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第二章
番外編 それぞれのクリスマス ※三人称視点です
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わずかな寒さが顔を刺して、エルザは目を覚ました。目の前にはすでに見慣れつつも、未だ慣れない恋人の寝顔がある。
吐かれた寝息が頰にかかってくすぐったい。
起こさないよう気をつけて身動ぎ、背に回された腕を解く。静かにベッドを抜け出して、窓へと寄れば感じる寒さは一段と強くなった。
ゆっくりと紐を引くとカーテンが静かに左右に動き、窓から朝日が差し込む。
バルコニーへと続く、足元までがガラスで出来た窓だ。素足が冷えるが構うものかと両側から押し開いた。
「わぁ……っ」
歳に似合わぬ無邪気な歓声が、整った唇から溢れた。
「……ん……エルザ……?」
歓声は小さなものだったが、それでも恋人を起こすには十分だったらしい。
眼を擦ったオーウェンはゆっくりと体を起こし、窓辺に寄る恋人を見つけてギョッとした。
「この寒い日になんて格好で! そこからすぐに離れてください!」
ベッドにかけられたガウンを引っ掴み、急ぎ足で走り寄って窓辺のエルザの肩に羽織らせる。その勢いのまま、胸に抱き込んだ。
「見て! 外が真っ白!」
「ああ、雪が積もったのか。スペードでは珍しいな。……なら尚のこと、こんな格好で窓辺に寄るんじゃない。すっかり冷えてるじゃないか」
外へと一瞬だけ視線を向けたオーウェンのお小言は、朝から絶好調だった。
「クローバーと違って、スペードではなかなか積もらないのよ。それもクリスマスに!」
ほんの少し拗ねつつもまだ外を見たがるエルザに、オーウェンは愛しいやら苦笑するやら忙しい。
スペードよりも北に位置するクローバー育ちのオーウェンにとって、雪は面倒なものであるとの認識が強いが、喜ぶ恋人の姿は悪くないと思った。
「ねぇ、今日の予定だけど、朝食の後は一緒に買い物に行くでしょう。それから」
「一緒に外でランチだったな」
「そうよ! いいお店があるの。きっとオーウェンも気に入ってくれると思うわ。それから、ディナーは私が作るのよ」
「覚えてるよ。……俺も手伝っていいかな」
数日前からの約束をなぞり、はしゃぐ恋人の体が少し離れて、幸せに緩む空色とエメラルドの瞳が合わさる。
「手伝ってくれるの?」
「ああ。あまり料理はしないから、手際は期待しないでくれよ」
「そんなこと言って、どうせ人並み以上にこなしちゃうのがオーウェンよね」
「料理の腕は本当だよ。包丁を持たされたら確実に指を切る自信がある」
「なら切るのは私の担当ね。力仕事をお願いしようかしら」
それなら、と言ってオーウェンの手がエルザの後頭部へと伸びる。
そうして髪を梳くのは、もはや合図のようなものだった。
そっと唇が合わさり、音を立てて離れ、また触れ合う。
離れた一瞬で目を合わせ、同時にくすくすと笑みが溢れた
オーウェンの背に伸ばされたエルザの腕が抱きしめる力を強めた。
もう朝だというのに、どちらからともなくベッドへと雪崩れ込む。
今日くらい多少の寝坊は構わないかと、二人は同時に思った。
※
「クリスマスには何がしたい?」
二人きりでのお茶会の最中に、ララは恋人に尋ねられた。
コツリとカップを戻して、首をひねる。
「クリスマスといえば……二人で出かけて食事をして……あと何かあります?」
「それじゃあいつものデートと変わんねぇな」
揶揄う調子に、唇が尖った。
「だって……仕方ないじゃないですか。クリスマスに恋人と過ごしたことがないんですもん」
へぇ。と、ルーファスの口角がゆるりと上がるのを見て、バツが悪そうにララは面白がる赤い瞳から目を逸らす。
そうだ! と手を打った。
「クリスマスといえば、プレゼントですよ! 期待してますからね!」
仕返しだとばかりに意地悪な笑みを浮かべたララに対して、ルーファスは余裕の笑みを返す。
「その挑発には乗ってやろう。楽しみにしておけよ」
その台詞に、ララは『花火でも打ち上げるんじゃないでしょうね』と内心恐々とする。
この、スペードの国の頂点に君臨するも女性関連においては最底辺を記録する恐れのある男に対しての、そっち方面での信用は皆無だった。
この花火が君へのプレゼントだよとでもやりやがったら腹を抱えて笑ってやろう。他人のフリでもいい。と、ララは密かに心に誓った。
だが、予想に反してデートは極めて一般的かつ普通なものだった。
人の多いスペードの大通りの、火の魔法でイルミネーションのように彩られた街並みを一緒に眺め、通りに面した出店で温かい飲み物や食べ物を買って食べ歩く。
時々スペードのキングとして声をかけられ対応するルーファスがほんの少しばかり格好良く見えて、自慢できる彼氏だなどと考えて頰が熱を持った。浮かれるクリスマスマジックである。
おまけに、何気なく入ったバルでの注文も手慣れたもので、この人は本当にルーファスさんなのか? と疑ったほどだ。
「どうした?」
いつの間にやら穴が開くほど凝視していたらしい。まさか、予想に反してスマートなエスコートですね。などとはさすがに言えない。
「……プレゼントは何かなーと思いまして」
苦し紛れの嘘だが、ルーファスは「ああ……」と呟きポケットから小さな箱を取り出した。
「ん」
たった一文字の言葉と共に、コツンと音を立てて小箱が目の前に置かれた。
丁寧にラッピングされた小箱を飾るリボンには、スペードの国で一番と言われているジュエリーショップの店名が印字されている。
それを見とめて、ララの頭の中は混乱を極めた。
この箱のサイズで、ネックレスは確実にない。ならピアスか? いや、二対のピアスではやはり箱が小さすぎる。
……ブレスレットはエルザさんからもらったものを毎日つけているのを知られている。恐らくプレゼントを被らせたりはしない。いくらこの人でも。いや、そもそもこの箱のサイズでブレスレットは入らない。
どんどんと候補が少なくなっていく。
答えは一つしかなかった。
「ララ」
そっとルーファスが触れたのは、ララの左手だった。
「早く、開けてみてくれ」
わずかな緊張を孕んだ声に、ララの体もまた硬くなる。
震える指で包装を解き、出てきたケースを開ければ、予想通りの丸いリングが姿を現した。
言葉を無くすララの左手へとまた、ルーファスが指を伸ばした。
「お前の雰囲気に合ったものをと思ったんだが……気に入ってくれたかな」
ララは言葉を詰まらせた。
決して安いものではないが、本番向けではないだろう、可愛らしい細身のリングだ。
プラチナのリングを透明な石がぐるりと囲い、正面の濃いピンクの宝石へとグラデーションのようになっている。
……まさかこの透明な石は全てダイヤモンド? ならこのグラデーションは……いやいやまさか。とララは内心怯える。
これは本番向けではない、よね? いや全然。本番用でも、悪くはないんだけど。お値段がものすごく気になるだけで。とんでもない散財をさせたんじゃないかと心配になる。
混乱の続くララの心を察したのか、目の前の男が静かに吹き出した。
赤くなった顔で睨みつけるも、ルーファスには面白がられるだけだ。
なんだか悔しくなって、せめてもの抵抗として左手で指輪を摘んだ。左にはつけてやるものか。
だが、指輪は右の薬指の中程で止まっ──。
「……まさか、太った!?」
ララの驚愕の叫びにルーファスは腹を抱えて笑い出した。
そのあまりの笑いっぷりには、違う意味でララの顔が真っ赤になる。
「人が太ったからって、そんなに笑いますか!!」
「違う違う。それは、小指にはめる指輪なんだよ」
小指。
ルーファスは笑いを堪えながら、ララの右手を取り、薬指で止まった指輪を取り上げて、そのまま小指の根元へと押し込んだ。
「ん。サイズは大丈夫そうだな」
未だ笑い混じりな赤い瞳に浮かぶ可笑しげなものを見て取り、ララは、自らの恋人が好きな人をいじめるのが大好きなガキ大将であることを思い出した。
まさか。やけに触れられた左手といい、初めからこの男の手のひらの上だったのでは。
左の薬指への抵抗として右にもっていくだろうと予想し、指輪が入らずに焦る自分を見たかったのでは。
してやられた!
歯噛みする思いとはこのことかと敗者は悔しく唸った。
それでも。
ララの細い小指で輝くリングが可愛らしいのは紛れもない事実で、これを恋人が一人で買いに行ったのかと思うと悔しさもなんだか愛しく思えてくる。サイズが合ったことで安心している様も可愛らしい。
それでも素直になるのはシャクなので、ララはわざとらしく顔を逸らしてやった。
「エルザさんにはいじめられたこと、ちゃんと報告しますからね」
「しろしろ。今日のお前も可愛かったよ」
満足げに笑ったルーファスは、またしてもララの左手を撫でる。
「次はここに。その時は素直にこっちに通せよ?」
左の薬指がくすぐったいが、ララは逃げなかった。
「……それを買いに行く時は、絶対に私も連れて行ってください。サイズが合わなくてやり直しなんてことになったら、受け取り拒否しますからね!」
大口を開けて笑うルーファスを睨むララが、堪え切れないとばかりに吹き出した。
この、いつものやり取りがお互いに楽しいのだ。
※
「ノエル様。こちらをご覧になってくださいませ」
ソファに並んで座り、手元のスケッチブックを開いて見せてくる恋人を、ノエルは胡乱げに睨めつけた。
「念のために聞くけど、それは誰のためのドレスかな?」
スケッチブックにはかなり際どいデザインの赤と白の服を着た、空色の髪の女性の姿が描かれている。
とても恋人に向けるものではない目線を受け取った上等なドレス姿の令嬢は、慣れているのか気にしていないのか、平然としたものだった。
「当然、エルザお姉様のものですわ。わたくしが他の方のためにクリスマスのドレスを考えると思いまして?」
「なら却下。スカートが短すぎる」
「では、このように致しましょう」
さらさらとデザイン画のスカートに、ほんの少しの長さが足される。
ノエルは細い指からペンを引ったくった。
「このくらいないと絶対ダメ。あと胸元も開きすぎ」
ノエルの手によって空色の女性に長いスカートとケープが足される。令嬢は悲鳴と共に両手で頬を覆った。
「なんてことを! これではあまりにも肌を隠しすぎて、エルザお姉様の素晴らしすぎる色気を表しきれませんわよ! まったくもう、わかっていませんわね!」
「表さなくていいんだよ!! この変態女! そもそもこんなのオーウェンさんが許すわけないだろ! ……エルザは着てくれるだろうけどさ」
最後の小さな囁き声に、ノエルを睨む令嬢の瞳が輝いた。
「着ていただけると思います!? エルザお姉様なら、喜んで着てくださるかしら。それとも恥じらいながら? ああんもう、想像するだけでは我慢できませんわ!! ノエル様! どうか恋人の一生のお願いです!」
「あんたの一生は何回あるんだよ!! もう五回は聞いてるだろ!」
絶対ダメを表すように、ノエルは両手をバツの形にして拒否をする。あらあらまぁと令嬢は頰に手を添えて可愛らしく微笑んだ。
「前世でも来世でも、来々世でもノエル様と添い遂げたいという、恋人の切なる願いですわ。お聞き届けくださいません?」
ああもう。この笑顔を前にしては、スペードで最も腕の立つジャックの位を持っていようが、問答無用で惨敗である。
「……な、ならせめてスカートは長くしてっ! あと歩きにくい服をエルザは嫌がるから、ここに切り込みを」
「まぁ、ノエル様はチラリズムをお嗜みに?」
「いつ僕の話になったんだよ!!」
どれだけ抵抗しようとも、口元に手を当てて品よく笑う彼女を見てしまえば許してしまいたくなるのが惚れたものの弱みだ。
「ところで、ノエル様はクリスマスのご予定はお有りですの?」
常識の範囲内のスリットを入れた長いスカートを書き足し、デコルテや腕も布で覆われたところで、令嬢が恋人に何気なく尋ねた。
「……ある」
「そうですわよね。スペードのジャックですものね。パーティのひとつやふたつ……」
「デートする」
その答えに思わず令嬢はスケッチブックから顔を上げ、恋人へ向けて目を瞬いた。
なにせ恋人の自分が、そのデートに誘われていないのだから、その驚きも当然のものである。
「……ノエル様にもそのようなお相手が?」
「あんた以外に誰がいるって言うんだよ!」
令嬢はほんの少しの胸を撫で下ろした。自らの恋人はデートに誘うのが下手すぎる人であると、密かに胸に刻む。
「まさかそれがデートへの誘い文句ですの? もっとスマートな誘い方があるでしょうに。お兄様を見習いなさいませ。あの方ならきっと、うっとりするほど素敵なお誘いをしてくださいますわ」
「…………いや、兄さんもきっとこんなもんだよ……」
ここにその兄さんの恋人がいれば、力強く頷いてくれたことだろう。
「それで……ミリエラの予定は?」
緊張の伝わる声音で尋ねられ、令嬢は微笑んだ。
「わたくしは、恋人とデートの予定がありますの」
その恋人って本当に僕だよね!? と焦ったように尋ねられ、小悪魔令嬢はにっこり微笑むだけで返事とした。
ほんの少し驚かされた仕返しだ。令嬢は密かに、もう少し焦らしてやろうとほくそ笑むのだった。
吐かれた寝息が頰にかかってくすぐったい。
起こさないよう気をつけて身動ぎ、背に回された腕を解く。静かにベッドを抜け出して、窓へと寄れば感じる寒さは一段と強くなった。
ゆっくりと紐を引くとカーテンが静かに左右に動き、窓から朝日が差し込む。
バルコニーへと続く、足元までがガラスで出来た窓だ。素足が冷えるが構うものかと両側から押し開いた。
「わぁ……っ」
歳に似合わぬ無邪気な歓声が、整った唇から溢れた。
「……ん……エルザ……?」
歓声は小さなものだったが、それでも恋人を起こすには十分だったらしい。
眼を擦ったオーウェンはゆっくりと体を起こし、窓辺に寄る恋人を見つけてギョッとした。
「この寒い日になんて格好で! そこからすぐに離れてください!」
ベッドにかけられたガウンを引っ掴み、急ぎ足で走り寄って窓辺のエルザの肩に羽織らせる。その勢いのまま、胸に抱き込んだ。
「見て! 外が真っ白!」
「ああ、雪が積もったのか。スペードでは珍しいな。……なら尚のこと、こんな格好で窓辺に寄るんじゃない。すっかり冷えてるじゃないか」
外へと一瞬だけ視線を向けたオーウェンのお小言は、朝から絶好調だった。
「クローバーと違って、スペードではなかなか積もらないのよ。それもクリスマスに!」
ほんの少し拗ねつつもまだ外を見たがるエルザに、オーウェンは愛しいやら苦笑するやら忙しい。
スペードよりも北に位置するクローバー育ちのオーウェンにとって、雪は面倒なものであるとの認識が強いが、喜ぶ恋人の姿は悪くないと思った。
「ねぇ、今日の予定だけど、朝食の後は一緒に買い物に行くでしょう。それから」
「一緒に外でランチだったな」
「そうよ! いいお店があるの。きっとオーウェンも気に入ってくれると思うわ。それから、ディナーは私が作るのよ」
「覚えてるよ。……俺も手伝っていいかな」
数日前からの約束をなぞり、はしゃぐ恋人の体が少し離れて、幸せに緩む空色とエメラルドの瞳が合わさる。
「手伝ってくれるの?」
「ああ。あまり料理はしないから、手際は期待しないでくれよ」
「そんなこと言って、どうせ人並み以上にこなしちゃうのがオーウェンよね」
「料理の腕は本当だよ。包丁を持たされたら確実に指を切る自信がある」
「なら切るのは私の担当ね。力仕事をお願いしようかしら」
それなら、と言ってオーウェンの手がエルザの後頭部へと伸びる。
そうして髪を梳くのは、もはや合図のようなものだった。
そっと唇が合わさり、音を立てて離れ、また触れ合う。
離れた一瞬で目を合わせ、同時にくすくすと笑みが溢れた
オーウェンの背に伸ばされたエルザの腕が抱きしめる力を強めた。
もう朝だというのに、どちらからともなくベッドへと雪崩れ込む。
今日くらい多少の寝坊は構わないかと、二人は同時に思った。
※
「クリスマスには何がしたい?」
二人きりでのお茶会の最中に、ララは恋人に尋ねられた。
コツリとカップを戻して、首をひねる。
「クリスマスといえば……二人で出かけて食事をして……あと何かあります?」
「それじゃあいつものデートと変わんねぇな」
揶揄う調子に、唇が尖った。
「だって……仕方ないじゃないですか。クリスマスに恋人と過ごしたことがないんですもん」
へぇ。と、ルーファスの口角がゆるりと上がるのを見て、バツが悪そうにララは面白がる赤い瞳から目を逸らす。
そうだ! と手を打った。
「クリスマスといえば、プレゼントですよ! 期待してますからね!」
仕返しだとばかりに意地悪な笑みを浮かべたララに対して、ルーファスは余裕の笑みを返す。
「その挑発には乗ってやろう。楽しみにしておけよ」
その台詞に、ララは『花火でも打ち上げるんじゃないでしょうね』と内心恐々とする。
この、スペードの国の頂点に君臨するも女性関連においては最底辺を記録する恐れのある男に対しての、そっち方面での信用は皆無だった。
この花火が君へのプレゼントだよとでもやりやがったら腹を抱えて笑ってやろう。他人のフリでもいい。と、ララは密かに心に誓った。
だが、予想に反してデートは極めて一般的かつ普通なものだった。
人の多いスペードの大通りの、火の魔法でイルミネーションのように彩られた街並みを一緒に眺め、通りに面した出店で温かい飲み物や食べ物を買って食べ歩く。
時々スペードのキングとして声をかけられ対応するルーファスがほんの少しばかり格好良く見えて、自慢できる彼氏だなどと考えて頰が熱を持った。浮かれるクリスマスマジックである。
おまけに、何気なく入ったバルでの注文も手慣れたもので、この人は本当にルーファスさんなのか? と疑ったほどだ。
「どうした?」
いつの間にやら穴が開くほど凝視していたらしい。まさか、予想に反してスマートなエスコートですね。などとはさすがに言えない。
「……プレゼントは何かなーと思いまして」
苦し紛れの嘘だが、ルーファスは「ああ……」と呟きポケットから小さな箱を取り出した。
「ん」
たった一文字の言葉と共に、コツンと音を立てて小箱が目の前に置かれた。
丁寧にラッピングされた小箱を飾るリボンには、スペードの国で一番と言われているジュエリーショップの店名が印字されている。
それを見とめて、ララの頭の中は混乱を極めた。
この箱のサイズで、ネックレスは確実にない。ならピアスか? いや、二対のピアスではやはり箱が小さすぎる。
……ブレスレットはエルザさんからもらったものを毎日つけているのを知られている。恐らくプレゼントを被らせたりはしない。いくらこの人でも。いや、そもそもこの箱のサイズでブレスレットは入らない。
どんどんと候補が少なくなっていく。
答えは一つしかなかった。
「ララ」
そっとルーファスが触れたのは、ララの左手だった。
「早く、開けてみてくれ」
わずかな緊張を孕んだ声に、ララの体もまた硬くなる。
震える指で包装を解き、出てきたケースを開ければ、予想通りの丸いリングが姿を現した。
言葉を無くすララの左手へとまた、ルーファスが指を伸ばした。
「お前の雰囲気に合ったものをと思ったんだが……気に入ってくれたかな」
ララは言葉を詰まらせた。
決して安いものではないが、本番向けではないだろう、可愛らしい細身のリングだ。
プラチナのリングを透明な石がぐるりと囲い、正面の濃いピンクの宝石へとグラデーションのようになっている。
……まさかこの透明な石は全てダイヤモンド? ならこのグラデーションは……いやいやまさか。とララは内心怯える。
これは本番向けではない、よね? いや全然。本番用でも、悪くはないんだけど。お値段がものすごく気になるだけで。とんでもない散財をさせたんじゃないかと心配になる。
混乱の続くララの心を察したのか、目の前の男が静かに吹き出した。
赤くなった顔で睨みつけるも、ルーファスには面白がられるだけだ。
なんだか悔しくなって、せめてもの抵抗として左手で指輪を摘んだ。左にはつけてやるものか。
だが、指輪は右の薬指の中程で止まっ──。
「……まさか、太った!?」
ララの驚愕の叫びにルーファスは腹を抱えて笑い出した。
そのあまりの笑いっぷりには、違う意味でララの顔が真っ赤になる。
「人が太ったからって、そんなに笑いますか!!」
「違う違う。それは、小指にはめる指輪なんだよ」
小指。
ルーファスは笑いを堪えながら、ララの右手を取り、薬指で止まった指輪を取り上げて、そのまま小指の根元へと押し込んだ。
「ん。サイズは大丈夫そうだな」
未だ笑い混じりな赤い瞳に浮かぶ可笑しげなものを見て取り、ララは、自らの恋人が好きな人をいじめるのが大好きなガキ大将であることを思い出した。
まさか。やけに触れられた左手といい、初めからこの男の手のひらの上だったのでは。
左の薬指への抵抗として右にもっていくだろうと予想し、指輪が入らずに焦る自分を見たかったのでは。
してやられた!
歯噛みする思いとはこのことかと敗者は悔しく唸った。
それでも。
ララの細い小指で輝くリングが可愛らしいのは紛れもない事実で、これを恋人が一人で買いに行ったのかと思うと悔しさもなんだか愛しく思えてくる。サイズが合ったことで安心している様も可愛らしい。
それでも素直になるのはシャクなので、ララはわざとらしく顔を逸らしてやった。
「エルザさんにはいじめられたこと、ちゃんと報告しますからね」
「しろしろ。今日のお前も可愛かったよ」
満足げに笑ったルーファスは、またしてもララの左手を撫でる。
「次はここに。その時は素直にこっちに通せよ?」
左の薬指がくすぐったいが、ララは逃げなかった。
「……それを買いに行く時は、絶対に私も連れて行ってください。サイズが合わなくてやり直しなんてことになったら、受け取り拒否しますからね!」
大口を開けて笑うルーファスを睨むララが、堪え切れないとばかりに吹き出した。
この、いつものやり取りがお互いに楽しいのだ。
※
「ノエル様。こちらをご覧になってくださいませ」
ソファに並んで座り、手元のスケッチブックを開いて見せてくる恋人を、ノエルは胡乱げに睨めつけた。
「念のために聞くけど、それは誰のためのドレスかな?」
スケッチブックにはかなり際どいデザインの赤と白の服を着た、空色の髪の女性の姿が描かれている。
とても恋人に向けるものではない目線を受け取った上等なドレス姿の令嬢は、慣れているのか気にしていないのか、平然としたものだった。
「当然、エルザお姉様のものですわ。わたくしが他の方のためにクリスマスのドレスを考えると思いまして?」
「なら却下。スカートが短すぎる」
「では、このように致しましょう」
さらさらとデザイン画のスカートに、ほんの少しの長さが足される。
ノエルは細い指からペンを引ったくった。
「このくらいないと絶対ダメ。あと胸元も開きすぎ」
ノエルの手によって空色の女性に長いスカートとケープが足される。令嬢は悲鳴と共に両手で頬を覆った。
「なんてことを! これではあまりにも肌を隠しすぎて、エルザお姉様の素晴らしすぎる色気を表しきれませんわよ! まったくもう、わかっていませんわね!」
「表さなくていいんだよ!! この変態女! そもそもこんなのオーウェンさんが許すわけないだろ! ……エルザは着てくれるだろうけどさ」
最後の小さな囁き声に、ノエルを睨む令嬢の瞳が輝いた。
「着ていただけると思います!? エルザお姉様なら、喜んで着てくださるかしら。それとも恥じらいながら? ああんもう、想像するだけでは我慢できませんわ!! ノエル様! どうか恋人の一生のお願いです!」
「あんたの一生は何回あるんだよ!! もう五回は聞いてるだろ!」
絶対ダメを表すように、ノエルは両手をバツの形にして拒否をする。あらあらまぁと令嬢は頰に手を添えて可愛らしく微笑んだ。
「前世でも来世でも、来々世でもノエル様と添い遂げたいという、恋人の切なる願いですわ。お聞き届けくださいません?」
ああもう。この笑顔を前にしては、スペードで最も腕の立つジャックの位を持っていようが、問答無用で惨敗である。
「……な、ならせめてスカートは長くしてっ! あと歩きにくい服をエルザは嫌がるから、ここに切り込みを」
「まぁ、ノエル様はチラリズムをお嗜みに?」
「いつ僕の話になったんだよ!!」
どれだけ抵抗しようとも、口元に手を当てて品よく笑う彼女を見てしまえば許してしまいたくなるのが惚れたものの弱みだ。
「ところで、ノエル様はクリスマスのご予定はお有りですの?」
常識の範囲内のスリットを入れた長いスカートを書き足し、デコルテや腕も布で覆われたところで、令嬢が恋人に何気なく尋ねた。
「……ある」
「そうですわよね。スペードのジャックですものね。パーティのひとつやふたつ……」
「デートする」
その答えに思わず令嬢はスケッチブックから顔を上げ、恋人へ向けて目を瞬いた。
なにせ恋人の自分が、そのデートに誘われていないのだから、その驚きも当然のものである。
「……ノエル様にもそのようなお相手が?」
「あんた以外に誰がいるって言うんだよ!」
令嬢はほんの少しの胸を撫で下ろした。自らの恋人はデートに誘うのが下手すぎる人であると、密かに胸に刻む。
「まさかそれがデートへの誘い文句ですの? もっとスマートな誘い方があるでしょうに。お兄様を見習いなさいませ。あの方ならきっと、うっとりするほど素敵なお誘いをしてくださいますわ」
「…………いや、兄さんもきっとこんなもんだよ……」
ここにその兄さんの恋人がいれば、力強く頷いてくれたことだろう。
「それで……ミリエラの予定は?」
緊張の伝わる声音で尋ねられ、令嬢は微笑んだ。
「わたくしは、恋人とデートの予定がありますの」
その恋人って本当に僕だよね!? と焦ったように尋ねられ、小悪魔令嬢はにっこり微笑むだけで返事とした。
ほんの少し驚かされた仕返しだ。令嬢は密かに、もう少し焦らしてやろうとほくそ笑むのだった。
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