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50 二十年前

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 リンドール家の屋敷は夕刻から大雨に見舞われた。

 リンドールはこの地方を治めるフォード伯爵家の遠縁にあたるが、貴族ではない。近くの村の人とも親しく接する、至って庶民的なありふれた地方豪族の一家だ。

 そのリンドール家の屋敷に大雨の日、珍客があった。

 王都に屋敷を構える大家の貴族が狩りに出掛けた帰りにこの大雨で立ち往生したという。

 屋敷は大慌てで受け入れる体制を整えねばならなかった。粗相があっては一家の、ひいてはこの地を治めるフォード伯爵家の恥になる。

 とはいえリンドール家の当主はこの地の名士であり、現伯爵とも親しい間柄である。屋敷に伯爵本人が滞在することもあるから、使用人たちはみんな高貴な方々をお泊めすることに慣れている。
 ただこの日、ひとつだけ。伯爵様をお泊めする時とは違う指示が、当主からその一人娘へと出された。

「メイベル。お前は自分の部屋に篭っておれ。決して出てこないようにな」

 メイベル・リンドールは今年で十五になる。腰まで流れる金髪をゆるく編み、淡い青色の瞳がおとなしやかな、この辺りでは評判の美人だ。

 父からの突然のこの命令にメイベルは大人しく従ったが、内心は違った。

 ひどく面倒で、迷惑だと思っていた。

 なにせ夕食まで一人で取るようにと言われたのだ。父は、まったく、一歩も、部屋の外には出るなと言うつもりらしい。

 ちょっとお手洗いに、とわざとらしく恥じらいながら出てきてみても父に見つかり部屋へと押し戻されて、現在自室で地団駄を踏んでいる。

「お父様ったら心配性なのよ。こんなド田舎娘が都会のお貴族様のお眼鏡にかなうもんですか」

 いつもなら憤慨するメイベルの隣で小間使いのアンが笑いを噛み殺しているが、今日は彼女すら支度に駆り出されてしまっている。こんな嵐の日にまったくの一人なのだ。

 どさりとソファに腰を下ろす。大きく足を組み肘掛けに肘をついて、手に顎を乗せた。

 メイベルは馬鹿ではない。馬鹿ではないから、父の心配事など全てお見通しだった。

 父は、訪れたお貴族様が娘に目を付けて妾にと望んでくるのを警戒しているのだ。

「美しすぎる罪ね」

 ここで小間使いのアンなら「はいはい、美しすぎるお嬢様。さっさと晩ご飯を食べて湯を使って寝てくださいな。お嬢様が寝てくれないとあたしが休めないんですから」と文句を言ってくるのだが、あいにくのひとりぼっちだ。



 窓が雨に激しく叩かれ、風で揺れて音を立てている。

 嵐如きで騒ぐメイベルではない。しかしどうにも暇を持て余し、数刻前、お貴族様が来た時のことを思い出していた。

 おほほと恥じらいながらトイレに向かうふりをして玄関に向かい、吹き抜けの二階からこっそりと観察したお貴族様はメイベルより二回りほど年上の大人の男性だった。狩りの服装であっても都会的な洗練された装いで、数名のお供を連れている。

 メイベルはそのお供の中の一人、自分よりもいくつか歳が上かという若い男性の姿を思い出していた。

 濡れて額に張り付いた焦げ茶色の髪を手渡されたタオルで拭っていた。丁寧に小間使いに礼を言う姿が、優しく穏やかそうな金色の瞳が印象的な人だった。

 あんなに立派な方々がたくさんいたのに、おそらくは一番年下で下っ端だろうあの人からなぜだか目が離せなかった。

 そうして、視線を注ぎすぎていたのかもしれない。

 上部から刺さる視線を察したのか、ふとその男性が顔を上げ、金色の瞳がメイベルを映した。

 途端にその目が大きく見開かれる。

 髪や体を拭っていた手が動きを止めている。

 メイベルも咄嗟に目を逸らせず、見つめ合う格好になった。

 時間にしてほんの数秒ほどだったが、そうして見つめ合ううちに上を見上げる若い従者に気付いた父に見つかって、部屋へと押し戻されたのだ。
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