夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
152 / 219
第四章

ノート 6.

しおりを挟む
 この発見はショーンに新たな手掛かりを与えたようだった。そうなると僕の存在は、どうにも彼の邪魔になるらしい。彼は喋るよりも自身の作業に没頭したいようなのに、僕がここにいる限り、僕のために何か喋らなくてはならない強迫観念に従わざるをえないらしい。僕は放っておかれたって一向にかまわないのに。だがそう伝えたところで彼のこの癖が改まることはないのは、もう充分に知っている。だから互いのためにも、「コウの様子を見てくるよ」と、ここを離れて部屋に戻ることにした。




 ぴんと張り詰めた空気。物音一つしない静寂。古い写真を見ているかのような懐古色。
 この部屋は時間が止まってしまったようだな、とドアを開けるたびに思う。そしてその中央には、美しい調度品のようにコウが在る。変わらずここに在る。変化を忘れた永遠のように。

 ショーンは、コウの意識を取り戻す儀式を、本当に仕切れるのだろうか?

 コウの髪を梳き、体温を確かめながら、何度となく繰り返してきた問いを重ねていた。



 僕は魔術というものを信じていないから、この疑問に繰り返し襲われるのは仕方のないことだと思っている。それでも、都度打ち寄せる疑念の波にもまれるのはやるせない。それは否応なくアーノルドとコウを比較させるのだ。虹のたもとにいるのがアビーであり、コウであるのなら、アーノルドは誰なのか、と。

 術を仕掛けた赤毛なのか、コウを追い詰めた僕なのか――。

 現実世界でのアーノルドは、アビーの魂を虹のたもとに閉じこめたんじゃない。彼自身が妄想のアビーを生み、自身の内的世界をその住処すみかとしたのだ。
 コウが目覚めないのも、赤毛に魂を攫われたからじゃない。コウ自身に施された暗示を受け入れ、了承してしまう基盤があったからだ。彼の意識は、彼自身の無意識の海に潜っているだけだ。
 どちらも、その内的世界への扉を開ける言葉かぎさえあれば、解ける暗示だろう。

 問題は扉の仕組みと、その鍵なのだ。
 コウの心が何に囚われて目覚めることを拒むのか。魔術というものの仕組みに精通しているはずなのに、どうしてこうも赤毛を信じ、従うのか。

 僕を裏切るほどに、彼を愛しているのか――。

 真実を知るのが怖いから、僕はショーンの示す最適解を信用できないと、拒みたいだけのような気がする。



 ガラスの棺に眠る僕の白雪姫きみは、

 ハムステッドのスティーブの家。白薔薇の絡まるカーテン。緑の壁紙に緑のカーペットを敷いた居間は、どこかこの部屋に似ている。

 ガラスケースのなかの人形アビーのようで。

 そんなきみを、僕はそっと密やかに抱きしめたい。抱きしめて、誰にも気づかれないようにまた、そっと戻して。

 眠っているきみなら、人形アビーのように僕によりそって、ずっとそばにいてくれる。
 そんなのちっとも幸せなんかじゃない、て解っている。幸せじゃないのに、僕はきみに触れることで、温もりを感じ安心を得る。血の通わない冷たい人形アビーを抱きしめて、温もりを感じていたのと同じように。
 

 ずっと幼かったころ、誰もいないときを見計らって、そっとキャビネットの扉を開けてアビーを抱きしめていた。そうすることで僕は素知らぬ顔をして、日々をやりすごすことができたのだ。
 マリーがママと呼ぶ人を、僕はアンナと名前で呼んで、彼女がパパと呼ぶ人を、スティーブと名前で呼んで、それでもまるで彼らの息子ででもあるかのように、誇れる子どもになることを夢見ていた。狂った父と死んだ母の残した哀れな子どもを抱く腕に温もりを求め、与えられる慈悲に縋りつき、自ら進んで彼らの望む人形アビーの子どもになろうとした。
 本当の僕はキャビネットのなか。陶器の肌に守られて、じっと僕を見つめていた。僕は彼女アビー彼女アビーの子ども。陶器でできた、美しいだけの空っぽの人形。


 ――アルビーはガラスケースの中の人形じゃないもの。怪我くらいするよ。


 それでよかったのに。そんな僕に僕は不満なんてなかったのに。こんな、今になって、見つけられるなんて。
 コウが僕を見つけてくれたのだ。生きている僕を。愛され、憎まれた、人形じゃない赤ん坊ぼくを。僕は叩きつけられても壊れなかった。死ななかった。僕は人形じゃなかったのだ。
 そして、気づかせてくれたのだ。僕のこの額の傷は、父の憎しみと、母の慈しみの証。僕が、僕である証なのだ、と。



 きっと、目を開けたきみは、僕を拒むだろうね。きみを人形のように扱い、僕のものにしようとした、愚かで身勝手な僕だもの。

 だから僕は、今、この瞬間に安堵するんだ。きみがここに在ることに。


 こんな僕はアーノルドと同じだ。狂っている。きみがいるよりも、ただ在る方がいいだなんて。
 たとえ、きみがきみでいることで僕を傷つけるのであっても、僕が愛しているのはきみなのに。きみは物じゃない。僕に安心をくれるための、そんな物じゃない。僕は間違っている。だから、

 きみがきみでいることを――。

 僕を拒絶するきみであっても、きみがきみでいることを、僕は、望むよ、コウ。


 ショーンの儀式が失敗したら、それでもきみの意識が戻らなかったら、ロンドンへ帰ろう。赤毛に――、きみを託そう。

 僕の我がままで、これ以上きみの自由を奪っていいはずがない。

 僕のために、きみは存在しているわけじゃないのだから。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛を知らずに生きられない

朝顔
BL
タケルは女遊びがたたって現世で報いを受け命を失った。よく分からない小説の世界にノエルという貴族の男として転生した。 一見なに不自由なく、幸せな人生を手に入れたかに見えるが、実はある使命があってノエルとして生まれ変わったのだ。それは果たさなければタケルと同じ歳で死んでしまうというものだった。 女の子大好きだった主人公が、男同士の恋愛に戸惑いながらも、愛を見つけようと頑張るお話です。

妹に寝取られたら……婚約破棄、じゃなくて復讐!!!

tartan321
恋愛
いいえ、私は全て知っていますので……。 許しませんよ????????

H・I・M・E ーactressー

誠奈
BL
僕は大田智樹。またの名をHIME。 レンタルビデオ店でバイトをしながら、ゲイビ業界で男の娘アイドルしてます。 実は最近好きな人が出来て……。 でもその人は、所謂《ノンケ》で……なのに僕(HIME)のファン? そんなことってある? え、もしかしたらこの恋、上手くいっちゃうかも? でも…… もしHIMEの正体が僕だと知ったら…… それでも僕のこと、好きになってくれる? ※ゲイビ業界を取り扱ったお話になるので、当然のことですが、性描写かなり激しめです。 ※各章毎に、場面が変わります。   scene表記→HIMEのターン   日常表記→智樹のターン ※一本撮了する毎に、お相手の男優さんが変わります。 ※この作品は、以前別サイトで公開していたものを、作者名の変更、加筆修正及び、登場人物の名称等を変更して公開しております。

蜜柑色の希望

蠍原 蠍
BL
黒瀬光は幼い頃から天才と言われてきた神童ピアニストだった。 幼い頃から国内外問わずコンクールは総なめにしてきたまごう事なき才能の塊であり、有名な音楽家を輩出しているエルピーゾ音楽院の生徒であり人生の大半をピアノに捧げる人生を送っていた。 しかし、ある日彼はピアニストが稀にかかる筋肉が強張る原因不明の病にかかってしまい、14歳の時からピアノを弾くことが出来なくなってしまう。 最初は本人は勿論、彼に期待を寄せていた両親、彼の指導者も全身全霊を尽くしてサポートしていたのだが酷くなる病状に両親の期待は彼の妹に移り、指導者からも少しずつ距離を置かれ始め、それでも必死にリハビリをしていた光だったが、精神的に追い詰められてしまう。そして、ある日を境に両親は光に祖父や祖母のいる日本で暮らすように言いつけ精神的にもギリギリだった光は拒否することができず、幼い頃に離れた日本へと帰国して、彼にとって初めての日本の学生生活を送る事になる。 そんな中で出会う蜜柑色の髪色を持つ、バスケの才能が光っている、昔見たアニメの主人公のような普通と輝きを併せ持つ、芦家亮介と出会う。 突出していなくても恵まれたものを持つ芦家とピアノの翼を奪われた天才である黒瀬の交わる先にあるものは…。 ※荒削りで展示してますので、直してまた貼り直したりします。ご容赦ください。

とら×とら

篠瀬白子
BL
獰猛不良兄の溜まり場の下で、無自覚平凡弟がなぜかお粥を作ってます。 ※この作品は予告なく暴力、精神障害、性描写等の表現が出てきます。 ※創作BL小説サイトから再録

ある時計台の運命

丑三とき
BL
幼い頃にネグレクトを受けて育った新聞記者の諏訪秋雄(24)は、未だに生きる気力が持てずにいた。 ある時、5年前に起きた連続殺人事件の犯人が逮捕され、秋雄は上司の指示により、犯人の周辺人物や被害者遺族など、罪のない人たちをかぎまわっては罵声や暴言を浴びる生活を強いられることに。満身創痍で眠りにつき、目を覚ますと、異世界の人攫いに拉致監禁されていた。 その世界では、異世界から生物を呼び寄せる召喚術はすでに禁忌とされており・・・。 無表情不憫主人公が、美丈夫軍人に甘やかされるお話。 仏頂面軍人×無表情美人 ※実際の史跡や社会情勢が出てきます。 ※一部残酷な表現があります。 「ムーンライトノベルズ」様で先行公開中です。 異世界トリップ/軍人/無自覚/体格差/不憫受け/甘々/精霊/ハッピーエンド

「異世界で始める乙女の魔法革命」

 (笑)
恋愛
高校生の桜子(さくらこ)は、ある日、不思議な古書に触れたことで、魔法が存在する異世界エルフィア王国に召喚される。そこで彼女は美しい王子レオンと出会い、元の世界に戻る方法を探すために彼と行動を共にすることになる。 魔法学院に入学した桜子は、個性豊かな仲間たちと友情を育みながら、魔法の世界での生活に奮闘する。やがて彼女は、自分の中に秘められた特別な力の存在に気づき始める。しかし、その力を狙う闇の勢力が動き出し、桜子は自分の運命と向き合わざるを得なくなる。 仲間たちとの絆やレオンとの関係を深めながら、桜子は困難に立ち向かっていく。異世界での冒険と成長を通じて、彼女が選ぶ未来とは――。

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

処理中です...