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第二章
57 グレン視点
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唐突にスペードの10に名を叫ばれた我が国のキングが、柵から身を乗り出した。
しかし続く言葉に一瞬ぽかんと口を開けて固まり──その顔から血の気が引いていった。
「わ……私としたことがなんてこと……っ!! は、早く湯殿の準備をなさい!! ああ、エルザ……なんて可哀想に……っ」
凛々しい顔付きとは裏腹に女性的な心を持つ我が国のキングは、スペードの10の叫びの意味を正確に把握したらしい。後ろに控える侍従に指示を出し、周りを顧みずに慌てて駆け出して行った。
困ったのは残された方々だ。
「……風呂? ……あいつ、突然どうしたんだ?」
スペードのキングの問いかけに答える人はいない。
代わりに意味が分かったらしい可愛らしい女性とレグサス様が呆れた表情で広場を見下ろしていた。
「……まさか、いい匂いがするとでも言ったんでしょうか……あの変態」
「いや……さすがにあいつのエルザ好きも、そこまでではないだろ。……ない、よな……?」
匂い……?
「そ、そんな! 変な匂いはされていませんでしたよ!! むしろとてもいい匂いでっ」
やっと叫び声の意味に思い至り、あの人に対する切ない疑惑は晴らして差し上げねばと両手を振って弁護したが、その口が後ろから塞がれた。
「お、お前、今それ言ったら絶対ダメなやつだって……!」
ザックだった。青ざめた顔で、俺の口を塞いでいる。
不思議に思って、すぐに我に返った。スペードの方々の視線の全てが、俺に集中している。
ザック同様血の気が引いただろう俺の顔を見たレグサス様が、自国のクイーンに目を向けた。
「……あいつ、本当に牢に入ってたのか?」
「そのはずなんですがね……」
「この才能を仕事に応用できないもんかね……」
才能とは……。
同時にため息をつくお二人に尋ねる度胸は、俺にはない。
兎にも角にもスペードの10は広場を憤然と後にし、ソフィアは衛士達に引っ立てられていった。残されたオーウェン様は膝から崩れ落ちて地面に両手をついている。
オーウェン様の回収をキングから命じられたスペードのクイーンは、やれやれといった様子でのんびりと広場へ向かっていった。
「俺達も移動するぞ。こんなところに、いつまでもいられるか」
首を鳴らしたスペードのキングの言葉で、スペードの方々はさっさと腰を浮かせた。
俺達の仕事は、ここまでだ。俺達はダイヤの兵士なのだからこの方々に付いていくことはできないし、今日は休みでも何でもない。持ち場に戻らなければ。
だが、ソフィアの信奉者である前に先輩方に対して、面と向かって剣を抜いてしまった俺達はもう、ダイヤの国で兵士として生きていくことは難しいだろう。
けど、それでもよかった。スペードの10が無実の罪を晴らし、無事にスペードの方々の元へと戻ったのだから。
「レグ。今からララは俺が見るから、お前は彼らを頼む」
だが、スペードのキングがそうレグサス様へと命じ、指差した『彼ら』とは、俺達のことらしかった。
頼むとは一体……?
レグサス様は「あいよ」と気軽に応じ、スペードのキングが俺達へ向けて手招きした。慌てて駆け足で近づく。他国とはいえ、キングの手招きを無視するわけにはいかない。
「怖がらせてしまっては可哀想だが、兵士ならば心構えはしておくべきだろう。ダイヤの10の信奉者共が君らに害為す可能性はゼロではないから、この国にいる間はこのレグサスと行動を共にしろ。だが、もしもの時は躊躇せず剣を抜くようにな。君らは兵士なのだから」
スペードのキングが俺達に言ったのは、あの人と同じ言葉だった。
いや、それだけではない。
スペードのキングともあろう方は今、ソフィアの信奉者が俺達に仕返しでもするかもしれないからと、ただの一兵士である俺達に腹心のスペードの9を護衛に付けてくださると、そう仰ったのだ。
やはりあの人の所属する国のキングだと、思った。
ダイヤの国のキングからジャック位の仲の悪さは下の兵士にも伝わるほど酷く、キングは己の美に執着し、クイーンがそんなキングへ下克上を狙っているとは有名な噂だった。ジャックは兵士にとって最も近しい方ではあるが、強すぎて相手になる者もおらず、いつもお一人で孤独に剣を振るっていた。
一度だけ、ハートやクローバーの国の位持ちの方々を遠くから拝見したことがある。
ハートではクイーンがせっせとキングやジャックの世話を焼いていらっしゃるのが印象的で、クローバーは上下関係がはっきりしている国だからかキングへの距離感は遠く思えたが、部下の方々の表情には紛れもないキングへの敬慕が感じられた。
そして今回初めて拝謁したスペードの国の方々は──部下である10が巻き込まれたトラブルにキングやクイーン、ジャックが自ら足を運ばれただけではなく、他国の10に協力を仰ぎ、初めからあの人は無実であると信じていた。
それだけではない。
闘技場に来てから見ていれば、和気藹々と騒ぎ、まるで友人同士でじゃれ合っているような様子で、高位の方々のそのような姿を見るのは初めてだった。
おまけに、あの大虎を間近で見て、全員がスペードの10を助けるために飛び出そうとしたのだ。全員がだ。
優しい表情でこちらを見つめるスペードのキングに敬礼して「はい」と、答えた。
俺達の返事を聞いたスペードのキングは、笑みを浮かべたまま手を持ち上げて、俺達の頭頂部を順番にポンポンと叩いた。
「なるほどな。あれが気に入るわけだ」
「なるほどって?」
キングの独り言のような言葉を、レグサス様が聞き返す。
「素直そうな若いのが好きだからな。あいつ」
「ああ……俺達の後輩にはいないタイプってことか。ヴァンやナットじゃあこうはいかないもんな」
「ヴァン君は良い子ですよ! ナットさんは怖いですけど」
「それはララちゃんに対してだけだって。俺にとっちゃあ、あの二人は言うこと聞かねー悪ガキ共だ。ノエルも含めてな」
「おい。俺の弟は素直で可愛いだろ」
「それもお前ら兄貴達に対してだけだっつの。オーウェンへの態度を見てみろよ」
「新しい兄貴ができて喜んでんだよ。微笑ましいじゃねぇか」
そう言いながらもスペードのキングの肩は震えていた。
「笑いながら言ってやるなよ……まったく、あいつも厄介な小舅がいて気の毒に。……ちゃんとついてきてるな」
レグサス様は会話しながらも何度もこちらを振り返り、俺達を気遣ってくれた。
移動する間も「ベルやパンジーはブチ切れてたからなぁ。早く知らせてやらねぇと」や「委員長の心の傷はもう癒えたかねー」など知らない方達の話題は尽きることがない。
その後ろ姿を見ていて、心の中に生まれた感情は『いいなぁ』という羨望だった。
スペードで働く兵士の方達が羨ましい。きっとこの方達は、優しくて頼りになる上司達なのだろうから。
もうダイヤで働くことが難しいのだから、スペードの入隊試験でも受けに行ってみようかと考えて──それはダメだと思った。
姉さんが結婚して家を出た以上、俺まで他国に行くわけにはいかない。今ですら年に数度しか会えない両親を置いていくなどという決断は、俺にはできなかった。
我が国のクイーンに案内された部屋にはすでに、スペードのクイーンが到着していた。
ソファに腰掛け、呆れた──いや哀れんだような目が部屋の隅に向かう。
蹲り、頭を抱えた緑の塊が、そこにあった。
「ノエルの二の舞か……」とはスペードのキングの言葉だった。
そっとそこへと向かったのはスペードのジャックだ。
肩を叩き、慰めているようなその背中から、その場にいる全員が目を逸らした。
ノックの音がして、扉が開いた。
入ってきたのは凛々しい男性、ダイヤのキングと──赤く染まる頰を膨らませた、スペードの10だった。
しかし続く言葉に一瞬ぽかんと口を開けて固まり──その顔から血の気が引いていった。
「わ……私としたことがなんてこと……っ!! は、早く湯殿の準備をなさい!! ああ、エルザ……なんて可哀想に……っ」
凛々しい顔付きとは裏腹に女性的な心を持つ我が国のキングは、スペードの10の叫びの意味を正確に把握したらしい。後ろに控える侍従に指示を出し、周りを顧みずに慌てて駆け出して行った。
困ったのは残された方々だ。
「……風呂? ……あいつ、突然どうしたんだ?」
スペードのキングの問いかけに答える人はいない。
代わりに意味が分かったらしい可愛らしい女性とレグサス様が呆れた表情で広場を見下ろしていた。
「……まさか、いい匂いがするとでも言ったんでしょうか……あの変態」
「いや……さすがにあいつのエルザ好きも、そこまでではないだろ。……ない、よな……?」
匂い……?
「そ、そんな! 変な匂いはされていませんでしたよ!! むしろとてもいい匂いでっ」
やっと叫び声の意味に思い至り、あの人に対する切ない疑惑は晴らして差し上げねばと両手を振って弁護したが、その口が後ろから塞がれた。
「お、お前、今それ言ったら絶対ダメなやつだって……!」
ザックだった。青ざめた顔で、俺の口を塞いでいる。
不思議に思って、すぐに我に返った。スペードの方々の視線の全てが、俺に集中している。
ザック同様血の気が引いただろう俺の顔を見たレグサス様が、自国のクイーンに目を向けた。
「……あいつ、本当に牢に入ってたのか?」
「そのはずなんですがね……」
「この才能を仕事に応用できないもんかね……」
才能とは……。
同時にため息をつくお二人に尋ねる度胸は、俺にはない。
兎にも角にもスペードの10は広場を憤然と後にし、ソフィアは衛士達に引っ立てられていった。残されたオーウェン様は膝から崩れ落ちて地面に両手をついている。
オーウェン様の回収をキングから命じられたスペードのクイーンは、やれやれといった様子でのんびりと広場へ向かっていった。
「俺達も移動するぞ。こんなところに、いつまでもいられるか」
首を鳴らしたスペードのキングの言葉で、スペードの方々はさっさと腰を浮かせた。
俺達の仕事は、ここまでだ。俺達はダイヤの兵士なのだからこの方々に付いていくことはできないし、今日は休みでも何でもない。持ち場に戻らなければ。
だが、ソフィアの信奉者である前に先輩方に対して、面と向かって剣を抜いてしまった俺達はもう、ダイヤの国で兵士として生きていくことは難しいだろう。
けど、それでもよかった。スペードの10が無実の罪を晴らし、無事にスペードの方々の元へと戻ったのだから。
「レグ。今からララは俺が見るから、お前は彼らを頼む」
だが、スペードのキングがそうレグサス様へと命じ、指差した『彼ら』とは、俺達のことらしかった。
頼むとは一体……?
レグサス様は「あいよ」と気軽に応じ、スペードのキングが俺達へ向けて手招きした。慌てて駆け足で近づく。他国とはいえ、キングの手招きを無視するわけにはいかない。
「怖がらせてしまっては可哀想だが、兵士ならば心構えはしておくべきだろう。ダイヤの10の信奉者共が君らに害為す可能性はゼロではないから、この国にいる間はこのレグサスと行動を共にしろ。だが、もしもの時は躊躇せず剣を抜くようにな。君らは兵士なのだから」
スペードのキングが俺達に言ったのは、あの人と同じ言葉だった。
いや、それだけではない。
スペードのキングともあろう方は今、ソフィアの信奉者が俺達に仕返しでもするかもしれないからと、ただの一兵士である俺達に腹心のスペードの9を護衛に付けてくださると、そう仰ったのだ。
やはりあの人の所属する国のキングだと、思った。
ダイヤの国のキングからジャック位の仲の悪さは下の兵士にも伝わるほど酷く、キングは己の美に執着し、クイーンがそんなキングへ下克上を狙っているとは有名な噂だった。ジャックは兵士にとって最も近しい方ではあるが、強すぎて相手になる者もおらず、いつもお一人で孤独に剣を振るっていた。
一度だけ、ハートやクローバーの国の位持ちの方々を遠くから拝見したことがある。
ハートではクイーンがせっせとキングやジャックの世話を焼いていらっしゃるのが印象的で、クローバーは上下関係がはっきりしている国だからかキングへの距離感は遠く思えたが、部下の方々の表情には紛れもないキングへの敬慕が感じられた。
そして今回初めて拝謁したスペードの国の方々は──部下である10が巻き込まれたトラブルにキングやクイーン、ジャックが自ら足を運ばれただけではなく、他国の10に協力を仰ぎ、初めからあの人は無実であると信じていた。
それだけではない。
闘技場に来てから見ていれば、和気藹々と騒ぎ、まるで友人同士でじゃれ合っているような様子で、高位の方々のそのような姿を見るのは初めてだった。
おまけに、あの大虎を間近で見て、全員がスペードの10を助けるために飛び出そうとしたのだ。全員がだ。
優しい表情でこちらを見つめるスペードのキングに敬礼して「はい」と、答えた。
俺達の返事を聞いたスペードのキングは、笑みを浮かべたまま手を持ち上げて、俺達の頭頂部を順番にポンポンと叩いた。
「なるほどな。あれが気に入るわけだ」
「なるほどって?」
キングの独り言のような言葉を、レグサス様が聞き返す。
「素直そうな若いのが好きだからな。あいつ」
「ああ……俺達の後輩にはいないタイプってことか。ヴァンやナットじゃあこうはいかないもんな」
「ヴァン君は良い子ですよ! ナットさんは怖いですけど」
「それはララちゃんに対してだけだって。俺にとっちゃあ、あの二人は言うこと聞かねー悪ガキ共だ。ノエルも含めてな」
「おい。俺の弟は素直で可愛いだろ」
「それもお前ら兄貴達に対してだけだっつの。オーウェンへの態度を見てみろよ」
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そう言いながらもスペードのキングの肩は震えていた。
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レグサス様は会話しながらも何度もこちらを振り返り、俺達を気遣ってくれた。
移動する間も「ベルやパンジーはブチ切れてたからなぁ。早く知らせてやらねぇと」や「委員長の心の傷はもう癒えたかねー」など知らない方達の話題は尽きることがない。
その後ろ姿を見ていて、心の中に生まれた感情は『いいなぁ』という羨望だった。
スペードで働く兵士の方達が羨ましい。きっとこの方達は、優しくて頼りになる上司達なのだろうから。
もうダイヤで働くことが難しいのだから、スペードの入隊試験でも受けに行ってみようかと考えて──それはダメだと思った。
姉さんが結婚して家を出た以上、俺まで他国に行くわけにはいかない。今ですら年に数度しか会えない両親を置いていくなどという決断は、俺にはできなかった。
我が国のクイーンに案内された部屋にはすでに、スペードのクイーンが到着していた。
ソファに腰掛け、呆れた──いや哀れんだような目が部屋の隅に向かう。
蹲り、頭を抱えた緑の塊が、そこにあった。
「ノエルの二の舞か……」とはスペードのキングの言葉だった。
そっとそこへと向かったのはスペードのジャックだ。
肩を叩き、慰めているようなその背中から、その場にいる全員が目を逸らした。
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