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第四章
夢の跡 4.
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「でも――、僕は……」
戸惑っているのか、コウの瞳が揺れている。
「僕がきみに対してあまりにも不誠実だったから、信じられない?」
コウは慌てて頭を振る。
「それは文化の違いだって解ってるよ。醜い嫉妬心や独占欲を抑えられない僕が悪いんだ。アルはちゃんと僕のことが好きだって言ってくれてるのに――。きみに釣り合わない自分が情けなさすぎて……」
想定外の返事に、さすがに僕も不安が掻きたてられた。僕を悩ませてきた嫉妬や独占欲が、コウの場合では自責に転じられていた、とそれは気づいていた。そのせいで今、コウにこんな悲愴な面持ちをさせてしまっていることも。
だがそれとは別に、この方を先に尋ねたい。僕を信用できないのが文化の違いだなんて。そうなると、さすがにかなり微妙な問題になってくるように思うのだ。
「文化の違いって、例えば、どんなこと?」
「西洋人にとってのセックスって、握手みたいなものなんだろ? 僕の考え方や感じ方が古いんだって解ってる。だけど解っていても、そう、うまく心をコントロールできるものでもなくて――。ごめん、いつまでも幼稚で」
「――どこの馬鹿が、そんな間違った認識をきみに吹きこんだの?」
まぁ、誰が、などと訊くまでもないことだろう。脳裏に浮かんだショーンの間抜け面に、まずは文句を言いたい。さすがの僕も、これには唖然としてしまったよ。
まるで握手をするようにセックスする――。
確かに自分のしてきたことを思えば返せる言葉はない。けれど、いくら僕でもそれが一般的通念だとは思わないし、そんな言い訳をする気もない。だからコウの嫉妬心は僕へ向かわずに、自分の感覚が間違っているのだと彼自身を責めることになり、感情を上手く処理できない不甲斐なさから僕を避けるようになっていたのか、と合点がいった。
「僕の性に関する認識は、コウとそんなに違わないんじゃないかな。価値観の多様性は認めるけれど、きみの国と同じ、一夫一妻制を採っている国の人間だもの。僕だって、握手をするようにセックスすることが、いいことだとは思っていないよ」
「え――」
「行為のくれる快楽は確かに魅力的なものだけど、誰だってそれ以上のもの――、特定の誰かに一人の人間として愛され、認められ、親密な関係性を築きあげていくことを望んでいる。僕だって御多分に漏れずそうだよ。確かに、なかにはそうじゃない人もいるだろう。けれどそんな連中は、相手に対する責任を放棄して消費するだけの関係性しか築けない、人として成熟していないものとみなされる。それが、この国の社会通念だと僕は認識しているよ」
「でも――、みんな、」
「きみの幼さは、自分の素直な感覚が間違っている、と思いこんでしまうところだよ。でもそれも、僕の未熟さを押しつけられ、それでもきみが理解し受け止めようとしてくれたからだよね。僕は、そんなきみをとても傷つけていたんだね。だからこそ、僕は心からきみに謝りたいんだ」
今ならバニーに言われた僕の性衝動は怒りだという指摘に、異論なく頷くことができる。
僕にとってのセックスはずっと暴力だったのだ。性の持つ暴力性によって相手をねじ伏せ支配する、そんな快楽に酔うことで自分自身の怒りの感情を麻痺させ、鎮めていたにすぎない。そんな僕に、コウはなんの衒いもなく愛を差しだしみせてくれた。彼に映る僕のなかに、僕はようやく自分の愚かさを見、罪を感じ、恥を知るに至ったのだ。
僕の性衝動は死の欲動に転換され、僕自身の生を破壊し、暴力的にコウを巻きこみ苦しめていた。だがそれはトリスケルの渦になることで、僕たちを内的世界の深みへと引き込んだ。そこでコウの火焔と交じわったのだ。互いに絡み合いながら螺旋に渦巻き昇華した。コウの始原の焔が、僕だけでは成し得なかった、僕の生命力の死から生への転換を果たしてくれたのだ。
僕はこの悔恨と僕の恥をコウに伝えて謝りたい。けれど同時に、こんな疑念が想いを彼に伝えることを押し留める。
性衝動が性的な欲動のみから引き起こされるものではないことを、コウに解ってもらえるかどうか――。
交流の一手段としてのセックスではなく、僕が処理できない感情を攻撃欲動に変えていたのだという事実は、余計に彼を混乱させ、不安にさせてしまうのではないだろうか。コウは僕のために、僕の苦痛を抱えようと思いやり深い解釈で自らを納得させ、またもや自分の苦しい想いを表出させることを諦めてしまうのではないだろうか。
僕はもう、同じ過ちを繰り返さない。
怒りも、悲しみも、苦痛も、自分自身で抱えることができるから。
「僕は完璧な人間じゃないし、これからだって、どんなことでつまずいて間違いを犯さないとも限らない。それでも僕は、何よりもまず、きみを大切にできる僕になりたい。コウ、僕を許してくれる?」
「許すも、何も――」
コウは声を詰まらせ押し黙った。やがて言葉よりも雄弁に、僕を抱きしめるための両腕が緩やかに伸ばされた。
彼の膝上のトレイで、ティーカップがカチャカチャと小さく音をたてた。僕はそれを脇にどけ、しっかりと彼を抱きしめた。
戸惑っているのか、コウの瞳が揺れている。
「僕がきみに対してあまりにも不誠実だったから、信じられない?」
コウは慌てて頭を振る。
「それは文化の違いだって解ってるよ。醜い嫉妬心や独占欲を抑えられない僕が悪いんだ。アルはちゃんと僕のことが好きだって言ってくれてるのに――。きみに釣り合わない自分が情けなさすぎて……」
想定外の返事に、さすがに僕も不安が掻きたてられた。僕を悩ませてきた嫉妬や独占欲が、コウの場合では自責に転じられていた、とそれは気づいていた。そのせいで今、コウにこんな悲愴な面持ちをさせてしまっていることも。
だがそれとは別に、この方を先に尋ねたい。僕を信用できないのが文化の違いだなんて。そうなると、さすがにかなり微妙な問題になってくるように思うのだ。
「文化の違いって、例えば、どんなこと?」
「西洋人にとってのセックスって、握手みたいなものなんだろ? 僕の考え方や感じ方が古いんだって解ってる。だけど解っていても、そう、うまく心をコントロールできるものでもなくて――。ごめん、いつまでも幼稚で」
「――どこの馬鹿が、そんな間違った認識をきみに吹きこんだの?」
まぁ、誰が、などと訊くまでもないことだろう。脳裏に浮かんだショーンの間抜け面に、まずは文句を言いたい。さすがの僕も、これには唖然としてしまったよ。
まるで握手をするようにセックスする――。
確かに自分のしてきたことを思えば返せる言葉はない。けれど、いくら僕でもそれが一般的通念だとは思わないし、そんな言い訳をする気もない。だからコウの嫉妬心は僕へ向かわずに、自分の感覚が間違っているのだと彼自身を責めることになり、感情を上手く処理できない不甲斐なさから僕を避けるようになっていたのか、と合点がいった。
「僕の性に関する認識は、コウとそんなに違わないんじゃないかな。価値観の多様性は認めるけれど、きみの国と同じ、一夫一妻制を採っている国の人間だもの。僕だって、握手をするようにセックスすることが、いいことだとは思っていないよ」
「え――」
「行為のくれる快楽は確かに魅力的なものだけど、誰だってそれ以上のもの――、特定の誰かに一人の人間として愛され、認められ、親密な関係性を築きあげていくことを望んでいる。僕だって御多分に漏れずそうだよ。確かに、なかにはそうじゃない人もいるだろう。けれどそんな連中は、相手に対する責任を放棄して消費するだけの関係性しか築けない、人として成熟していないものとみなされる。それが、この国の社会通念だと僕は認識しているよ」
「でも――、みんな、」
「きみの幼さは、自分の素直な感覚が間違っている、と思いこんでしまうところだよ。でもそれも、僕の未熟さを押しつけられ、それでもきみが理解し受け止めようとしてくれたからだよね。僕は、そんなきみをとても傷つけていたんだね。だからこそ、僕は心からきみに謝りたいんだ」
今ならバニーに言われた僕の性衝動は怒りだという指摘に、異論なく頷くことができる。
僕にとってのセックスはずっと暴力だったのだ。性の持つ暴力性によって相手をねじ伏せ支配する、そんな快楽に酔うことで自分自身の怒りの感情を麻痺させ、鎮めていたにすぎない。そんな僕に、コウはなんの衒いもなく愛を差しだしみせてくれた。彼に映る僕のなかに、僕はようやく自分の愚かさを見、罪を感じ、恥を知るに至ったのだ。
僕の性衝動は死の欲動に転換され、僕自身の生を破壊し、暴力的にコウを巻きこみ苦しめていた。だがそれはトリスケルの渦になることで、僕たちを内的世界の深みへと引き込んだ。そこでコウの火焔と交じわったのだ。互いに絡み合いながら螺旋に渦巻き昇華した。コウの始原の焔が、僕だけでは成し得なかった、僕の生命力の死から生への転換を果たしてくれたのだ。
僕はこの悔恨と僕の恥をコウに伝えて謝りたい。けれど同時に、こんな疑念が想いを彼に伝えることを押し留める。
性衝動が性的な欲動のみから引き起こされるものではないことを、コウに解ってもらえるかどうか――。
交流の一手段としてのセックスではなく、僕が処理できない感情を攻撃欲動に変えていたのだという事実は、余計に彼を混乱させ、不安にさせてしまうのではないだろうか。コウは僕のために、僕の苦痛を抱えようと思いやり深い解釈で自らを納得させ、またもや自分の苦しい想いを表出させることを諦めてしまうのではないだろうか。
僕はもう、同じ過ちを繰り返さない。
怒りも、悲しみも、苦痛も、自分自身で抱えることができるから。
「僕は完璧な人間じゃないし、これからだって、どんなことでつまずいて間違いを犯さないとも限らない。それでも僕は、何よりもまず、きみを大切にできる僕になりたい。コウ、僕を許してくれる?」
「許すも、何も――」
コウは声を詰まらせ押し黙った。やがて言葉よりも雄弁に、僕を抱きしめるための両腕が緩やかに伸ばされた。
彼の膝上のトレイで、ティーカップがカチャカチャと小さく音をたてた。僕はそれを脇にどけ、しっかりと彼を抱きしめた。
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