投げ飛ばされた。
 飛び込んできたジハードが固い地面との間に滑り込んで受け止める。その傍らを後ろに控えていた兵士たちが押し合いながら地に伏せた二人を超えて、ラナダーンに殺到した。

「道連れは不要!」

 ただ一声、狭い坑道の中にラナダーンの叫びが鋭くこだました。
 興奮と怒号が一気に高まり――。
 ……暫くして、潮が引くように凪いでいった。

 兵士たちの荒い息遣いだけが幾つも重なって坑道に響く。
 ジハードに組み伏せられたシェイドの目の前に、錆びた匂いのする赤い流れが、一筋ゆるゆると流れ降りてきた――。
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