王宮に咲くは神の花

ごいち

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第四章 三人目のハル・ウェルディス

二つの民族

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 海を隔てた先にある北方諸国は貧しい国々だ。かつては繁栄を誇った時代もあったのだろうが、一年の半分を雪に閉ざされていては食いつないでいくのも難しい。
 夏が来るたびに多くの北方人が温かい南の地での安住を夢見て、海を渡りウェルディリアにやってくる。シェイドの母エレーナも、そのうちの一人だった。

 言葉も違い、崇める神も違う。
 だが身一つで口を養い、世代を重ねるうちに、ウェルディリア人との混血も増えてきていた。
 人間というのは、国を支える力の一つだ。今は家畜のように扱われている彼らが国民として認められるようになれば、ウェルディリアは確実に今より強くなる。

 だが長年の確執は、ウェルディリア人と北方人の双方にあった。北方人は長らく迫害され追いやられてきたし、ウェルディリア人から見れば、北方人は言葉も通じず教養も無く、主の元から逃げ出しては略奪行為を働く蛮民族ということになる。
 ともに手を携えて国を盛り立てていこうなどと言っても、どちらもそれを拒むことは間違いない。

 ――しかし、それを説くのがウェルディ神そのもののような若き国王であったらどうだろう。
 そしてその傍らに北方の血を引くものがおり、人としてまっとうに扱われている姿を北方人たちが見たならば。

 国中に散らばる北方人も少しは安堵してこの国に根を下ろすことができるのではないか。
 もしも、己が生き続けることに意味があるとすれば、それは反目し合ってきたこの二つの民族が一つになるための礎になることではないかと、シェイドは思った。





 かつて王位継承者の証である星青玉の額環を授けられた時、シェイドが感じたのは怒りだった。
 王族としての教えも受けてこなかった自分に、第一王位継承者の印を身につけさせるなど、冗談だとしても許せぬ冒涜だと思えた。

 けれど白桂宮で過ごした三ヶ月あまりの間、ジハードは食事の席で毎日のように政について語り、シェイドはその話題に応じるために書斎の本を読み耽った。
 この国の成り立ちから議会の在り方、宮内府と神殿が果たす役割などについて、今では一通りの知識がある。白桂宮に入ったばかりのあの頃とはもう違う。
 ウェルディリアの行く末について語るジハードの横顔を、シェイドはそっと見遣った。今はまだ夢物語のような二つの民族の融合も、ジハードならばいつか現実のものにしてしまうかもしれない。
 そう思わせるだけの力が、国王の声にはこめられていた。

 もしも国王が許してくれるのならば、どのような形ででもいいからこの国のために尽くしたい。自分にしかできないことが、きっと一つくらいはあるはずだ。
 死ぬことでしか国に貢献できないと思っていたのに、今は生きて忠誠を形にしたかった。

 シェイドは意を決して、ずっと以前から抱き続けていた懸念を口に出した。

「陛下には……まことにお世継ぎとなられるお方はおられないのですか」

 体を抱く腕に力が増したのを感じて、シェイドは奥歯を噛みしめた。以前、国王の従姉姫が白桂宮に乗り込んできた時に一度口に上らせて、ジハードから厳しく責められた話題だったからだ。

 だがジハードの怒りは別の所に起因していた。

「本当にお前は懲りないな。二人きりの時には名で呼べと、何度言ったら分かる」

「んっ……!」

 小石を踏んでガタガタと揺れる馬車の中で、ジハードが唇を吸ってきた。我が物顔で入り込んでくる舌を、どうかすると揺れた拍子に噛んでしまいそうで怖い。
 ジハードは歯を当てぬように薄く開いたままのシェイドの口内を好き放題に荒らし、シャツ越しに胸元をまさぐって、探り当てた柔肉をシャツごとつまみあげた。

「んぅ、っ……」

 身を強張らせた途端、体内から始末しきれないままだったものが溢れてしまって、シェイドは慌てて後孔を締めた。朝方近くまで啼かされて、内部にはまだたっぷりとジハードの精が収まっている。
 下着が汚れると冷たくて不快な上、匂いが立つのが厭わしい。ジハードの牡の匂いを嗅ぐと条件反射のように下腹が疼き、堪え性のない娼婦のように欲しくて堪らなくなってしまうからだ。

 せめて白桂宮に戻るまでは平静を保ちたくて、シェイドは『ジハード……』と耳元に囁いた。

「ジハード、ここではどうか……」

 囁き声での懇願に、名残惜しそうにしながらもジハードの指は離れていった。唇も離れたが、引き寄せられた肩はそのままだ。
 煽られかけた熱が燻るのを感じながら、シェイドは火照った頬をジハードの外套に押し当てて冷やした。

「世継ぎか……残念ながら実子と呼べる人間はいない」

 あれほど国政に精力的なジハードが、さしたる関心もなさそうな声で呟いた。シェイドはその答えを意外に思った。





 王太子であった頃のジハードの閨が華やいだものであったことをシェイドは知っている。
 内侍の司は王太子宮から要請を受け、十日と空けずに求められた相手を送り込んできた。
 決済書面の上でしか知らないが、それこそ老若男女を問わぬ要請ぶりに半ばうんざりしながら、国内のありとあらゆる土地から条件に適う相手を探し出してきたものだ。

 宮の定員には上限があるため、新しく入った者がいれば、その人数だけ暇を出される者がいる。
 内侍の司で受け入れるにも限りがあり、宮殿内の他の部署に配置するにも追い付かないほどだった。そのため、大半は元いた場所にそのまま送り戻されたはずだ。
 そのうちの何人かから、懐妊したという知らせがあってもよさそうなものなのだが。

「……言っておくが、ここ五年ばかりで後宮に入れた者は全て政治絡みで、一切手をつけてはおらんからな」

 咳払いを一つして、ジハードはシェイドの誤解を正した。

 そうだったのか、とシェイドは得心した。
 確かに、あまりにも入れ替わりが激しいために、王太子の後宮に誰が入って誰が出ようと宮廷ではほとんど関心が払われることはなかったように思う。
 内侍の司を隠れ蓑に、ジハードは随分前から譲位に向けての準備を進めていたということだ。

 白桂宮に来たばかりの頃をシェイドは思い出した。
 あの頃は、ジハードの関心が自分から離れる日を指折り数えて待っていた。
 大半の奥侍従がひと月と保たずに暇を与えられていたため、ジハードは移り気なのだと思っていたし、それが唯一の希望だった。長くても月が一巡りする間耐えれば良いのだと自分に言い聞かせていたのは、どうやら見当違いの目算だったようだ。

 ジハードの言葉が全て真実だとして、ここ五年の間に後宮に入った者に懐妊の可能性がないのなら、どこかに落とし胤が存在するという期待は持てそうにない。それよりも前に王太子宮入りした奥侍女たちは、後宮を出された後は全員女官として一年以上配属され、子を孕んでいないことを確かめてから解放されているからだ。

「……それではなおさら、妾妃を早く迎えねばなりません」

 奥侍従に過ぎない己が口を出せば不興を買うとは承知の上で、シェイドは言った。
 後継の決まらぬ王権は弱い。ジハードが国の再建に精力的なのならばなおさら、世継ぎの王子の養育は一日でも早いほうが良かった。

 ジハードにそれが分からぬはずもないだろうに、二十五歳の国王は不機嫌そうな表情で黙り込んだ。

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