180 / 219
第四章
大地 2
しおりを挟む
――虹だぞ!
「虹だ!」
赤毛とコウの声が被る。遠い空に架かる巨大な虹は、ホリゾントの空で見た虹とは明らかに違う神秘的な輝きを帯びている。
「四大精霊の人形が壊されたんだ! 急いで、アル! 出口が開く!」
コウが僕の腕を引っ張る。だが、足を踏みだしかけて、コウは、はっとしたように動きを止め、僕を見上げた。
「アル、好きだよ。――もしきみが、ここを通り抜ける間に僕のことが嫌になったとしても、僕はそれを受け入れる覚悟はできているから。きみは、きみの心のままに」
「コウ、ここがきみの心のなかだとしても、僕がどう思うかを決めるのは僕自身だよ。僕の心はいつだってきみに向かうことを、僕はもう充分に知っている」
不安に揺れるコウの瞼に、キスを落とした。唇にも――。
「僕の手を離さないで」と、コウをもう一度抱きしめてから彼の手を取った。
コウが一歩足を進める。とたんに景色が消え、コウも消えた。でも不安には思わなかった。たとえ何も見えなくても、僕を包んでくれているコウを感じていた。足元に地面があるのかさえ定かではない闇に、僕も一歩、また一歩と足を踏みだす。
この足裏に感じる弾力はなんだろう――。まるで、人の皮膚のうえを歩いているような。じっと地面に目を凝らした。慣れてくると、漆黒は濡羽色がかって光を帯びていく。だがこの感触が何で、どこを歩いているのかは皆目見当がつかない。履いていたはずの靴はいつの間にか消え、素足にこの人肌の感触を感じていた。それはやがて粒々とした丸みを帯びた砂利に変わり、シャリシャリと幽かな音をたて始める。仄かな光を帯びて、互いに囁き交わしているのだ。
意味をなさない重なり合う声。じっとりとまといつく不快な温度。背中が熱い。僕を取り込もうと、数多の手がその砂利のなかから伸びてくる。渦巻が僕から溢れだし、それらを寄せつけないように竜巻を作って僕を守る。
涙がボロボロと溢れていた。
これはコウの感情だ。僕は今、コウになって、彼の来た道を歩んでいる。幼いころをこの河原で過ごしてきた、彼の記憶を見ているのだ。
僕が今、足の下に踏みつけているのは、人の魂の敷き詰められた彼岸の河原だ。原初の大海に戻ることのできないまま、凝固し留まり続ける怨嗟の想いだ。
これが、コウの認識する「虹のたもと」なのだ。
そして、ここが彼の育った場所。彼が、恐れ、愛する、彼の故郷――。
この数多の魂たちを原初の海に還すことが、彼の役目だというのか――。
なぜ、たかだか一個人が、そんな役割を負わされなければならないのだ? 血の契約だかなんだか知らないが、奴はどうも、コウの優しさにつけこんでいるような気がしてやるせない。
僕の感じるコウの哀しみに、僕は怒りを感じていた。コウの優しさに、憐れみに縋ろうとするこれらの手を、踏みしだき蹴散らしながら僕は進んだ。
渡すものか――。コウは生きた人間で、彼自身の生を生きなければならない。恨みつらみに囚われて、凝った魂にかまっている暇などない。
僕の怒りから火焔が生まれる。
トリスケルの渦が、この玉砂利ごと焔を噴きあげ、空を赤々と染めた。
なんて美しい焔だろう、と、僕としたことが、これがあの赤毛の真の姿だと解っていながら見とれてしまった。
奴の焔は、愛なのか――。
コウの涙でしっとりと心地良く湿ったこれらの凝りを乾かして、焔で浄化し始原に戻す。絡み合い、螺旋にうねり吹きすさぶ、焔の渦。
その中心に僕がいた。
焼かれているのは僕自身だ。
凝った魂――、それこそが僕自身の姿だった。
僕もコウに縋りつく、ひとかけらの礫にすぎないのだ。
コウの心にその重さを叩きつけ、波紋を作ることで自らの存在を確認する。水鏡に自らを映して愛を語っていたにすぎないナルキッソスだ。
奴の焔は熱くはなかった。
コウがこんな僕を、それでも抱えてくれているから――。
この数多の礫のなかから、コウは僕を拾いあげた。僕を胸に抱いたまま、焔に熔けて始原の海へ還っていった。
赤毛の焔で焼き尽くされた僕は、トリスケルの渦のなかで攪拌され、凝固し、再び生まれる。泡から生まれたビーナスのように――。
コウという始原の海から、この大地へと再び産み落とされるのだ。
すべてを焼き尽くした焔がなだらかにその矛先を大地の許へ収めたとき、闇色に戻ったこの空間に、ぽかりと光を帯びた扉が見えた。
そこから続く、一筋の白い道。
ロンドンの赤毛のアパートメントから白い道を巡ってここへたどり着いたように、僕はこれからまたこの道をたどって還るのだ。
僕たちの生きる世界へ。
「虹だ!」
赤毛とコウの声が被る。遠い空に架かる巨大な虹は、ホリゾントの空で見た虹とは明らかに違う神秘的な輝きを帯びている。
「四大精霊の人形が壊されたんだ! 急いで、アル! 出口が開く!」
コウが僕の腕を引っ張る。だが、足を踏みだしかけて、コウは、はっとしたように動きを止め、僕を見上げた。
「アル、好きだよ。――もしきみが、ここを通り抜ける間に僕のことが嫌になったとしても、僕はそれを受け入れる覚悟はできているから。きみは、きみの心のままに」
「コウ、ここがきみの心のなかだとしても、僕がどう思うかを決めるのは僕自身だよ。僕の心はいつだってきみに向かうことを、僕はもう充分に知っている」
不安に揺れるコウの瞼に、キスを落とした。唇にも――。
「僕の手を離さないで」と、コウをもう一度抱きしめてから彼の手を取った。
コウが一歩足を進める。とたんに景色が消え、コウも消えた。でも不安には思わなかった。たとえ何も見えなくても、僕を包んでくれているコウを感じていた。足元に地面があるのかさえ定かではない闇に、僕も一歩、また一歩と足を踏みだす。
この足裏に感じる弾力はなんだろう――。まるで、人の皮膚のうえを歩いているような。じっと地面に目を凝らした。慣れてくると、漆黒は濡羽色がかって光を帯びていく。だがこの感触が何で、どこを歩いているのかは皆目見当がつかない。履いていたはずの靴はいつの間にか消え、素足にこの人肌の感触を感じていた。それはやがて粒々とした丸みを帯びた砂利に変わり、シャリシャリと幽かな音をたて始める。仄かな光を帯びて、互いに囁き交わしているのだ。
意味をなさない重なり合う声。じっとりとまといつく不快な温度。背中が熱い。僕を取り込もうと、数多の手がその砂利のなかから伸びてくる。渦巻が僕から溢れだし、それらを寄せつけないように竜巻を作って僕を守る。
涙がボロボロと溢れていた。
これはコウの感情だ。僕は今、コウになって、彼の来た道を歩んでいる。幼いころをこの河原で過ごしてきた、彼の記憶を見ているのだ。
僕が今、足の下に踏みつけているのは、人の魂の敷き詰められた彼岸の河原だ。原初の大海に戻ることのできないまま、凝固し留まり続ける怨嗟の想いだ。
これが、コウの認識する「虹のたもと」なのだ。
そして、ここが彼の育った場所。彼が、恐れ、愛する、彼の故郷――。
この数多の魂たちを原初の海に還すことが、彼の役目だというのか――。
なぜ、たかだか一個人が、そんな役割を負わされなければならないのだ? 血の契約だかなんだか知らないが、奴はどうも、コウの優しさにつけこんでいるような気がしてやるせない。
僕の感じるコウの哀しみに、僕は怒りを感じていた。コウの優しさに、憐れみに縋ろうとするこれらの手を、踏みしだき蹴散らしながら僕は進んだ。
渡すものか――。コウは生きた人間で、彼自身の生を生きなければならない。恨みつらみに囚われて、凝った魂にかまっている暇などない。
僕の怒りから火焔が生まれる。
トリスケルの渦が、この玉砂利ごと焔を噴きあげ、空を赤々と染めた。
なんて美しい焔だろう、と、僕としたことが、これがあの赤毛の真の姿だと解っていながら見とれてしまった。
奴の焔は、愛なのか――。
コウの涙でしっとりと心地良く湿ったこれらの凝りを乾かして、焔で浄化し始原に戻す。絡み合い、螺旋にうねり吹きすさぶ、焔の渦。
その中心に僕がいた。
焼かれているのは僕自身だ。
凝った魂――、それこそが僕自身の姿だった。
僕もコウに縋りつく、ひとかけらの礫にすぎないのだ。
コウの心にその重さを叩きつけ、波紋を作ることで自らの存在を確認する。水鏡に自らを映して愛を語っていたにすぎないナルキッソスだ。
奴の焔は熱くはなかった。
コウがこんな僕を、それでも抱えてくれているから――。
この数多の礫のなかから、コウは僕を拾いあげた。僕を胸に抱いたまま、焔に熔けて始原の海へ還っていった。
赤毛の焔で焼き尽くされた僕は、トリスケルの渦のなかで攪拌され、凝固し、再び生まれる。泡から生まれたビーナスのように――。
コウという始原の海から、この大地へと再び産み落とされるのだ。
すべてを焼き尽くした焔がなだらかにその矛先を大地の許へ収めたとき、闇色に戻ったこの空間に、ぽかりと光を帯びた扉が見えた。
そこから続く、一筋の白い道。
ロンドンの赤毛のアパートメントから白い道を巡ってここへたどり着いたように、僕はこれからまたこの道をたどって還るのだ。
僕たちの生きる世界へ。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
愛を知らずに生きられない
朝顔
BL
タケルは女遊びがたたって現世で報いを受け命を失った。よく分からない小説の世界にノエルという貴族の男として転生した。
一見なに不自由なく、幸せな人生を手に入れたかに見えるが、実はある使命があってノエルとして生まれ変わったのだ。それは果たさなければタケルと同じ歳で死んでしまうというものだった。
女の子大好きだった主人公が、男同士の恋愛に戸惑いながらも、愛を見つけようと頑張るお話です。
H・I・M・E ーactressー
誠奈
BL
僕は大田智樹。またの名をHIME。
レンタルビデオ店でバイトをしながら、ゲイビ業界で男の娘アイドルしてます。
実は最近好きな人が出来て……。
でもその人は、所謂《ノンケ》で……なのに僕(HIME)のファン?
そんなことってある?
え、もしかしたらこの恋、上手くいっちゃうかも?
でも……
もしHIMEの正体が僕だと知ったら……
それでも僕のこと、好きになってくれる?
※ゲイビ業界を取り扱ったお話になるので、当然のことですが、性描写かなり激しめです。
※各章毎に、場面が変わります。
scene表記→HIMEのターン
日常表記→智樹のターン
※一本撮了する毎に、お相手の男優さんが変わります。
※この作品は、以前別サイトで公開していたものを、作者名の変更、加筆修正及び、登場人物の名称等を変更して公開しております。
蜜柑色の希望
蠍原 蠍
BL
黒瀬光は幼い頃から天才と言われてきた神童ピアニストだった。
幼い頃から国内外問わずコンクールは総なめにしてきたまごう事なき才能の塊であり、有名な音楽家を輩出しているエルピーゾ音楽院の生徒であり人生の大半をピアノに捧げる人生を送っていた。
しかし、ある日彼はピアニストが稀にかかる筋肉が強張る原因不明の病にかかってしまい、14歳の時からピアノを弾くことが出来なくなってしまう。
最初は本人は勿論、彼に期待を寄せていた両親、彼の指導者も全身全霊を尽くしてサポートしていたのだが酷くなる病状に両親の期待は彼の妹に移り、指導者からも少しずつ距離を置かれ始め、それでも必死にリハビリをしていた光だったが、精神的に追い詰められてしまう。そして、ある日を境に両親は光に祖父や祖母のいる日本で暮らすように言いつけ精神的にもギリギリだった光は拒否することができず、幼い頃に離れた日本へと帰国して、彼にとって初めての日本の学生生活を送る事になる。
そんな中で出会う蜜柑色の髪色を持つ、バスケの才能が光っている、昔見たアニメの主人公のような普通と輝きを併せ持つ、芦家亮介と出会う。
突出していなくても恵まれたものを持つ芦家とピアノの翼を奪われた天才である黒瀬の交わる先にあるものは…。
※荒削りで展示してますので、直してまた貼り直したりします。ご容赦ください。
ある時計台の運命
丑三とき
BL
幼い頃にネグレクトを受けて育った新聞記者の諏訪秋雄(24)は、未だに生きる気力が持てずにいた。
ある時、5年前に起きた連続殺人事件の犯人が逮捕され、秋雄は上司の指示により、犯人の周辺人物や被害者遺族など、罪のない人たちをかぎまわっては罵声や暴言を浴びる生活を強いられることに。満身創痍で眠りにつき、目を覚ますと、異世界の人攫いに拉致監禁されていた。
その世界では、異世界から生物を呼び寄せる召喚術はすでに禁忌とされており・・・。
無表情不憫主人公が、美丈夫軍人に甘やかされるお話。
仏頂面軍人×無表情美人
※実際の史跡や社会情勢が出てきます。
※一部残酷な表現があります。
「ムーンライトノベルズ」様で先行公開中です。
異世界トリップ/軍人/無自覚/体格差/不憫受け/甘々/精霊/ハッピーエンド
「異世界で始める乙女の魔法革命」
(笑)
恋愛
高校生の桜子(さくらこ)は、ある日、不思議な古書に触れたことで、魔法が存在する異世界エルフィア王国に召喚される。そこで彼女は美しい王子レオンと出会い、元の世界に戻る方法を探すために彼と行動を共にすることになる。
魔法学院に入学した桜子は、個性豊かな仲間たちと友情を育みながら、魔法の世界での生活に奮闘する。やがて彼女は、自分の中に秘められた特別な力の存在に気づき始める。しかし、その力を狙う闇の勢力が動き出し、桜子は自分の運命と向き合わざるを得なくなる。
仲間たちとの絆やレオンとの関係を深めながら、桜子は困難に立ち向かっていく。異世界での冒険と成長を通じて、彼女が選ぶ未来とは――。
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる