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第二章

32 ピュア系弟属性

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「俺と話すくらいで、そんなに楽しいってこともないだろ。……相槌くらいなら、してやってもいいけどさ」

 この人が話したいと言うなら相手くらいはしてやろうと思う。牢に入れられて退屈しているのだろうし、何より恋人が怖い。

「もちろん楽しいわよ。ありがとう! グレン君は、ここで働いて長いの?」
「アカデミーを卒業してからだから、そうでもないよ。まだ二年目だ」
「じゃあ今年で十九歳になるのね? ノエルよりも年下か……これはいい素材だわ……っ」

 他愛もない話題で、のんびりと話をする。
 この女性の昨晩と変わらない姿には、まさか先輩にからかわれたのかと疑うほどだったが──あの先輩の目は、ふざけているようには見えなくて。
 相槌を打ちながらも頭の中は、下された理不尽な命令に、支配されていた。

「それでね、白ウサギ殿が蹴飛ばされて」
「なぁ」

 楽しそうに話すのを、遮った。

 気付かない振りをすれば良かった。この人の優しさに甘えて、交代の時間まで素知らぬ顔で楽しい時間を過ごせば良かったのに。

「今日の晩飯、なんだった」

 まるで世間話のように、問いかけた。
 声が震えてしまいそうだった。

 スペードの10は、わずかにも迷わずに笑顔を浮かべた。

「パンとシチューだったわ。美味しかったわよ」

 俺は、自分が情けない。檻の中のこの人が笑って言ったのに。表情を取り繕うことすら、出来ないなんて。
 俺の表情に、スペードの10は全てを察したようだった。

「……なんだ。知ってたのね。グレン君が気にすることじゃないでしょう。スペードのキング方も来てくださっているのだし、どうせすぐに出られるわ。数日何も食べないくらい、どうってことないわよ」

 本当になんてことない様子で言われた言葉に、返事ができなかった。



 昨日の晩は確かに運ばれてきていたのを、俺がこの目で見ている。
 今朝は? 先ほど、命令を伝えてくれた先輩が担当だったはずだ。つまり、先輩は今朝命令を聞いて──従ったのか。
 この人は、今朝から何も食べていないということになる。

 テーブルに置かれたグラスに水を注いだ。見張りの兵士用の飲み水だ。スペードの10の前で、一口含んで飲み込んでから、グラスを渡す。

「……そんなに話してたら、喉が乾くだろ」
「飲み水も渡すなって、言われていないの? グレン君が叱られない?」
「水は言われてない。……いいから、さっさと飲んで、グラス返せよ」

 どうせ誰も来ないだろうが、少し焦る。水は渡すなと言われてないのは本当でも、かなりグレーゾーンだとは思う。
 俺の立場を理解してか、この人はすんなりと受け取ってグラスに口をつけた。

 喉がコクコクと上下して、一気に飲み干した。グラスを離し、濡れた唇を舌で舐める姿に、頬が、火がついたように熱くなって──あの鋭い視線を思い出して頭を振った。

「はぁ……生き返ったわ。本当はね、喉はちょっと乾いてたのよ。助かったわ。ありがとう」

 返答に困り、グラスを戻すフリをして返事をしなかった。

 ソフィア様は知っているのだろうか。
 人は水がなければ数日も保たないと。

 知っていて、命令したのなら──。



 ああ、もう。命令違反は今更だ。
 ポケットから包んだパンを取り出して、鉄格子の隙間に押し込んだ。

「俺の夜食にするつもりだったけど、腹いっぱいだから、その、食っていいよ」

 瞬いた水色の視線に、体がむず痒くなる。その視線から逃げて、包みから手を離せば、スペードの10は地面に落ちる前にそれを手に取った。

「……これはさすがに貰えないわ。叱られるだけじゃ、済まないわよ」
「夜食を捨てただけだし。あ、あんたが食えば、証拠も残らないだろ」

 返されては困ると離れたところに移動して、まだ話しかけてくるのを無視した。
「いただきます」と聞こえてきて、体から力が抜けるようだった。自分で思っていたよりもずっと、俺は気を張っていたらしい。この女性に少しでも食事を取らせられたことで、ものすごく安堵していた。

「ねぇ、グレン君。そんなところにいないで、戻ってきて。寂しいわ。お話ししましょうよ」

 甘えたように言われて口を引き結ぶ。この人は牢に入れられて心細いだけだ。あの怖い恋人を思い出せ。

 顔が緩まないよう気を付けて、檻の前に腰を下ろした。
 鉄格子の隙間から包み紙を返される。

「本当にありがとう。やっぱりお腹がすいてたのね。すごく美味しかった。グレン君がいてくれて本当に良かったわ。あなたがいなければ、もう心が参っちゃってたかも」
「……あっそ」

 笑顔が眩しくて、目を逸らす。親しく話せば話すほど、絡みとられるように心が寄せられていって、逃げ場をなくしていく。

「迷惑ついでに、一つお願いがあるんだけど……」

 スペードの10がこちらに身を乗り出して来て、鉄格子に手を添えた。

 思いの外、鉄格子の近くに腰を下ろしてしまっていたせいで、目の前に座られているようだった。息がかかるような錯覚に、逃げられなくなる。

「な、なんだよ。聞けるかは、わかんないぞ」

 昨夜のこの人と恋人の逢瀬を思い出す。あの時も鉄格子に添えられていた手は、今、俺にも触れられるところにあって──。

「あのね、頭を撫でさせて欲しいの! 可愛い男の子不足で、心が癒しを求めてるのよ!」

 ……………………頭を…………撫で……?

 伸ばされた腕から、壁際まで飛び退いて、一気に逃げた。

「な、なな何を言うかと思えば……っあ、あんた、馬鹿なのか!?」
「あー、もうちょっとだったのに……」
「恋人がいるくせに、そ、そういうの、良くないぞ! そもそも可愛い男の子ってなんだよ!? 俺もう十九だぞ! 大人の男だ!!」
「いやいや、二十歳以下なら全然範囲内というか、むしろちょっと大人ぶって背伸びしてるとこがポイント高くって」
「なにわけわかんないこと言ってんだよ!!」

 これが牢に放り込まれた女のすることか!?

 俺の悩みが馬鹿みたいに思えるほど、スペードの10は楽しそうに笑っていて、心臓があらゆる意味でうるさく騒いだ。

 結局、言葉巧みに引き寄せられて、散々頭を撫でまわされた。
 細い指が頭を梳く心地よさに、体中が熱くなって、恋人はこの手にキスしたりするんだろうな、などと考えて、正気を保った。
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