夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
168 / 219
第四章

虹のたもと 6.

しおりを挟む
 アーノルドの魔術師たちは、アビーの人形を用いて彼女アビーの魂を虹のたもとに閉じこめた。封印としての人形――、僕たちはそう思っていた。だが、それの意味するところは「入り口」でしかなかったのだ。

 異界への扉となる魔法陣は、二つある。「入り口」と「出口」だ。

 僕はその「入り口」から、こうして虹のたもとに導かれた、ということだろう。人形が破壊されてもコウが現実に戻ることなく、僕がここにいる、とはそういうことだと思う。
 そもそもこの魔法に「出口」は用意されていないのではないか。「入り口」を破壊しても、アビーの魂が解放されることはないのではないだろうか。
 だが、彼の施した魔法が打ち破られて崩壊を始めていることも確かなのだ。アーノルドの内的世界を監視する超自我は、アビーも彼自身をも、虹の橋を渡ることを許可しないまま、この世界そのものを完全に閉ざしてしまうのかもしれない。

 そしてこれは僕の推測でしかないのだけれど、赤毛は、もっと早いうちからコウにこの暗示を施していたのではないだろうか。それこそアビーの人形にある「入り口」を使ったのかもしれない。そして、奴はあの部屋の天井に「出口」を作ることで、コウに虹のたもと、常若の国ティル・ナ・ノーグへ出入り可能であるかのように思わせたのだ。あの場所でコウは、身体の不調を意識することなく、より快適な内的世界に浸ることができたのだろう。赤毛がコウを自分の傍に囲うための、恰好の手段に使われたのだ。

 ならばこの世界で僕のすべきことは、赤毛の作った出口を探すということになる。ぞっとしないな。また奴の思うツボだ。どこまでも僕は奴の手のひらの上なのか――。

 そして僕は、アーノルドのノートから集合的無意識にある様々な元型の象徴的図案に触れていたために、相互的に彼らの創りだした魔術的世界に捕まってしまったのだろう。あるいはあのノートそのものに、暗示的な作用が組み込まれていたのかもしれない。

 何にせよ、気づくのが遅すぎたのだ――。

 だが、それだけでは、まだショーンとコウが消えた理由の説明にはならない。アーノルドが、何を仕掛けていたのかも。彼の内的世界の維持に、外的世界にあるコウの身体が必要だとは思えないのだ。



 僕の注意を促すように、ワン、ワン、と大きく吠えたアレクサンダーの声に、ふっと思索が止まる。
 眼前にそびえる高い煉瓦塀に、ああ、着いたのか、と納得する。膝を落として、淋しそうな瞳で僕を見ている彼を抱きしめた。
「行ってくるよ。またきみに逢えて嬉しかったよ」
 名残惜しげに、彼は喉を鳴らしている。


 黒い鉄柵門に鍵は掛かっておらず、軽く押すとなんなく開いた。

 
 現実の彼の館とは違って剪定された植え込みはなく、白薔薇アイスバーグだけが、それこそ氷山のように群れ咲いている。館の壁を覆う蔦は、まるで眠れるスリーピングいばら姫ビューティーの城だ。まさか、ここでもコウは眠っている、などとなったら冗談でも笑えないが――。

 白薔薇がうごめいて揺れ、ザザッと音を立てて、次々とまるでお辞儀でもしているかのようにこうべを垂れていく。人一人通れる程度の道を作り、玄関へと僕をいざなう。


 まるで御伽噺の世界だ。さすがアーノルドの内的世界だな、と妙なところで感心しながら進んでいった。
 玄関のドアまでが、心得たように自動で開く。


 取り敢えず、ぐるりと玄関ホールを見渡した。テラコッタの床に白い漆喰天井、調度品も現実との差異はないように思える。
 階段を上がって、まずはコウのいた部屋を確かめることにした。


 深いこげ茶のオーク材のドアの前に立ち、綺麗に磨かれた真鍮しんちゅうのドアノブを握る。心臓がドキドキと早鐘を打つようだ。

 どうか、コウがいますように――。

 そんな祈りを口のなかで呟きながら、ドアを開けた。



「おやすみなさい、わたしの赤ちゃん、木のうえの赤ちゃん――」

 低く、囁くような歌声――。

 少しだけカーテンの開けられた窓辺に腰かける人影は、逆光と部屋の薄暗さのために誰だか判別できない。その影の膝上には、野草ハーブの刺繍された大きな布に包まれた赤ん坊が抱かれている。


「かぜがふいたら、ゆりかごゆれる」

 まさか、あの赤ん坊がコウ?

「こずえがおれたら、ゆりかごおちる」

 振り子の音が伴奏のように重なる。

「赤ちゃん、ゆりかご、なにもかも」


 まるで呪いだ――。

 僕はぞっとしてドアを閉めていた。まさか本当にアーノルドは、コウを赤ん坊に変えてこの世界に産み落としたのではあるまいか、と――。
 そんなはず、あるわけがない。アビーの見つけた子どもは少年だ、と言っていたじゃないか。

 部屋、部屋が違うのかもしれない。この部屋は産まれたばかりの――。

 僕の部屋。

 あれは、僕だ。それなら、あの影は――。



 息を詰めてもう一度、ゆっくりとドアを開けた。

 誰もいない。柱時計もない。しんと静まりかえった寝室があるだけだ。もちろん、コウがいるはずもない。

 あの影は、アビー?

 くらりと眩暈がした。
 倒れそうになって頭を支え、もう一方の手でドアを掴んだ。


 アビー、だったのだろうか――。



  

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

エートス 風の住む丘

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」  エートスは  彼の日常に  個性に  そしていつしか――、生き甲斐になる ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?   *****  今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。  

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁
経済・企業
義務と規律に縛られ生きて来た英国貴族嫡男ヘンリーと、日本人留学生・飛鳥。全寮制パブリックスクールで出会ったこの類まれなる才能を持つ二人の出逢いが、徐々に世界を揺り動かしていく。青年企業家としての道を歩み始めるヘンリーの熾烈な戦いが今、始まる。  

処理中です...