夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
218 / 219
第五章

風 8

しおりを挟む
 ほっとしたようにコウは微笑んでいる。一仕事終えて深く息をついている、そんなふうに見える。彼の放つそのあまりにも自然な空気が、僕にはどうも納得できないでいた。

 だから、「赤毛ジンジャーはいったい何をしてるの?」と、もう何度目かになる質問を繰り返す。「ん」と、コウは返事とも尋ね返したともつかない曖昧な声を出し、迷っているのかしばらく小首を傾げていた。

「これを見せているのは彼の技じゃないよ。水の精霊ウンディーネの残像だよ」

 それから苦笑を湛えて呟かれたのは、またもや僕には理解できない切り口だ。

「ドラコの加えた修正が、水の精霊ウンディーネの水鏡に反射して像を結んでるんだよ」
「それって、僕らの送別会でしなきゃならないようなことなの?」と、つい、余計なことを口走ってしまう。
「月の巡りとこの会場が、ちょうど良かったんだ。ハムステッド・ヒースとここを線でつなぐと、ビッグ・ベンに向かってきれいな三角形が引けるんだ。ブーティカの塚にはすでに楔を打ってあるし、ここにも楔を打ち終えた。大丈夫、滞りなく終わったよ。それにしても、今日ここに集まっている人たちって――」

 僕の皮肉な物言いを気にすることもなく、コウは言葉を切って僕を見あげ、にこやかに微笑んでいる。口を挟むと何を言いだすか判らない自分が怖くて、僕の方が唇を固く結んでしまう。

「すごい理想を抱えてるよね。きみもそうだけどさ、みんなドラコの性質に似てるね。彼と同じで何よりも知性を愛してる。だから存分に彼の波動を増幅してくれたよ」

 ここにいるのは誰なんだ――。

 コウはあっさりと、とんでもない主張をしてくれる。それに、誰と誰が似てるって? 他の奴らは知ったことじゃないが、そのなかに僕が加えられるのだけはいただけない。けれど、コウ相手に文句を言う気にもなれなくて、ただ、まじまじと彼を見つめていた。

「きみたちって、水の星ウンディーネの地球を理性の光で包みたくてしかたないみたいだ」

 コウの目線が、また遥か遠くに見える金色の一点へと集中する。

「今見ているのはきみたちの夢であって、ドラコの意図するところじゃないよ。僕たちがここで望んだのは、もっとささやかなことだもの」
「ささやかなことって?」

 これが奴の望みではないと言うのなら、何だと言うのだ。それにコウが、「僕たち」と赤毛と同調する言い方をしたことも気になる。コウの望み、コウが奴を受け入れる理由。それこそが、僕が知りたいことなんだ。

「僕の故郷とつながってこんがらがってしまった水の精霊ウンディーネの道を断ち切って、あるべき形に戻すことだよ。そのために僕はここに来たんだもの。解き放つのは、この街ロンドン――、それに僕の故郷だよ」
「僕にはよく判らないけど、きみの願いはこれで叶ったの?」
「うん。ほら、きれいに道が整っていくのが見えるだろ」

 コウの指さす金色の光のなかに、ぼんやりとロンドンの街並みが――、やがてもっと鮮明に、高くそびえるビッグベンが見おろせた。時計の文字盤の見えるゴシック復興様式の尖塔から、七色に輝く帯状の小さなドラゴンが連なり、螺旋を描きながら勢いよく飛びたっている。

「あれも火の精霊サラマンダーのエネルギーなんだ」


 シュルシュルと四方八方に散っていった彼らは、上空でパパパンッと続けざまに破裂していた。
 花びらが散り落ちるように、闇空にまったりと黄金が滴り落ちては消えていく。
 歓声があがった。
 濃い煙幕を浮きあがらせて、色とりどりの大輪の花が咲き誇っていた。いくつも、いくつも――。


「彼の爪が水の精霊ウンディーネの道を切断し、彼の焔がその穴を塞いでくれた。――とりあえずはね」

 コウの言う「道」と僕のイメージする「道」は、どうやら大きな隔たりがあるらしい。夜空に高く昇っていく姿は火の精霊サラマンダーのように見えていたものも、頭上で花開いたときには、馬鹿騒ぎの終わりを告げる花火にしか見えなかったのだから。



 頬を撫でる夜気に、ぶるりと震えた。いつの間にか僕はコウと手をつないだまま、バルコニーに佇んでいたのだ。僕たちの周りでは誰もが、切れ間なく紫紺の空に打ち上がる花火を満足そうに眺めている。


「花火といえば――。これも僕のトラウマの一つだな」
「え、どうして?」
「キスしても、もう叩いたりしない?」

 唇を尖らせて軽く睨むと、くすくす笑われた。それからコウは、首に手をかけて僕を引き寄せ、優しいキスをくれた。誰に見られているか判らないのに、気にもかけない様子で。

「僕は挨拶のキスなんていらない。日本人だからね。そんな習慣はないもの。いつだって本気のキスがいい」
「コウはけっこう無茶を言うね。でも、いいよ。きみが僕に望んでくれるのなら。なんだって――」

 叶えてあげるよ、と危うく言いかけて、慌てて言葉を喉の奥へと押し戻した。コウにキスを返そうと顔をよせたそのすぐ先に、赤毛がニヤニヤ笑いながら立っていたのだ。思わずコウの肩を掴んで背後に隠したさ。

「ご苦労様。大したスペクタクルだったね。ガラスを割った程度で済んでほっとしたよ。ご苦労ついでに、このレストランの専属にしてもらったら? どうせ暇をもてあましてるんだろ」
「暇だと! 馬鹿も休み休み言え! なんだお前、まだコウから聴いてないのか! おい、コウ!」などと赤毛は僕の後ろにいるコウを、威圧的に呼んでいる。
「新しい同居人のことかな。それなら聴いてるよ。僕はこれ以上ややこしい同居……、」

 赤毛の後ろで銀の髪が揺れ、ひょこりと顔を出す。やはりあの子だ。


「ジニー! どうしてお前がここにいるんだ!」

 大声で割り込んできたのはショーンだ。「え?」と拍子抜けて、彼とその場に黙ったまま立っている銀の髪の少女を見比べる。

「妹なんだ」
「ショーン、人違いだよ。彼女はシルフィ。ドラコの親戚の子だよ」

 今度はショーンの方が、僕に負けず劣らず納得できない眼つきでコウを睨む。

「そんなはずないだろ! あの森で逢ったときはちゃんと――」
「ちょっと、」

 マリーに腕を引かれ、ショーンはぐっと唇を引き結んだ。落ち着きなく辺りに目を配り、一点で留まると瞳に戸惑いを見せて顔ごと伏せる。彼を戸惑わせた相手は、案の定バニーだ。悠然と人混みをかき分け僕たちに歩み寄ると、彼は当然のごとく、この二人の紹介を求めてきた。

 赤毛はいつもの傲慢な態度を崩さない。けれどバニーを無視することもなかった。シルフィという少女の方は黙ったままだ。

「彼女、人見知りがきつくて。それに英語はできないんだよ」と、コウが取り繕っている。
「で、話はついたんだろ!」
「俺はかまわないよ!」

 赤毛の横柄な言いぶりにすかさずショーンが応え、コウが僕に視線を注ぐ。ショーンも。マリーはそんな彼らを順繰りに眺め、赤毛とは目を合わさないようにさりげなく視線を逸らしてから、ひょいと肩をすくめて「別にいいわよ。コウがどうしてもって言うのなら――」と語尾を濁して同意を示した。


 居た堪れない……。
 これでは僕が同意しないわけにはいかないじゃないか。コウを救いだしたいのに、火の精霊サラマンダーの次は風の精霊シルフ! おまけにこの子の衣装、コウと揃いだ。僕よりもこの二人の方がよほどカップルに見えるなんて、いくらなんでもそれはないだろ!

 腹立たしさから、トレイ片手にフロアの人混みを滑るようにぬっている緑のフロックコートを睨みつける。こんな服装を揃えるなんて、こいつらの仕業だとしか考えられない。


「はい、はい、アルバートさま、カクテルでございます! どうぞ、どうぞ、皆様方も! 宴はまだまだ始まったばかりでございますとも!」


 しまった。

 お節介な緑の袖口が、僕にいくつものグラスののったトレイを早速さしだしている。

 頼んでもいないのに――。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

エートス 風の住む丘

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」  エートスは  彼の日常に  個性に  そしていつしか――、生き甲斐になる ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?   *****  今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。  

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...