39 / 206
第一章
39 補佐のプロローグ
しおりを挟む
むっつりと黙り込んだ女性と手を取り、音楽に合わせて足を動かす。
「いつまで拗ねてるんですか」
「……拗ねてないわよ」
確実に拗ねている。
キングとララさんのことが気がかりな様子のエルザ殿を慰めるつもりで言った言葉は、どうやら彼女の勘に触ったらしい。
どうしたものかと悩んだ俺は、何を思ったのか彼女にダンスを申し込んでいた。
てっきり断られるだろうと思ったのにエルザ殿は更に口を尖らせて「いいけど……」とぼそりと呟いた。
そして今、音楽に合わせて流れるように踊っている。
なぜこんなことにと自問自答しながら、繋いだ手に、腰に添えた手に、汗が滲んでいないか心配になった。
心臓はずっと呆れるほどに脈打ち続け、視線もどこに合わせればと戸惑い彷徨う。ダンスとはそういえば密着するものだったなと混乱する頭で考えていた。
「……エルザ殿とダンスする日が来るとは、思いもよりませんでした」
混乱を悟られないようにいっそあっけらかんと言ってみれば、エルザ殿は拗ねた表情のまま視線だけ上に向ける。
「そうね」
ああ、これは完全に拗ねている。どうしよう。
言葉を探して焦る俺に、エルザ殿は小さく息を吐いた。
「……ミアとは、どうなの。今も会ったりしてる?」
「は?」
誰だ?
「誰ですか、それ」
心当たりのない名前に小さく首をかしげると、ぽかんと口を開けたエルザ殿が小声で怒鳴る。
「ミアよ! ジュノ様の孫の! 紹介されたでしょう?」
「ああ!」
思い出したが、それと同時にジュノ様の言葉も思い出した。
あの日、ジュノ様は帰る馬車の中で俺に言ったのだ。「孫を紹介する必要はなくなっちゃったねぇ」と。
はっきりと意味がわかった俺はお断りを入れて、結局お孫様とは会うことがなかった。
「紹介されてませんので、一度も会っていませんよ」
「えっ、そうなの? どうして?」
「さ、さぁ、どうしてでしょうね」
おじいちゃんがこんな優良物件を手放すとは……とブツブツ言う彼女の機嫌がわずかに浮上したことがわかった。
ほっと安堵する俺の中に疑問が生まれる。
――どうして、そんなことを気にするのですか。
心の中で問いかければ、湧き上がるのは欲だ。あの日、心の深いところにしまい込んだままの欲が。
何か別の話題をと考える頭と堪える欲が、心の中でせめぎ合う。
「あなたこそ……リドと食事に行ったと、聞きましたが……」
欲と理性の間で紡がれた言葉はどちらも満たすものだが、幾分か欲が勝ってしまった。
「え? ああ、あの人。とてもいい人ね。楽しかったわ」
いつの間に拗ねた気持ちが落ち着いたのかエルザ殿が笑顔で答える。
その答えには思わず苦笑した。あいつはよく好みの女性を食事に誘うのだが、決まって言われるそうだ。いい人だけど恋人には、と。俺は心の中でリドに合掌した。
話題がまた途切れて、音楽だけが二人の間に流れる。
頭の中を支配するのは先ほど湧いた疑問だけ。
「どうして……」
流れ出た言葉に、口から出てしまったのかと焦ったが、これは俺の声ではなかった。
「……なにがですか」
「……なんでもない」
本当になんでもなければ、出ない言葉だ。それは。
「エルザ殿。なんですか」
教えてください。どうして、あなたは。
エメラルドを着けて来られたのか。
「いつまで拗ねてるんですか」
「……拗ねてないわよ」
確実に拗ねている。
キングとララさんのことが気がかりな様子のエルザ殿を慰めるつもりで言った言葉は、どうやら彼女の勘に触ったらしい。
どうしたものかと悩んだ俺は、何を思ったのか彼女にダンスを申し込んでいた。
てっきり断られるだろうと思ったのにエルザ殿は更に口を尖らせて「いいけど……」とぼそりと呟いた。
そして今、音楽に合わせて流れるように踊っている。
なぜこんなことにと自問自答しながら、繋いだ手に、腰に添えた手に、汗が滲んでいないか心配になった。
心臓はずっと呆れるほどに脈打ち続け、視線もどこに合わせればと戸惑い彷徨う。ダンスとはそういえば密着するものだったなと混乱する頭で考えていた。
「……エルザ殿とダンスする日が来るとは、思いもよりませんでした」
混乱を悟られないようにいっそあっけらかんと言ってみれば、エルザ殿は拗ねた表情のまま視線だけ上に向ける。
「そうね」
ああ、これは完全に拗ねている。どうしよう。
言葉を探して焦る俺に、エルザ殿は小さく息を吐いた。
「……ミアとは、どうなの。今も会ったりしてる?」
「は?」
誰だ?
「誰ですか、それ」
心当たりのない名前に小さく首をかしげると、ぽかんと口を開けたエルザ殿が小声で怒鳴る。
「ミアよ! ジュノ様の孫の! 紹介されたでしょう?」
「ああ!」
思い出したが、それと同時にジュノ様の言葉も思い出した。
あの日、ジュノ様は帰る馬車の中で俺に言ったのだ。「孫を紹介する必要はなくなっちゃったねぇ」と。
はっきりと意味がわかった俺はお断りを入れて、結局お孫様とは会うことがなかった。
「紹介されてませんので、一度も会っていませんよ」
「えっ、そうなの? どうして?」
「さ、さぁ、どうしてでしょうね」
おじいちゃんがこんな優良物件を手放すとは……とブツブツ言う彼女の機嫌がわずかに浮上したことがわかった。
ほっと安堵する俺の中に疑問が生まれる。
――どうして、そんなことを気にするのですか。
心の中で問いかければ、湧き上がるのは欲だ。あの日、心の深いところにしまい込んだままの欲が。
何か別の話題をと考える頭と堪える欲が、心の中でせめぎ合う。
「あなたこそ……リドと食事に行ったと、聞きましたが……」
欲と理性の間で紡がれた言葉はどちらも満たすものだが、幾分か欲が勝ってしまった。
「え? ああ、あの人。とてもいい人ね。楽しかったわ」
いつの間に拗ねた気持ちが落ち着いたのかエルザ殿が笑顔で答える。
その答えには思わず苦笑した。あいつはよく好みの女性を食事に誘うのだが、決まって言われるそうだ。いい人だけど恋人には、と。俺は心の中でリドに合掌した。
話題がまた途切れて、音楽だけが二人の間に流れる。
頭の中を支配するのは先ほど湧いた疑問だけ。
「どうして……」
流れ出た言葉に、口から出てしまったのかと焦ったが、これは俺の声ではなかった。
「……なにがですか」
「……なんでもない」
本当になんでもなければ、出ない言葉だ。それは。
「エルザ殿。なんですか」
教えてください。どうして、あなたは。
エメラルドを着けて来られたのか。
0
お気に入りに追加
1,162
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
モブ令嬢ですが、悪役令嬢の妹です。
霜月零
恋愛
私は、ある日思い出した。
ヒロインに、悪役令嬢たるお姉様が言った一言で。
「どうして、このお茶会に平民がまぎれているのかしら」
その瞬間、私はこの世界が、前世やってた乙女ゲームに酷似した世界だと気が付いた。
思い出した私がとった行動は、ヒロインをこの場から逃がさない事。
だってここで走り出されたら、婚約者のいる攻略対象とヒロインのフラグが立っちゃうんだもの!!!
略奪愛ダメ絶対。
そんなことをしたら国が滅ぶのよ。
バッドエンド回避の為に、クリスティーナ=ローエンガルデ。
悪役令嬢の妹だけど、前世の知識総動員で、破滅の運命回避して見せます。
※他サイト様にも掲載中です。
深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる