王宮に咲くは神の花

ごいち

文字の大きさ
上 下
58 / 138
第四章 三人目のハル・ウェルディス

篭絡

しおりを挟む
 元の部屋に戻っても、シェイドはしがみつく手を緩めなかった。
 ラナダーンも無理に引き剥がそうとはせず、シェイドを横抱きにしたまま寝台の上に腰かける。
 塔へ出かけたのはごく僅かな時間だ。寝台にはまだ先程の情交の痕跡があらわに残っていた。
 ――この空気が残っているうちに、ラナダーンを引き込まねばならない。

「……あの方は、北方の血を持つ私を愛していると言ってくださいました……」

 大切な秘密を打ち明けるような声音で、シェイドは囁いた。
 言葉にすれば、それを聞いた時の甘く切ない喜びまで、この胸の内に蘇ってくる。ミスル離宮で交わした言葉の一つ一つが鮮やかに浮かび上がってきた。

「迫害されている北方の民を、ウェルディリア人と同じように国の民として認めてくださるとも……」

 あの時のジハードの言葉に偽りはなかったと思う。ジハードが王で在り続ければ、何時かはその言葉が現実のものになったはずだ。
 ジハードの代では無理でも、五十年後、或いは百年後には何かが変わっていたに違いない。――それはシェイドが命を捧げると考えるのに十分な理由のはずだ。
 シェイドは顔を上げてラナダーンを見つめた。

「……貴方は、王の座に就けば北方人をどのようにされるおつもりですか?」

 シェイドの体を抱くラナダーンの腕に一瞬力が籠った。
 厚みのある胸が平常心を保とうとゆっくり上下しているのがわかる。だが密着した身体が、ラナダーンの胸が早鐘を打っているのを伝えてきた。
 彼にとってはこれは玉座が手に入るか否かの正念場のはずだった。

「北方人、か……」

 きっとラナダーンは北方人をどうするかなど考えたこともなかっただろう。ラナダーンの言葉の端々にはシェイドが良く知る、生粋のウェルディリア人らしい北方人への蔑視と嫌悪が感じられた。
 それだけではない。異端のものを忌み嫌うという以上の明らかな憎悪が、ラナダーンからは感じ取れる。

 きっと彼は今心の中で、玉座と北方人への嫌悪とを天秤にかけているのだろう。取るに足らぬことだと適当にはぐらかせるほど、北方人への嫌悪は浅いものではないようだ。
 シェイドは冷静にラナダーンを観察した。
 考えたこともない事を突然問いかけられても、まともな答えが出るはずはない。
 忙しく頭を巡らせているはずのラナダーンの気配を探りながら、機を見て、シェイドは畳み込むように次の一手を突き付ける。

「私は北方人を弾圧から解放するつもりです。不当な差別をなくし、彼らが人として扱われるように法を整備します。……どうか、私に力を貸すと言ってください。そうすれば、王位継承者の額環は貴方のものです」

 ハッとしたように、ラナダーンがシェイドの体を離して目を合わせてきた。期待と緊張がその目に浮かぶ。
 シェイドは目を逸らさなかった。

 魅惑的な申し出のはずだ。嘘でも協力すると言ってしまえば、玉座を得るための最後の札が手に入る。
 その札さえ手に入れれば、約束を反故にして後ろ盾のない北方人一人を葬ることなど、彼らにとっては容易い事だろう。

 シェイドはこちらを見る栗色の瞳を正面から見つめ返した。底に金泥を散らした夜明け前の空のように青い瞳で、ラナダーンの心を絡めとるように。

「王位に就けば、この私が貴方を王族として迎えます。長く玉座に留まるつもりはありません。法が整えばすぐにでも、貴方にその座をお譲りするとお約束いたしましょう」





 崩れそうな疲労を感じて、シェイドは寝台の上に横たわった。
 今頃になって胸が早鐘を打ち始めたが、ラナダーンがいた間は平静を装って見せられたと信じたい。

 額環の在り処を聞いたラナダーンは急いだ様子で部屋を出て行った。
 きっと配下を王都に向けて出立させるために手配しに行ったのだろう。種は撒き終えた。あとはそれが思う通りに芽吹くかどうかだ。
 ふぅ、と長い息を吐く。
 不快な匂いが部屋中に充満していたが、疲れ切っていて敷布を引き剥ぐ余力もなかった。
 押し隠していた興奮と緊張のせいで熱を持った頬を両手で冷やす。試みが上手くいくかどうかなどわからない。けれど打てる手は、どんなに望みが薄くとも打っておくに越したことはない。

 汚れた寝台に四肢を投げ出し、自分を落ち着かせようとゆっくりと息を吐く。
 脱力した拍子に足の間が濡れたのを感じて、シェイドは顔を顰めた。ラナダーンが中に放ったものが溢れてきたのだ。

 ――湯浴みをしたい。

 シェイドは叶いもしない望みを胸の内で呟いた。
 ここへ来てからというもの、一度もちゃんと身体を拭っていない。
 食事とともに届けられる水を使って少しずつ浄めてはいるものの、体の中にはまだ傭兵たちに注がれたものが残っているような気がしていた。
 協力する素振りで少し警戒が緩めば、湯浴みは無理でも、せめてきちんと体を拭えるように水桶を用意してもらいたい。

 そんなことを考えていたシェイドの耳に、足音高く通路を進んでくる複数の気配が届いた。
 ラナダーンが戻ってきたにしては早く、それに随分荒々しい足音だった。
 まさかと思う間もなく続きの間に大勢が入り込む気配があり、急いで寝台から身を起こすと同時に部屋の扉が開かれた。

 扉を叩きもせず入ってきたのは、拉致された夜に中庭で見かけたあの老将軍マクセル・ベラードだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】何度時(とき)が戻っても、私を殺し続けた家族へ贈る言葉「みんな死んでください」

リオール
恋愛
「リリア、お前は要らない子だ」 「リリア、可愛いミリスの為に死んでくれ」 「リリア、お前が死んでも誰も悲しまないさ」  リリア  リリア  リリア  何度も名前を呼ばれた。  何度呼ばれても、けして目が合うことは無かった。  何度話しかけられても、彼らが見つめる視線の先はただ一人。  血の繋がらない、義理の妹ミリス。  父も母も兄も弟も。  誰も彼もが彼女を愛した。  実の娘である、妹である私ではなく。  真っ赤な他人のミリスを。  そして私は彼女の身代わりに死ぬのだ。  何度も何度も何度だって。苦しめられて殺されて。  そして、何度死んでも過去に戻る。繰り返される苦しみ、死の恐怖。私はけしてそこから逃れられない。  だけど、もういい、と思うの。  どうせ繰り返すならば、同じように生きなくて良いと思うの。  どうして貴方達だけ好き勝手生きてるの? どうして幸せになることが許されるの?  そんなこと、許さない。私が許さない。  もう何度目か数える事もしなかった時間の戻りを経て──私はようやく家族に告げる事が出来た。  最初で最後の贈り物。私から贈る、大切な言葉。 「お父様、お母様、兄弟にミリス」  みんなみんな 「死んでください」  どうぞ受け取ってくださいませ。 ※ダークシリアス基本に途中明るかったりもします ※他サイトにも掲載してます

【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる

ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。 私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。 浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。 白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが

リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!? ※ご都合主義展開 ※全7話  

婚約破棄された公爵令嬢は、真実の愛を証明したい

香月文香
恋愛
「リリィ、僕は真実の愛を見つけたんだ!」 王太子エリックの婚約者であるリリアーナ・ミュラーは、舞踏会で婚約破棄される。エリックは男爵令嬢を愛してしまい、彼女以外考えられないというのだ。 リリアーナの脳裏をよぎったのは、十年前、借金のかたに商人に嫁いだ姉の言葉。 『リリィ、私は真実の愛を見つけたわ。どんなことがあったって大丈夫よ』 そう笑って消えた姉は、五年前、首なし死体となって娼館で見つかった。 真実の愛に浮かれる王太子と男爵令嬢を前に、リリアーナは決意する。 ——私はこの二人を利用する。 ありとあらゆる苦難を与え、そして、二人が愛によって結ばれるハッピーエンドを見届けてやる。 ——それこそが真実の愛の証明になるから。 これは、婚約破棄された公爵令嬢が真実の愛を見つけるお話。 ※6/15 20:37に一部改稿しました。

夫と妹に裏切られて全てを失った私は、辺境地に住む優しい彼に出逢い、沢山の愛を貰いながら居場所を取り戻す

夏目萌
恋愛
レノアール地方にある海を隔てた二つの大国、ルビナとセネルは昔から敵対国家として存在していたけれど、この度、セネルの方から各国の繁栄の為に和平条約を結びたいと申し出があった。 それというのも、セネルの世継ぎであるシューベルトがルビナの第二王女、リリナに一目惚れした事がきっかけだった。 しかしリリナは母親に溺愛されている事、シューベルトは女好きのクズ王子と噂されている事から嫁がせたくない王妃は義理の娘で第一王女のエリスに嫁ぐよう命令する。 リリナには好きな時に会えるという条件付きで結婚に応じたシューベルトは当然エリスに見向きもせず、エリスは味方の居ない敵国で孤独な結婚生活を送る事になってしまう。 そして、結婚生活から半年程経ったある日、シューベルトとリリナが話をしている場に偶然居合わせ、実はこの結婚が自分を陥れるものだったと知ってしまい、殺されかける。 何とか逃げる事に成功したエリスはひたすら逃げ続け、力尽きて森の中で生き倒れているところを一人の男に助けられた。 その男――ギルバートとの出逢いがエリスの運命を大きく変え、全てを奪われたエリスの幸せを取り戻す為に全面協力を誓うのだけど、そんなギルバートには誰にも言えない秘密があった。 果たして、その秘密とは? そして、エリスとの出逢いは偶然だったのか、それとも……。 これは全てを奪われた姫が辺境地に住む謎の男に溺愛されながら自分を陥れた者たちに復讐をして居場所を取り戻す、成り上がりラブストーリー。 ※ ファンタジーは苦手分野なので練習で書いてます。設定等受け入れられない場合はすみません。 ※他サイト様にも掲載中。

鬼精王

希彗まゆ
恋愛
中原苺(なかはら・いちご)、22歳。 数日前に彼氏に処女をあげたけど、あっさりフラれて。 処女でもないのに「鬼精虫」を体内に入れられ、せっかく大学も夏休みに入って両親と弟も長期海外旅行へ出かけたところへ、三人の男と同居しなくてはならなくなって大迷惑。【18禁:性描写あり注意。元がゲームシナリオだったため、所々三人称が入ります】

貴方にとって、私は2番目だった。ただ、それだけの話。

天災
恋愛
 ただ、それだけの話。

兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!

ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。 自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。 しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。 「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」 「は?」 母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。 「もう縁を切ろう」 「マリー」 家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。 義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。 対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。 「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」 都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。 「お兄様にお任せします」 実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。

処理中です...