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第三章

一年前③

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「まことに申し訳ございません……」

 深々と頭が下げられて、空色の尻尾が床へと垂れる。

 反省により項垂れる女性を必死に宥めるオーウェンは、責任をこちらに押し付けてきた。

「エルザ殿は全く悪くありません。こいつらが軽率だっただけです。──他国の城で剣を抜くなど、お前達は何を考えてるんだ! 国際問題にもなりかねないんだぞ!」

「……そういうの、責任転嫁って言うんじゃねぇの」

 呆れて抗議する。こちらに非がないわけではないが、腕を堅く拘束されていたヘクターは未だに関節が痛むらしく腕を回している。女性に易々と組み敷かれて機嫌も斜めのようだった。

 そんなヘクターに女性が近付き、腕に手を添えた。

「本当に申し訳ございません。痛みますよね? 医務室へ行かれます?」

 女性は眉を下げ、ヘクターの腕を細い指先で撫でながら、やや高いところにあるヘクターの目を申し訳なさそうに上目遣いで見つめている。

 まずい、と思ったのは恐らくオーウェンと同時だった。

 じっと女性を見つめ返したヘクターの頰にみるみる血が昇り──。

「………………美しい……」

 ベリッとヘクターと女性を引き剥がした時にはオーウェンが女性を背に庇い、俺達から距離を取っていた。

「エルザ殿、離れてください。この男は惚れっぽい上に少々ストーカー気質です。数分後には花束を馬車に山ほど乗せて求婚に来かねない」
「まぁ、それは素敵ですね」
「……そういう求婚がお好みでいらっしゃるんですか?」
「画面の外から見る分には素敵だと思いますわ。当事者でなければ」
「……そうですか」

 オーウェンは何かを心に刻んだらしい。
 その後ろから女性の軽やかな笑い声がした。

「オーウェン様にもお友達がいらっしゃったのですね。仲が良い方々のご様子は見ていてなんだか嬉しくなります」

 女性の微笑みを受け取ったオーウェンは頰を僅かに染めながらも心外そうに抗議した。

「……と、友達くらいおります。リドも友人ですし」
「ああ、そうでした。リドはオーウェン様のご友人でいらっしゃいましたわね。しかし仲が良いのは結構ですけど、城の廊下で追いかけっこは感心しません。侍女にぶつかりでもしたら怪我をさせてしまいますよ。遊ぶのでしたら修練場をお使いになられては」
「いえ追いかけっこをしていたわけでは……」
「童心に帰っておられたのではないのですか?」
「剣を使って童心には帰りませんよ! しかも城の廊下で!」

 その後もオーウェンがどれだけ説明しようとも女性は人差し指を立ててまるで教師のように的外れなお説教を続けたのだった。



 仲の良い掛け合いが続き、ふとオーウェンが目元を和らげた。

「……私のことを覚えていてくださったのですね」

 だがこの言葉を受け取った女性の表情からは微笑みが抜け落ち、じわじわと眉が寄っていく。

「オーウェン様……私だって自国の位持ちの方のお名前くらい記憶しています。まさか、私のことをそんなことも知らない馬鹿な女だと思っていたのですか?」

 唇を尖らせた女性の抗議にオーウェンの顔から血の気が引いていく音がはっきりと聞こえた。

「そのようなつもりで言ったのではありません!!」

 オーウェンはしどろもどろに弁明を繰り返しているが、俺は蚊帳の外になりながらも女性の台詞が引っ掛かった。

 ──位持ちの方のお名前くらい、という台詞を、位を持つ者が言うか?

「失礼、お嬢さん。お名前を伺っても宜しいですか。私はクローバーの9、キーランです」

 二人の間に割り込んで、外交用の笑みとともに女性の前で胸に手を当て名乗る。
 これでメイベルとでも名乗れば任務達成に向けて多少面倒なことになるかと思ったが、運は俺の味方であったらしい。

「これは失礼をいたしました、クローバーの9。スペードのクイーン直属第二部隊を率いております、エルザと申します」

 まさに拍子抜け、という気分だった。

 部隊を率いているということはこの女性の肩書は部隊長であり、その上、第二部隊とは第一部隊長の指示を仰ぐ必要のある立場ということだ。
 位を持つ者が従えている部隊は五から十あることが一般的な中で第二部隊ならば国元ではかなり上の身分ではあるが、それでも立場で言えば一兵士と同じである。

 オーウェンはもともと敬語で話す男だが、この女性が名乗った肩書は自分達が恭しく接する必要はないものだったのだ。

「──そうか。それではエルザ殿。私達は貴国の5と重要な話し合いの最中である。貴女は外してくれ」

 俺の台詞と共に色ボケていたヘクターは残念そうに眉を下げながらもオーウェンの背後へと回り、女性は目を数度瞬いた。

「重要な話し合いを……追いかけっこしながらなさっていたのですか?」

 追いかけっこをしていたわけではないとオーウェンが何度も説明していたはずだが。

 おまけに外せと言ったにもかかわらず、女性は首を傾げたままその場に居座っている。……察しの悪い女だ。

「はっきり言わなければ分からないのか。君の身分では聞かせられない話し合いであると言っているのだが」

 少々の苛立ちと共にわざと高圧的な言葉をぶつける。これならさすがにこの女も引くだろうと思ったが、なぜかオーウェンが眉をひそめて割り込んできた。

「キーラン。訂正しろ。この人への無礼な物言いは俺が許さない」

「……なぜだ? スペードの5とクローバーの9の話し合いだぞ。部隊長を同席させる道理はないと思うがな」

「国元ではそうかもしれないが、ここはスペードだ。それにこの方は身分こそ部隊長ではあるが──」

「ああ、分かった分かった」

 オーウェンに引くつもりがないと悟って両手を軽くあげる。降参の意だ。話が逸れるのはこちらも有り難くはないし、どちらにせよこの女が同席したところで話し合いに支障はない。

「なら話の続きをしようか。今日中に荷物をまとめろ。俺達の馬車で国まで同行してもらう」
「だからそれは断っただろう。それともまさか、スペードの5である俺を誘拐でもするつもりか?」

「──誘拐?」

 睨み合う俺達の間に割り込んだのは女性だった。自国の5を誘拐と聞けば、その驚愕は当然のものではあるが、位持ち二人の話に割り込んでくるのはやはり感心しない。

「この件については貴国のキングからすでに許しを得ているんだ。話を遮るな」

「キングが許しを? そんなはずがございません。あの方はオーウェン様を大層頼りになさっておいでです」

 この言葉には鼻で笑ってやった。この女は部隊長の身分でオーウェンを庇うつもりらしい。

「まるでキングをよく知っているかのような口振りだが、私は直接スペードのキングとお話しをした上でスペードの5の元に参っている。わかったら口を挟むなと何度同じことを言わせる!」

 オーウェンの静止も無視して怒鳴りつける。最早この女に対する認識は『己の身分も弁えない頭の緩い女』だった。

 ──その認識は誤りであったのかもしれない。

 俺の言葉を真正面から受け取った女の唇がゆっくりと弧を描き、背筋をぞわりとしたものが走った。
 丸く人好きのしていた空色の瞳は、いまやまるで氷のような冷たさを持って俺を見据えている。

 それは、猛禽に獲物と見定められた鼠はこのような感覚になるのではないかというような、死を予見させる冷たさだった。
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