210 / 219
第五章
仮面 8.
しおりを挟む
マリーの恋はいつも上手くいかない。最初はいい感じでスタートしても、長続きしない。今回は長続きどころか、スタートラインに立つことさえなく終わりそうだ。まさか僕の口から彼女に事情を話さなければならないのだろうか? それが彼女からコウに流れるなんてことはないだろうか。それだけは避けたい。
今はバニーにしても誰かとつきあっているわけでもないし、彼の恋愛対象は女性でも問題ないはずだ。バニーに話して――。いや、やはりダメだ。僕の口からこんな話をするなんて、バニーにも、マリーに対してもひどい仕打ちに違いない。
僕へ向けられたマリーの意味ありげな視線には気づかないフリをして、仕方なく彼らにバニーを紹介した。マリーは柄にもなく緊張している。ここに来る前に気づくべきだった。バニーの雰囲気はスティーブに似ている。僕がマリーから取りあげてきた父親の愛を彼女は誰かのうえに探し続けている。バニーなら、そんな彼女の深層にすぐに気づくだろう。やんわりとかわされ、恋愛対象としてみられることはまずないだろう。
「アル、ちょっといいかい? すぐに済むから、きみらはここで待っていてくれ」
ぐるぐると思考の罠に陥っていた僕をこの場に引き戻したのはショーンだった。マリーに後を託し、彼は僕の腕を取ってこの環を離れて歩きだす。受付が始まって動きだした人の流れを逆行して、芝生に入って人混みを避ける。
「フロックコートの双子たちに会ったかい?」と、彼は眉をひそめて辺りを伺いながら、声をひそめた。
「うん。片方にだけだけどね。部屋で着替えを手伝ってもらった」
軽くマントをつまみあげてみせる。
「そうじゃなくて、ここに来てるんだよ。声をかけたら、イベント会社のスタッフをしてるって! それも彼ら二人だけじゃなくて、同じ顔で同じ服装の奴らがあっちこっちにぞろぞろいるんだ!」
「どういうこと?」
「俺だって判らないよ。でも、コウはドラコも参加するって言ったんだろ? なにか企んでるんじゃないのかな。あるいは、企画に参加してるとか――」
「普通に参加するってことができないのか、あいつは――」
僕の呟きに、ショーンは口をへの字に曲げて大げさに肩をすくめる。
鮮やかな緑の蔦がからまる煉瓦造りの壁に、アーチ型の大きな窓が連なる建物の全景が、この場所からよく見渡せた。この古めかしい箱型の建造物が、これからビックリ箱にでも変えられるのではないかという憶測で背筋が凍える。そんな話をしている僕たちを、コウがじっと小首を傾げて眺めている。安心させたくて、無理に笑みを作って手を振った。
「僕はたぶん、始まったら教授に引っ張り回されてコウの傍についていられないと思うんだ。申し訳ないが、」
「解ってるって、今日の主役だもんな! 俺だってそのつもりで来てるよ。コウのことは任せとけって!」
不安に思っているというよりも、間違いなくショーンは何かが起こるのを期待している。そんな瞳をしている。けれどそんな彼らしい好奇心をみせたのは一瞬だけだった。
「それでさ、きみの先輩って、その、きみは、彼女に紹介するつもりで――」
今度は明らかにそわそわと落ち着かない素振りで、彼はちらちらとコウたち一群を見ている。というよりも、マリーを。
これは予期せぬ展開だ。僕のいない間に何があったのか知らないけれど――。
「ああ、先に話しておけばよかったね。コウに紹介するためだよ。相談役としてね。あんなことがあって間もないんだ。コウには心理面のケアをしてくれる人が必要だろ?」
「あ、そうなのか――」と、あからさまにほっとしたような吐息を、ショーンは漏らした。
アーノルドの館でのあの特殊状況下で、ショーンは思いがけずマリーの両親に対面した。彼がこれまで決して好意的にみたことのなかった上流中産階級に属するスティーブに感謝され意気投合した。これまで感じていたマリーに対する壁も、これで一気に崩れたのかもしれない。彼にしてみれば、この世とあの世の境界さえも踏み越えたのだ。現実での階級差の壁なぞ些細なことになったのだろう。この彼の意識変化は、僕に対するこれまでの壁を取り払うことにもなったように感じる。
僕としては、これはとても喜ばしい。コウに関しての余計な心配をしないですむ。そう思うだけで頬がほころんでくる。それにマリーにとっても――。
「さ、戻ろう。彼らが待ちくたびれてしまう」
ショーンの肩を抱いて歩きだした。彼はなんとも照れくさそうな顔をしている。僕たちを待つコウたちは和気あいあいと雑談しているようで――、違う、コウの面が緩やかに動いている。何かを目で追っているのだ。バニーはすぐにそれに気づき、同じ方向に視線を向けた。マリーだけが、緊張したまま喋り続けている。
バニーは訝しげにコウに視線を戻した。彼の視線の先にあるものが判らないのだろう。
コウ、きみはいったい何を見ているんだ――。
今はバニーにしても誰かとつきあっているわけでもないし、彼の恋愛対象は女性でも問題ないはずだ。バニーに話して――。いや、やはりダメだ。僕の口からこんな話をするなんて、バニーにも、マリーに対してもひどい仕打ちに違いない。
僕へ向けられたマリーの意味ありげな視線には気づかないフリをして、仕方なく彼らにバニーを紹介した。マリーは柄にもなく緊張している。ここに来る前に気づくべきだった。バニーの雰囲気はスティーブに似ている。僕がマリーから取りあげてきた父親の愛を彼女は誰かのうえに探し続けている。バニーなら、そんな彼女の深層にすぐに気づくだろう。やんわりとかわされ、恋愛対象としてみられることはまずないだろう。
「アル、ちょっといいかい? すぐに済むから、きみらはここで待っていてくれ」
ぐるぐると思考の罠に陥っていた僕をこの場に引き戻したのはショーンだった。マリーに後を託し、彼は僕の腕を取ってこの環を離れて歩きだす。受付が始まって動きだした人の流れを逆行して、芝生に入って人混みを避ける。
「フロックコートの双子たちに会ったかい?」と、彼は眉をひそめて辺りを伺いながら、声をひそめた。
「うん。片方にだけだけどね。部屋で着替えを手伝ってもらった」
軽くマントをつまみあげてみせる。
「そうじゃなくて、ここに来てるんだよ。声をかけたら、イベント会社のスタッフをしてるって! それも彼ら二人だけじゃなくて、同じ顔で同じ服装の奴らがあっちこっちにぞろぞろいるんだ!」
「どういうこと?」
「俺だって判らないよ。でも、コウはドラコも参加するって言ったんだろ? なにか企んでるんじゃないのかな。あるいは、企画に参加してるとか――」
「普通に参加するってことができないのか、あいつは――」
僕の呟きに、ショーンは口をへの字に曲げて大げさに肩をすくめる。
鮮やかな緑の蔦がからまる煉瓦造りの壁に、アーチ型の大きな窓が連なる建物の全景が、この場所からよく見渡せた。この古めかしい箱型の建造物が、これからビックリ箱にでも変えられるのではないかという憶測で背筋が凍える。そんな話をしている僕たちを、コウがじっと小首を傾げて眺めている。安心させたくて、無理に笑みを作って手を振った。
「僕はたぶん、始まったら教授に引っ張り回されてコウの傍についていられないと思うんだ。申し訳ないが、」
「解ってるって、今日の主役だもんな! 俺だってそのつもりで来てるよ。コウのことは任せとけって!」
不安に思っているというよりも、間違いなくショーンは何かが起こるのを期待している。そんな瞳をしている。けれどそんな彼らしい好奇心をみせたのは一瞬だけだった。
「それでさ、きみの先輩って、その、きみは、彼女に紹介するつもりで――」
今度は明らかにそわそわと落ち着かない素振りで、彼はちらちらとコウたち一群を見ている。というよりも、マリーを。
これは予期せぬ展開だ。僕のいない間に何があったのか知らないけれど――。
「ああ、先に話しておけばよかったね。コウに紹介するためだよ。相談役としてね。あんなことがあって間もないんだ。コウには心理面のケアをしてくれる人が必要だろ?」
「あ、そうなのか――」と、あからさまにほっとしたような吐息を、ショーンは漏らした。
アーノルドの館でのあの特殊状況下で、ショーンは思いがけずマリーの両親に対面した。彼がこれまで決して好意的にみたことのなかった上流中産階級に属するスティーブに感謝され意気投合した。これまで感じていたマリーに対する壁も、これで一気に崩れたのかもしれない。彼にしてみれば、この世とあの世の境界さえも踏み越えたのだ。現実での階級差の壁なぞ些細なことになったのだろう。この彼の意識変化は、僕に対するこれまでの壁を取り払うことにもなったように感じる。
僕としては、これはとても喜ばしい。コウに関しての余計な心配をしないですむ。そう思うだけで頬がほころんでくる。それにマリーにとっても――。
「さ、戻ろう。彼らが待ちくたびれてしまう」
ショーンの肩を抱いて歩きだした。彼はなんとも照れくさそうな顔をしている。僕たちを待つコウたちは和気あいあいと雑談しているようで――、違う、コウの面が緩やかに動いている。何かを目で追っているのだ。バニーはすぐにそれに気づき、同じ方向に視線を向けた。マリーだけが、緊張したまま喋り続けている。
バニーは訝しげにコウに視線を戻した。彼の視線の先にあるものが判らないのだろう。
コウ、きみはいったい何を見ているんだ――。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。
エートス 風の住む丘
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」
エートスは
彼の日常に
個性に
そしていつしか――、生き甲斐になる
ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?
*****
今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。
夏の嵐
萩尾雅縁
キャラ文芸
垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。
全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
胡桃の中の蜃気楼
萩尾雅縁
経済・企業
義務と規律に縛られ生きて来た英国貴族嫡男ヘンリーと、日本人留学生・飛鳥。全寮制パブリックスクールで出会ったこの類まれなる才能を持つ二人の出逢いが、徐々に世界を揺り動かしていく。青年企業家としての道を歩み始めるヘンリーの熾烈な戦いが今、始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる