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鬼団長視点
しおりを挟む俺の名前はセドリック・テイラー。
王国騎士団で騎士団長をやっている。
「ふうー」
「団長、どうかしましたか?」
「ああ、また送り出した魔王討伐隊が失敗に終わったらしい。」
そんな話を部下としながら、討伐失敗と全員死亡の報告書を丸めて燃やしたのはつい先日のことだ。
「は? 勇者?」
「ええ、異世界から勇者を召喚することにしたそうですよ。団長の二倍くらいある屈強な男が来るかもしれませんね」
「勇者か。どんなに強い奴なのか知らんが、俺も一度くらい手合わせしてもらえるかな?」
「団長が片手で捻り潰されたりして」
俺は勇者召喚を楽しみにしていた。
補佐官が言うように、この国の中では大柄な俺よりも大きい奴なんだろうか? 人間ではないという可能性もある。
「団長、勇者召喚が成功しました。どんな力を秘めているか分からないので、すぐに来て下さい」
「そうか。どんな奴だろうな?」
俺はワクワクする気持ちを抑えられず、呼びにきた奴を引き摺るように走って向かった。
勇者は騎士団の寮の、高位貴族が使う部屋に通されていた。
コンコン
「セドリックだ。入ってもよろしいか?」
「どうぞ」
その声に扉を開けて俺は固まった。
そこには神官二人と、椅子に座る黒目黒髪の男。男だよな? 俺の二倍どころか、俺より背は低い。肩に届くくらいだろうか? 膝から下や腕も出た下着のような簡素な服を着て、潰れたカエルのような靴からは足の指が見えている。かなり貧乏人なのか?
そんなことはいいんだ。それより見逃せないのはその体型。彼は太っている。顔は丸いし、前腕や膝下、首周りを見る限り、服の下に隠れている胸の厚みは筋肉ではなく脂肪。腹回りも贅肉がたっぷりと付いているように見える。
こいつが勇者? いかん、見た目に騙されてはいかん。こんな見た目だが、とんでもない力を持っているのかもしれん。この見た目は我らを油断させるための幻惑なのかもしれない。
気を取り直して、俺は勇者に向かって自己紹介をすることにした。
勇者はワタル・フジタと名乗った。
優しそうな見た目だ。突然こんなところに連れてこられて戸惑っている様子はあるものの、反抗などはせず、文句も言わずに用意した騎士服に着替えてくれた。
太っているため、腹回りはパツパツで、腹のサイズに合わせるとパンツの丈が余ってしまったため、仕方なく裾を折り返した。
立ち上がった勇者は、やはり小さく、俺の肩に届かないほどだった。
しかしその黒く艶やかな髪や、大きな黒目は魅力的に見える。綺麗な目だな。
「陛下、召喚された勇者を連れてまいりました」
俺は勇者がもしも暴れた場合に、止める役目として呼ばれている。どんな力を持っているのか未知数な、この小さく太った彼に俺の力は敵うのだろうか?
全くもって歯が立たないとしても、せめて陛下と宰相が逃げるための時間稼ぎくらいはしなければならない。
殺気を放つわけでもなく、彼は緊張しているように見えるが、それが作戦かもしれない。気を抜けない時間だ。
「勇者殿、よく参られた。いきなり召喚され、戸惑っておられるとは思うが、君はこの世界の希望。どうかこの世界を救ってほしい」
「はい」
勇者は連れてこられたばかりなのに、自分の役目をしっかりと把握しているんだな。陛下の世界を救ってほしいという言葉に、彼は了承した。
今のところ反抗的ではないが、これが彼の性格なのか、それとも本性を明かしていないのか分からない。
この感じだと、自分の手の内を見せずにいそうな気がする。
まず初めに何をさせようか。こいつ本当に強いんだよな?
いけない。思わずこの温和な見た目に騙されそうになって、俺は首を振った。
こちらの世界にワタルが来て、まだ数時間というところか。しかし、俺にも俺の役目がある。ワタルの実力を把握しなければならない。そうでないと、訓練をつけることもできなければ、彼の魔王討伐の手助けもできないからな。
もの凄いスピードで走るのかもしれないと、試しに走らせてみたが、のっしのっしと走って信じられないほど遅い。
きっとこれは演技だろう。俺たちを油断させて何かをしようとしているのか、それとも実力を見せたくないのか。
「実力を隠すつもりか? もっと速く走れ!」
「無理……」
苛立った俺は、ワタルに速く走れと言ったが、本当にそれが限界のようなとても迫真の演技をするんだ。
そこまでする理由はなんだ?
そして他にも筋力を鍛えるトレーニングや、剣を握らせたりもしてみたんだが、本当に鈍臭い動きをする。
そして翌日も朝から走らせたんだが、彼はすぐに休みたがる。
「お前のような奴はすぐ死ぬ! もっと早く走れないのか? 勇者の自覚が足りん!」
「……はい」
その辺の料理屋の店主の方が、まだマシな動きができるのではないかというような、本当に極端にゆっくりな動きをしたり、すぐに転んだりして、腹が立って何度も怒鳴った。
これだけ言われたら、勇者も何くそと歯向かってくるだろうと思ったが、勇者は頑なに実力を隠した。
「お願いします……もう、許してください……どうか、休みと水を……」
俺の足元に平伏して、涙を流しながらそんなことを言ってきた。
やはり勝手にこの世界に連れてこられたことが許せないのだろうか?
それとも、俺たちのことを馬鹿にしているのか?
勇者がこんな程度で、弱音など吐くわけがないんだ。
「剣を構えろ! ボサっとするな! 今すぐに立て! 甘えるな!」
「……はい」
この男は、動きの悪い演技をするだけでなく、声まで小さく、俺に向けて怯えた視線まで送ってくる。
なぜそこまでして実力を隠すのか、俺には分からなかった。
気に入らないことがあるのなら反論したり、向かってきてくれる方がまだいい。
俺は本当にこの男の実力が分からず困り果てていたし、焦っていた。
どうしたら実力を見せてくれるのか。とことん怒らせれば、さすがに反射的にでも反撃をしてくると思った。
「見苦しい体だな。いつになったら痩せるんだ?」
「すみません」
「午前中は休み無しで走れ」
「……はい」
何かにつけて彼を怒鳴りつけ、反撃を期待して殴ったり蹴ったりもしたし、木剣でボコボコにしたり、見た目を馬鹿にしたりもしてみた。しかし彼は全く反撃してくる様子はない。
「痛みも体力も回復させてやった。すぐに立て! 打ち合いを再開する!」
「はい!」
痛い痛いと転げ回ってみたり、痛くて立てないと蹲ったままでいたりするから、暇をしている回復担当に回復と治癒をかけさせて、再び彼を立たせたりもした。
水は魔法で出さず、遠い井戸まで走っていくし、雷魔法を浴びせたら叫んで倒れていた。
魔法を使えないふりをしているのか?
「み、水……」
「水なんか飲んだらまた太るだろ。そんなことより走れ!」
喉がカラカラになれば、流石に水魔法くらいは使うだろうと思ったのに、彼は我慢しているようだった。
なぜだ? そこまで頑なになる理由が知りたい。
そして一向に魔法を使う様子がないため、魔法を使えないのかと冗談で聞いたら、使えないと言った。
そんな人間がいるわけないだろうと、苛立たしい気持ちだったが、教えてくれというので仕方なく教師をつけて教え始めた。
何かがおかしい。この男は、見れば見るほどに、本当にただ太った鈍臭い男に見えてくる。
そういう意図があるんだろう。この男は勇者として召喚された男だ。弱いわけがない。
ある日、彼は少し微笑みながら寮へ戻っていった。
絶対に何かを決行しようとしていると直感した俺は、みんなが寝静まった頃に彼の部屋をこっそり覗くと、首に小さいナイフを滑らせたようで、血だらけになって倒れていた。
真っ赤に染まるベッド。勇者は自殺を図ったんだ。恐らく。
本当に自殺を図ったのか、それとも自殺を図るのも演技だったのか?
「死ねなくて残念だったな。お前みたいな奴でも一応は勇者なんだから、簡単に死ねると思うなよ?」
すぐに治癒班を呼んで治癒をかけ、朝まで様子を見ていたら、明け方に彼は悲痛な表情で目を覚ました。
そして、俺が嫌味のような言葉を吐いたら、一筋の涙を流しながら小さく「はい」と言った。
毎日見ているはずの彼が、いつも以上に小さく見えて、体も顔もよく見れば初めて会った頃より随分と痩せていた。
お前は本当は、何もできないのに勇者として召喚されてしまっただけの、弱い人間なのか?
俺は迷った。もし本当に彼が戦いの心得も何もない人物だったら……
少しずつ足も速くなっているし、剣の筋も良くなってきている。
確かに成長しているんだ。しかもその辺の騎士より成長が早い。
だとしたら、俺はかなり彼に酷い扱いをしたのではないか?
まだ実力を隠している可能性を拭いきれないが、演技ではないと思う方が色々と辻褄が合うことも確かだった。
その小さい背中を丸めて流す涙が、真実だと物語っていた。
ワタル……もしそうだとしても、いや、そうだとしたら尚更、俺はお前に優しく教えてやることはできない。
無理やりこの世界に連れてこられて、ボロボロになっても文句も言わず、努力を続けているワタル。
この国の上層部は、ワタルが魔王を倒す勇者だと信じて疑わない。
いつか必ず、ワタルは魔王討伐に向かわされる。逃げられないよう監視も付くだろう。
死んでほしくない。
過去に俺は何人も、死地へ部下を送り込んだ。俺が行けたらよかったんだが、それは許されなかった。
俺は陛下や王家を守るの最後の砦だからだ。世界が滅亡したら王家も何も無いのに、自分たちだけが助かろうとしているのは明らかだった。
それから俺は厳しいことは言ったが、見た目のことを馬鹿にしたり、理不尽な難癖をつけて怒りを煽るようなことはやめた。
やはり成長はかなり早い。保有する魔力も、なぜかどんどん増えていくのを感じるし、身体能力は日に日に上がっていく。
彼の成長が早いため、実は実力を隠していて、小出しにしているという疑いは拭えないが、彼は誰よりも努力をしている。俺が指示することをどんなにきつくても、必ずこなしてみせる。
こんなに努力を重ねられる奴を、俺は見たことがない。たった一人で知らない世界に連れてこられて、誰も味方はいない。
そんな状態でなぜ頑張れるのか。
俺が彼を見る目が変わっていくことに、自分でも戸惑っていた。
初めの丸い顔も体型も可愛らしかったが、痩せると丸くぱっちりとした目が、もっと大きくなり、黒い目に吸い込まれそうになる。あまり目は合わせてもらえないが、稀に目が合うと胸がドキドキと高鳴った。
「コントロールが悪い! 何度言えば分かるんだ? お前は鈍臭いだけでなく頭も悪いのか?」
「すみません」
練習に力が入りすぎて、ついつい言葉もキツくなってしまう。
それでも彼は、俺の言うことをよく聞いて、努力をしてくれるから忘れていた。
彼が一度、自ら死のうとしたことを。
昼休憩が終わり、珍しく彼が現れないからおかしいと思っていたら、彼は高い物見の塔に登って、そこから飛び降りた。
俺であれば風魔法も自在に使えるし問題ないんだが、まだ彼はそれほど上手く使えない。そして、飛び降りた彼を見つけて風魔法で助けたのは、俺ではなかった。
あっと思ったら、彼の下からブワッと風が吹き上げて、少しフワッと浮いたが、その後はドサッと落ちた。
「お前の頭が悪いのは、もうどうしようもないんだな。死ぬなら魔王を倒してからにしろ!」
「……はい」
彼を助けたのが、俺じゃなかったことにも腹が立ったし、助けた奴の魔法が下手なせいで彼は結局怪我をすることになった。俺が助けられたら、こんな怪我などさせなかったのに。
悔しくて、俺は彼にそんな突き放すような、責めるような酷いことを言ってしまった。
俺は、彼を死なないように鍛えることばかり考えて、彼の心のケアなど一度もしたことがなかった。
何を言われても努力する彼をすごいと思っていたし、甘やかして死ぬようなことがあってはいけないとも思っていた。
彼が勇者でなければ、魔王なんて存在しなければ……俺は彼に優しくしたかったし、抱きしめたかった。
俺はワタルが可愛くて仕方がなかった。だからこそ、死なないために鍛えるしかなかった。
ワタルがこの世界に召喚されて一年ほど経つと、騎士団の中でもトップクラスの実力になり、どこか気怠げだった顔も精悍になった。
ますます格好良くなった。可愛かったのが、格好良さまで付け足された。
そして俺はとうとうワタルのことで、陛下に呼び出された。
「テイラー団長、勇者はかなり仕上がっているとか」
「まだまだです」
「実践を経験させる時期にきたのではないか?」
「それは命令ですか?」
「そうだ。もうパーティーの準備も整っている」
「分かりました。勇者を旅に出しましょう」
王命だと言われると、俺には逆らえるはずもなかった。
まだ早い。このままでは、ワタルは魔王討伐どころか、旅の途中で死んでしまう。
俺は陛下に直談判した。勇者パーティーには加わらなくていい、ワタルが俺の実力を超えるまでは同行させてほしいと。そうでなければ魔王討伐前に死んでしまう、勇者召喚はそう簡単に行えることではないし、それではこの国も困るだろうと言えば、陛下は渋々と言った様子で頷いてくれた。
勇者召喚まで行ったのに、その勇者を育てられず、みすみす死なせるなど、周りの国から叩かれるに決まっている。どこの国でも上層部はそんなもんだ。
他の国より優位に立ちたいし、足元を掬われるようなことはしたくはない。
結局、彼らはこの世界を救うなどと大きなことを言っているが、異世界の者に丸投げしただけだ。
ワタルが死ぬほど苦しみ、努力を重ねていた時に、こいつらは菓子を食って、でっぷりした腹を摩りながら柔らかいソファーで寛いでいたんだ。
俺はワタルを守りたい。助けたい。死なせたくない。そのためには俺が不利になるような条件でも構わない。命に変わるものなど何もないんだから。
とうとうワタルは宰相に呼び出された。俺ももちろん同行した。
理由はなんとでもなる。ワタルを止められるのは俺だけだと言えばいいだけだ。
「勇者よ、旅に出よ。一日も早く魔王の脅威を取り除くのだ」
「はい」
宰相め、偉そうに。
ワタルはこの国の者ではない。他の世界から呼びつけられたんだ。
我らはお願いする立場ではないのか?
腹立たしい思いでいっぱいの俺とは違い、ワタルはとても嬉しそうな表情をしていた。
一緒に騎士団へ戻る時にも、廊下をスキップをして、鼻歌など歌いながら、とても楽しそうにしている。
ワタルはそんな表情もできるんだな。俺は、そんなワタルの表情をもっと見たいと思った。
そんなにワタルが出立を楽しみにしていたなんて、全然知らなかった。
実に頼もしい男だ。さすが勇者というべきか。ワタル、必ず俺が鍛え上げて送り出してやるからな。
「ワタル、お前は本当に弱い。足も遅いし、頭も悪い。せいぜい死なないようにな」
「はい、ありがとうございました」
好きだと言いたかった。もしかしたら、もう言えるチャンスは無いかもしれない。
それでも、ここで甘い言葉を言って、ワタルの士気を折るようなことはしたくないと突き放す言い方をした。
いつかワタルに伝えたい……俺の気持ちを。でも、きっとワタルは俺のことが嫌いだろうな……
「は?」
「だから、この者たちが勇者パーティーのメンバーだ。ちなみに騎士団長はパーティーメンバーではないから途中までだ」
勇者ワタルのパーティーとして紹介されたのは、聖女サリー、タンクのダンテ、賢者シュロス、結界師マイラー、付与魔法使いミドル、そして途中までということで俺だ。
分かってはいたが、ワタルは明らかに俺を見て「は?」と言った。
やはりワタルは俺のことが嫌いなんだろう。それでもいい。俺が嫌われることよりも、ワタルの命の方が大事だ。
それにしても凄いメンバーが集まったものだ。我が国から勇者と結界師を出した。
治癒と浄化のために聖女を出してくるとは思わなかったし、まさかあの伝説との言われる賢者シュロスが同行するとは。ダンテはSランク冒険者だし、付与魔法使いもまさかミドルという逸材が表舞台に出てくるとは思っていなかった。
各国の本気が分かるメンバーだった。
それほどまでに、世界は勇者という存在に賭けている。
しかし、やはり彼らの任務は、魔王討伐だけではないようだ。
ワタル以外のみんなが暗器を忍ばせているし、互いを監視し合うような視線がとても不快だ。
俺は途中までしか同行できない。ワタルをこの中に置いて去ることになるのかと思うととても心配だ。
旅は華々しく見送られて始まった。
ワタルもメンバーに監視されていることに気づいているのか、パーティーから離れよう離れようとする。
しかし、目が届かない場所に行けば逃げたとみなされて、最悪暗殺ということも考えられる。
俺は必死にワタルをパーティーへ連れ戻し、ワタルへの訓練も続けた。
その間にも、「早く戻れ」「いつ戻ってくるんだ」などと、帰還命令は何度も送られてきた。
もうこれ以上同行することは難しいと、俺は半年ほどでパーティーを去ることにした。
「逃げられると思うなよ。彼らはお前の仲間だが各国から送られた勇者の監視役だ。俺などまだ手ぬるいと覚えておけ」
ワタルが周りの奴らの監視に気付いていない可能性もあるのではないかと、最後に彼にそう伝えたら、ワタルはそんなことは言われなくても分かっていると言いたげな不満の表情を見せた。
ワタル、必ず、必ず生きて帰ってこい。
本当は伝えたかったが、そんなことを、魔王討伐に参加しないような俺から言われたくないだろう。俺は最後まで、ワタルに優しい言葉をかけることはできなかった。
それからの二年半は、俺にとって気が休まる日など一日もなかった。
毎朝、神殿へ行き、ワタルの無事を祈ることが日課になった。俺にできることは祈ることと、魔王が生み出している各地の魔物を討伐して回ることだけだ。
いよいよワタルたちが、魔王の元へ向かうと報告が入り、俺は真っ先に迎えのメンバーに志願した。強くなった勇者が暴れた場合、抑えられるのは俺しかいないと理由をつければ、国の重臣たちに反対されることもなかった。
ワタルの成長過程を近くで見ていたんだから、あのまま成長していれば、もう俺が敵う相手ではないことは分かっていたが、どうしても早く無事を確認したかった。
それと、陛下の周辺で怪しい動きがあるのも心配だった。
魔王の脅威は去ったが、その魔王を倒すほどの力がある者たち、勇者パーティーのメンバーをどうするかだ。
聖女は聖王都で生涯働くことになる。それは彼女が聖女になった時から決まっていたことで、魔王討伐に参加してもしなくても変わらなかったことだろう。
タンクのダンテは王族などを守る盾とし国に召し抱えられるか、それとも脅威だと言われて排除されるか。
賢者シュロスは国に従うとは思えないから、弟子などを人質に取られて従わされるか、どこかに閉じ込められるか、排除は難しいか?
結界師マイラーは王族の護衛だろうな。逃げられないよう何かしらの対策がとられるか、身内を人質に取られるか、どうなるかは分からない。
付与魔法使いはミドルは後方支援だから、それほど脅威とはみなされないかもしれないが、旅の間に戦闘技術を身につけていたらどうなるか分からない。
そして問題はワタルだ。この世界のためにと全てを押し付けたくせに、用が済んだら排除される可能性が高い。この世界の者ではないのだから、守る必要はないと考える者もいるだろう。
帰る途中で事故に見せかけて……などということも考えられるため、俺はどうしても迎えに行きたかった。
俺たち迎えの騎士が、ワタルたちを見つけたのは、魔王討伐が終わった後だった。
聖女は既に回収されたようで、タンクもいない。聞いてみると、タンクのダンテは亡くなったそうだ。
やはり魔王と勇者の間では、それほどの激闘が繰り広げられていたんだな。
無事でよかった。疲れた様子だったが大きな怪我もなく、ワタルが生きていること、それだけで俺は胸がいっぱいになった。
前より少しだけ背が伸びたか? 相変わらずその真っ黒な瞳は美しく、新月の夜のように深く、俺の心を攫っていった。
「乗れ」
「はい」
久しぶりに会ったことで緊張して、言いたかったことは何も言えなかった。
俺が口に出せたのは、馬車に乗ることを促す「乗れ」という言葉のみだった。
本当は、「お疲れ様」とか「ありがとう」とか「さすがだ」とか、「好きだ」とか、どんな闘いだったのか、どんな旅だったのかも聞きたかったが、情けなくもワタルを前にすると何も言えなくなった。
ワタルはとても静かだった。結界師のマイラーとは時たま話しているようだったが、相変わらず口数は少なく、控えめな性格はそのまま変わっていないようだ。
パーティーメンバーが死亡するような戦いを経験したのだし、魔王を倒したんだから、もっと驕り高ぶってもいいはずなのに、そんな様子は微塵も感じさせないワタルに、俺は感動していた。
俺がワタルの前に立つと、昔と変わらず少しおどおどした様子を見せて、それが可愛いと思った。
抱きしめたいと思ったが、ワタルが俺のことを好きなわけがないから、そんなことはできなかった。
王都に着くと、門を抜けたところから始まった勇者の凱旋パレードは、とても華やかなものだった。
そこで初めて、ワタルは少し笑顔を見せていた。可愛いな。頑張ってきたんだもんな、賞賛されて本当によかったな。
「よくぞ魔王を討伐してくれました。感謝申し上げます。ご馳走も用意してありますので、お部屋で着替えてしばしお待ちください」
陛下や国の重臣たちに迎えられ、ワタルとマイラーは着替えと湯浴みのためにそれぞれの部屋に案内された。
そして俺は陛下たちに呼び出された。
「団長、分かっているな? 勇者は用済みだ。速やかに、かつ密かに勇者を消せ」
やはりそうきたか。俺の感想はそんなところだった。しかし俺がそれを予想していないわけがない。
「陛下、用が済んだからといって、殺すのはまずいですよ。勇者召喚は神の采配です。彼を手をかけることは神の教えに背くこと。殺すのはいけません。どんな災いがこの国に、いや、陛下やあなた方に起こるか分かりません」
「だったらどうする。奴を野放しすれば、この国を乗っ取られる可能性もあるんだぞ。民衆を味方につけ、パーティーメンバーを集めたら、世界を掌握しようと企む可能性もある」
陛下はワタルの力に怯えていた。ワタルの様子を近くで何日も見ていれば、ワタルにそのような野心などないということが分かるが、それをこいつらに言っても無駄だろう。
「隷属の首輪をして男娼に落とすのはどうですか? 強い奴を組み敷いてみたい男は多いですよ、せっかく召喚したんだから使わないと勿体無い。彼も気持ちいいんですから褒美のようなものでしょう」
「なるほど。それはいい。
勇者の隷属の首輪には、魔力と力を封じる結界を施そう。結界師の首輪は、自殺防止と国や王族への反抗を防ぐ程度のものでいいか。結界師に戦闘能力があれば力を封じるものも後ほど追加するが、とりあえずは様子見だな」
「勇者が使い物にならなくなったら、俺が引き取りましょう」
「ほう、団長があのような異世界の異物を好むとは、まあよかろう」
これで交渉は終わった。ワタルを死なせてなるものか。
男娼とは言っても、買うのは俺だけだ。俺が月単位または週単位で買い、時期を見てワタルを屋敷に回収すればいい。
本当に男娼にする気があるということを示すために、彼を一度は抱くが、それ以降はワタルが望まない限り手を出すつもりはない。
ワタル、一度だけ我慢して俺に抱かれろ。そうしたら、俺はお前を生かして、そして解放してやる。
俺のことを好きになってくれたら嬉しいが、努力はするが、人の気持ちは誠を尽くしたからといって必ず手に入るというものではない。
解放を望むのであれば、その通りにしてやる。
男娼という選択をしたのは、何れにしても隷属の首輪は装着することになりそうだと思ったからだ。炭鉱などに送られてしまったらワタルの様子が確認できないし、事故の多い炭鉱などに送られたら死んでしまう可能性があった。危険がなく、俺の手が届く場所、それでいて陛下や大臣たちを納得させる場所というと、それしか思い浮かばなかったんだ。いや、俺がワタルと触れ合いたかったのかもしれない。その気持ちがないと言えば嘘になる。
ワタルとマイラーを招いた晩餐の席に俺は参加できないが、万が一勇者が暴れた時のため、という理由で、部屋の外の扉の脇に待機させられた。
そんなことが起こることはないと確信していたが、ワタルもマイラーも、反抗的な様子を見せることはなく、暴れることもなかった。
ワタルとマイラーの料理には、睡眠薬が盛られている。
ワタルは勇者のため効かない可能性もあったが、部屋に戻る際にフラフラとしていた様子から、効果があることが分かった。
夜中、まずはマイラーの部屋に向い、隷属の首輪を装着した。そして武器や武器になりそうなものは全て回収されていった。
この男は殺されることはないだろう。世界を救った者のうちの一人が奴隷となるなど少し可哀想だとは思ったが、彼はこうなることを予測していたんだろう。
机の上には、[生涯この国のために力を尽くします。他意はございません。どうかこの身をこの国に捧げることをお許しください]と書かれた手紙が置かれていた。
生涯国のために働くから、どうか命だけは助けてくれという意味だ。彼はどんな思いでこれを書いたんだろう? そう思うと胸が痛くなった。
次にワタルの部屋に向かった。寝ている姿はあどけなく、どう考えてもこの男が脅威になるなんて思えないのに、こんなことしか思いつかなくてすまない。
その細い首に首輪を装着すると、武器や武器になるものを回収をするよう指示を出したが、そのようなものは一切置かれていなかった。聞くと、部屋に入った時に武器を回収してもいいかと尋ねたところ、武器や装備品に至るまで、全てをワタル自らが差し出してきたのだとか。
反抗的な部分など皆無だと、そこで判断されてもよさそうだが、そう簡単にはいかないようだ。
俺は誰にもワタルに触れさせたくなかった。だから自ら横抱きにして娼館の部屋まで運んだ。
朝ワタルの目が覚めたら、彼を抱くことになる。抱いた振りなどをすれば、ワタルは俺の手が届かないところへ連れていかれるだろうし、俺が引き取るという話は白紙に戻る。
嫌だろうが我慢してくれ。
俺は結局、一睡もできなかった。
緊張しながらワタルがいる部屋の、分厚く重い鉄の扉を開いた。
ガチャリ
「僕の役目はもう終わったんだ。あんたも僕に用なんかないはずだ。出ていってくれ」
ワタルは俺をチラリと見たが、すぐに顔を背けて怒ったようにそう言った。
本当は説明したかった。ワタルを死なせないためだと、ワタルを解放するためだと、一度だけ我慢してほしいと。しかし誰かが魔道具か何かで聞いているだろうと思うと言えなかった。
ワタル、許せ。こんな案しか出せなかった俺を許せ。
俺はワタルにかけられていた薄い布団を剥がすと、ワタルの服に手をかけ、脱がせていった。
「何をしている? 別に着替えさせてくれなくてもいい。触るな」
ワタルは、俺が着替えをさせるために来たのだと勘違いしているらしい。
魔法を封じるのは分かるが、力を封じるというのがどの程度なのかと思っていたが、本当に指先もほとんど動かせないほど強力なものなんだな。
ワタルは綺麗だった。近くに治癒を得意とする聖女がいたからか、傷一つない。その肌は滑らかで吸い付くような触り心地だった。
自分の服にも手をかけて脱いでいくと、ワタルはこれから何が行われるのかを察したのか、恐怖の表情を浮かべた。
酷くはしない。ちゃんと優しくするから、愛させてくれ。
ワタルに口付けると、ワタルは嫌がった。手足は自由に動かないが、首は自由に動けるらしい。
首輪から下に作用するよう作られているのかもしれない。
太っていた頃のワタルの体も見てみたかったな。そんな思いでワタルの発達した胸筋の弾力を堪能して捏ねるように揉んでいった。その可愛く控えめに尖った部分も、優しく、時に強く摘んで舌を這わせ、吸ったり甘噛みしたりを繰り返す。
ワタル、可愛いよ。本当に可愛い。
「やめろ! やめてくれよ」
そんなに嫌がられると悲しい。俺はずっとワタルにこうして触れたかった。
「嫌だ嫌だ、やめてくれ、許して、訓練ならするから、魔王が他にもいるなら倒しに行くから、許してください、お願ーーーー」
ごめん。ワタルが俺を拒絶する言葉を聞いていられなくて、俺は彼の喉に麻痺の魔法をかけた。
許してと懇願するのはワタルではない。本来であれば、俺がワタルに許しを乞う立場なんだ。
ワタル、こんな目に遭わせてすまない。どうか許してください。
ブンブンと首を振って嫌だと意思表示していたが、俺はそれを見ないようにした。
恨んでもいい。今だけは愛させてほしい。必ず救うから。
俺はワタルの反応する部分を探り、動かないはずの体がビクビクと反応するのを眺めていた。
気持ちいいんだな。
だんだんと、俺の手でワタルに快感を与えられる喜びに酔っていった。
わざと音を立ててワタルのものを扱いたり、とことん快楽を与えていった。体だけでも俺のことを好きになってほしかったし、俺を求めてほしかった。
ワタルのものから白濁したものが溢れる度に、俺は幸せな気持ちになった。
はあ、はあ、と呼吸を乱しているだけで煽られているように感じる。
十分に後ろを慣らし広げると、もう我慢できないと、血管が浮き出るほどに昂った俺のものに、オイルをたっぷりと塗りつけて、とうとうワタルと一つになる。
ジュププとゆっくり飲み込んでいくワタルのその場所を、俺はしっかりと目に焼き付けた。
俺は男も女も買ったことがない。
学生の頃は勉学と鍛錬に集中していたし、騎士団に入ってからは、高位貴族というだけでどんどん上がる役職に焦って、それどころではなかった。
恋だの愛だのより、鍛錬が重要だと思っていたし、そんなものに足元を掬われるなど馬鹿だと思っていた。
俺は誰より努力したし、まだ足りないかもしれないが、団長に相応しいと認められるよう、自分を追い込んできた。
そんな時にワタルに会ったんだ。
初めはふざけているとしか思えなかったが、彼は努力してここまで登り詰め、本当に魔王を倒した。馬鹿みたいだが、俺はワタルのためなら騎士団長という地位だって捨ててもいいと思っている。
ワタルのことを守りたいし愛したい。
俺はワタルを夢中で求めていた。好きで好きで想いが止められなくて、気持ちが昂って彼を求めずにはいられなかった。
ふと我に返ると、様々な液体に塗れたワタルが泣き崩れていることに気づいた。
こんなはずではなかったのに……
焦った俺は、すぐにワタルの中から抜け出すと、自分とワタルに浄化をかけて体を綺麗にした。
「これからはこれがお前の仕事だ」
泣かせてしまったことに動揺して、俺は全くもって優しくない言葉を残し、慌てて服を着て部屋を出た。
娼館を出る時に、俺は一ヶ月ワタルを予約して、騎士団の訓練場に向かった。
ワタルに無理をさせた後悔と反省、幸せと昂る気持ちを抑えられず、ひたすら剣を振るった。
「団長、今日も精が出ますね」
そんな声に振り返ってみると、そこには宰相がいた。
宰相がこんなところまでわざわざ来るのは珍しい。普段は訓練場には来ず、秘書か部下が俺を呼びに来て、宰相は団長室で待っていることが多い。
「宰相殿、どうかされましたか?」
「ええ、緊急ですので自ら足を運ばせてもらいましたよ」
「緊急? なんでしょう?」
「魔王が討伐されたせいか、魔物たちが統制を失い各地で暴れ回っています。すぐに出立を」
すぐに出立? 確かにワタルと王都へ戻ってくる時にも魔物は多かったが、暴れ回っているというのが本当なら対処する必要がある。
「分かりました。すぐに討伐隊を編成します」
「我が国の東の辺境から北に向かって順に進めていって下さい。団長が先頭に立って脅威を取り除いてもらいたい」
「かしこまりました」
俺はこの時、半分浮かれていた。そのせいで、国が何かを企んでいるかもしれない、ということまで考えが至らなかった。
宰相のその言葉を鵜呑みにし、自分を含めた討伐隊を編成してすぐに出立した。
我が家の家令に、ワタルの予約をしてあるから娼館に金を払うようにと、予約が終了する頃になったら、次の月もその次の月も、俺が戻って来るまで予約を繋いでおくようにと言っておいたから、問題ないと思っていた。
討伐にはかなり時間を要することとなり、実に半年も王都を空けることになった。
屋敷に戻ると家令を呼んだ。
「ワタルのことはしっかり対処してくれたか?」
「旦那様、申し訳ございません。旦那様が出立されてすぐに、指定された娼館に支払いのために向かったのですが、支払いを拒否されまして……」
「は? なぜだ?」
「国から予約が禁止が通達されているからと申されまして、支払いも予約も受け付けていただけませんでした」
この時初めて、俺は国にやられたのだと気付いた。
俺をワタルから遠ざけた。俺とワタルが共謀するのを恐れたのだろう。俺が迂闊に、いずれワタルを引き取るなどと言ったせいか?
俺は文句を言いたかったが、今更言ってどうなる。すっとぼけられるだけだ。反抗したと判断されたら何をされるか分からない。
ギリギリと歯を食いしばって耐え、家令にワタルのことを聞いた。
「それで、ワタルの今の様子は?」
「勇者ということで酷い目にも遭わされたのか、初めの頃は泣いていたようですが、今は完全に心を閉ざして人形のようになっているとの噂です」
半年も王都を空けて……俺は馬鹿だ。
帰還の報告を手短に済ませると、俺はすぐにワタルの身請けの相談をした。言葉も発さず、何を話しかけても反応しない。魔法も力も無い。そんな勇者が脅威になるわけがないと力説すると、意外にもあっさりと許可は降りた。
すぐに俺は娼館に向かった。
申し訳なさでいっぱいになりながら、重い鉄の扉を開けると、ワタルは本当に生きているのか分からないほどの様子だった。目の下にはくっきりと隈が現れているし、げっそりとやつれ、美しかった真っ黒な瞳は宙を漂っているが、何も映していないように曇っていた。
「出るぞ」
そう声をかけても、聞こえていないのか、ワタルは何の反応もしない。
俺は彼を横抱きにすると、すぐに屋敷に連れて帰り、部屋の自分のベッドに寝かせた。
本当は側にいたかったが、無理だった。
すぐに部屋を出て、ワタルの世話をその辺にいた使用人に言い渡すと、近くの部屋に入って一人でこっそり泣いた。
ショックだった。俺の浅はかな言動が、行動が、ワタルをあんな姿にしてしまったのかと思ったら、ワタルの姿を見ていられなかった。
赤ん坊の頃は泣いただろうが、幼児の頃にももちろん大人になっても、一度も俺は泣いたことなどなかったのに、涙が止まらなくなった。呼吸も上手くできない程にしゃくり上げながら泣いた。
情けなくも俺は、夕方まで落ち込んだままでいたが、これからは俺がワタルを守っていくと決めた。
浄化でグチャグチャな顔を綺麗にして、覚悟を決めて立ち上がる。
恨み言を言われてもいい。それでも俺がワタルの面倒を見る。
ワタルは、上体を起こすくらいはできるようだったが、まだ足元は覚束ない。
抱き抱えて移動して、俺が自ら風呂に入れた。食事を食べさせたり、髪も綺麗に整えて、筋肉が落ちて細っそりした四肢や肩や腰は丁寧にマッサージをした。
マッサージをしていると、どうしても己の欲望が湧き上がってくる。
俺は、嫌だと言わないのをいいことに、ワタルを抱いた。
欲望に任せて酷くしたりはしない。丁寧にその体に触れていく。
初めはどこに触れても何の反応も無かったが、毎日マッサージをするかのように続けていると、少しずつ反応を示してくれるようになった。
その胸の先を口に含み、舌で転がすと、ワタルの息遣いが変わることに気づいた。
そしてワタルの中心もゆるく立ち上がってくる。
可愛い。少しは俺で気持ちよくなってくれているのか?
まだ柔らかさの残るワタルのものを口に含み、舌を這わせる。ジュルジュルと音を立てて吸い上げると、どんどん硬さを増し、ビュルっと飛び出てきたワタルのものを飲み込んだ。
愛しいワタルの尻にも舌を這わせていく、ワタルに跪いて懺悔をするように、丁寧に窄まりも舌でなぞる。
無理に突っ込んだりはしない。
丁寧に後ろを解して、ワタルの好きなところにも触れ、焦らずゆっくりと高みへと導く。
俺が満足するかどうかはどうでもよくて、ワタルが一瞬息を呑んで、そしてはあーっと吐き出す瞬間が好きだ。
その、瞬間を見たくて何度もワタルを高みへ導いた。
快楽というものは、生命力を高めるのにも役立つのか、ワタルは少し体が動くようになった。
ワタルを引き取って屋敷に連れてきて数ヶ月、ワタルはゆっくりなら一人で歩けるようになった。
まだ心を閉ざしているのか、何も言葉は発しないが、痩せ細った手足も少しずつ筋力が戻ってきているようだ。
隷属の首輪でも押さえ付けられないほどの力になっているのか、それとも隷属の首輪の力が弱まっているのか。
少しずつではあるが、ワタルが日常の生活を取り戻していくことが嬉しかった。
しかし、俺に心を開いているわけではないらしい。俺もワタルに何を話していいのか分からないが、ワタルもワタルで何も話してはくれない。
しかし、俺に抱かれるのは好きらしい。
無表情でどこを見るでもなく漂っていた視線は、たまに俺を見ていることがあるし、好きなところに触れるとピクピクと反応を示す。
ワタルの腰が揺れていることもあるから、きっと気持ちいいんだろう。
嫌なら嫌だと体を閉じることもできるのに、彼は俺に委ねてくれるし、終わった後も背を向けて眠ったりはしない。
ある日、抱いた後で浄化をかけ、ワタルに服を着せていると、俺のことをジッと見つめてきた。
何か言いたいことがあるのか? 別に焦らなくていい。言いたくなったらでいいんだ。そんな思いでワタルの髪をそっと撫でた。
その手を離そうとしたら、少し震える手でワタルは俺の腕を掴んだ。微かにワタルの目に光が射した気がして、俺はその手を引き寄せてワタルを抱きしめた。
戻ってこい。俺の側にいなくていいから、どうか心を取り戻してほしい。そんな思いがあった。そうしたら、ワタルは肩を震わせて泣き始めた。理由は分からない。きっと俺になど話してはくれないだろう。
言わなくていい。今だけでいいから俺を頼れ。
その夜は、ワタルを抱きしめたまま寝た。
それから俺は、毎日ワタルのことを抱きしめて寝るようになった。ワタルは嫌がるどころか、自ら寄ってくるんだから嫌ではないと思っている。
「ワタルの今日の様子は?」
「今日もいつもと変わらずです。床で腹筋を五回ほどして、腕立て伏せは膝をついて五回ほど、お部屋の中は歩いて移動されて、窓から庭を眺めておいででした」
「そうか」
俺はワタルを部屋に閉じ込めているわけではない。勝手に屋敷の敷地の外に出て行かれるのは心配だが、屋敷の中を歩いたり、庭を散歩したりなどはしたらいいと思っている。
無理強いするのも良くないと、特に何も言わないが、ワタルはこの部屋にカギをかけていないことを知っているはずなのに、部屋の外へ出ることがない。
「明日、天気が良ければ庭に誘ってやってくれ。最近は表情も戻ってきたし、外へ出てはいけないと勘違いしているだけかもしれん」
「畏まりました」
ずっと部屋に閉じこもっているなど退屈だろう。草花が好きかは分からないが、なんとなく俺がいない時なら出るかもしれないと思った。
「どうだった?」
「ワタル様は外には出たくない様子でした。お庭や日当たりのいいサロンにお誘いしましたが、首を振っておられました」
「そうか」
そんなにこの部屋が気に入っているのか? それとも外に出たくない理由があるのか?
分からないな。
それから数日後、ワタルが半分に折った紙を手渡してきた。
[逃げたりしない。どうせ行くところもない。この首輪はつけたままでいいから、声だけは出させて]
は? 声だけは出させて? まさか……
すまない。言葉を発しないのは俺のせいだった。初めてワタルを無理に抱いたあの日、俺はワタルの喉に麻痺の魔法をかけた。
そんなものはすぐに解かれると思っていたが、魔力を封じられたワタルでは、その魔法を解くことができず、自然に自分の魔力と混ざって解けていくこともなかったようだ。
俺はすぐに喉にかけられた魔法を解いた。
「名前、呼んでいい?」
「いいぞ」
「あの、その……」
「なんだ?」
名前……ワタルに名前を呼んでもらったことは無かったな。
言いにくいことか? 文句か? そんなことを言えば俺が暴力でも振るうと思って言えないでいるのか? 何でもいい。ワタルの言葉なら、全て受け止める。
俺はワタルが続きを口にするのを黙って待った。
「好きだ。セドリック、好き、です」
「そうか」
てっきり俺への文句かと思ったら違った。好き? 俺を? この俺を?
嬉しくて咄嗟に抱きしめてしまったが、俄には信じられなかった。
「セドリック、僕のこと好き?」
「好きだ」
初めてそんな言葉を口にした。緊張が混じって、抑揚のない言い方になってしまったが大丈夫だろうか?
その日はワタルを抱くのも緊張した。
ワタルが俺のことを好き? そんなことあるのか? 確かに最近は優しくしていたが、その前は本当に酷いことをした。そんな俺を好き?
声が出るようになったワタルは、ペラペラとよく喋るということは無かったが、理性が吹っ飛んで無茶苦茶に抱きたくなるような煽り方をしてくるようになった。
「セドリック、好き……はあ……すき……」
「そうか」
「あっ……だめ……セドリック、もうきて」
「分かった」
「そんなにしたらやだ……おかしくなっちゃうから……」
「気持ちいいってことでいいんだよな?」
「んんっ、気持ちいいよ……セドリックも気持ちいい?」
「ああ」
「セドリック、好き、好きだよ」
抱く度にそんなことばかり言ってくるから、初めは嬉しくてたまらなかったんだが、どんどん苦しくなっていった。
俺の罪を責められているような気がして、俺はとうとう言ってしまった。
「もう好きだと言うな」
そうしたら、ワタルは泣き出してしまった。
違うんだ。嫌だったわけじゃない。傷つけたいわけじゃないんだ。それなのに、ごめんという一言が言えなかった。
代わりにワタルを抱きしめて、泣き止むまでずっと背中を撫で続けた。
「側にいるのは……いい?」
「いいぞ。ずっとここにいろ」
「うん」
何でそんな上から命令するように言ってしまったのか。本当は、ずっと側にいて下さいとお願いするのは俺の方なのに。
側にいてくれるのか。それならと最後の一手を詰めることにした。
ずっと、陛下を含む上層部にはワタルの状況を伝えていた。俺のことを好きだと言ったことは伝えていないが、外に出られるのに出ないことや、国を滅ぼしたり乗っ取ったりという心配がないことを伝えてきた。
結界師のマイラーもその意見には同調してくれていた。彼は嘘がつけないように首輪に魔法を施されているから、その点でも信頼は厚かった。
そしてようやく、俺はワタルの隷属の首輪を外す鍵を手に入れることができた。
ワタルが国を揺るがすような行動に出た時には、俺がワタルを殺すという約束をさせられたが、そんなものはどうにでもなる。
いざとなったらワタルを逃して、俺は死んでもいい。
「その首輪、外すか」
「え?」
これは喜んでくれるだろうと思って、すぐにでも外そうと首輪に手を伸ばしたが、ワタルの手で叩き落とされた。
「嫌だ。外さないで。僕を捨てるな!」
意味が分からなかった。外さないでってそんな不便な体のまま過ごしたい奴などいるわけがないだろ。それに俺がワタルに捨てられることはあっても、俺がワタルを捨てることなど無い。
「側にいろ」とも言ったのに、なぜワタルがそんなことを言うのかと、ため息が出てしまった。
「お前は本当に鬼だ! 僕は、僕は……こんなに好きなのに。セドリックしかいないのに……」
ワタルは涙を浮かべて取り乱しだした。
知ってる。お前が俺のことを好きだって。俺も好きだと言ったのに、なぜだ? しかし首輪は外す必要がある。
「オニ? なんだそれは。ワタルだってそんなものを付けたままとか嫌だろ? ようやく鍵を手に入れたんだ」
俺はワタルに言い聞かせるように、しっかり目を見て、鍵を手に入れたことを伝えた。
「捨てるなよ……捨てないでくれよ……」
「捨てないから、まずは落ち着け」
ワタルは潤んだ目から、ポロポロと涙をこぼし始めたが、誰がいつ捨てるなどと言った? そんなことを俺は言った覚えもないし、考えたこともない。
「本当?」
俺は疑われているのだと、このワタルの言葉で初めて気付いた。
「ああ、首輪は外す。代わりにこれをやる」
俺は小指にはめていた、祖父から貰った金色の指輪を外してワタルに渡した。他の指輪でもよかったんだが、ワタルは俺より小さく細い。その手も小さく指も細いから、他の指にはめた指輪では大きいと思ったんだ。
「え? この指輪、セドリックのお気に入りじゃないの? いつもつけてるよね?」
さっきまで涙をポロポロと溢していたくせに、今は俺が渡した指輪を光に翳して、キラキラとした目で嬉しそうに眺めている。
またごねられたら面倒だと、ワタルが指輪を眺めている隙にサッと首輪を外した。
ブワッと広がるワタルの濃密な魔力に、俺はクラリとした。
そして、首輪を外したことにも気付かず、いつまでも嬉しそうに指輪を眺めているワタルに、呆れてきた。
「お前は本当に馬鹿だ。やっぱり頭の悪さはどうにもならないんだな」
「酷い!」
俺の側にいたいから隷属の首輪を外すことを拒むとか、馬鹿だ。本当に馬鹿。
あの手紙もそうだ。解放してくれと言うなら分かるが、首輪より声を選んだ。本当に呆れる。どこまでも、真っ直ぐで、俺を虜にする。
「俺がお前を手に入れるためにどれだけ苦労したと思ってんだ。そう簡単に手放すわけないだろ」
「え? そうなの?」
何でそんなに驚いてるんだよ。身請けした時から気付いてもおかしくないだろ。何で俺がお前を身請けしたと思ってるんだよ。こいつは言わなきゃ分からないらしい。
「一度しか言わない。よく聞いておけ。」
「うん」
「ワタル、愛してる」
ワタルが固まった。動きだけでなく、呼吸すら止まっているが大丈夫か? と不安になったが、次の瞬間にワタルの目から涙と、鼻水もダバーっと溢れた。
「お前は?」
「あいじでるよお……」
言われなくても答えは分かっていたが、俺だってワタルの口から聞きたかった。
そしてワタルは汚い顔のまま、俺の胸に飛び込んできた。いや、強烈なタックルをかましてきた。全力で走る馬車に追突されるのと、どちらが痛いか……これは衝突事故だ。
さっき首輪を外したせいで、本来の力が解放されているということをワタルは理解していなかったらしい。
ミシミシッと俺の胸から嫌な音が鳴ったのを、俺は確かに聞いた。
次の瞬間、胸に激痛が走った。
「ぐうっ……」
「え? セドリックどうしたの? 胸が痛いの? 苦しいの? 心臓病? どうしよう!」
「落ち着け、ワタルがタックルをかましてくるからだ。たぶん骨が折れた」
「ええーー!?」
「さっき隷属の首輪を外しただろ? 魔力も力も魔王を倒した頃と同じか、もっと増していると思う」
「ごめん」
ワタルはそう言うとすぐに治癒魔法をかけて治してくれた。
もう治癒の実力は聖女と大差ないんじゃないか? あの音は数本は肋骨が折れていたぞ? そんな一瞬で治せるものなのか?
さすが勇者。
「ワタル、抱きたい」
「うん。なんていうか、ちょっと恥ずかしい。セドリックが僕のこと好きなんて思ってなかったから」
「なんでだよ。好きだって言ったろ?」
「そうだけど、心にも無いことを言ったのかと……」
「なんで俺が好きでも無い奴に好きなんて言うんだよ。ワタルは馬鹿だな。もういいから黙って俺に抱かれろ」
「あ、うん。……お願いします」
ワタルはもじもじしながら俺を上目遣いに見て、すぐに目を逸らして耳まで真っ赤になっていた。
もう何度も抱いているのに、今更そんなに恥ずかしがる理由が分からない。そんなに恥ずかしがられると、何だか俺も恥ずかしい気がしてくる。
「セドリック、ずっと一緒だよね? 僕、ずっとここにいてもいいんだよね?」
「いいぞ。いや、どうか俺の側にずっといてください。ワタル、結婚しよう」
「ええーー??」
何で驚いたのか分からなかった。
嫌なのか?
結婚が嫌でも、やることはやるぞ? 俺はワタルの服を脱がせていった。
「嫌か?」
「僕、男だよ? セドリックも男だよね?」
「そうだが、それがなんだ?」
「フランス式? 男同士でも結婚できるの? 結婚はまだ早いと言うか……でも嫌では、ない」
「じゃあ決まりな。今日は朝まで離さねえからな」
「あっ……」
「どうした?」
「なんか、今までより……やだ、無理かも」
「優しくする」
「うん? セドリックはいつも優しいよ?」
「あっ、やだ……ねえ、まだ好きって言っちゃダメなの?」
「仕方ないな。いいぞ」
「うん。好き。セドリック、好き」
そして俺は謝った。召喚された時から酷い扱いをしてきたことを。自分が楽になりたかっただけかもしれない。
「セドリック、僕のこと永遠に愛してよ。そうしたら許してあげる」
「言われなくてもそのつもりだ。俺の永遠をワタルにやる」
最初の数年、ワタルは一切外に出なかった。外どころか部屋からも出なかった。しかし、庭に出るようになり、馬車で景色が綺麗な湖に連れて行ったり、花が綺麗な丘に連れて行ったりしていたら、人がいない場所へなら行くようになった。
それでようやく神殿に行くことができて2人と神父だけで結婚式を挙げた。
「セドリック、待っててくれてありがとう」
「気にするな。俺はワタルと一緒にいられるだけでいいんだ」
「うん」
「この世界に来た時と似た体型になったな」
ワタルはあまり動かず、部屋に篭っていることが多いから、筋肉ではなく脂肪が付いていった。脂肪が付いたからといって、ワタルが弱くなったりはしないんだが、ワタルは少し気にしている。
「太ってごめん」
「なんで謝るんだよ。俺はどんなワタルも好きだ」
そう言ったらまたワタルにタックルをかまされて、俺の肋骨は折れた。すぐに治癒をかけてもらったから平気だが、本当に痛いんだ。
「お前、俺の肋骨を何度折ったら気が済むんだ! やっぱり頭の悪さはどうにもならないんだな」
「ごめんって言ってるじゃん!」
「許さん。今日は朝までだからな!」
「あ、うん……」
急にしおらしくなるワタルは可愛い。痛い思いをしたんだ。これくらいいいだろ。
ワタル、この世界に来てくれてありがとう。
(完)
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