王宮に咲くは神の花

ごいち

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第二章 ジハード王の婚姻

番外 淡雪

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「――なさま、…………旦那様?」

 呼びかけられて、カストロは夢から目が覚めたように瞬きした。

 目の前では老齢の家令が心配そうにこちらを見つめている。王城で開かれた婚姻の宴から戻り、城下にある屋敷に帰り着いたところだ。脱いだ上着を預けようと腕を伸ばした姿のまま、固まってしまっていた。

「どこかお体の具合でも……?」

 深刻な表情で尋ねる家令に軽く首を振って、カストロは足を進めた。

 まだ夢を見ているかのように足元がふわふわして、床を踏んでいる実感がない。
 老いた家令の白髪を見た瞬間、宴の席で見かけた王妃の姿がまざまざと蘇ってきたのだ。





 ヴァルダン公爵家の長姫が病弱で、生まれてから一度も屋敷の外に出たことがないというのは、宮廷社交界では周知の事実だった。卑しい移民の血を引く女に子を産ませるからだと、裏では散々嘲笑されてきたことだ。

 それゆえ、若くして王位を継いだ新王がタチアナ・ヴァルダンを王妃に迎えると宣言した時も、表立って異を唱えるような愚か者はいなかった。

 屋敷の外にも出られぬ女が、王妃の責務や出産に耐えられるはずもない。新国王ジハードは国内の情勢を落ち着かせるため、早晩旧国王派から妾妃を迎えることになるだろう。遠からぬうちに王妃の座は空き、最も相応しい血筋の者がそこに座る。それが誰になるかはもう決定したようなものだ。

 ほんの数年待つだけでよい。そう思っていた。
 だが――。

「……タチアナ……」

 自室に入って椅子に座った途端、全身からありとあらゆる力が抜けていくような気がして、カストロは深々と椅子に沈み込んだ。

 貴族たちの視線に怯えたように、終始扇の陰に顔を隠していた王妃の姿を思い出す。

 抜けるような白い肌に、小さな卵型の顔。豊かに結い上げた白金の髪。
 ずっと伏し目がちだったために瞳の色はよくわからなかったが、長い睫毛に縁どられた目元は可憐だった。
 細く通った鼻筋も、時折扇の陰から覗く花弁のような唇も、どこもかしこも淡雪のように儚げで……。それでいて目も覚めるような美貌の王妃だった。

 漆黒の髪と瑞々しい小麦色の肌を持たぬ女を美しいと思ったのは、これが初めてだ。
 背丈はそれなりにありそうだが、胸も腰も年端もいかぬ少女のように薄っぺらで、本来ならば妾妃にさえ選ばれぬような見栄えのしない小娘に過ぎない。――なのに、あの体を腕に抱いて攫っていきたいという欲望が、宴の間中カストロを苦しめた。

 あの嫋やかな体をそっと抱き寄せ、両腕の中に閉じ込めてしまいたい。
 顔を隠す扇を取り上げて、『其方は美しいのだから、堂々としていなさい』と囁くのだ。恥ずかしがる娘を抱き上げて、男たちの無遠慮な視線から遠ざけてやろう。
 そして寝台で花嫁衣裳を一枚ずつ剥ぎ取り、手つかずの真っ白い肌に所有の証を刻み付けて……。

 そこまで夢想したところで、現実を思い出して、カストロは忌々しそうに舌打ちした。

 日が暮れるや否や、国王ジハードは宴の終わりを宣言して、新妻を抱き上げ消えていった。今頃は奥宮殿の王の間で、手つかずの淡雪に足跡を刻み付けて楽しんでいるのだろう。
 ヴァルダンの姫があれほどの美姫だという噂は聞いたこともなかったが、知っていればむざむざ渡しはしなかったものを。

 ああいった女は、王妃などに据えるべきではないのだ。
 女主人としての責務も何もない第二夫人か第三夫人として、屋敷の奥に閉じ込めて愛でるものだ。
 表に出なければ髪の色で罵られることもない。奴隷紛いの白い肌や華奢な体つきも、主人の目を愉しませるだけならば何の問題もなかろう。北方の血を引くのならあちらの方も好き者だろうから、子を孕ませたりせずに死ぬまで可愛がってやるのが慈悲というものだ。大事にしてやったところで、どうせすぐに消えてしまうのだから。





 カストロは長い息を吐くと、指輪を嵌めた手で椅子の手すりを三度叩いた。次の間で控えていた侍従に、家令を部屋に呼ぶよう伝える。隣国に出向いている娘を、すぐに呼び戻さなくてはならない。

 侍従が命を果たしに部屋を去るのを待って、カストロは昂る股間に手を当てた。

 ――若造との寝間など、すぐに忘れさせてやる……。

 掌を押し上げる逸物の力強さを感じながら、カストロは目を閉じて甘い夢想をもう一度噛み締めた。
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