上 下
171 / 206
第二章

52 グレン視点

しおりを挟む
「さーて、んじゃあ一件落着したとこで、エルザの試合でも楽しませてもらうとするかね」

 軽薄そうなスペードの9──レグサス様がソフィアを押さえつけたまま言い、オーウェン様に「拘束変わってくれ」と頼んだ。
 ソフィアの体を何重にも黒いロープ状の影が覆い、それを確認したレグサス様は手を離して手頃な椅子に腰掛けた。

「そうだな。楽しみにしているようだし、一戦くらいやらせてやるか。今後の話し合いは、その後にしよう。俺も見たい」

 スペードのキングがまだ跪いているダイヤのキング方に手を振り、これでこの件は終わりだと示したようだった。

「……エルザさんが負けるわけありませんけど……見せ物にされているみたいで、見物するのはなんだか複雑です」
「んー。俺達がアカデミーの学生だった頃から武術大会ってのがよく開催されててな、それに出るのも観戦するのも慣れてるんだよ。だからこれに関しては俺はあんまり抵抗ないなー」
「牢から出られたなら、すぐにこちらに逃げてくれば良いものを……まったくあの子はこんな時まで呑気なんですから……」
「数日牢に閉じ込められてたからな。これで止めたら可哀想ってもんだろ」
「剣を持ってないってことは体術でやる気かなぁ? 僕、エルザの体術を見るの好きなんだよね。動きが綺麗だもん」
「俺も好きです。まるでしなやかな猫、みたいで……だ、よね、ノエル……」
「なんだ。お前ら随分と仲良くなったな」
「えへへー。オーウェンさん、格好良かったんだよ。あそこの二人を一人で助けてね。あとなんだったっけ? エルザには俺を──」
「そ、それは気にしていないって言っていたじゃないですか!! それだけは絶対に兄上方には言わないでくださ」
「くださー?」
「っ敬語か! 敬語を使わなければいいんだな!? わかった。二度と使わないからそれだけは言わないでくれ、頼むから!!」
「仕方ないなぁ。というわけで、格好良いオーウェンさんは僕達兄弟の秘密なんだよ。ごめんね、兄さん」

「……兄弟だけの、な……」
「良い玩具をみつけたようで何より、と言っていいのでしょうか……」
「エルザさんとお付き合いするのって、大変なんですね……」
「ほんとにな。尊敬するわー……」

「……哀れなものを見る目をするな!!」

 わいわいと騒ぐスペードの方達を呆然と見つめていたら、スペードのキングが振り返った。

「君らもこちらに来なさい。ダイヤでの仕事はもうしなくて良いから。厳しい物言いをして悪かったな。君らの立場でエルザの味方をするのは難儀だっただろう。心から礼を言う」
「は、あ、いえ……勿体無いお言葉で……」

 反射的に頭を下げたが、心臓の震えは治らなかった。
 隣にいるザックに目を向ける。友人は顔をここ数日で一番青く染めていて、震える唇が「伝えてない」と動いた。そうだ。俺の言葉はソフィアに遮られて──。

 喉の奥から悲鳴のような声が飛び出した。

「スペードの10は怪我をされております!!!」

 和気藹々としていた空気が一転して凍りつき、全員が柵を乗り越える勢いでスペードの10に注視した。

「どこをだ!!」

 スペードのキングに問われて、ザックが「右手です! 俺を庇う時に剣を素手で受け止められて……っ」と叫んだ。
 可愛らしい女性は震える手で口元を覆い、スペードのクイーンがすぐにエルザを下げろとダイヤのキング方に命じている。
 スペードのジャックは「素手でなんて僕でもやらないよ……」と青ざめ、レグサス様が額に手を当て呆れたのポーズを取り、スペードのキングと共に柵の向こうを見ている。

「見てみろよ、ルーファス。あいつ、右手を隠してやがったぞ……ったく、利き手に怪我して、なんだって出場する気になったんだか……」
「楽しそうだからではない、とは言い切れんのがなんとも……あんの馬鹿は本当に……っ」

 呆れと苛立ちからか、スペードのキングが歯軋りする音がした。

 オーウェン様にはまた胸ぐらを掴まれ、揺さぶられながら怪我の具合と治療は誰がしたのかと尋ねられた。
 答えた瞬間には乱雑に胸元が離されて「エルザのもとへ行きます」とオーウェン様が駆け出そうとした、時だった。

『観客の皆々様方、大変長らくお待たせいたしましたぁー!!』

 特別なショーの時にしかされないアナウンスが、闘技場中に響き渡った。



『さぁさぁ! 本日は特別な皆様方に特別なショーをご覧に入れてみせましょう! 我が闘技場のアイドル! ベティのショーの開幕です!!』

 心臓が止まるかと思った。

 ベティ。

 この名前は、ダイヤに生まれた者なら誰でも知っている。

 闘技場の檻が開き、その中身が一歩外へと踏み出すたびに、ズシンと闘技場が揺れたようだった。
 観客の興奮が最高潮に達し、歓声が割れんばかりに響く。

 ズシンズシンと何度も揺れて、日の光の元に、それが姿を現した。

 その名前は、ダイヤの国の子供達が恐れる、母親の定番の脅し文句だ。

『言うことを聞かないと、ベティがお前を食べに来るよ』と。

 円形闘技場のアイドル。
 大罪を犯した罪人の処刑が彼女のショーと呼ばれている。

 ベティは、人食いの大虎だ。



「なん、で……ベティが……」

 俺はこの悪趣味なショーが好きではなくて、見たことは一度もない。俺と同じなのだろう多くの観客が、既に席を立ち静かに逃げていく姿が見えた。
 口元に手を当てている者は恐らく過去に見てトラウマにでもなったのだろう。

 ベティがズシンズシンと前進し、繋がれたままの鎖によって、その歩みが止められた。
 その鎖ですらここから見ても、スペードの10の体ほどの太さがあるものだ。

「…………俺が行く」

 さっと剣を抜き放ち、そう言って柵に足をかけたのはスペードのキングだ。
 慌ててスペードのクイーンと9がその腰を押さえた。

「待ちなさい! キング自ら行くものではありません! ……私が行きます」
「クイーンも駄目だっての! お前らちょっと落ち着……ノエル! お前も待て!」

 押し問答をする横からスペードのジャックが柵を飛び越えようとしていて、その首根っこがスペードの9によって掴まれた。

「じゃあ誰が行くんだよ!! 素手でエルザにあんなのと戦わせるわけにいかないだろ!!」

 まるで兄上であるスペードのキングのような口調で、スペードのジャックが怒鳴った。

「お前らを行かせるわけにいくか!! ルーファスじゃ火がとろくせーし、ゼンは体力がない。ノエルはあんなのに剣だけで近付かせられるか! 一発くらえば骨が砕けるぞ! 俺が」

 負けじと怒鳴ったスペードの9が剣に手をかけた時、静かな声がした。

「俺が行きます」

 その静かさの中に込められた明らかな怒りには、ここにいる全ての人が口を噤むほどだった。

 わずかな逡巡の後、スペードのキングが柵から離れてオーウェン様の前に立った。
「オーウェン……あのな、言いたかないが……」
「俺では足手まといになると仰るのでしょうが、承知の上です。ショーン様ほど影を使いこなせていない俺では、あの虎を拘束出来るだけの影が操れませんし、エルザを掬い上げるには距離が足りません。ですから、俺もあそこにいく必要が」
「それじゃあエルザを持ち上げてる間、お前が無防備になるだろ。自分が死ぬつもりで言ってんなら聞けねぇぞ」
「あなたの許可は求めていません。時間がありませんので、失礼します」
「……このやろう……待てっつってんだ!」

 オーウェン様の胸倉を掴み、スペードのキングが怒鳴る。
 その緊迫した空気の中で──観客の視線を一心に浴びた人の声が、闘技場中に恐ろしくよく、通った。

「虎を見るのは初めてよ! 意外と大きいのね!」

 …………。

 観客の全てが、ポカンと口を開けたまま固まった。
 その中で唯一、耐性のあったらしい人が柵へと走り寄り、叫んだ。

「動物園じゃないんだぞ!! このっ、馬鹿が!!!」

 オーウェン様のその叫びは恐らく、観客全ての総意であると、思った。
しおりを挟む
感想 109

あなたにおすすめの小説

【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。

樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」 大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。 はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!! 私の必死の努力を返してー!! 乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。 気付けば物語が始まる学園への入学式の日。 私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!! 私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ! 所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。 でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!! 攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢! 必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!! やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!! 必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。 ※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~

白金ひよこ
恋愛
 熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!  しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!  物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?

【完結】私ですか?ただの令嬢です。

凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!? バッドエンドだらけの悪役令嬢。 しかし、 「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」 そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。 運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語! ※完結済です。 ※作者がシステムに不慣れな時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///)

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...