竜攘虎搏 Side Tiger

怜悧(サトシ)

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 まるで砂を噛むような朝飯を三人で食べて、父親が帰ったあとで、オレは皿を洗っている士龍に詰め寄った。
「士龍…………、ウソだよな。別れるとか」
 父親を安心させるためだけの、嘘も方便で芝居をしていたと言って欲しくて、背中からその体に抱きつく。
「俺が、終わりだッて言ったら、もう、終わりなんだよ。…………しつけえな」
 邪魔だというようにグイっと力任せに体を剥がされて、取りつく島のない態度にオレはグッと拳を握りしめた。
 どんなに脅しても態度を変えなかった男は、オレがアイツの息子だと知った途端に豹変したのだ。
「あんな奴の言うことなんか、気にしなけりゃイイだろ!なんだよ、オレとアイツだったら、アイツの方とるんかよ!」
 ぐっと肩を砕けるほどの力で握って揺さぶると、拳を握り返してガラスのような緑色の目がオレを見据えて、静かに告げた。
「ああ、そうだ」
 あんな男をオレよりも優先することが、何より許せなくて。そして告げられた言葉も、全部覆したくて必死で食らいつく。
「なんでだよ!アンタも捨てられたんだろ!アイツのこと恨んでねえのかよ。オレは絶対別れねーからな!」
 どうにかしたいと、捕まえようとするがひらっと難なく交わされ、オレは空を抱き締める。
「捨てられたと恨むのは、俺はスジ違いだからさ」
 少し寂しげな声が響く。その体を抱きしめることもできなくて、オレはぎゅっと拳を握りしめた。
「こうやって俺が生きてるのは、とーちゃんのお陰だ。オマエが別れないなら、俺はここで死んでもいい」
 静かな声でオレに告げる言葉が、痛くて胸に刺さる。
 あんな奴のために死ぬとか訳がわからねえ。
 思わずその胸倉をぐっと掴み上げると、困った表情で士龍はオレに微笑みかけた。
「な、に、言っちゃってんだよ。冗談でも…………バカなこと言ってんじゃねえよ。あんな、仕事のことしか考えてないような、非情な父親の為に死ぬとかアホ言うな」
 頭に血がのぼってしまい、握りしめた士龍のスエットがしわくちゃになっている。
 士龍はオレの手を掴むとぐいっと体を振りほどいて、オレを静かに見返す。
「……冗談じゃねえよ。なんなら、今ココで死んでみせるし、別にオマエが俺をブチ殺しても構わないよ」
「んな、ヒデェこと言ってんじゃねーよォ、オレはオマエのこと愛してンのに…………」
 やっと自分のモノにできたと思ったのに、士龍は簡単にオレから離れようとしている。離れるためなら、死んでもいいなんてことを言い始めた。
 オレは必死でその腰に腕を巻き付け、離したくないと何度もかぶりを振った。
「じゃあ、恋愛終わりか、俺の命を終わらすか、どっちにするか、たけおが決めてよ」
 その言葉に士龍を見上げると、オレの様子に面倒くさそうな表情を浮かべて、ガチャっと包丁を手にして頸動脈あたりに刃を立てる。
 肌に赤い線が浮かんできて、だらだらと血液が首筋を伝って肌を濡らしていく。そこには迷いなどまったくなくて、その刃を本気で食い込まそうとしているのが分かった。
 この言葉は脅しではない。
本気の覚悟のある表情と、そして真剣な目をしている。
背筋が凍るような気持ちで、オレは言葉を吐き出した。
「し、士龍、テメェ、な、なにしてんだよ、馬鹿野郎ォォ、分かった、も、分かったから……別れっから、ヤメてくれ!」
 立ち上がって薄ら笑いを浮かべている士龍の腕を掴んで見上げると、首から赤い鮮血が首筋からシャツを羽織った胸元まで垂れ落ちてきて滲んでいる。
カレを失った事実を、オレは受け止められなくてどうしていいのかもわからず、ただ包丁を握っているその手を無理矢理刃物を奪い取ると、シンクにガチャンと投げ捨てた。
「死ぬな、よ…………死ぬとか…………いうな、よ」
涙が出るほど泣いたことなんか、いままでに、ない。
止まらないし、どうしたらいいのかわからない。
頭に血に濡れた手を置かれる。
「…………ゴメンね。虎王。…………ありがとう…………」
謝ってるのか。何に対して、謝って、お礼しているんだ。
……感情がまるでこもらない声だ。
いや、感情を一切消してしまっているのかもしれない。
いつも感情でしかしゃべらない男が、感情を伏せてオレに声をかけている。
緑色の瞳は本当にガラスのように無機質に見えて、何の感情すら、見えない。
哀しいのか、寂しいのか、辛いのか……なにもわからない。
なあ、士龍は、苦しくないのか。オレを苦しいほど好きだと言ってたのは、あれは嘘だったのか。
嘘なんてつけないのを知ってるのに、そんな風に思う。
兄弟だったってだけで、それだけで簡単に手放せるってのかよ。
そんなの男同士だっていうのも禁忌だし、兄弟だとしてもそれは同じだろう。子供を作るわけでもない、遺伝子的な問題なんか気にならないだろう。
ダメだと言う理由がわからない。
「アンタが、大事だ。死なせたくないから、オレは……」
だから、オレは選ぶしかないだろう。
ずっと手放せなかった。傷つけたとしても、脅しても手放せなかったのに。
未練タラタラでオレは士龍のズボンの裾をぐいと掴む。
たった三日だ。
……何一つ、アンタにしてやれなかった。
恋人として過ごすより、脅していた期間の方が長いだなんて、なんだか、やるせない。
「分かってる。俺は…………オマエの気持ちに………つけこんだ。だから、オマエは俺を…………許さなくて、いい」
いつものふわっとした口調とは違う、どこか強い意思を含んだ言葉に完全に叩きのめされ、オレは士龍の裾から指を外して頷いた。

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