206 / 219
第五章
仮面 4.
しおりを挟む
「コウの話をして」
もう開けていられないほど重くなっていた瞼はそのままで、何度も同じことを呟いていたような気がする。
久しぶりに自分の部屋へ戻ってきてベッドに転がったとたん、ようやく疲労を自覚して猛烈な睡魔に襲われていたのだ。
けれど、コウの話が聴きたい。下では結局僕の話ばかりしてしまって、この1週間のコウの様子をまだ聴かずじまいだ。
コウは、「入学式はまだだし、ときどき買い物に出るくらいしかしてないんだ。ほとんど部屋で本を読んでいただけだよ」と笑って言っているけれど。
「それで退屈じゃなかった? 食事はちゃんと採ってたの?」
半分夢現で、握っていたコウの掌から指の1本1本までを、指を絡めて、撫でて、弄びながら、たわいもないことをいくつも重ねて尋ねていた。
どんな本を読んでいたの? また根を詰めて、無理をしなかった? ショーンや、マリーが我がままで困らせたりは――。
口に出して訊けたかどうか、判らない。けれどコウが、僕の掌にキスをくれた感触だけは確かだったと思う。
夢のなかでコウと愛し合っていた。僕は相当欲求不満が溜まっていたらしい。でもこれは夢だから罪悪感を持つこともなく。
夢なのに僕はとても疲れていて、コウに優しく労わってもらったような気がする。
――どうも立場が逆転している。
けれどコウを渇望する僕のように僕を欲しがるコウに、これまで味わったことのない充足を感じていた。
なんだか僕たちはあの無意識の海で、互いの一部を交換してきたんじゃないかという気さえする。忍耐強く思いやり深いコウが僕のなかで僕を抑制し、激しい僕の渇望がコウのなかでコウ自身を表出する。互いを取り入れることで、僕たちはより近づいて飛躍する。混じりあい、溶けあった、別々の個として――。
「アル」
「ん――」
「アル、そろそろ起きないと。着替えて準備しないと」
「ん」
コウの肌に艶が戻っている。この入れ墨は変わらずだけど――。さすがに、もう……。
「ああ――。夢だと思ってたよ」
「うん、アルは眠っていそうだなって思ってた。ごめん、我慢できなくて」
「我慢しなくていい」
コウの頭を胸に抱き寄せた。
徐々に意識がはっきりしてくると、なんだか気恥ずかしくてならなくなった。夢だと思っていたから、かなり好き勝手していたような気がするのだ。それに、コウも――。
「アル、きみって本当に不思議だな、っていつも思うよ。どうしてこうも無防備でいられるんだろう」
コウが頭をもたげて、拗ねたようにちょっとふくれっ面をする。
「無防備?」
「そうだよ! 久しぶりに逢えて同じベッドにいるっていうのに、すこんと寝ちゃうし」
「僕はコウに襲われたの?」
照れ臭そうに唇をすぼめるコウがかわいくて、思わずクツクツ笑ってしまった。そういえばショーンとも似たような会話をしたような気がする。無防備って――、そんなふうに見えるなんて。
「眠くて寝てただけなのに、誘っているように見えた?」
「ごめん」
「コウなら大歓迎」
「――本当は、不安だったんだよ。きみがずっと我慢しているように思えて。きみの心は、今も彼に握られたままで、このまま彼のもとに留まってしまうんじゃないかって、怖くてしようがなかったんだ」と、コウはまた僕の胸に頬を摺り寄せてくる。
僕の存在を確かめずにはいられなかった。たぶん、そういうことなんだと思う。
アーノルド――。切り離すことなどできない、僕の影。
「そうだね。僕もどうしてこんな決断をしたのか、自分でもまだよく判っていないんだ。でも、我慢しているわけじゃないよ。これ以上我慢しないための選択だったって思ってるよ」
「うん――」
そのままの姿勢で大きく息を吸いこんでから、コウは半身を起こした。
「さ、シャワーを浴びて着替えなきゃ。それに何か話があるって言ってただろ? 先にする?」
かわいいな――。
ゆるりと腕を伸べて、少し上気した薔薇色のコウの頬を包んだ。
意志の強そうな瞳。
ふと彼の認識するコウを思いだしていた。その形容が、これはコウだと教えてくれたのだった。
そして僕はこのとき突然、自分の認識の誤りに気がついたのだ。
儚げに消えてしまいそうなのは、コウじゃない。
僕だ。
僕の認知が歪んでいる。僕はコウに投影した僕自身を見ていたにすぎない。
コウはちゃんとここにいる。
覚束ないのは僕自身――。
バニーに指摘された通りじゃないか。ケアが必要なのはおそらく僕の方だ。
僕のコウは、強い。こんなもずっと僕を支え続けてくれるほどに、強い。
コウは消えてしまったりしない。現実を生きぬくだけの強さをちゃんと持っている。
僕だって。僕だってそのはずだ。
ただ、おそらく、今はとても傷ついているだけで――。
コウの頬に当てた掌を背中に滑らせ、縋りつくように彼を抱きしめた。コウはすべて解っているかのように、僕の髪を優しく梳いてくれていた。
もう開けていられないほど重くなっていた瞼はそのままで、何度も同じことを呟いていたような気がする。
久しぶりに自分の部屋へ戻ってきてベッドに転がったとたん、ようやく疲労を自覚して猛烈な睡魔に襲われていたのだ。
けれど、コウの話が聴きたい。下では結局僕の話ばかりしてしまって、この1週間のコウの様子をまだ聴かずじまいだ。
コウは、「入学式はまだだし、ときどき買い物に出るくらいしかしてないんだ。ほとんど部屋で本を読んでいただけだよ」と笑って言っているけれど。
「それで退屈じゃなかった? 食事はちゃんと採ってたの?」
半分夢現で、握っていたコウの掌から指の1本1本までを、指を絡めて、撫でて、弄びながら、たわいもないことをいくつも重ねて尋ねていた。
どんな本を読んでいたの? また根を詰めて、無理をしなかった? ショーンや、マリーが我がままで困らせたりは――。
口に出して訊けたかどうか、判らない。けれどコウが、僕の掌にキスをくれた感触だけは確かだったと思う。
夢のなかでコウと愛し合っていた。僕は相当欲求不満が溜まっていたらしい。でもこれは夢だから罪悪感を持つこともなく。
夢なのに僕はとても疲れていて、コウに優しく労わってもらったような気がする。
――どうも立場が逆転している。
けれどコウを渇望する僕のように僕を欲しがるコウに、これまで味わったことのない充足を感じていた。
なんだか僕たちはあの無意識の海で、互いの一部を交換してきたんじゃないかという気さえする。忍耐強く思いやり深いコウが僕のなかで僕を抑制し、激しい僕の渇望がコウのなかでコウ自身を表出する。互いを取り入れることで、僕たちはより近づいて飛躍する。混じりあい、溶けあった、別々の個として――。
「アル」
「ん――」
「アル、そろそろ起きないと。着替えて準備しないと」
「ん」
コウの肌に艶が戻っている。この入れ墨は変わらずだけど――。さすがに、もう……。
「ああ――。夢だと思ってたよ」
「うん、アルは眠っていそうだなって思ってた。ごめん、我慢できなくて」
「我慢しなくていい」
コウの頭を胸に抱き寄せた。
徐々に意識がはっきりしてくると、なんだか気恥ずかしくてならなくなった。夢だと思っていたから、かなり好き勝手していたような気がするのだ。それに、コウも――。
「アル、きみって本当に不思議だな、っていつも思うよ。どうしてこうも無防備でいられるんだろう」
コウが頭をもたげて、拗ねたようにちょっとふくれっ面をする。
「無防備?」
「そうだよ! 久しぶりに逢えて同じベッドにいるっていうのに、すこんと寝ちゃうし」
「僕はコウに襲われたの?」
照れ臭そうに唇をすぼめるコウがかわいくて、思わずクツクツ笑ってしまった。そういえばショーンとも似たような会話をしたような気がする。無防備って――、そんなふうに見えるなんて。
「眠くて寝てただけなのに、誘っているように見えた?」
「ごめん」
「コウなら大歓迎」
「――本当は、不安だったんだよ。きみがずっと我慢しているように思えて。きみの心は、今も彼に握られたままで、このまま彼のもとに留まってしまうんじゃないかって、怖くてしようがなかったんだ」と、コウはまた僕の胸に頬を摺り寄せてくる。
僕の存在を確かめずにはいられなかった。たぶん、そういうことなんだと思う。
アーノルド――。切り離すことなどできない、僕の影。
「そうだね。僕もどうしてこんな決断をしたのか、自分でもまだよく判っていないんだ。でも、我慢しているわけじゃないよ。これ以上我慢しないための選択だったって思ってるよ」
「うん――」
そのままの姿勢で大きく息を吸いこんでから、コウは半身を起こした。
「さ、シャワーを浴びて着替えなきゃ。それに何か話があるって言ってただろ? 先にする?」
かわいいな――。
ゆるりと腕を伸べて、少し上気した薔薇色のコウの頬を包んだ。
意志の強そうな瞳。
ふと彼の認識するコウを思いだしていた。その形容が、これはコウだと教えてくれたのだった。
そして僕はこのとき突然、自分の認識の誤りに気がついたのだ。
儚げに消えてしまいそうなのは、コウじゃない。
僕だ。
僕の認知が歪んでいる。僕はコウに投影した僕自身を見ていたにすぎない。
コウはちゃんとここにいる。
覚束ないのは僕自身――。
バニーに指摘された通りじゃないか。ケアが必要なのはおそらく僕の方だ。
僕のコウは、強い。こんなもずっと僕を支え続けてくれるほどに、強い。
コウは消えてしまったりしない。現実を生きぬくだけの強さをちゃんと持っている。
僕だって。僕だってそのはずだ。
ただ、おそらく、今はとても傷ついているだけで――。
コウの頬に当てた掌を背中に滑らせ、縋りつくように彼を抱きしめた。コウはすべて解っているかのように、僕の髪を優しく梳いてくれていた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
悪役令息に転生したので、断罪後の生活のために研究を頑張ったら、旦那様に溺愛されました
犬派だんぜん
BL
【完結】
私は、7歳の時に前世の理系女子として生きた記憶を取り戻した。その時気付いたのだ。ここが姉が好きだったBLゲーム『きみこい』の舞台で、自分が主人公をいじめたと断罪される悪役令息だということに。
話の内容を知らないので、断罪を回避する方法が分からない。ならば、断罪後に平穏な生活が送れるように、追放された時に誰か領地にこっそり住まわせてくれるように、得意分野で領に貢献しよう。
そしてストーリーの通り、卒業パーティーで王子から「婚約を破棄する!」と宣言された。さあ、ここからが勝負だ。
元理系が理屈っぽく頑張ります。ハッピーエンドです。(※全26話。視点が入れ代わります)
他サイトにも掲載。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
「私が愛するのは王妃のみだ、君を愛することはない」私だって会ったばかりの人を愛したりしませんけど。
下菊みこと
恋愛
このヒロイン、実は…結構逞しい性格を持ち合わせている。
レティシアは貧乏な男爵家の長女。実家の男爵家に少しでも貢献するために、国王陛下の側妃となる。しかし国王陛下は王妃殿下を溺愛しており、レティシアに失礼な態度をとってきた!レティシアはそれに対して、一言言い返す。それに対する国王陛下の反応は?
小説家になろう様でも投稿しています。
いつだって二番目。こんな自分とさよならします!
椿蛍
恋愛
小説『二番目の姫』の中に転生した私。
ヒロインは第二王女として生まれ、いつも脇役の二番目にされてしまう運命にある。
ヒロインは婚約者から嫌われ、両親からは差別され、周囲も冷たい。
嫉妬したヒロインは暴走し、ラストは『お姉様……。私を救ってくれてありがとう』ガクッ……で終わるお話だ。
そんなヒロインはちょっとね……って、私が転生したのは二番目の姫!?
小説どおり、私はいつも『二番目』扱い。
いつも第一王女の姉が優先される日々。
そして、待ち受ける死。
――この運命、私は変えられるの?
※表紙イラストは作成者様からお借りしてます。
(完結)私の夫は死にました(全3話)
青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。
私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。
ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・
R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。
時空超越ストライカーズ!~A Football Tale in Great Britain~
雪銀海仁@自作絵&小説商業連載中
青春
《ラノベストリート「第二回マンガ原作大賞」で読者賞&最高総合17位》
《ジャンル別日間最高3位/3900作、同週間6位、同月間23位
《MAGNET MACROLINK第5回小説コンテストランキング最終28位》
2018年夏の星海社FICTIONS新人賞の座談会で編集部より好評価を頂いた作品です》
高一の桐畑瑛士《きりはたえいし》はサッカー強豪校にスポーツ特待生で入りサッカー部に入るが、活躍できず辞めていた。ある日、桐畑は突如現れた大昔のサッカーボールに触れてしまい、十九世紀イギリスにタイムスリッブした。容姿はパブリックスクール、ホワイトフォード校のフットボール部のケントとなっていた。そこには高校での級友で、年代別のサッカー女子日本代表の朝波遥香《あさなみはるか》がフットボール部のアルマと入れ替わっていて……。
作者はサッカー経験者でマンCとバルサの大ファンです
19世紀の大英帝国の雰囲気がよくでていると感想を頂くことも多く、その点でも楽しめるかもしれないです。
イラストも描いており、表紙は自筆のイラストです。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる