50 / 63
50 二十年前
しおりを挟む
リンドール家の屋敷は夕刻から大雨に見舞われた。
リンドールはこの地方を治めるフォード伯爵家の遠縁にあたるが、貴族ではない。近くの村の人とも親しく接する、至って庶民的なありふれた地方豪族の一家だ。
そのリンドール家の屋敷に大雨の日、珍客があった。
王都に屋敷を構える大家の貴族が狩りに出掛けた帰りにこの大雨で立ち往生したという。
屋敷は大慌てで受け入れる体制を整えねばならなかった。粗相があっては一家の、ひいてはこの地を治めるフォード伯爵家の恥になる。
とはいえリンドール家の当主はこの地の名士であり、現伯爵とも親しい間柄である。屋敷に伯爵本人が滞在することもあるから、使用人たちはみんな高貴な方々をお泊めすることに慣れている。
ただこの日、ひとつだけ。伯爵様をお泊めする時とは違う指示が、当主からその一人娘へと出された。
「メイベル。お前は自分の部屋に篭っておれ。決して出てこないようにな」
メイベル・リンドールは今年で十五になる。腰まで流れる金髪をゆるく編み、淡い青色の瞳がおとなしやかな、この辺りでは評判の美人だ。
父からの突然のこの命令にメイベルは大人しく従ったが、内心は違った。
ひどく面倒で、迷惑だと思っていた。
なにせ夕食まで一人で取るようにと言われたのだ。父は、まったく、一歩も、部屋の外には出るなと言うつもりらしい。
ちょっとお手洗いに、とわざとらしく恥じらいながら出てきてみても父に見つかり部屋へと押し戻されて、現在自室で地団駄を踏んでいる。
「お父様ったら心配性なのよ。こんなド田舎娘が都会のお貴族様のお眼鏡にかなうもんですか」
いつもなら憤慨するメイベルの隣で小間使いのアンが笑いを噛み殺しているが、今日は彼女すら支度に駆り出されてしまっている。こんな嵐の日にまったくの一人なのだ。
どさりとソファに腰を下ろす。大きく足を組み肘掛けに肘をついて、手に顎を乗せた。
メイベルは馬鹿ではない。馬鹿ではないから、父の心配事など全てお見通しだった。
父は、訪れたお貴族様が娘に目を付けて妾にと望んでくるのを警戒しているのだ。
「美しすぎる罪ね」
ここで小間使いのアンなら「はいはい、美しすぎるお嬢様。さっさと晩ご飯を食べて湯を使って寝てくださいな。お嬢様が寝てくれないとあたしが休めないんですから」と文句を言ってくるのだが、あいにくのひとりぼっちだ。
窓が雨に激しく叩かれ、風で揺れて音を立てている。
嵐如きで騒ぐメイベルではない。しかしどうにも暇を持て余し、数刻前、お貴族様が来た時のことを思い出していた。
おほほと恥じらいながらトイレに向かうふりをして玄関に向かい、吹き抜けの二階からこっそりと観察したお貴族様はメイベルより二回りほど年上の大人の男性だった。狩りの服装であっても都会的な洗練された装いで、数名のお供を連れている。
メイベルはそのお供の中の一人、自分よりもいくつか歳が上かという若い男性の姿を思い出していた。
濡れて額に張り付いた焦げ茶色の髪を手渡されたタオルで拭っていた。丁寧に小間使いに礼を言う姿が、優しく穏やかそうな金色の瞳が印象的な人だった。
あんなに立派な方々がたくさんいたのに、おそらくは一番年下で下っ端だろうあの人からなぜだか目が離せなかった。
そうして、視線を注ぎすぎていたのかもしれない。
上部から刺さる視線を察したのか、ふとその男性が顔を上げ、金色の瞳がメイベルを映した。
途端にその目が大きく見開かれる。
髪や体を拭っていた手が動きを止めている。
メイベルも咄嗟に目を逸らせず、見つめ合う格好になった。
時間にしてほんの数秒ほどだったが、そうして見つめ合ううちに上を見上げる若い従者に気付いた父に見つかって、部屋へと押し戻されたのだ。
リンドールはこの地方を治めるフォード伯爵家の遠縁にあたるが、貴族ではない。近くの村の人とも親しく接する、至って庶民的なありふれた地方豪族の一家だ。
そのリンドール家の屋敷に大雨の日、珍客があった。
王都に屋敷を構える大家の貴族が狩りに出掛けた帰りにこの大雨で立ち往生したという。
屋敷は大慌てで受け入れる体制を整えねばならなかった。粗相があっては一家の、ひいてはこの地を治めるフォード伯爵家の恥になる。
とはいえリンドール家の当主はこの地の名士であり、現伯爵とも親しい間柄である。屋敷に伯爵本人が滞在することもあるから、使用人たちはみんな高貴な方々をお泊めすることに慣れている。
ただこの日、ひとつだけ。伯爵様をお泊めする時とは違う指示が、当主からその一人娘へと出された。
「メイベル。お前は自分の部屋に篭っておれ。決して出てこないようにな」
メイベル・リンドールは今年で十五になる。腰まで流れる金髪をゆるく編み、淡い青色の瞳がおとなしやかな、この辺りでは評判の美人だ。
父からの突然のこの命令にメイベルは大人しく従ったが、内心は違った。
ひどく面倒で、迷惑だと思っていた。
なにせ夕食まで一人で取るようにと言われたのだ。父は、まったく、一歩も、部屋の外には出るなと言うつもりらしい。
ちょっとお手洗いに、とわざとらしく恥じらいながら出てきてみても父に見つかり部屋へと押し戻されて、現在自室で地団駄を踏んでいる。
「お父様ったら心配性なのよ。こんなド田舎娘が都会のお貴族様のお眼鏡にかなうもんですか」
いつもなら憤慨するメイベルの隣で小間使いのアンが笑いを噛み殺しているが、今日は彼女すら支度に駆り出されてしまっている。こんな嵐の日にまったくの一人なのだ。
どさりとソファに腰を下ろす。大きく足を組み肘掛けに肘をついて、手に顎を乗せた。
メイベルは馬鹿ではない。馬鹿ではないから、父の心配事など全てお見通しだった。
父は、訪れたお貴族様が娘に目を付けて妾にと望んでくるのを警戒しているのだ。
「美しすぎる罪ね」
ここで小間使いのアンなら「はいはい、美しすぎるお嬢様。さっさと晩ご飯を食べて湯を使って寝てくださいな。お嬢様が寝てくれないとあたしが休めないんですから」と文句を言ってくるのだが、あいにくのひとりぼっちだ。
窓が雨に激しく叩かれ、風で揺れて音を立てている。
嵐如きで騒ぐメイベルではない。しかしどうにも暇を持て余し、数刻前、お貴族様が来た時のことを思い出していた。
おほほと恥じらいながらトイレに向かうふりをして玄関に向かい、吹き抜けの二階からこっそりと観察したお貴族様はメイベルより二回りほど年上の大人の男性だった。狩りの服装であっても都会的な洗練された装いで、数名のお供を連れている。
メイベルはそのお供の中の一人、自分よりもいくつか歳が上かという若い男性の姿を思い出していた。
濡れて額に張り付いた焦げ茶色の髪を手渡されたタオルで拭っていた。丁寧に小間使いに礼を言う姿が、優しく穏やかそうな金色の瞳が印象的な人だった。
あんなに立派な方々がたくさんいたのに、おそらくは一番年下で下っ端だろうあの人からなぜだか目が離せなかった。
そうして、視線を注ぎすぎていたのかもしれない。
上部から刺さる視線を察したのか、ふとその男性が顔を上げ、金色の瞳がメイベルを映した。
途端にその目が大きく見開かれる。
髪や体を拭っていた手が動きを止めている。
メイベルも咄嗟に目を逸らせず、見つめ合う格好になった。
時間にしてほんの数秒ほどだったが、そうして見つめ合ううちに上を見上げる若い従者に気付いた父に見つかって、部屋へと押し戻されたのだ。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
結婚相手の幼馴染に散々馬鹿にされたので離婚してもいいですか?
ヘロディア
恋愛
とある王国の王子様と結婚した主人公。
そこには、王子様の幼馴染を名乗る女性がいた。
彼女に追い詰められていく主人公。
果たしてその生活に耐えられるのだろうか。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
夫に離縁が切り出せません
えんどう
恋愛
初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。
妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる