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第四章
虹のたもと
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この夕食の最後に出されたケーキには、「誕生日おめでとう」のプレートが置かれ蝋燭が刺してあった。生花と見紛うばかりの作り物の白薔薇で飾られ、まるでウェディングケーキのように華やかだ。
だが、スミス夫人の作ってくれたこの華美なケーキは、僕の誕生日祝いのためではない。これから迎える、彼の新しい息子のためのものなのだ。
スミス夫人の口にした「坊ちゃん」は、いったい誰を指していたのやら――。
子どもにだって、生まれる家を選ぶ権利があればいい。例え妄想であっても、僕は彼にコウを支配する権利を与えたくはない。他人の内的世界に干渉することは、間違っていると解っていても。
干渉せずにはいられない。
彼の用いた、同じ手段で――。
美しい白薔薇のオブジェのようなケーキはテーブルに置かれたまま。彼は手をつけようとしない。これをどうするつもりなのかと、視線で問いかけた僕に応えて彼は薄らと微笑んだ。
「もう少し待っていてもらえるかな。もうじき客人が来ることになっているんだ」
「お子さんのお名前を教えていただけますか? 僕からもお祝いを言いたいので」
客人などと白々しい――。貴方の妻が、貴方の新しい息子を連れてくるんじゃないか。
僕のそんな内心の冷笑に気づくこともなく、彼は目を細め、にっこりとそれは嬉しそうに微笑んだ。
「アルバート。私の祖父の名前を貰ったんだ。うちの家系は皆、イニシャルがAで始まるんだよ」
僕は今、どんな顔をして微笑んでいるのだろう。
この虚構のテーブルから目を逸らし、窓の外に目をやった。西の空は金色に染まり、陽は、塀の向こうで高く厚く葉を茂らせる山の樹々に隠れてすでに見えない。
ショーンは無事に儀式を終えただろうか――。
儀式は夜の帳が闇を囲い、満月のみが光源となる時間帯に行われる。ノートにはそう書いてあったから。だが僕たちは、昼と夜の交わる日暮れ前、太陽の焔の光と大地が交わる時間帯を敢えて選んだ。
コウの行った儀式は、この時間帯だったはずだから。彼の精神的外傷反応は、とても限られた条件下で顕在化されていた。僕はコウと一緒に何度もハムステッドヒースへ行っている。パーラメントヒルでピクニックだってした。シートを広げた場所の目と鼻の先に、彼が僕の前でショック状態に陥ったブーティカの塚があった。それなのに、そのとき彼は何の反応も見せなかったのだ。この塚に気づきさえしなかったのかもしれない。土地勘がないからというのもあるかもしれないが、彼にとって意味を持つのは場所よりも状態、塚に植えられた樹々を夕陽が赤々と燃やす様相なのだと推察した。
昼と夜の交わる狭間、その時間帯に、儀式の再現となる人形を破壊する。コウの意識を感覚刺激で覚醒させるのだ。眠っていても耳は聞こえている。そして瞼は薄明を通し、肌は外気と焔の温度を感じとる。呪文を唱える声、破壊音、そして焚き上げの焔。彼の周りで何が行われているか彼の無意識は感じとり、理解する。それが魔法の終焉だ。
だが、離れた館の内にいる彼にまでは、この儀式は影響を及ぼさないはずだと仮定した。コウも魔術を破るには、アビーの人形を彼の目の前で壊すように、と言っていたのだ。情報は上書きされることで意味を持つ。
僕は、僕たちの儀式が彼に邪魔されないように、と同時に彼の内的世界への干渉となることを防ぐためにここにいる。精霊の人形の喪失が彼に知られれば、それなりのショックを受けることは避けられないだろう。けれどどう使われたかさえ認識されることがなければ、彼の内的世界を破壊するには至らないだろう、と。
彼はこれまで通り、彼の妻と妄想世界で生きていけばいい。けれどそこにコウが取り込まれることはごめん被りたい。
僕は目覚めたコウと、この館を去るのだ。もう二度と足を踏みいれるつもりもない。その後のことは――、彼自身の好きにすればいい。
もし、コウが目覚めなくても、僕の行動は変わらない。コウを連れて赤毛の許へ頭を下げに行くだけだ。
今日、すべてが終わる。
僕は僕が自ら受け入れた彼の魔法を、呪縛を終わらせて、彼の息子の役割を降りるのだ。
だが、なぜだろう。窓から見える空の変化は、僕の焦燥を掻きたてるばかりだ。コウの傍ではなく、こんな場所にいるから――。儀式の場にいたところで、僕にできることはない。だからこそ、ここにいるのに。
「ところで先生、そろそろ儀式は終わったころかな?」
アーノルドが、喜色を浮かべた面で僕をじっと凝視していた。
だが、スミス夫人の作ってくれたこの華美なケーキは、僕の誕生日祝いのためではない。これから迎える、彼の新しい息子のためのものなのだ。
スミス夫人の口にした「坊ちゃん」は、いったい誰を指していたのやら――。
子どもにだって、生まれる家を選ぶ権利があればいい。例え妄想であっても、僕は彼にコウを支配する権利を与えたくはない。他人の内的世界に干渉することは、間違っていると解っていても。
干渉せずにはいられない。
彼の用いた、同じ手段で――。
美しい白薔薇のオブジェのようなケーキはテーブルに置かれたまま。彼は手をつけようとしない。これをどうするつもりなのかと、視線で問いかけた僕に応えて彼は薄らと微笑んだ。
「もう少し待っていてもらえるかな。もうじき客人が来ることになっているんだ」
「お子さんのお名前を教えていただけますか? 僕からもお祝いを言いたいので」
客人などと白々しい――。貴方の妻が、貴方の新しい息子を連れてくるんじゃないか。
僕のそんな内心の冷笑に気づくこともなく、彼は目を細め、にっこりとそれは嬉しそうに微笑んだ。
「アルバート。私の祖父の名前を貰ったんだ。うちの家系は皆、イニシャルがAで始まるんだよ」
僕は今、どんな顔をして微笑んでいるのだろう。
この虚構のテーブルから目を逸らし、窓の外に目をやった。西の空は金色に染まり、陽は、塀の向こうで高く厚く葉を茂らせる山の樹々に隠れてすでに見えない。
ショーンは無事に儀式を終えただろうか――。
儀式は夜の帳が闇を囲い、満月のみが光源となる時間帯に行われる。ノートにはそう書いてあったから。だが僕たちは、昼と夜の交わる日暮れ前、太陽の焔の光と大地が交わる時間帯を敢えて選んだ。
コウの行った儀式は、この時間帯だったはずだから。彼の精神的外傷反応は、とても限られた条件下で顕在化されていた。僕はコウと一緒に何度もハムステッドヒースへ行っている。パーラメントヒルでピクニックだってした。シートを広げた場所の目と鼻の先に、彼が僕の前でショック状態に陥ったブーティカの塚があった。それなのに、そのとき彼は何の反応も見せなかったのだ。この塚に気づきさえしなかったのかもしれない。土地勘がないからというのもあるかもしれないが、彼にとって意味を持つのは場所よりも状態、塚に植えられた樹々を夕陽が赤々と燃やす様相なのだと推察した。
昼と夜の交わる狭間、その時間帯に、儀式の再現となる人形を破壊する。コウの意識を感覚刺激で覚醒させるのだ。眠っていても耳は聞こえている。そして瞼は薄明を通し、肌は外気と焔の温度を感じとる。呪文を唱える声、破壊音、そして焚き上げの焔。彼の周りで何が行われているか彼の無意識は感じとり、理解する。それが魔法の終焉だ。
だが、離れた館の内にいる彼にまでは、この儀式は影響を及ぼさないはずだと仮定した。コウも魔術を破るには、アビーの人形を彼の目の前で壊すように、と言っていたのだ。情報は上書きされることで意味を持つ。
僕は、僕たちの儀式が彼に邪魔されないように、と同時に彼の内的世界への干渉となることを防ぐためにここにいる。精霊の人形の喪失が彼に知られれば、それなりのショックを受けることは避けられないだろう。けれどどう使われたかさえ認識されることがなければ、彼の内的世界を破壊するには至らないだろう、と。
彼はこれまで通り、彼の妻と妄想世界で生きていけばいい。けれどそこにコウが取り込まれることはごめん被りたい。
僕は目覚めたコウと、この館を去るのだ。もう二度と足を踏みいれるつもりもない。その後のことは――、彼自身の好きにすればいい。
もし、コウが目覚めなくても、僕の行動は変わらない。コウを連れて赤毛の許へ頭を下げに行くだけだ。
今日、すべてが終わる。
僕は僕が自ら受け入れた彼の魔法を、呪縛を終わらせて、彼の息子の役割を降りるのだ。
だが、なぜだろう。窓から見える空の変化は、僕の焦燥を掻きたてるばかりだ。コウの傍ではなく、こんな場所にいるから――。儀式の場にいたところで、僕にできることはない。だからこそ、ここにいるのに。
「ところで先生、そろそろ儀式は終わったころかな?」
アーノルドが、喜色を浮かべた面で僕をじっと凝視していた。
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