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二章
149.刺繍講座
しおりを挟むバルドに手伝ってもらいながら、ハーブオイルを量産し瓶に詰めていく。
「バルド、ありがとう。これバルドの分ね」
「いいえ、このオイルを使うようになってから夏に庭に出ても虫に刺されなくなりました。助かっています」
そっか、バルドは毎日庭の手入れをしているから、この家の中では一番虫に刺される機会が多い。助かってるならよかった。
瓶にコルク栓をして箱に入れる。これはラルフ様に陛下へ届けてもらう分だ。喜んでもらえるといいんだけど。でも喜ばれすぎてもっと欲しいと言われても困る。うちの庭に生えているハーブには限りがあるし、僕は薬師でもなければオイル職人でもない。それに僕にはやることがあるんだ。
家でも少しの時間を見つけては刺繍の練習をするようになった。糸も針も刺繍枠もあるし、リヴェラーニ邸に行かなくても家で練習できるようになった。
そしたらまたフェリーチェ様がうちに通うようになったんだ。
「今日も頑張ってるね」
「もっと上手くなって、色んな図案を刺繍したいんです」
ポポの刺繍ハンカチを埋もれさせるためにもね。
僕が庭で遊んでいるシルとパンを眺めながら刺繍をしていると、フェリーチェ様はルカくんに会いに行った。
最近ルカくんはちょっと沈んでいて、体調でも悪いのかと思って聞いてみたんだけど、そうではないらしい。言いたそうにはするんだけど、言いにくいみたいで、まだ僕には話してくれない。
フェリーチェ様の方が言いやすいんだろうと思うから、フェリーチェ様に任せることにした。
「シル、暑いからたまには休憩してお水を飲まなきゃダメだよ」
「りょーかいした!」
元気よく返事をするシルを眺めながら、僕は新しい図案を考えていた。
家紋は複雑すぎて僕にはまだ無理だ。小さな花か、それとも名前か。名前入りのハンカチはシルにも作ってあげたい。
まずは名前にしようと決めて、ラルフ様のRを縫おうとするんだけど、これはポポよりずっと細かくて難しい。ぐにゃりと曲がって、全然Rに見えない。
仕方なく解いて、もう一度初めからやり直してみる。
……丸いところが想像以上に難しい。
ため息をつきながら、僕はまた糸を解いた。
もしかしてポポってば、意外と初心者向けだったの? じゃあしばらくはポポを縫って練習するべき?
新たな可能性に辿り着いた僕は、ポポを練習用の布に何体か縫ったところでふと我に返って頭を抱えた。
ポポは一歩間違うと、とても卑猥なものに見えてしまう。僕はまだ上手く縫えないから、とても卑猥なものを縫ってしまっていた。
これ、目を縫わなかったらとても人に見せられない形になってる……
慌てて糸を解いていると、フェリーチェ様がルカくんを連れてやってきた。
危なかった。あんな卑猥なものを見つかったら、二人にどんな目で見られるか分からない。
「マティアス様、上手くできなかった?」
「最初に名前を縫おうかとRを練習したんですが、難しくて……」
嘘じゃない。最初はRを縫ったんだ。その後チンアナゴのような卑猥なものをいくつも縫っていたとは言えなかった。
「ルカくんもやってみる?」
僕は話を逸らせたくてルカくんに話を振ってみた。
「それいいかも! ルカくんに刺繍の入ったものをプレゼントされたらハリオなんて感動して泣くかもよ?」
フェリーチェ様が楽しそうに言うけど、ルカくんは消え入りそうな声で「そうですかね……」と呟いた。
ルカくんとハリオはなかなか上手くいかないらしい。相思相愛なのになんでだろう? 長年お互いを思ってきたのに、上手くいかないのは不思議だった。
「ルカくん、刺繍は僕もお勧めだよ。他のことを忘れるくらい集中できるし、ルカくんはあまり外に出ないから刺繍でなくても他の何かを始めるのはいいと思う」
「他のことを忘れるくらい集中か……やってみようかな」
こうしてうちでフェリーチェ様の刺繍講座が始まった。メイドのミーナも刺繍が好きなようで、講師として一緒にやることになった。ミーナは編み物だけじゃなく、やっぱり刺繍も得意だった。
「最初はどんなものがいいんでしょう?」
針も糸も触るのが初めてだというルカくんが質問すると、フェリーチェ様はポポを勧めた。やっぱりそうなのか……
ポポは初心者向けだったのか。R一文字ですら上手く縫えない僕でも、なんとか形にできるくらいだ。胴体部分に模様を入れなければ、一番簡単なんだろう。
ミーナはとても簡単そうにサクサクと縫って、ピエールを仕上げた。ちゃんと胴体部分には蔓の模様が入っている。
「ミーナ凄い!」
「さすがだね」
「上手いですね」
上手くなるとそんなこともできるのか。これは奥様方が刺繍にハマるか気持ちが分かる。思い通りに好きな模様を刺繍できたら楽しいだろう。
そしてポポの侵略はまた進んだ。ポポ、お前はどこまで侵略を進めるつもりだ?
「フェリーチェ!」
庭からフェリーチェ様を呼ぶ声がして、もうそんな時間なのかと席を立って窓の外を見た。
副団長が僕たちがいる二階の部屋の下から部屋を見上げていて、隣にはパンとシルもいる。また遊んでもらったのかもしれない。
「刺繍に集中していると時間を忘れてしまうの分かります。嫌なことを考えなくて済む」
俯き加減でそう呟くルカくんは、やっぱり悩みを抱えているようだ。嫌なことか……
ハリオは何をしているんだろう? 「ルカくんは生きる理由だ」なんて言いながら、嫌な気持ちになるほどのことをしたの?
「ルカくん、例の試してみたら? 無理にとは言わないけど、抜け出せるかもしれないよ?」
フェリーチェ様はルカくんの肩にポンと触れると、窓を開けて副団長に向かって飛び降りた。
えー!? ここ二階ですよ?
ラルフ様は櫓からか飛び降りたし、フェリーチェ様も身体能力が高いのかもしれないけど、シルが真似したら困るからやめてほしい。
怪我でもしたら大変だと、ルカくんと共に下を覗くと、しっかりと副団長がフェリーチェ様を受け止めていた。
なるほど、フェリーチェ様は副団長が受け止めてくれることを分かっていて飛び降りたんだ。信頼してるからできることだ。
やっぱり二人はお似合いの夫夫だと思った。
隣ではシルがすごいすごいと興奮しているけど、危ないから真似しないように言っておかなきゃ。僕とルカくんも急いで庭に向かった。
当たり前だけど僕たちは扉を出て、廊下を早足で歩いて階段を下りて庭に向かった。
「シル、危ないから真似したらダメだよ」
「うん! おとなになるまでがまんする!」
大人になっても危ないからやめてほしいけど、今はやらないって言ってるんだからそれでいいか。
副団長はフェリーチェ様を受け止めたまま、ずっと抱き抱えている。仲良しですね。
「じゃあ私たちはそろそろ帰るね」
副団長はフェリーチェ様を抱えたまま庭を歩いて行く。
そこに風のような速さで影が通り過ぎーーーーたかと思ったら僕はラルフ様に抱き上げられていた。
またリヴェラーニ夫夫に対抗してるんですか?
片手でシルのことも抱き上げたら、パンがヒンヒン鳴いたから、シルはパンの背中に降ろされた。シルを乗せたパンは誇らしげだ。小さい体で可愛い馬だ。
遠くにはロッドとハリオも見えるんだけど、ロッドとハリオはゆっくりとこっちに向かってくる。
「僕は部屋に戻る」
ルカくんは逃げるように裏口に向かってしまった。
僕には理由が分からなかったけど、フェリーチェ様がハリオを怖い顔で睨んでいたから、フェリーチェ様には理由が分かったんだろう。
「ハリオ、大切にするのはいいけど、ルカくんはお人形さんじゃないんだから、ちゃんと心も守ってやれ」
フェリーチェ様はハリオにそう言って帰っていった。
これでもまだハリオがルカくんを苦しめ続けるようなら、僕もルカくんと話をしてみよう。
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