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第二章

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 怒ってないって言ったくせに。
 そう背中にぶつけても、恋人は無視して出ていってしまった。

 オーウェンの言いたいことはわかる。

 私が無事に戻ってこられたのには、いくつもの幸運が味方しただけだからだ。

 テディが洗脳されていなかったこと。
 ルーファス達があの女に絆されなかったこと。
 アリーがあの女へ不信感を募らせて、私に泣きついて来たこと。
 そしてグレンとザックという味方を得られたこと。

 テディが来てくれなければスペードとダイヤで戦争が始まっていただろうし、ルーファス達があの女の味方についていたら詰んでいた。
 アリーが私側に付いてくれたから、あの女の犯罪がすぐに認められたわけだし、グレンとザックがいなかったらお腹が空いてベティにも勝てなかった。
 怪我をした時だってグレンがいなければ出血多量で死んでいたかもしれない。

 本当に、すべて運任せだった。

 だから、オーウェンが怒るのも分かる。せめて地下牢は拒否するべきだった。



 それでも、オーウェンの言うような……ことをされそうになったら当然全力で拒絶するし、強引に事を運ぼうと考えるなら、こちらだってそれなりの対処はする。
 水の属性を持って生まれたことは、私にとって幸運だった。生き物を相手にするのに、この属性は強力すぎる。

 そう伝えたつもりだったが、オーウェンはそういうことじゃないと言っていた。そういった状況を作るなということなのかもしれないし、そうならないよう足掻けと言いたかったのかも。
 考えてみれば、オーウェンは、どうするつもりだったのかと聞いていた。

 考えるときの癖になっている口元へ指を持っていく行為を無意識にしようとして、手首が縄で動かなかったが、構わなかった。

「そうか。わかったわ」

 きっとこれは、自力で拘束を解いてみろという試練なのだ。
 ダイヤでの騒動と同じような酷い目に遭わされた時に、のうのうと地下で待っていてはいけないのだと教えてくれるための。

 そうと決まれば話は早い。
 風で縄を切ってしまおう。と考えて、鏡の前に移動して驚いた。

 私を括っているのは縄ではない。
 黒い影。

 私の手首は、オーウェンの闇の魔法で拘束されていた。

 物を掴むので精一杯だと言っていたのに、離れてもなお解けない闇魔法を使えるようになっていただなんて、本当にオーウェンは努力の人だ。

 と、感心している場合じゃない。

 闇の拘束となると、風で切るのは不可能だし、剣でも勢いをつけないと切れない。

 それでも剣で切ってもらうとなると……ノエルかルーファスか、レグサスか。
 信頼のおける仲間達ではあるけど、手首に少しでも傷が付いたらと思うと躊躇されるかもしれない。

 いや、もっと簡単な方法がある。

 闇には光だ。光の属性を当ててもらえば即座に外れる。
 光といえばゼンだけど、あの人は最近オーウェンの味方をすることが多いから、手を貸さないよう話が通っている可能性がある。
 ならあと私が知ってる光属性と言えばナットと……ザックか。

「よし」

 方針は決まった。

 ここを抜け出して、ナットかザックを探して拘束を解いてもらおう。

 オーウェンが自力でなんとかしろというのだから、きっとこれが正解だ。

 あいにくとガッツポーズはできない上に寝室の扉を開けることすらできないが、これもまた試練だろう。蹴り飛ばして開けた。

「待ってて、オーウェン。闇での拘束なんて難易度が高いけど、私は必ず自力で脱出してみせるわ」

 ガランガランと音を立てて、寝室の扉が床で暴れているのを背に、私は再び二人の新居の扉に向けて、足を蹴り上げ──ようとして。
 爪先でドアノブを下ろせばよかったのかと気が付いた。

 後ろを振り返れば、無残な姿になった寝室への扉が床に横たわっている。

 ……見なかったことにしよう。

 ドアを開き、二人を探しに颯爽と部屋を後にした。


 ※


 角を曲がってくる空色を見つけ、声をかけられては面倒だと身を翻した。
 だがその判断は、やや遅かったらしい。

「ナット! すぐに見つかってよかったわ!」

 喜色を浮かべて走り寄って来たエルザに内心で舌打ちしたナットだった。

 この女と関わると、ろくなことがない。

「こんにちはぁ。エルザせんぱ、い……?」

 気怠さを隠さず挨拶して、違和感を覚えた。
 いつもと変わらない足取りゆえに、気付くのが遅れた。

 エルザの手が、後ろで縛られている。

「どうしました。侵入者ですか?」

 どう見ても闇の属性で拘束されている先輩に駆け寄り、外そうとして──それにしては随分と良い笑顔だったなと、手を止めた。

 これが何者かによる攻撃であったとして、この人がこうもバカ明るい笑顔を浮かべるものだろうか。

「違うのよ。これはね、試練なの」
「……バカにしか分からない話です?」

 思わず素が出たナットだった。

「バカって言ったわね……。まぁ、今はいいわ。とにかくこれを外して欲しいのよ」

 そうして拘束に至った経緯を聞いたナットは『馬鹿もここに極まれり』と思った。

 まず間違いなくあの常識人のオーウェンがそのような意図で恋人を縛り、放逐するわけがないし、恐らくはそういった趣味嗜好でもない、と……思いたい。

 だが、これは使える。とナットは内心ほくそ笑んだ。

「そういった経緯であるなら、私がここで外してしまっては、試練の意味がないんじゃあないですかねぇ?」
「……どういうこと?」

 これは、首を傾げるこの女の、弱味を握るチャンスだ。

「ほらぁ、オーウェン殿はきっと、エルザ先輩自身の力で拘束を取るよう仕向けられたわけでしょう? 私がほいほいと拘束を解いてしまっては簡単すぎやしませんかぁ」
「……言われてみれば確かに。身内にお願いして解いてもらったんじゃ、この試練の意味がないわね!」

 身内。の中に、自分を当然のように入れてしまうのだから、ナットはこの女を好きにはなれないと思うのだ。

「……そうでしょうそうでしょう。ですから、私を見知らぬ者としてお願いをしてください。私が解いてやってもいいと思えるような、お願いをぉ、ね」
「お願い? お願い、ねぇ。ナットが喜ぶこと、よね……」

 考え込む先輩を前にして、いつにも増して目が細まり、口端がにんまりと上がる。
 どんなお願いをしてくれるのやら。バカなりに多少はまともな提案をしてもらいたいものだが。

「そうだ! また手合わせしてあげるわ。ナットとヴァン、私とオーウェンで、どう!?」
「あんたはバ……」

 ナットは飛び出しそうな言葉を慌てて回収した。

 さすがに「あんたはバカの天井知らずか」は、今のこの流れで言うのは危険だった。

「バ?」
「なんでもありませんともぉ。……手合わせは先日していただきましたから、他のことにしていただきたいものですねぇ」

 キングとではないとはいえ、このバカ強い女との手合わせなんて、誰が頼むものか。死んでもごめんなのだった。

「他のことねぇ。例えばどんな?」

 待ってました。と内心で拳を握った。

 きっとこの女は、こちらにお願いの内容を決めさせると思っていたのだ。

「そうですねぇ……。そういえば、ダイヤでの騒動は災難でしたねぇ」
「ええ。まったく、迷惑な話だったわ。これだって、あの女のせいで課せられたようなものなのよ」
「ですが、可愛らしい兵士らを連れ帰ったそうじゃあないですかぁ。聞きましたよぉ。地下牢で、見張りの二人を手懐けた、とか……」

 じっとりと目線を合わせると、エルザは些か居心地が悪そうに視線を逸らした。ここか。

「その手練手管で私を懐柔してみせる、というのはいかがです? その見事な手腕は勉強させていただきたいと思っていたのでぇ」

 恋人がいながら、他の男、それも複数に色目を使い、意のままに操った、その手腕を。

 男の前で良い顔をしたとて、お前もどうせそこらの女と変わらないのだろう。との嘲りを込めてお願いをする。ナットはこの女の八方美人なところが、大が付くほど嫌いだった。

 だがエルザはじわじわと顔色を悪くして──ずいとナットの眼前に迫った。

「やっぱり私……最低な事しちゃったわよね!?」

「は……?」

 迫ってくる女に、思わずナットの顔が引きつる。

「あの二人の好意を逆手にとって懐柔するなんて、なんて酷い事をしたのかしらって……謝っても謝っても、二人に申し訳がなくて……どうしよう! どうしたら二人に許してもらえると思うっ!?」
「……し、知るか、そんなもの! いいから離れろ! 気色の悪い!!」

 にじり寄られて引き剥がそうにも無駄に力が強い。自由な両腕のある男が剥がせないほどなのだから、相当だ。

 本当に、この女と関わるとろくなことがない。



 やっとのことで体を離させ乱れた息を整えていたところで、ふと視線を感じて目を向ければ噂の片割れがこちらに顔を向けて「うわぁ」とでも言いたげな目をエルザの後ろ手と──不本意ながらも自分に向けて突っ立っていた。

「……おやおや、あなたは確か──ザックさんではありませんかぁ! ちょうどよかった。こちらへいらしてくださいなぁ」

 目が合って逃げようとするのを引き止める。
 お前の上司だろう。責任を持って回収しろ。と目線に込めて。
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