王宮に咲くは神の花

ごいち

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第四章 三人目のハル・ウェルディス

凍える夜

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 陽のある間は随分温かく感じられる日が増えてきたが、太陽が沈んでしまうと夜風はまだまだ冬の名残を残している。
 窓に開いた隙間のせいで、この部屋の足元はひどく冷えた。体力を温存するために、シェイドは寝台の上で掛布と毛皮を巻き付けて蹲っていたが、待ち人はなかなか現れなかった。

 扉が音を立てないよう慎重に開けられるのを聞き分けたのは、砦の中の喧騒が鎮まり、夜回り番以外の兵士たちが体を休めようという刻限だった。





 今夜は厚い雲に隠されて星さえも顔を見せぬらしい。
 真っ暗闇の中を足を忍ばせて近寄ってくる人影に、シェイドは顔を向けてそっと名を呼んだ。

「……コーエン……?」

 黒い人影に一瞬緊張が走り、次いで破顔する気配があった。

「そうだ。待ってたか、俺を」

 潜めた声で言いながら手探りで近づいてくるのは、傭兵たちを束ねる髭の男だった。
 きっと今夜は来ると思っていた。二人の領兵は最後まで事を終えたが、この傭兵だけは乱入してきたラナダーンによって追い出されたからだ。そのせいで欲望を中途半端なまま燻らせている。
 このまま黙って大人しくしているとは思わなかったのだが、期待した通りだった。

「寒い……」

 自分の方に呼び寄せるために、シェイドは小さく呟いた。
 声を頼りに距離を詰めてくる相手に、夜目の利くシェイドは自ら立ち上がって、腕の中に体を預けに行った。温もりを求めるように身を擦り寄せ、両腕を広い背中に回してぎゅっと抱き着く。

「来てくれて嬉しい……とても寒かったから」

 甘えるように囁くと、気を良くしたらしい傭兵の頭はシェイドの顎を持ち上げ、口を吸ってきた。この男に口を吸われるのは初めてだった。
 腰を抱いて押し付けられた足の間を、興奮に硬くなった逸物が突く。
 酒臭い息に顔を顰めているのを悟られないよう、鼻にかかった声を上げて唇を合わせながら、シェイドは男を煽り立てるように腿を擦り合わせた。男は機嫌よく笑った。

「若様のアレじゃ満足できなかったんだろう……」

「ん……っ」

 硬い指が右の乳首を弄り始めた。
 シェイドは小さく喘ぎながら、背に回していた両腕を持ち上げ男の首に縋りついた。耳朶に唇を掠めて熱っぽく囁く。

「……コーエン。私をここから連れ出してください。お願いです……」

「何を」

 一笑に付そうとした男を、シェイドは頬に額を押し付けて黙らせた。

「いいえ、聞いてください。このままここにいたら、私も貴方も殺されます。……アリア様が領地から私兵を呼び寄せたようです。ラナダーンは味方だと思っているようですが、地下牢での言葉を聞いたでしょう。あの方は邪魔になる者の口を封じて、ご自分が国王陛下を助けたことにしようとなさっています。だから……」

 これ以上は怖ろしくて言えない。
 そう装って言葉を途切れさせた後、シェイドはコーエンの出方を観察した。





 確証を得たわけではないが、十中八九、今言ったことは近いうちに現実のものとなるだろう。
 ナジャウ公が治めるエル・ウェルデ領は元は王室の直轄領だった豊かな土地だ。その領地を維持するために、良く鍛えられた精鋭の私兵軍を多数抱えているのは間違いない。

 彼女は機を見て領地の父親に、国王ともども逆賊に囚われたので助けて欲しいという知らせを送るはずだ。
 ナジャウ公の出した軍は傭兵ごと皆殺しにして口を封じ、国王には命を助けたという恩を売る。そのためにこそ、彼女は初めから自分の領地の兵を使わずに、金銭で片付く後腐れのない傭兵を雇っているのだ。

「…………」

 コーエンが黙り込んだ。
 元からコーエンも、少しは怪しんでいたはずだ。
 大貴族の姫君であるアリアが、どうしてわざわざ自分たちを雇ったのか。国王を捕らえてからは塔に籠りきりで指示一つ出さずに放置しているわけも、これで納得がいったはずだった。

「助けてください、コーエン。アリア様の兵がくれば、私たちは全員殺されます。こんな逃げ場のない砦の中で、大勢の軍隊に追われて死ぬのは嫌です」

 コーエンを動かすために、シェイドは恐怖を煽る言葉を敢えて選んだ。
 信じるか、信じないかは五分五分だ。
 だがここでコーエンを動かすことに成功すれば、ジハードが無事脱出できる公算は格段に高くなる。
 シェイドは怖ろしさと嫌悪を堪えて、自分から髭に覆われた唇を吸いに行った。

 目を閉じて息を一つ吸い、覚悟を決めて声を絞り出す。

「……助けてくださるなら何でもします。今から階下に行って、皆の前でそれを証明したってかまいません。私が……貴方に飼われる奴隷だと――」

 語尾が震えて消えた。
 足に当たる剛直が硬さを増したと思った瞬間、シェイドの身体は軽々と男の肩に担ぎ上げられていた。
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