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第五章
風 5
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悲鳴をあげて逃げ惑っていた大広間の連中が、いつまでたっても落ちてこないガラス片を訝しみ、顔や頭を庇っていた腕を怖々と外して頭上を仰ぎ見る。だが僕たちのいる二階フロアはそれよりも早く、誰もが、中空を満たす煌めく切片の異常な動きを、息を殺して見守っていた。
弾け散ったガラスの粒は、きらきらと七色に光り輝きながら天井付近で集まり固まっていく。それはやがて巨大な龍を形作り、悠々と波打ちながら蛇行し始めていた。
静寂を破るどよめきと拍手が、またしても、それこそ大波となってうねり響き渡った。
「なんとも人騒がせな演出だな。きみが神経を逆なでさせるって言うのも解るよ」と、バニーはくすくす笑いながら僕を振り返った。
「だが彼は人を傷つける意志はないようだね。ただのお遊びにすぎない」
視線を赤毛に戻しながら、彼はそう結論づけたようだ。
「そのお遊びにコウも僕も振り回され続けて、気が休まらないんだ。もう、くたくただよ。日常ってものは、こんなパーティイベントじゃないだろ? 僕は平穏が欲しいんだ。それにコウだって!」
――だからお前は偏狭だっていうんだ! あいつの心をお前が決めるな!
突然奴の金属的な声が、直に頭のなかに響いていた。
「勝手に僕を侵襲するんじゃないよ! そうやって自分勝手に境界を侵してくるから、きみを排除すべき存在として認知するしかないんじゃないか!」
思わず、ゆらゆらと動きの定まらないライトに腰かける赤毛に向かって声を荒げた。
「アル!」とバニーのたしなめる声に、はっと我に返る。
これでは僕の方がよほど、幻覚・幻聴を抱えた患者のようじゃないか。また奴にしてやられた。奴の、この小賢しいやり口に、いつも、いつもしてやられる!
ぎりっと下唇を噛んでいた。
確実にバニーに変に思われた。バニーの、彼の眼差しを確認するのが怖かった。
バニーは、いったいどこまで僕の話を信じてくれたのか。理解してくれているのか――。
土台から覆されたような気がしたのだ。病気なのはコウではなく、僕の方ではないのか、と彼に疑われたのではないかと。
「アル」、バニーは腕をとってこの場から僕を連れ出し、誰もいない壁際の一角へと誘った。アーチ型に切り取られた一枚の絵を観客越しに眺めるような、奴の姿を見とめることのできる絶妙な位置で足をとめる。
「アル、落ち着いて。何が聴こえた?」
「ただの幻声だよ」
「そう闇雲に否定しなくていい。アル、きみも、きみの恋人と変わらないくらい、赤毛の彼を取り入れてしまっているように僕には見える。それでその声は、きみを迫害する者だった?」
「迫害? いや、そうじゃない。奴はコウを、」
「彼の心をきみが代弁するな、って言ったのかな?」
伏せていた目をバニーに戻し、深く頷く。
やっぱりバニーだ。彼は普通では信じ難い僕の話を真剣に聴いてくれ、すでに赤毛に対しても彼なりの洞察を得ているのだ。
「それならばきみの取り入れた赤毛の彼は、きみの良心として機能しているようだね。きみがこれまで上手く扱うことのできなかった、超自我だな。――面白いよ」
バニーは目を細め、微笑んで奴に視線を流した。それはかつてのコウが、やんちゃな子どもを見守るように奴のことを目で追っていたのと同じような眼差しだ。
「きみまで奴の肩を持つなんてね」
僕は憮然としてバニーを睨み、つい、拗ねた子どものように唇をとがらせてしまった。
「おやおや、きみまでが退行してしまうのかい?」
バニーはくしゃりと僕の髪を撫でる。小さな子どもにするみたいに。そんな彼の仕草に、なんだかほっと息がつけた。でも表面上は眉をしかめて、ふいっと頭を振ってその手を払う。もう、バニーのうえにスティーブを重ねるわけにはいかない。
彼はにこにこと穏やかな笑みを湛えたまま、また視線を赤毛に戻している。僕もそれに倣い、赤毛を眺めながら彼に尋ねた。
「きみまでが、って他に誰を想定しての言葉?」
「彼だよ」
バニーは赤毛に目を据えたままだ。
「本当の彼はきみが思っているような、幼稚なお子さまではなさそうだからね」
バニーは、ゆっくりと噛みしめるように呟いた。視界に映る赤毛を細かく切り刻み、吟味しているかのように。
「そうか――、あのペンダントライトは……。アル!」
バニーがいきなり僕の腕を掴んで、赤毛を正面に見据える手摺りに向かって駆けだした。僕はわけのわからないままだ。
と、視界のはしにコウを捉えた。ショーンやマリーも。彼らも異変に気づいたのだろう。だが、コウは特に慌てた様子でもなく、人垣から少し離れた位置からじっと赤毛を見つめているだけだ。
「彼はいったい何をするつもりなんだ!」
今までとは打って変わった真剣な眼差しで、バニーは僕に問いただした。違う、僕にではない。僕たちを見つけて駆け寄ってきたコウに尋ねたのだ。
コウはそれには答えず、真っさきに僕の腕に自分の腕を絡めてきた。それからゆっくりと首を捻って、赤毛に面を向ける。じっと奴を眺めている。
ゆらゆらと揺れている奴の背後で、絡み合う金の蔦で編まれた壁や天井を覆う網が、まるで生きているかのように収縮と拡大を繰り返していた。離れた位置からは死角になっていて、僕はこの変化に気づいていなかったのだ。
金色の胃に、飲み込まれてでもいるようだ。
見ているだけで、気分が悪くなる。金でコーティングされた内臓の、ドクン、ドクンと脈打つさまを内側から見あげているようで――。
「解き放つんだよ」とコウは、ぽつりと呟いた。
弾け散ったガラスの粒は、きらきらと七色に光り輝きながら天井付近で集まり固まっていく。それはやがて巨大な龍を形作り、悠々と波打ちながら蛇行し始めていた。
静寂を破るどよめきと拍手が、またしても、それこそ大波となってうねり響き渡った。
「なんとも人騒がせな演出だな。きみが神経を逆なでさせるって言うのも解るよ」と、バニーはくすくす笑いながら僕を振り返った。
「だが彼は人を傷つける意志はないようだね。ただのお遊びにすぎない」
視線を赤毛に戻しながら、彼はそう結論づけたようだ。
「そのお遊びにコウも僕も振り回され続けて、気が休まらないんだ。もう、くたくただよ。日常ってものは、こんなパーティイベントじゃないだろ? 僕は平穏が欲しいんだ。それにコウだって!」
――だからお前は偏狭だっていうんだ! あいつの心をお前が決めるな!
突然奴の金属的な声が、直に頭のなかに響いていた。
「勝手に僕を侵襲するんじゃないよ! そうやって自分勝手に境界を侵してくるから、きみを排除すべき存在として認知するしかないんじゃないか!」
思わず、ゆらゆらと動きの定まらないライトに腰かける赤毛に向かって声を荒げた。
「アル!」とバニーのたしなめる声に、はっと我に返る。
これでは僕の方がよほど、幻覚・幻聴を抱えた患者のようじゃないか。また奴にしてやられた。奴の、この小賢しいやり口に、いつも、いつもしてやられる!
ぎりっと下唇を噛んでいた。
確実にバニーに変に思われた。バニーの、彼の眼差しを確認するのが怖かった。
バニーは、いったいどこまで僕の話を信じてくれたのか。理解してくれているのか――。
土台から覆されたような気がしたのだ。病気なのはコウではなく、僕の方ではないのか、と彼に疑われたのではないかと。
「アル」、バニーは腕をとってこの場から僕を連れ出し、誰もいない壁際の一角へと誘った。アーチ型に切り取られた一枚の絵を観客越しに眺めるような、奴の姿を見とめることのできる絶妙な位置で足をとめる。
「アル、落ち着いて。何が聴こえた?」
「ただの幻声だよ」
「そう闇雲に否定しなくていい。アル、きみも、きみの恋人と変わらないくらい、赤毛の彼を取り入れてしまっているように僕には見える。それでその声は、きみを迫害する者だった?」
「迫害? いや、そうじゃない。奴はコウを、」
「彼の心をきみが代弁するな、って言ったのかな?」
伏せていた目をバニーに戻し、深く頷く。
やっぱりバニーだ。彼は普通では信じ難い僕の話を真剣に聴いてくれ、すでに赤毛に対しても彼なりの洞察を得ているのだ。
「それならばきみの取り入れた赤毛の彼は、きみの良心として機能しているようだね。きみがこれまで上手く扱うことのできなかった、超自我だな。――面白いよ」
バニーは目を細め、微笑んで奴に視線を流した。それはかつてのコウが、やんちゃな子どもを見守るように奴のことを目で追っていたのと同じような眼差しだ。
「きみまで奴の肩を持つなんてね」
僕は憮然としてバニーを睨み、つい、拗ねた子どものように唇をとがらせてしまった。
「おやおや、きみまでが退行してしまうのかい?」
バニーはくしゃりと僕の髪を撫でる。小さな子どもにするみたいに。そんな彼の仕草に、なんだかほっと息がつけた。でも表面上は眉をしかめて、ふいっと頭を振ってその手を払う。もう、バニーのうえにスティーブを重ねるわけにはいかない。
彼はにこにこと穏やかな笑みを湛えたまま、また視線を赤毛に戻している。僕もそれに倣い、赤毛を眺めながら彼に尋ねた。
「きみまでが、って他に誰を想定しての言葉?」
「彼だよ」
バニーは赤毛に目を据えたままだ。
「本当の彼はきみが思っているような、幼稚なお子さまではなさそうだからね」
バニーは、ゆっくりと噛みしめるように呟いた。視界に映る赤毛を細かく切り刻み、吟味しているかのように。
「そうか――、あのペンダントライトは……。アル!」
バニーがいきなり僕の腕を掴んで、赤毛を正面に見据える手摺りに向かって駆けだした。僕はわけのわからないままだ。
と、視界のはしにコウを捉えた。ショーンやマリーも。彼らも異変に気づいたのだろう。だが、コウは特に慌てた様子でもなく、人垣から少し離れた位置からじっと赤毛を見つめているだけだ。
「彼はいったい何をするつもりなんだ!」
今までとは打って変わった真剣な眼差しで、バニーは僕に問いただした。違う、僕にではない。僕たちを見つけて駆け寄ってきたコウに尋ねたのだ。
コウはそれには答えず、真っさきに僕の腕に自分の腕を絡めてきた。それからゆっくりと首を捻って、赤毛に面を向ける。じっと奴を眺めている。
ゆらゆらと揺れている奴の背後で、絡み合う金の蔦で編まれた壁や天井を覆う網が、まるで生きているかのように収縮と拡大を繰り返していた。離れた位置からは死角になっていて、僕はこの変化に気づいていなかったのだ。
金色の胃に、飲み込まれてでもいるようだ。
見ているだけで、気分が悪くなる。金でコーティングされた内臓の、ドクン、ドクンと脈打つさまを内側から見あげているようで――。
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