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第一章
63 補佐は資格を失った
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聞き慣れたノックの音が響き、キングの返事を待たずに扉が開いた。
そんなことが出来る者は限られる。
「ルーファス、ゼン。少し休憩にして、お茶でもどう? ケーキを買ってきたの」
いつもよりもかなり大人しく、元気がないように思えるエルザ殿は部屋に入るなりそう言って、こちらに目を向ける。空色の視線が俺とぶつかり、瞳をわずかに揺らした。
「オーウェンに……ララも。珍しい、組み合わせね」
「少し話しててな。俺はケーキは要らねぇよ」
キングが立ち上がり、エルザ殿の元に歩き出す。クイーンもまるでため息のようにわずかに息を漏らして、後に続いた。
「チョコレートケーキだから、少しなら食べられるでしょう。甘くないやつよ」
「あなたは、もうすでに食べてきたのでは?」
そう言ったクイーンはエルザ殿の空色の髪を一房手に取り、口元に持っていく。
「甘い香りがしますが」と零した。
キングはエルザ殿の肩に触れた。そのままエルザ殿の口元に唇を寄せて舌で触れ「ケーキ。付いてたぞ」と、言った。
それらは、言葉をなくし、ただ見つめるだけの俺に見せつけるように行われて。
「うそっ、気付かなかったわ……ありがとう」
恥ずかしげに眉尻を下げてお礼を言うエルザ殿だが、きっと恥ずかしいのはケーキのかけらを付けて歩いてきたことに対してだろう。
キングとクイーンに囲まれて、あそこまで平然としていられるのはこの人だけだ。
そしてそんな三人を見つめて、先程の甘い認識を悔いた。
いや、これはある種、キングの親切心なのかもしれない。
動いた後で思い知らされては、もうこの人の近くにいることさえ、出来なくなってしまう。
考えるほどに呼吸の仕方が思い出せなくなり、息が苦しい。
早く部屋から出てしまいたいと考える俺の前に、エルザ殿が駆け寄った。
「良かったら、二人も食べない?」
どうしても顔を見ることが出来ない俺を尻目に、ララさんが先ほどとは打って変わって可愛らしくはしゃいだ声をあげた。
「はい! それなら、私はお茶を淹れますね! ……きゃあっ」
ソファから立ち上がり、歩き出した途端、ララさんが足をもつれさせて倒れかける。
思わず体が動いたが、それよりも当然のように早く、エルザ殿がしっかりとララさんを受け止めていた。
「大丈夫?」
「すみませんっ! ありがとうございます」
そう言いながら、ララさんの細い腕はしっかりとエルザ殿の腰に回っていて。
扉の前に立つ二人へと、口角の上がった笑みを向けたのが見えた。
その笑みに思わず戦慄した。
この女、受けて立ちやがった……!
あれだけの牽制を受けてなお、食い下がるだけの胆力がこの華奢な背中にあるのかと、畏れすら抱いた。
俺には到底出来ないことだ。
そっと立ち上がる。ララさんに抱きつかれたままのエルザ殿が、こちらに目を向けた。
「オーウェンも、一緒に食べない?」
「私は結構ですので下がらせていただきます」
足早に扉に向かうも、エルザ殿に捕まる。恐れるような瞳を真正面から受け止めてしまった。
「でも、チョコレートケーキが好きだって言っていたでしょう?」
「……そんなこと言いましたか?」
本当に覚えがなくて、思わずいつも通りの調子で聞き返してしまった。
「え? でも、この間ハンプティのフォンダンショコラが美味しくて好きだって……」
ハンプティのって……あれか!
ぶわっと顔からまさに火が出て全身に燃え広がるように熱くなるのを感じた。
思い出した……っ!
「今日は本当に遠慮します私はこれで失礼いたします!!」
思わず大声でまくし立てて、キングとクイーンへの礼もそこそこに部屋から飛び出した。
思い出した。
確かに好きだと言ったのだ。
でもそれはケーキがというわけではなく、あの人と食べるケーキは、なんでも美味しいという思いで。
何もこんな時に、そのことを持ち出さなくても!!
そんなことが出来る者は限られる。
「ルーファス、ゼン。少し休憩にして、お茶でもどう? ケーキを買ってきたの」
いつもよりもかなり大人しく、元気がないように思えるエルザ殿は部屋に入るなりそう言って、こちらに目を向ける。空色の視線が俺とぶつかり、瞳をわずかに揺らした。
「オーウェンに……ララも。珍しい、組み合わせね」
「少し話しててな。俺はケーキは要らねぇよ」
キングが立ち上がり、エルザ殿の元に歩き出す。クイーンもまるでため息のようにわずかに息を漏らして、後に続いた。
「チョコレートケーキだから、少しなら食べられるでしょう。甘くないやつよ」
「あなたは、もうすでに食べてきたのでは?」
そう言ったクイーンはエルザ殿の空色の髪を一房手に取り、口元に持っていく。
「甘い香りがしますが」と零した。
キングはエルザ殿の肩に触れた。そのままエルザ殿の口元に唇を寄せて舌で触れ「ケーキ。付いてたぞ」と、言った。
それらは、言葉をなくし、ただ見つめるだけの俺に見せつけるように行われて。
「うそっ、気付かなかったわ……ありがとう」
恥ずかしげに眉尻を下げてお礼を言うエルザ殿だが、きっと恥ずかしいのはケーキのかけらを付けて歩いてきたことに対してだろう。
キングとクイーンに囲まれて、あそこまで平然としていられるのはこの人だけだ。
そしてそんな三人を見つめて、先程の甘い認識を悔いた。
いや、これはある種、キングの親切心なのかもしれない。
動いた後で思い知らされては、もうこの人の近くにいることさえ、出来なくなってしまう。
考えるほどに呼吸の仕方が思い出せなくなり、息が苦しい。
早く部屋から出てしまいたいと考える俺の前に、エルザ殿が駆け寄った。
「良かったら、二人も食べない?」
どうしても顔を見ることが出来ない俺を尻目に、ララさんが先ほどとは打って変わって可愛らしくはしゃいだ声をあげた。
「はい! それなら、私はお茶を淹れますね! ……きゃあっ」
ソファから立ち上がり、歩き出した途端、ララさんが足をもつれさせて倒れかける。
思わず体が動いたが、それよりも当然のように早く、エルザ殿がしっかりとララさんを受け止めていた。
「大丈夫?」
「すみませんっ! ありがとうございます」
そう言いながら、ララさんの細い腕はしっかりとエルザ殿の腰に回っていて。
扉の前に立つ二人へと、口角の上がった笑みを向けたのが見えた。
その笑みに思わず戦慄した。
この女、受けて立ちやがった……!
あれだけの牽制を受けてなお、食い下がるだけの胆力がこの華奢な背中にあるのかと、畏れすら抱いた。
俺には到底出来ないことだ。
そっと立ち上がる。ララさんに抱きつかれたままのエルザ殿が、こちらに目を向けた。
「オーウェンも、一緒に食べない?」
「私は結構ですので下がらせていただきます」
足早に扉に向かうも、エルザ殿に捕まる。恐れるような瞳を真正面から受け止めてしまった。
「でも、チョコレートケーキが好きだって言っていたでしょう?」
「……そんなこと言いましたか?」
本当に覚えがなくて、思わずいつも通りの調子で聞き返してしまった。
「え? でも、この間ハンプティのフォンダンショコラが美味しくて好きだって……」
ハンプティのって……あれか!
ぶわっと顔からまさに火が出て全身に燃え広がるように熱くなるのを感じた。
思い出した……っ!
「今日は本当に遠慮します私はこれで失礼いたします!!」
思わず大声でまくし立てて、キングとクイーンへの礼もそこそこに部屋から飛び出した。
思い出した。
確かに好きだと言ったのだ。
でもそれはケーキがというわけではなく、あの人と食べるケーキは、なんでも美味しいという思いで。
何もこんな時に、そのことを持ち出さなくても!!
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