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第二話 イザリス砦に棲む獣
黒のヴァネッサ Part.2 ★
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両者の合意さえあれば面倒な手続きなど不要なのが、決闘の良いところだ。必要なのは場所と得物それから立会人程度。礼儀正しい欧州でどのような決闘が行われているかは知らないが、ここ西部における紳士達の流儀はより単純だ。
表に出て撃ち合う、これだけ。
東海岸の自称文明人には恥ずべき過去の歴史なのだろうが、西部においては未だにまかり通る常識である。なにしろ娯楽が少ないのだ、ポーカーの観戦と同じように縛り首が見世物になるのだから、決闘がその受け皿から漏れようもない。
決まってしまえば話も早く、レイヴンは全員を通りへと連れ出す。
「仲介人は俺が引き受ける、異存は?」
「ない」とパコが言った。
「吾もだ」とヴァネッサが答えた。
本音を言えば、誰だって良いのだろう。
しかし、自ら決闘を進言した身なので、レイヴンは一応、仲介人としての役目を務めていた。するとその間にも、通りの両側は観客で溢れていくのである。殺気立った二人が仲介人を挟んで睨み合っていれば、その先にあるのは彼等にとって見慣れた光景なのだ。
「OK、それじゃあ仲介人としての宣言をしておく。相手が憎かろうが決闘は決闘だ、どうせどっちかが死ぬまでやるんだろうが、俺が間に立つ以上、卑劣な真似をしやがったら俺が撃ち殺してやる、いいな」
両者、首肯。
レイヴンが続ける。
「背中合わせで始める。カウントに合わせて歩き、五つ数えたら撃て」
「ルールなんざ何でもいいんだアミーゴ、早いとこ始めよう」
「まあ焦るなよ」
逸るパコを宥めてから、レイヴンは対戦相手に声をかける。ヴァネッサも準備万端らしい雰囲気を漂わせているが、一つ気になる事があった。
これから決闘をするというのに、彼女は必要な得物を持っていないのだ。だからレイヴンは自分が提げている拳銃をゆるりと抜いて、ヴァネッサへと差し出した。
「使えよ」
「……意図が読めんぞ、小僧」
「銃は持ってないんだろ、普通の銃はよ」
レイヴンが握るは使い込まれた木製の銃把。
だが握手さながらに差し出されても、一悶着あった間柄の二人であればすんなり手に取るはずがない。ヴァネッサは彼の真意を測るかのようにその銃把を見下ろしていて、その眼差しには疑念がありありだった。
「不要だ、銃は好かんのでな」
「……安心しろよ、弾ならちゃんと込めてある」
「ふ、同じ言葉を吾が述べたとして、小僧は信じるか?」
成る程馬鹿馬鹿しい質問で、レイヴンも苦笑を隠しきれない。
「言うに及ばずだ、小僧。始めよう、準備は万端整っている」
「そこまで言うなら、どうぞお好きに」
銃をしまい、背中合わせで立つ二人を眺めながらレイヴンは後ずさって一応の距離を取る。まかりちがって流れ弾なんか喰ったら目も当てられない。それは他の観衆も同じ筈なのだが、野次馬魂の方が勝っているのか、皆堂々と通りの両側で観戦の構えを見せていた。
ただ一人、不満げに声をかけたアイリスを除いては。
「ほんとうに決闘するんです? レイヴン?」
「当人達がやるって言ってんだ、口挟むだけ無駄だ」
そもそもが解決不可能なくらいに拗れてしまった話なのだ。今更、食卓囲んで仲良しこよしは無理な相談で、パコ達にとって唯一の解決はヴァネッサの死で揺るがない。いくらヴァネッサが説き伏せようにも、銃が先に出る相手では最早、決闘裁判に委ねるほか彼女にも選択肢が残されていないのだ。
となれば、現在の状況はある意味では最良である。
なにより、レイヴンにもアイリスにも実害がない。勝手に撃ち合って、勝手にくたばる分には誰の懐も痛まない。
「……でも、野蛮ですレイヴン。あまりに野蛮です」
「ああ、俺もそう思うぜ」
おそらくは、決闘などアイリスの言う通り野蛮な行為だろう。言い分としても最もだが、レイヴンは同意しながらも、彼女を後ろへと下がらせた。
分水嶺はとうに過ぎ、決着はどちらかの血を持ってしかありえない。
となれば仲介人としてレイヴンが口にするべきは、薄めた慰みの羅列よりも解決に向けた5カウントである。
「一つ!」
ヴァネッサとパコ。
静かに集中を高めていた二人は、合わせていた背中をそろりと放す。吹き抜ける砂塵がその足跡を消す。
「二つ!」
瞬きの後、レイヴンの観察眼がパコへと向く。
振返りからの抜撃ちに備え、パコの右手は銃把を握る形のままで腰の少し上に浮いていた。額に張り付く汗にも、舞い吹く砂塵にも無関心で、血走った彼の眼は背後にいるダークエルフの女を睨みつけているかのようだった。
「三つ!」
憤りよりも、騙された寂しさ。
レイヴン曰く傲慢でも、アイリスが感じるのはやはりこの感情だった。だからだろう、ヴァネッサを見つめる彼女は、どこか心配そうだった。
「四つ!」
足取りは滑らかで、スルリスルリと滑るよう。それでいて重心は安定していてブレがない歩法は戦士の足運び。涼しい表情でありながら、ヴァネッサも勝負の瞬間に備えている。
しかしだ、銃を持つ相手に対して飛び道具なし。
さてヴァネッサはどう勝つつもりか。敵対していながらも、レイヴンも注目してしまっていた。
そして――
「五つ!」
カウントと同時
弾かれた様に二人が反応
瞬間の反応はパコが速い
振返り、抜き、撃鉄を起こす
三つのアクションが同時
早撃ちとしては充分な技。だが……次の瞬間にはパコの表情は苦悶に満ちていた。
ヴァネッサはより速く、パコの喉笛に刃を突き立て、彼に銃爪を引かせなかったのだ。
傷口から血で濁った悲鳴を吐き出しながら、仰向けに倒れるパコ。その結果を見届けたレイヴンは思わず口笛を吹いていた。
何が起きたのか、把握できたのは観客のウチ何人いただろうか。
そりゃこんな離れ業を見せられては、レイヴンでも感心せざるおえない。一〇メートルは離れた相手の喉笛に、的確にナイフを投げ当てたとあっては驚きもする。
確かに動き出しで先んじたのはパコだったが、銃爪を落とすまでの刹那で形勢がひっくり返ったのだ。
ヴァネッサは五つ目のカウントを聞くや
腰を捻り上体のみを敵へと向けた
その腰に煌めくは鋭い刃
そして彼女は逆手で掴んだそのナイフを
上体の捻りを利用して投げ放ったのだ
銃を撃つのは簡単だが、撃つまでには四つの工程がある。
抜き、撃鉄を起こし、狙い、撃つ。この四つが必要だが、これこそがパコにとっては致命的な遅れとなったのだった。ほんの僅かにだが遅れが生じる銃に対して、投げナイフは全ての動作が同時に行える。これだけ聞けば、なるほどヴァネッサが勝って当然に聞こえるかもしれないが、彼女がまだ立っているのは研鑽した技があってこそ、レイヴンが同じことをしようにも叶わない。
アイリスですら「すごい……」と呟いてしまう正に神業であり、観客達も呆然としてヴァネッサを見つめていた。結果を見ても、未だに何が起きたのか理解が追いついていないのだろうが、そんな中でいち早く、思考が落ち着いた男が行動を起こす。
いや彼は……、チコは理解したのだ。
またも仲間が死んだと。
「女ァアアアアッ!」
怒声をあげて銃を抜いたチコ。
そして銃声が一つ、勝負の余韻を消し飛ばしたが、身構えたヴァネッサにはかすり傷の一つも付いていなかった。
彼女に向けられていた拳銃が地を跳ねる、撃ち落としたのはレイヴンだ。
「ぐぅ……テメェ……!」
「言ったはずだ、つまらねえ真似しやがるなら俺が殺してやるってな」
冷静だったパコならいざしらず、短気なチコが大人しくしているとは考え難い。彼が暴挙に出るのは想定内であった。
「勝負は付いた、あの女からは手を引け」
「ふ、巫山戯るな! おれが殺してやる、勝負だアバズレ! おれと決闘しろ!」
「ふざけてんのテメェの方だ」
銃を突き付け、レイヴンは凄む。まったくチコと言う男には恥という物がないらしい。
「俺のしきりでやった決闘に文句があるなら、その勝負は俺が受けてやる。さぁ拾えよ、あの世で仲間と会わせてやる」
だがやるとすれば仕切り直しなし、現状からの勝負だ。恥知らずの相手に払う敬意など、レイヴンは持ち合わせていない。銃に飛びつこうものなら、即座、風穴を空けてやるつもりで彼は立ち塞がった。ここでヴァネッサを殺されでもしたら、それこそレイヴンの面目は丸潰れになるのだ。
「忘れて去るか、死ぬかだ。さっさと選べ」
「ぐ、クソ……」
結果の判りきった決闘の申し出にチコはそう呟き、並々と復讐を滾らせながらゆっくりと後ずさる。死ぬ気はない、だが諦める気もなさそうだ。
「アミーゴ、覚えてやがれ……」
「八つ当たりするんじゃねえよ、失せろ」
「テメェもぶっ殺してやる。必ず、必ずだ……!」
奥歯を噛み砕かんばかりのチコは、そう吐き捨てるとレイヴンの前から去って行った。あれは確実に復讐に来るだろうが、別段珍しい事でも無い。決闘の結果が新たに血を流す原因になるなんてのはよくある話、誰かが死ねば、死んだ誰かの知り合いから恨みを買うのだ。新たに増える復讐者にとって、決闘に望んだ二人の決意などは、復讐を止める理由とはなり得ないのだから。
「……お前の連れは、永くは持たないだろうな」
骸となったパコの眼を閉じながらレイヴンは言う。
自分に襲いかかってきたなら勿論のこと、ヴァネッサに襲いかかっても、チコはきっとくたばる。どちらにせよ、忘れて生きる以外、彼は悲惨な最期を迎えるだろう。
違うとすれば、撃たれるか刺されるかの違いくらいだとレイヴンが考えていると、跪いている彼を、一つの人影が覆った。
「なにか言いたいなら、言えよアイリス」
「……彼の死に、意味はあったんです?」
「あった。だが、もうなくなった」
血みどろのナイフを抜きながら、レイヴンは答えてやる。
ヴァネッサにかかった疑いについては、決闘によって無罪とでた。しかし結局の所、パコの死が新たに復讐の火を灯したのだ、どちらかが死に絶えるまで決着はつかない。
「アイリスは気にしなくていい」
「でもこれじゃあ、まったくの無駄死にです。彼は命を賭したというのに、また死人が増えます。わたしには分かりません、まだ話し合いの余地はあったのに……」
「こいつにはなかった、余地も、その気もな。命張ったのはこいつの勝手、考えすぎだアイリス、身が持たねえぞ」
「食べる訳でもなく、解決するためでもない。手段の一つとして命を奪い合うなんて、やっぱり人間の考え方はおかしいです」
「安心しろ、そういう風に考える人間は少数派だ。ところで――」
ナイフを綺麗に拭き辺りを見回すレイヴンだが、その口元は不可思議にひん曲がっていた。
「どうしたんです? おかしな顔して」
「……ヴァネッサの奴はどこ行った」
「え? そこにいま…………、あれ?」
そこに彼女がいるようにアイリスは振り返る。
けれどどうだ、これまたヴァネッサは姿を消してしまっていて、足跡さえ残っていない。なので、にわかに音が返ってきた通りにあって、レイヴン達は沈黙のウチに会話をしていた。
「……レイヴン、わたしなんだかイヤな予感がします」
「奇遇だな。俺もだ」
そして案の上、レイヴンが慌てて酒場に戻ってみると、ヴァネッサの座っていた席からは綺麗さっぱり彼女の勝ち分が消えていた。
勿論、通行証共々。
「どうでした、レイヴン?」
酒場の外で待っていたアイリスに訊かれ、レイヴンはぴっちり唇を結んで首を振る。
まんまとしてやられた、しかもまた。それでも彼が激昂していないのは、ヴァネッサは自分の勝ち分以外には一切手を付けていなかったからだ。勝ち取った分だけを持ち去っている相手には怒りにくく、レイヴンが酒場前の階段に腰を下ろしていると、アイリスも彼の傍に腰を下ろした。
「うーん、あんまり言いたくありませんけど、彼女の方が一枚上手ですね」
「お前も騙されたようなものなのに上機嫌だな」
「上機嫌? わたしがです?」
「ああ、俺には笑ってるように見えるぞ」
少なくとも、アイリスの表情は沈んでいるようには見えなかった。
「……そういうレイヴンこそ、楽しんでいるように思えます」
「俺が楽しんでるって、冗談だろ」
「ふ~ん、ちがうんです?」
アイリスは無邪気に首を傾げて、レイヴンの顔を覗き込んだ。まるでお見通しですとでも言うように。
「出し抜かれた今だって怒ってるようにはとても思えません。レイヴンだって、ヴァネッサのこと気に入っているんじゃないんです? なんというか、そのぉ……興味深い女性だって」
「龍が化けてる女以上に、興味深い奴がいるとは驚きだ」
「むぅ、からかってますね」
「少しだけな」
もう一つからかってやると、ふくれっ面だったアイリスはぷいとそっぽを向く。
さて、興味深いアイリスと話していても、ただ無駄に時間が過ぎていくばかりだ。それよりも今は、どうやってイザリス砦に入るかが大切。取り逃がした通行証、もといヴァネッサに追いつくにはどうするべきか。
「もし、御二方」
レイヴンが煙草に火を点け考えていると、意外な人物が彼等に声をかけてきたのである。ぽーんと飛び出す兎のように、耳を惹き付ける声の主はシルクハットの紳士、皆様の味方を自称する商人であった。
「酒場での騒ぎは聞かせていただきました、どうやらお困りのようですな。なんでもイザリス砦に用事があるとか。わたくしでよろしければ、微力ながら助力いたしますよ」
ニッコリと口髭を吊り上げて貼り付けたような笑顔。
こんな嘘が喋っているとしか感じられない男の言うことなど、一体誰が信じるというのだろうか。
表に出て撃ち合う、これだけ。
東海岸の自称文明人には恥ずべき過去の歴史なのだろうが、西部においては未だにまかり通る常識である。なにしろ娯楽が少ないのだ、ポーカーの観戦と同じように縛り首が見世物になるのだから、決闘がその受け皿から漏れようもない。
決まってしまえば話も早く、レイヴンは全員を通りへと連れ出す。
「仲介人は俺が引き受ける、異存は?」
「ない」とパコが言った。
「吾もだ」とヴァネッサが答えた。
本音を言えば、誰だって良いのだろう。
しかし、自ら決闘を進言した身なので、レイヴンは一応、仲介人としての役目を務めていた。するとその間にも、通りの両側は観客で溢れていくのである。殺気立った二人が仲介人を挟んで睨み合っていれば、その先にあるのは彼等にとって見慣れた光景なのだ。
「OK、それじゃあ仲介人としての宣言をしておく。相手が憎かろうが決闘は決闘だ、どうせどっちかが死ぬまでやるんだろうが、俺が間に立つ以上、卑劣な真似をしやがったら俺が撃ち殺してやる、いいな」
両者、首肯。
レイヴンが続ける。
「背中合わせで始める。カウントに合わせて歩き、五つ数えたら撃て」
「ルールなんざ何でもいいんだアミーゴ、早いとこ始めよう」
「まあ焦るなよ」
逸るパコを宥めてから、レイヴンは対戦相手に声をかける。ヴァネッサも準備万端らしい雰囲気を漂わせているが、一つ気になる事があった。
これから決闘をするというのに、彼女は必要な得物を持っていないのだ。だからレイヴンは自分が提げている拳銃をゆるりと抜いて、ヴァネッサへと差し出した。
「使えよ」
「……意図が読めんぞ、小僧」
「銃は持ってないんだろ、普通の銃はよ」
レイヴンが握るは使い込まれた木製の銃把。
だが握手さながらに差し出されても、一悶着あった間柄の二人であればすんなり手に取るはずがない。ヴァネッサは彼の真意を測るかのようにその銃把を見下ろしていて、その眼差しには疑念がありありだった。
「不要だ、銃は好かんのでな」
「……安心しろよ、弾ならちゃんと込めてある」
「ふ、同じ言葉を吾が述べたとして、小僧は信じるか?」
成る程馬鹿馬鹿しい質問で、レイヴンも苦笑を隠しきれない。
「言うに及ばずだ、小僧。始めよう、準備は万端整っている」
「そこまで言うなら、どうぞお好きに」
銃をしまい、背中合わせで立つ二人を眺めながらレイヴンは後ずさって一応の距離を取る。まかりちがって流れ弾なんか喰ったら目も当てられない。それは他の観衆も同じ筈なのだが、野次馬魂の方が勝っているのか、皆堂々と通りの両側で観戦の構えを見せていた。
ただ一人、不満げに声をかけたアイリスを除いては。
「ほんとうに決闘するんです? レイヴン?」
「当人達がやるって言ってんだ、口挟むだけ無駄だ」
そもそもが解決不可能なくらいに拗れてしまった話なのだ。今更、食卓囲んで仲良しこよしは無理な相談で、パコ達にとって唯一の解決はヴァネッサの死で揺るがない。いくらヴァネッサが説き伏せようにも、銃が先に出る相手では最早、決闘裁判に委ねるほか彼女にも選択肢が残されていないのだ。
となれば、現在の状況はある意味では最良である。
なにより、レイヴンにもアイリスにも実害がない。勝手に撃ち合って、勝手にくたばる分には誰の懐も痛まない。
「……でも、野蛮ですレイヴン。あまりに野蛮です」
「ああ、俺もそう思うぜ」
おそらくは、決闘などアイリスの言う通り野蛮な行為だろう。言い分としても最もだが、レイヴンは同意しながらも、彼女を後ろへと下がらせた。
分水嶺はとうに過ぎ、決着はどちらかの血を持ってしかありえない。
となれば仲介人としてレイヴンが口にするべきは、薄めた慰みの羅列よりも解決に向けた5カウントである。
「一つ!」
ヴァネッサとパコ。
静かに集中を高めていた二人は、合わせていた背中をそろりと放す。吹き抜ける砂塵がその足跡を消す。
「二つ!」
瞬きの後、レイヴンの観察眼がパコへと向く。
振返りからの抜撃ちに備え、パコの右手は銃把を握る形のままで腰の少し上に浮いていた。額に張り付く汗にも、舞い吹く砂塵にも無関心で、血走った彼の眼は背後にいるダークエルフの女を睨みつけているかのようだった。
「三つ!」
憤りよりも、騙された寂しさ。
レイヴン曰く傲慢でも、アイリスが感じるのはやはりこの感情だった。だからだろう、ヴァネッサを見つめる彼女は、どこか心配そうだった。
「四つ!」
足取りは滑らかで、スルリスルリと滑るよう。それでいて重心は安定していてブレがない歩法は戦士の足運び。涼しい表情でありながら、ヴァネッサも勝負の瞬間に備えている。
しかしだ、銃を持つ相手に対して飛び道具なし。
さてヴァネッサはどう勝つつもりか。敵対していながらも、レイヴンも注目してしまっていた。
そして――
「五つ!」
カウントと同時
弾かれた様に二人が反応
瞬間の反応はパコが速い
振返り、抜き、撃鉄を起こす
三つのアクションが同時
早撃ちとしては充分な技。だが……次の瞬間にはパコの表情は苦悶に満ちていた。
ヴァネッサはより速く、パコの喉笛に刃を突き立て、彼に銃爪を引かせなかったのだ。
傷口から血で濁った悲鳴を吐き出しながら、仰向けに倒れるパコ。その結果を見届けたレイヴンは思わず口笛を吹いていた。
何が起きたのか、把握できたのは観客のウチ何人いただろうか。
そりゃこんな離れ業を見せられては、レイヴンでも感心せざるおえない。一〇メートルは離れた相手の喉笛に、的確にナイフを投げ当てたとあっては驚きもする。
確かに動き出しで先んじたのはパコだったが、銃爪を落とすまでの刹那で形勢がひっくり返ったのだ。
ヴァネッサは五つ目のカウントを聞くや
腰を捻り上体のみを敵へと向けた
その腰に煌めくは鋭い刃
そして彼女は逆手で掴んだそのナイフを
上体の捻りを利用して投げ放ったのだ
銃を撃つのは簡単だが、撃つまでには四つの工程がある。
抜き、撃鉄を起こし、狙い、撃つ。この四つが必要だが、これこそがパコにとっては致命的な遅れとなったのだった。ほんの僅かにだが遅れが生じる銃に対して、投げナイフは全ての動作が同時に行える。これだけ聞けば、なるほどヴァネッサが勝って当然に聞こえるかもしれないが、彼女がまだ立っているのは研鑽した技があってこそ、レイヴンが同じことをしようにも叶わない。
アイリスですら「すごい……」と呟いてしまう正に神業であり、観客達も呆然としてヴァネッサを見つめていた。結果を見ても、未だに何が起きたのか理解が追いついていないのだろうが、そんな中でいち早く、思考が落ち着いた男が行動を起こす。
いや彼は……、チコは理解したのだ。
またも仲間が死んだと。
「女ァアアアアッ!」
怒声をあげて銃を抜いたチコ。
そして銃声が一つ、勝負の余韻を消し飛ばしたが、身構えたヴァネッサにはかすり傷の一つも付いていなかった。
彼女に向けられていた拳銃が地を跳ねる、撃ち落としたのはレイヴンだ。
「ぐぅ……テメェ……!」
「言ったはずだ、つまらねえ真似しやがるなら俺が殺してやるってな」
冷静だったパコならいざしらず、短気なチコが大人しくしているとは考え難い。彼が暴挙に出るのは想定内であった。
「勝負は付いた、あの女からは手を引け」
「ふ、巫山戯るな! おれが殺してやる、勝負だアバズレ! おれと決闘しろ!」
「ふざけてんのテメェの方だ」
銃を突き付け、レイヴンは凄む。まったくチコと言う男には恥という物がないらしい。
「俺のしきりでやった決闘に文句があるなら、その勝負は俺が受けてやる。さぁ拾えよ、あの世で仲間と会わせてやる」
だがやるとすれば仕切り直しなし、現状からの勝負だ。恥知らずの相手に払う敬意など、レイヴンは持ち合わせていない。銃に飛びつこうものなら、即座、風穴を空けてやるつもりで彼は立ち塞がった。ここでヴァネッサを殺されでもしたら、それこそレイヴンの面目は丸潰れになるのだ。
「忘れて去るか、死ぬかだ。さっさと選べ」
「ぐ、クソ……」
結果の判りきった決闘の申し出にチコはそう呟き、並々と復讐を滾らせながらゆっくりと後ずさる。死ぬ気はない、だが諦める気もなさそうだ。
「アミーゴ、覚えてやがれ……」
「八つ当たりするんじゃねえよ、失せろ」
「テメェもぶっ殺してやる。必ず、必ずだ……!」
奥歯を噛み砕かんばかりのチコは、そう吐き捨てるとレイヴンの前から去って行った。あれは確実に復讐に来るだろうが、別段珍しい事でも無い。決闘の結果が新たに血を流す原因になるなんてのはよくある話、誰かが死ねば、死んだ誰かの知り合いから恨みを買うのだ。新たに増える復讐者にとって、決闘に望んだ二人の決意などは、復讐を止める理由とはなり得ないのだから。
「……お前の連れは、永くは持たないだろうな」
骸となったパコの眼を閉じながらレイヴンは言う。
自分に襲いかかってきたなら勿論のこと、ヴァネッサに襲いかかっても、チコはきっとくたばる。どちらにせよ、忘れて生きる以外、彼は悲惨な最期を迎えるだろう。
違うとすれば、撃たれるか刺されるかの違いくらいだとレイヴンが考えていると、跪いている彼を、一つの人影が覆った。
「なにか言いたいなら、言えよアイリス」
「……彼の死に、意味はあったんです?」
「あった。だが、もうなくなった」
血みどろのナイフを抜きながら、レイヴンは答えてやる。
ヴァネッサにかかった疑いについては、決闘によって無罪とでた。しかし結局の所、パコの死が新たに復讐の火を灯したのだ、どちらかが死に絶えるまで決着はつかない。
「アイリスは気にしなくていい」
「でもこれじゃあ、まったくの無駄死にです。彼は命を賭したというのに、また死人が増えます。わたしには分かりません、まだ話し合いの余地はあったのに……」
「こいつにはなかった、余地も、その気もな。命張ったのはこいつの勝手、考えすぎだアイリス、身が持たねえぞ」
「食べる訳でもなく、解決するためでもない。手段の一つとして命を奪い合うなんて、やっぱり人間の考え方はおかしいです」
「安心しろ、そういう風に考える人間は少数派だ。ところで――」
ナイフを綺麗に拭き辺りを見回すレイヴンだが、その口元は不可思議にひん曲がっていた。
「どうしたんです? おかしな顔して」
「……ヴァネッサの奴はどこ行った」
「え? そこにいま…………、あれ?」
そこに彼女がいるようにアイリスは振り返る。
けれどどうだ、これまたヴァネッサは姿を消してしまっていて、足跡さえ残っていない。なので、にわかに音が返ってきた通りにあって、レイヴン達は沈黙のウチに会話をしていた。
「……レイヴン、わたしなんだかイヤな予感がします」
「奇遇だな。俺もだ」
そして案の上、レイヴンが慌てて酒場に戻ってみると、ヴァネッサの座っていた席からは綺麗さっぱり彼女の勝ち分が消えていた。
勿論、通行証共々。
「どうでした、レイヴン?」
酒場の外で待っていたアイリスに訊かれ、レイヴンはぴっちり唇を結んで首を振る。
まんまとしてやられた、しかもまた。それでも彼が激昂していないのは、ヴァネッサは自分の勝ち分以外には一切手を付けていなかったからだ。勝ち取った分だけを持ち去っている相手には怒りにくく、レイヴンが酒場前の階段に腰を下ろしていると、アイリスも彼の傍に腰を下ろした。
「うーん、あんまり言いたくありませんけど、彼女の方が一枚上手ですね」
「お前も騙されたようなものなのに上機嫌だな」
「上機嫌? わたしがです?」
「ああ、俺には笑ってるように見えるぞ」
少なくとも、アイリスの表情は沈んでいるようには見えなかった。
「……そういうレイヴンこそ、楽しんでいるように思えます」
「俺が楽しんでるって、冗談だろ」
「ふ~ん、ちがうんです?」
アイリスは無邪気に首を傾げて、レイヴンの顔を覗き込んだ。まるでお見通しですとでも言うように。
「出し抜かれた今だって怒ってるようにはとても思えません。レイヴンだって、ヴァネッサのこと気に入っているんじゃないんです? なんというか、そのぉ……興味深い女性だって」
「龍が化けてる女以上に、興味深い奴がいるとは驚きだ」
「むぅ、からかってますね」
「少しだけな」
もう一つからかってやると、ふくれっ面だったアイリスはぷいとそっぽを向く。
さて、興味深いアイリスと話していても、ただ無駄に時間が過ぎていくばかりだ。それよりも今は、どうやってイザリス砦に入るかが大切。取り逃がした通行証、もといヴァネッサに追いつくにはどうするべきか。
「もし、御二方」
レイヴンが煙草に火を点け考えていると、意外な人物が彼等に声をかけてきたのである。ぽーんと飛び出す兎のように、耳を惹き付ける声の主はシルクハットの紳士、皆様の味方を自称する商人であった。
「酒場での騒ぎは聞かせていただきました、どうやらお困りのようですな。なんでもイザリス砦に用事があるとか。わたくしでよろしければ、微力ながら助力いたしますよ」
ニッコリと口髭を吊り上げて貼り付けたような笑顔。
こんな嘘が喋っているとしか感じられない男の言うことなど、一体誰が信じるというのだろうか。
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