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第一話 拳銃遣いと龍少女

旅路の始まりへ続くおわり

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 一気に気が抜けたのだ。

 レイヴンはまるで空気の抜けたゴム風船の残骸のようになっていて、精気と同時に記憶まで噴きだしたのか、ぼんやりと意識を取り戻した時には、なんとなく横になっていることだけがわかった。
 堅い木板の床、藁の臭いに包まれながら沈んだ微睡まどろみの底。朝焼けは現実離れした平穏と共に訪れ、昨夜の出来事を忘却の彼方へ押しやってしまうかのようだ。

 目を開けるべきだとは分かっているが、その僅かな労力でさえ億劫おっくうだった。まぶたを持ち上げたところで広がっているのは、乾いた大地があるだけで、その地平には夢も希望もありはしない。
 抱えていた諸々は泡と消えてしまった、彼が存在しているあらゆる理由と共に。意味を失った世界は虚無が広がる地獄のようで、果たして目を見開く価値があるのかどうか疑問を感じずにはいられない。

 ただ生きているという感覚に支配され、流れる時間に身を任せていると音までも遠くなってしまうらしい。水に潜っている時のように音がくぐもり判然としないが、それでもガンマンとしての本能は機能を残しているらしかった。駆け込んでくる足音を敏感に拾うと、右手は銃がある場所を知っているとばかりに勝手に飛んで、次の瞬間には朝陽の漏れる扉に狙いを定めていた。が、向こうから聞こえる声には憶えがあり、レイヴンは緊張を解く。

「兄ちゃん! レイヴン兄ちゃん!」

 勢いよく扉を開けたのはジョンだった、昨夜の騒動の後、アイリスから無事だと聞かされていた気もするが判然とせず、困惑半分といった様子でレイヴンは頷いた。朝陽が眩しく、少年の顔はよく見えないが、声から察するに元気なのだろう。シルエットにしても五体満足の様子だった。

「お前も中々タフだな、良く戻ってこれたもんだ。……クリスタルとは会えたか」

 一応は無事な姿を確認できて安堵はした。それに親父を撃ったと嘘まで付いたのだから、釈明の一つもしておきたいところだが、血相変えたジョンがそれを許さない。

「さっき寝たのを見てきた、魔法を使って疲れたって。ってか、なに呑気な事言ってんだよ、兄ちゃん! はやく来てくれよ、大変なんだって!」
「レイチェルならもういない、終わっちまった」
「なに言ってんだ、魔女じゃないよ! アイリス姉ちゃんが!」
「アイリス……?」

 小屋の床に転がった時は隣にいたような気もするが彼女の姿は無く、コートだけが床に投げ出されていた。

「あいつがどうかしたのか」
「だ~か~ら~、とにかく大変なんだってば!」

 状況がよく飲み込めないが、コーヒー片手に人生の意味を考えている暇がなさそうなのは確かで、ようやく腰を上げたレイヴンは風に混じる騒音に気が付いた。

 男数人が張り上げる大声と破壊音

 男達の声は、さながら暴れ牛と格闘するような緊張感を孕んでいたが、事態は深刻な気配だ、暴れ牛を御すだけならば銃は必要ないからだ。どんなに濃いコーヒーよりも目覚ましになるのは黒色火薬の炸裂音で、レイヴンは弾かれるようにガンベルトを引っ掴むと小屋から飛び出した。

 ジョンの案内など不要。騒ぎに向かって走れば牧場の広場に出て、そこには牧場主達が輪を作っていて、怒声と唸り声が重なり合っていた。

 嫌な予感だ。言葉を並べるより先に人垣を掻き分けると、レイヴンは輪の内側を目の当たりにする事になった。

 有角、有翼、そして鱗に覆われた尻尾。手先、足先までも人間から龍へと変化しようとしているが、何故だ。彼女が元の姿に戻れるのは月の魔力を借りている間だけ、空の支配権はとっくに太陽に移っているのに。

「何が起きてるんだボビー」
「知らんよ! 片付けをしていたら苦しそうに彼女がやってきて暴れ始めたんだ! 手がつけられん、彼女は一体なんなんだ⁉」
「……さあな。――アイリス、どうしたんだ!」
「ウウ、ウアァァァアアァァァ…………ッ!」

 誰かを切りつけたのか、アイリスは紅く染まった手で髪を鷲掴み呻き声を上げる。指の隙間では眼球がぎょろりと覗き、周囲を囲んでいる人間から獲物を探すように這いずり回っていた。

 そろり、レイヴンが歩み寄ろうとすると……

「近づいては駄目だ!」

 ボビーの警告通り、僅かに足を踏み出しただけで、尻尾が強烈な一撃を食らわせようと振られる。幸い身を引いたレイヴンに当りはしなかったが込められた意思は明らかで、餓えた獣が敵に向ける眼光と同じ輝きを、アイリスの瞳は放っていた。

 そして、危険に晒されればボビーが銃に手を伸ばすのも仕方のないことだった。

「昨夜のことは感謝している。だから彼女について聞かなかったし手は出さなかったが、このままでは、みな殺されてしまうぞ。見ろ、すでに何人も襲われている」
「銃をおろせボビー、俺がなんとかする」
「そう信じたいが彼女は人間ではない、人間に化けている龍だろう! 大人しくするように言ってるが言葉も通じなくなっているんだぞ」
「関係ねえ!」

 自分でも予想外に、レイヴンは吼えていた。

「人だろうが龍だろうが俺のダチだ、俺がなんとかする。連中連れて下がれ、あいつに傷一つでも付けたら、俺が皆殺しにしてやるからそのつもりでいろ」
「無茶だ、あんたが死んじまうぞ」
「二度も言わせるな、邪魔だから下がってろ」
「レイ……ヴン…………?」

 うずくまり、アイリスが細く呟いた。爪が食い込まんばかりに腕を抱えて彼女は震えていて、引き潮に残された魚のように一人立っている彼の姿を求めている。

「そこに、いるんです?」
「ああここにいる。落ち着け、そっちに行くぞ」
「来ないでください!」

 アイリスは叫び、尻尾を地面に叩きつけた。

「お、おねがいですレイヴン、離れてください。魔力が暴走して……自分でも、抑えられないんです……」
「友達の家を吹っ飛ばした時みたいにか。深呼吸しろ、お前なら制御できるだろ」
「そうじゃないんです、レイヴン。そうじゃないんですよ……」

 気楽に努めてなだめるレイヴンに反して、奥歯を噛み締めるアイリスは何かを我慢しているようだった。苦しげなのにどこか笑っていて、内側に見え隠れする快楽には歪んだ狂気を感じる。

「爆発させるより酷いのか?」
「ええ、とても……」
「具体的には?」
「い、い今にも皆さんを、あなたを襲ってバラバラに食い千切ってしまいそうなんです。そうしたくて堪らない……ッ! 心の奥底から、ふつふつと破壊衝動が沸いてくる、何もかも壊したくて仕方がない!」
「なるほどな、そりゃあ御免だ……何が起きてる?」

 静かに問うレイヴン。すると彼女は震える指先で離れた草むらを指さした、そこにはまだレイチェルの死体が転がっている。

「彼女ですよ、レイヴン」
「馬鹿な、とっくに死んでる。奴にはどうしようもないだろ」
「……魔法は、発動者が息絶えたとしても、消える、とは限らないんです。むしろ絶命によって効力が増す場合もあります。……呪いですよ、レイヴン。彼女は死に際、わたしを呪ったんです、抱き続けた恨みを呪詛に乗せてわたしの中に……、ウゥウゥゥッ!」
「宝珠だって取り上げたし、そもそもレイチェルは魔女じゃなかったんだろ。いったい……」

 言いさし、レイヴンは思い至る。可能性は一つだけあった。

「ああ、クソ。嘘だろ」
「そうですレイヴン。彼女は……わたし達が看取ったあの時に、覚醒したんです、魔女として。今も、彼女の記憶や感情が、わたしの心を憎しみで黒く染め上げようとしています」

 感情はコインの裏と表、一見真逆のように思えて境界は実に曖昧だ。例えば、愛憎と表わされるように、決して交わるはずの無い感情を繋ぐのが理性。そのタガが音を立てて軋んでいた。

「頭の中で、彼女の囁き声がずっと聞こえるんです。もう耐えられない……くふふっ!」
「死んでからもしつこい女だ。耳を貸すなアイリス、なんとかしてやる」

 だが、方法など浮かばない。見て触れる相手ならばなんとかできるかもしれないが、無色透明の呪いとなると銃で撃つわけにもいかないのだ。ガンマンとしての、そして人間であるレイヴンの限界は明らかで、彼は自分の無力さに歯噛みすることしかできない。

 ――またしても、死してなお魔女に友を奪われるなんて、と。

 すると、彼の自責を慰めるようにアイリスは小さく首を振る。優しい笑みを浮かべようとしているがその口元は狂気を孕み、温かい黄金の瞳には、じわりと紅が混じり始めていた。

「ウゥ……、無理、ですよレイヴン、あなたでは、どうしようもない。普通の人間に過ぎないあなたでは」
「アイリス」
「近寄らないで! どうか動かず、聞いてください。この呪いは、あなたへの想いを利用しているんです、あなたへの想いが強まれば強まるほど、わたしの心が喰われていく……」

 自らの身体に爪を立て、アイリスの白い鱗に紅い筋が奔る。

「わたしはね、レイヴン。あなたのことが好きなんです、本当に。何故なのか説明できませんが、とにかく特別な人なのだと感じるんです。こんな気持ちになったのは初めてで最初は戸惑いました、けれどあなたが与えてくれた温もりは実に居心地の良いもので……なのに、わたしの好意が募るほど、あなたのことを考えるほど、あなたの隣で空を見上げ共に時を過ごそうと願うほどに、あなたを殺めてしまうんです」
「………………」

 それ以上、聞きたくないが耳も塞げず言葉も出ず、レイヴンは黙して彼女を見つめていた。今生の別れを告げようとしている、彼女の姿をただ見つめる。

「ごめんなさいレイヴン」
「お前が謝ることじゃねえ、そうだろ」
「……もうすぐ、わたしは狂ってしまう、怨嗟えんさに駆られ、欲望と快楽に駆り立てられ、そして皆を傷つけるでしょう。抑えつけようと試みましたが、レイチェルの呪詛は世界すらも蝕まんばかりで、抗えませんでした。あなたを襲い、首筋に牙を突き立てる! そんなことしたくないのにッ! それなのにわたしの身体は最悪な想像に悦びを感じているんです! ウゥ、グゥゥゥ……」

 アイリスが屈する時は近い。だのに、助けを求める友を見捨てるしかない無力感に、レイヴンはいっそ自分を思いきり殴りつけてやりたい気分だった。見つめ返すことしか出来ないなんて情けない。

「あなたを喰らい、憎しみに狂いながら一人生きるなど、わたしには耐えられません。だからお願いです、レイヴン。わたしに、
「……ああ、分かったよ。それが、お前の望みならな」

 レイヴンは魔銃を手に取る。

 これまで何千と繰り返し、何千と行ってきた所作。銃把を握る掌、銃爪に添える指先の力加減まで洗練され、目標に狙いを付けるまでの動作は一連の流れに組み込まれているが、人差し指を絞るのだけは、これまで通りとはいかなかった。

 撃合い上等、死への恐怖も微塵もない無法者であり、数多の敵対者に鉛を見舞ってきた拳銃遣いであっても、苦い瞬間は存在する。

 撃ちたくない相手に風穴を空けるのはいつだって辛い、例え相手が望んでいたとしても。

 だが、やらねばならない。

 そして幕を引けるのは自分だけだと知っている。

 ならば撃たねばならない、他ならぬ彼女がそれを望んでいるのだから。

「ありがとう、レイヴン……」

 それが別れの言葉で、レイヴンは瞬きを返す。
 苦悶の声を上げるアイリスが顔を覆い、再び彼を見つけた時には、その瞳にアイリスはいなくなっていた。



 相手の目を見れば、そいつが自分をどう捉えているのかが直感で分かる、それがレイヴンが西部で生き抜いてこれた秘訣でもあり、その直感は正しく彼を生き存えさせる為に真実を伝える。
 黄金の瞳は怨嗟の紅に染まり、宿す感情はひたすらの敵意。猛り声を上げながら猛然と突進してくる、狂獣然とした龍の眼差しからは僅かな面影も感じない。


 だから、彼は――…………


 朝焼けに後ろ姿は寂しく佇み、その光景は一枚の絵画、或いは写真。

 銃爪はいつものように軽く、反動もいつもと同じく無味乾燥としていた。なのに人間の姿のまま倒れ伏したアイリスを見下ろすレイヴンに胸中だけは、これまでの後味とは吐き気がするくらい異なっていて、彼は暫くの間、動かなくなった彼女の姿を眺めていた。

「ねえ、レイヴン兄ちゃん……」

 静かに紫煙が昇るだけで声をかけづらい事この上ないが、勇気の大きさは身長に比例しない。無神経とも取れるかもしれないが、とにかく最初にレイヴンに声をかけたのはジョンだった。

「……アイリス姉ちゃんは」
「見なくていい。俺のコートを持ってきてくれるか、小屋に置いてある」
「でも、兄ちゃんも……」
「ジョン、頼む」

 にべも言わさぬ雰囲気であったが、それでもジョンが小屋へと戻ったのは、暫くアイリスを見つめてからで、離れる足音を確認してからレイヴンは一つ口笛を吹いてやる。
 すると、遠く稜線を超えて一頭の馬がやってきて彼に頬ずりし、それから慰めるように、或いはいたんで短く嘶いたのだった。

「兄ちゃん、お待たせ。これでいいんだよね」
「わるいな」

 レイヴンは呟き跪くと、受け取ったコートで丁寧にアイリスを包み抱き上げてシェルビーの背中に積みあげる。彼女の身体は、正体とは裏腹にほっそりとして柔らかく表情は穏やかそのもの、まるで眠っているかのようだった。

「兄ちゃん、行っちゃうのかよ」
「ああ、まあな」
「ここに残っておくれよ。また魔女みたいのが来るかもしれないし、兄ちゃんだって静かに暮らしたいんだろ?」

 誰が溢したかは明白、うっかり秘密を漏らしたジョンは気まずそうに目を逸らした。

「あ、っと……その…………」
「……アイリスから聞いたか。お喋りめ」
「アイリス姉ちゃんの秘密は、おいらもビックリしたけどさ、でも怖くなかったよ。馬車で逃げてる時に、姉ちゃんいきなり龍になったんだ、追いかけてきた奴は悲鳴上げてどっか行っちまってさ、おいらも喰われるって思った。だってすっげぇーデカいんだもん! だけど姿は変わっても姉ちゃんは姉ちゃんだって分かったんだ、おいらを撫でてくれて、それから皆を助けてくれたんだから」

 人間に化けた龍。取りようによっては恐ろしく聞こえるだろうが、事実として彼女は感情豊かで、時に子供っぽい温かな女性であったことは揺るぎようのない真実だ。
 そんな当たり前の事は言われずとも理解しているレイヴンだが、問題となるのは個人の理解よりも過半数の意見がどちらに傾いているかである。ジョンやクリスタル、ボビーを除く数家族が心の奥底で何を願っているかは目を見れば分かる。

「そりゃあ、皆も怖がってるかもしれないよ。だけど今だけだって。皆も分かってくれるよ、レイヴン兄ちゃんもアイリス姉ちゃんも、いい人なんだって」

 しかし、彼等は現実離れした光景を目の当たりにしたばかりだし、なにより誰だって自分の命や家族が大切だ。不安要素があれば遠ざけたくもなるし、そこに反論は無い。恩知らずと罵り居座ったところで遺恨は残り、いずれは不安が不満に変わり矛先が刺さることになる。
 全員がハッピーな結末を迎えられる方法は一つっきりしかないのだ。

「残念だが、そうはならない」

 レイヴンはシェルビーに跨がる。彼が臨むのは広大な荒野だけだ。

「そんなぁ……! 行かないでおくれよ!」
「情けねえ声出すな、ジョン。お前が皆を守ってやれ、それだけの勇気をお前は持ってるよ。それじゃあな」

 レイヴンが腹を蹴って合図を出すと、シェルビーはゆっくりを歩を進め始める。
 朝焼けに背を焼かれながら男は丘を登り、そして消えていった。

 その後ろ姿を、少年は生涯忘れはしないだろう。
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