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 ライルに耳打ちされた言葉を頭の中で反芻しながら、キースは出来る限り急いで足を運んでいた。

 よりにもよって紫陽花の間。

 端から端まで移動するのに丸一日掛かるのではと言われるほどの広大さを誇るグランドーラ王城で、現在地から紫陽花の間はそれほど離れているわけじゃない。

 しかしその場所が問題だった。

 先ほどの廊下にあるような小さな談話室は呼ばれるなら『西棟三の間』と言われるが、特別な談話室にはそれぞれ名前がついている。

 キースがフェリシアを持て成したのは彼が父王から与えられた、彼専用の談話室だ。
 離宮にあって滅多に使われることはないが、白木蓮の間、と名前が付けられている。

 しかし問題の紫陽花の間は、この城の本宮にある、ある方専用の談話室だった。

 ようやくたどり着いた部屋の前には番をする兵士が扉の両脇に立っている。乱れた息を整えて言った。

「キースが参ったと伝えてください」

 急ぎ足で近づいて来るキースがこの部屋に用があるのは分かっていたのだろう兵士は、丁寧に頭を下げて用意の台詞を口にした。

「申し訳ありませんが、誰も通すなとのお達しです」

 内心歯軋りして、食い下がった。

「伝えるだけで構いません。それで断られたなら大人しく下がりますから」

 二人の兵士は僅かに目を見張り、応対したのとは別の男が部屋の中に入っていく。

 すぐさま戻ってきたその男は手のひらを中へと向けて微笑し、頭を下げた。

「お入りください、殿下」

「ありがとう」

 この兵士達は以前からキースにも好意的な者達だ。素直に礼を言って部屋の中に入った。

「失礼します。キースが参りま──」

 中の光景を見て話す言葉が途切れ、頭を抱えそうになったキースだった。





 時はいくらか遡って。

「失礼、ご令嬢方」

 背後からかけられた声に、フェリシアと友人三人は足を止めて同じことを考えた。

 ──失礼は、声かけ。ご令嬢は女の子。方は沢山の人。

 つまり、わたし達に掛けられた声。

 普段の五倍はゆっくりと動きなさいと言われた通りにゆっくりと振り返った。

「人魚族のご令嬢方とお見受けするが、間違い無いかな?」

 優しい声は堂々としていてハリがあり、頭の中に突っ掛かりなく入ってくる。

 声をかけてきたのは男性だった。穏やかな、楽士のような優美さを持つ男性だが、豪華な装飾の施された服装は身分の高さを表している。

 一番年長でおっとりなローニアが丁寧に答えた。

「はい。四人ともに人魚族のものでございます」

「ああ、よかった。お会いしたいと思っていた人魚の方々を偶然お見かけしたもので、つい声をかけてしまったのだ。無礼な振る舞いであったなら許して欲しい。貴女がフェリシア嬢?」

「いいえ。わたくしはローニアです。フェリシアはこちらに」

 振り返ったローニアに促されてフェリシアはゆっくりと足を動かして男性の前に立った。

 じっと見つめると男性はフェリシアを見てなんだか嬉しそうに笑いかけてくる。
 その笑みは見覚えのあるもので、フェリシアは笑顔で膝を折った。

「わたしがフェリシアです。はじめまして。タ……キース殿下のお兄様」
 
「おや。弟から聞いていたのかな?」

 サラからの教えも忘れて、フェリシアは嬉しさにぶんぶんと頭を振った。

「いいえ。笑った顔がそっくりだから、そうかなと思ったの。……です」

「ほう、そっくりか。それは初めて言われたな。ほかに似ているところはあるかな?」

 口元に手を当てて笑いを漏らしながらタイシの兄は聞いてくる。フェリシアの残念な敬語は見て見ぬ振りをしてくれたらしい。

 フェリシアは目を、タイシの兄の後ろへと移した。

「お顔の形は、後ろのお兄様の方が似てる。どちらが年上のお兄様なの?」

「フェル」

 敬語を捨て去ったフェリシアにフレーディアの叱責が飛ぶ。フェリシアは首を竦めたが、タイシの兄は笑って手を振った。

「良いよ。こちらの言葉を覚えてきてくれたのだから話し方など気にしなくて良い。私が年長の兄だ。オーグスト・ヴォルフレム・リング・グランドーラだ。こちらが弟の──」

「アデルダート・ニールドール・グランドーラです。人魚とは皆様かようにお美しくていらっしゃるのでしょうか。私はてっきり海面の煌めきそのものがそのままお越しになったのかと思いました」

 進み出て恭しく礼をした弟殿下は兄よりも小柄で、キースに似た女性的で柔和な顔立ちをしている。

「フェリシア嬢のそのお髪の輝きもまるで夜空に浮かぶ月を映す水面のようで……いや、貴女に夜は似合わない。昼間の太陽の輝きだ。うん、大変お綺麗でいらっしゃる。あまりに眩くて目を開けていられないほどです」

 フェリシアは目を白黒させてその褒め言葉を聞いていた。

 お顔の形はタイシに似ていても、性格はあんまり似てないわ……と、こっそり思っていた。

 これならタイシに言われた『可愛い』って一言のほうが、よっぽど……。

「……フェリシア嬢? いかがされました?」

「ぴゃっ!」

 可愛いと言われた日。髪を綺麗に整えてくれるたびに可愛いか尋ねていたあの日々を思い出して、一人で浸っていたフェリシアは飛び上がった。

 頬に手を添えると火傷しそうなほど熱い。

 そんなフェリシアの様子を見た年長の兄王子は弟の背中をこっそりつねった。

「……痛いです、兄上」

「お前が歯の浮くようなことばかり言うからだ。……これがキースの耳に入ったらなんとする。馬鹿者が」

「それは確かに問題ですが、しかしこれだけの美貌のご令嬢方ですよ。一言も褒めないというのはむしろ失礼ではありませんか」

 兄王子はこっそりと弟を睨め付け、そんな様子をそっくり隠してフェリシアに向き直った。
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