王宮に咲くは神の花

ごいち

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第一章 嵐の夜

王太子ジハード

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 ――あの日まで、シェイドは己が人とは違う外見を持っており、そしてそれが蔑視の対象であるということは理解していたが、恥ずべきものとまでは思っていなかった。
 厳しい言葉と強烈な殴打で彼にそれを教えたのは、まだ声変わりが始まったばかりの少年だった、この王太子だ。





 九年前のあの日、国王の私室を整えている最中に、まだ少年だった王太子が突然やってきた。

 彼はシェイドの姿を認めるなり顔色を変え、大股で近づいてくると腕を振り上げて殴打した。
 居合わせた国王の目の前で、王太子はシェイドを『白い髪の化け物、薄汚い異国の娼婦』と声高に罵り、二度と王の居室にまかり来ることならぬと命じた。
 それは息をすることさえ許されぬような、あまりにも激しい怒りの発露だった。

 その日のうちにシェイドは国王付の侍従を外され、代わりに内侍の司の長官職につくことになった。限られた王族以外とは接することのない、日の当たらない場所だ。
 だが後になって考えてみれば、命を奪われなかった分だけ慈悲深い措置だと言えた。

 シェイドの母親は北方の小島生まれだ。
 元は名のある貴族の家だったらしいが、幼い頃に没落して、彼女は娼館に売られた。そして行幸で北方を訪れた国王ベレスに献上され、産み落とされたのがシェイドだ。
 シェイドは獣に等しい北方の蛮民族の血を持つだけでなく、娼婦の息子でありながら同時にウェルディの末裔でもあるという、王家の血を汚す存在だった。

 誇り高い王太子には、それらのことが我慢ならなかったのだろう。
 家畜同然の娼婦が父王の妾妃の一人に収まっていることも、尊い血を分けた腹違いの兄が北方人そのものの姿を持っていることも。

 王太子が自分を汚らわしく思うのは当然のことだ。この髪の色も目の色も、目に触れさせたくもないに違いない。
 そしてそれは、宮殿にいるウェルディリア人すべてが思うことでもあるのだろう。

 あの事件以来、シェイドは長めに作った頭布の影に全てを隠して、誰の目にも触れぬようひっそりと生きてきた。
 国王や王太子の前にも二度と姿を見せるつもりはなかったのだが――。





「……相変わらず、男か女か分からん顔だな」

 上から振ってきた声にハッとなって、シェイドは落ちたままの頭布に手を伸ばした。だがそれを拾い上げるより早く、伸びてきた王太子の足がそれを蹴り飛ばして遠くへやってしまう。

「隠したところで髪の色が変わるわけでもなかろう」

 嘲笑する声とともに、結い上げた髪を留める飾り紐が引き抜かれた。絹糸のように柔らかい髪が、緩い波を打ちながら背を覆うように広がっていく。
 光の具合によっては銀にも見える、色の薄い金の髪。
 動揺して俯いた顎が、王太子の骨張った指に捕らえられた。

「目を上げて、俺の顔を見てみろ。お前のその珍しい瞳の色が見たい」

 罪深い色の髪が頬を擽っていた。
 内侍の司に入って以来、人前でこの髪を下ろしたことなど一度も無い。目の色も、見とがめられぬよういつも伏せがちにして隠してきた。
 それなのに、王太子はそれを見せよという。

 伏せた睫を震わせたが、顎を持ち上げる王太子の指は力を緩めようとしない。
 忌まわしい姿を見ても、決して良い気持ちなどしないだろうに。

「シェイド」

 促すように低く名を呼ばれた。
 シェイドは唇を一つ噛んだ後、意を決してゆっくりと瞼を開いた。





「…………」

 すぐ目の前に膝をついた王太子の顔があった。
 年齢はシェイドの四つ下。もうすぐ二十四歳になるはずだ。
 剣術に長けているという世継ぎの王子は、浅黒く日に焼けた肌を持ち、精悍な顔つきをしていた。

 黒豹に例えられるウェルディ神そのままに、切れ長の目は底の知れない闇色、少し癖のある漆黒の髪は男神と違って今は短めに刈り込まれていた。
 意志の強そうな眉、高くしっかりとした鼻梁、やや肉厚の形良い唇。
 何もかもが非の打ち所無く完璧で、経典に描かれる男神の姿よりも美々しいのではないかと思われた。

 歴代の王族の中にも、これほどウェルディそのものの姿をもった者はいなかったに違いない。
 シェイドは置かれた状況も忘れて、現世に降臨した神の姿に見惚れた。

 王太子もまたシェイドを凝視していた。
 ほんの少し眉を顰め、意外なものを見たかのようにじっと見下ろしてくる。
 やがて顎を持ち上げていた指が骨の形を辿るように滑って、耳元に差し込まれた瞬間、耳朶に触れられた驚きでシェイドはびくりと身を縮めた。

 緊迫していた空気が乱れ、ふ、と王太子が視線の力を緩めた。
 耳から手を離し、髪の一房を手にとって、指の間を滑らせていく。
 ウェルディリア人の髪とは異なる、淡い色をした柔らかな髪を。

「……お前はまだ、父王に忠誠を誓っているのか?」

 思いもかけない問いが、目を伏せた王太子の口から飛び出した。

「は……い……」

 何故それを問われるのか、理解できないままシェイドは答えた。
 外見がどうであれ、シェイドは自身をウェルディリア人だと思っている。
 この国に生まれ、名も無き臣下の一人としてではあるが、王に忠誠を誓うのは当然のことだ。疑問を抱いたことさえない。
 それに加えて、誰にも言えぬ事ではあるが国王は実の父であり、目の前の王太子は弟だ。
 彼らに無条件の忠誠を誓うことは、改めて考えてみるまでもないことだった。

「国王の部屋には、今も行くのか」

「いいえ」

 次に発せられたその問いには、迷いもなく即答できた。
 九年前に二度と王の下へ来てはならぬと言われて以来、国王の居室はおろか王宮殿にさえ足を踏み入れたことはない。
 王太子はその答えを聞いて、満足げに少し笑った。

 厳しい表情しか見たことのなかったシェイドは、王太子の柔らかい笑みに一瞬目を奪われた。
 近寄りがたい守護神の貌が、温かく血の通った生身の人間へと姿を変える鮮やかさ。

 それに気を取られたせいで、次の言葉を理解するのには随分な時間が掛かった。

「――なら、今日からは王ではなく、俺に忠誠を誓え」

 何気ないことのように、さらりと王太子は口にした。

「え……?」





 二度、三度、シェイドは王太子の言葉を頭の中で反芻してみた。
 王ではなく、王太子に忠誠を誓う。それはどういう意味なのか。

 瞬きを繰り返すシェイドの肩に、王太子の大きな掌が掛かった。
 息が触れ合うほど近くに王太子の顔があった。目を伏せた王太子の顔が近づいてきて、このままでは吐く息が王太子の顔に掛かってしまう。息を止めて後ろに下がろうとしたが、肩を掴んだ王太子の手がそれをさせない。

「ぁ……」

 どうしていいのかわからなくなって、シェイドは思わず遮るように王太子の胸に手をついた。
 ――次の瞬間、肩を掴んだ手に投げつけられるようにして、シェイドは床に突き飛ばされていた。

「お前は……! 俺の命には従えぬと言うか!」

 外の雷鳴にも劣らぬほどの、激しい怒声がその口から発せられた。
 床に手をついて身を起こそうとしたところを、髪を掴んで無理矢理立たされる。
 つい先ほどまでは穏やかな様子であったのに、突然激怒しだした王太子の様子に息も止まりそうな心地になった。そのまま髪を掴んで引きずられていき、投げ出されたのは王太子の寝台の上だった。

「服を脱げ」

 爆発しそうな怒りを抑え込んだ、低い声で王太子は命じた。目の前に仁王立ちになった姿は、怒れる戦神そのものだ。
 穢れたこの手で王太子の尊い身に触れてしまったのがいけなかったのだ。そう思い至りはしても、今更取り返しは付かない。
 シェイドは全身が小刻みに震え出すのを感じた。

「さっさと服を脱げ。それとも鞭打たれてから従うか!」

 王太子は寝台の脇に置かれた卓から鞭を取り上げ、苛立った様子で寝台の上に振り下ろした。
 失態を犯した侍従達が鞭打ちの罰を食らうのは王宮では一般的なことだ。シェイド自身も王の侍従であった頃何度も鞭を打たれている。この不遜の罰が鞭打ちで済むのならば、刑罰としてはむしろ軽いくらいだった。





 シェイドはこれ以上の怒りを買わぬよう、震える手で慌ただしく服を脱いだ。
 内侍の司の所属であることを示す濃い灰色の上着を脱ぎ、腰に巻き付けた文官用の長衣も解いて落とす。
 中に着付けた官服も脱ぎ落とし、腰に巻いた下衣一枚になると、背を向けて寝台の下に膝を突こうとした。が、その腿に鞭が当てられ、寝台の上へと追いやられる。

「足を開いて這え」

 それがどんな姿勢かを考える余裕もなかった。
 寝台の上で犬のように這うなり、腰を隠していた下衣が捲り上げられた。間を置かず、思いもしなかった場所を異物がこじ開ける。

「あ!」

 不浄の場所だ、と思ったのが先で、閨で仕えるときに用いる場所だと思い至ったのはその後だった。
 自分自身でさえ触れたことのない窄まりの中に、硬いものが押し込まれている。
 痛い、と知覚した途端、中を拡げる異物が二本に増えた。王太子の指だ。

「……殿下……ッ!」

 後ろを振り返ろうとしたが、狭い場所を指に無理矢理拡げられて言葉が続かない。恐慌がシェイドを襲った。

 今宵、ここへ奥侍従として入宮するのはサラトリアのはずだった。
 だが彼はシェイドをこの寝室へ投げ入れ、扉を閉めて去って行った。
 中に居た王太子は、王ではなく自分に忠誠を誓えと命じ、シェイドはそれに従うことができなかった。
 罰として鞭打たれるために服を脱ぎ、王太子の寝台の上で裸になって這い、そして今は不浄の場所を指で無理矢理こじ開けられている。

 一体これは罰なのか、それとも――。

「……ぅ、ぁ、あ、あ――――ッ……!」

 考えることができたのは、そこまでだった。
 指よりも遙かに太いものが肉を裂くように押し込まれてくる。本能的に逃げ掛かった腰が掴んで引き戻され、受け入れることを知らぬ頑なな場所が力尽くで開通させられる。

 呼吸もままならないほどの激痛と、何をされているのか理解できない恐怖、それに尊い血を持つ弟に穢れた体を触れさせているという畏れが混じり合い、思考を真っ白に焼き尽くした。





「この薄汚い娼婦め……!」

 何度も何度も夢の中でシェイドを詰った声がまた聞こえる。
 叫びの形に口を開けながら、シェイドは意識を手放していった。
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