夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
151 / 219
第四章

ノート 5.

しおりを挟む
 勘違い――、というわけでもないのだが。そういえば、アーノルドが欲しいのは精霊召喚の儀式に関する記述なのではないか、と言いだしたのは僕だった。それならそれで、とさらにページを繰ってその図面を探した。魔法陣の図面自体がそうたくさん描かれているわけではなかったので、すぐに見つかった。でも、ショーンの言う「よく判らない」という意味が取れない。ここにはスティーブから預かった図面と同じものがあるだけだ。

「きみを悩ませているのは、この横に書かれている文章なの?」
「呪文にも思えないし、儀式に必要な手順でもないんだ。取り留めもない詩みたいなもんでさ」
「翻訳作業は上手くいったの? どんなことが書いてあったか判った?」

「 堆肥のなかに見いだされる、
  もっともつまらない棄てられたもの、
  自然の調合者の種を宿す。
  不可触不壊ふかしょくふえの原生命は、
  神秘なるものの子宮から生まれでる、
  悪夢を注入されし焔の結晶。
  を秘儀的実体としての王の子となす 」

 
 もっともつまらない棄てられたもの――。

 ショーンの読みあげた詩のようなものが、僕のことを指しているように思えて、チリリと胸が軋んだ。僕は少し神経質になっているのかもしれない。こんな些細なことに自己関連づけして反応するなんて、しばらくなかったのに。

「精霊召喚の儀式っていうよりも―、コウの話してくれた別の儀式の呪文にハマるような気がするんだよな」
「別のって? コウから何か聴いてるの?」

 僕の知らないことを――。

「ああ、うん。コウがドラコと一緒に執り行って失敗した儀式だよ」
「え? それって精霊召喚の儀式だろ?」
「違うよ。ああ、コウは訂正してないのか。うん、確かそう言ってたよ。きみは勘違いしてるって。こっちの儀式にも人形を用いるんだよ」
「それなら何の儀式なんだい?」
「人形に精霊を宿らせて使役する、ソロモンの秘儀だよ」
「ソロモン? よく判らないな。宿らせるってアビーの魂を閉じこめたみたいに、人形のなかに精霊を捕まえるってこと?」
「そんな感じなんじゃないかな。変容メタモルフォシスってコウは言ってたけどな。物質に命を宿らせ変容させる錬金術だって。――もちろんコウだって、本当にそんなことができると信じてるわけじゃないさ!」

 つい眉を寄せて聴いていたからだろう。ショーンは半ば自分の言葉を嘲笑するように言葉を濁して口を噤んだ。

「いや、そうじゃなくて。それじゃ、異界の扉を開く儀式と変わらないんじゃないかと思ってさ」
「いや、違うだろ。異界からこの現実世界に召喚して捉えるんだからさ」
「同じく人形を入れ物にするにしても、属する世界が違うっていうこと?」

 何が判らないのか解らない、そんな怪訝そうな顔をしてショーンは僕を見ている。

「結局、これって精霊を使役する魔術ってことだよね」

 前にショーンが言っていた、コウの噂を思いだしたのだ。何のことはない。噂の大元は彼自身だということだ。それにコウの精神的外傷性のトラウマティック反応がその噂に信憑性を与えていたのかもしれない。儀式の失敗がいつの間にか歪曲され、魔術師としてのコウの箔付けに一役買っていたなんて、本人が聴いたらきっと驚くだろうな。
 やはり、ショーンはショーンなのだ。好奇心の赴くまま好き勝手に喋るから、巡り巡ってコウを傷つけることになる。悪意のない加害――、そんなことに気づきもしない。

 すっ、と波が引くように意識が醒めた。
 彼の知識は有用で、自分だけではどうしようもできない現状を打破する機会チャンスを僕にくれる。けれど状況を制御コントロールしなければならないのは、やはり僕自身なのだ。慎重にしなければ。もう二度とコウを傷つけることのないように――。


「それなら――、アーノルドの用いたのも精霊召喚の魔術じゃなくて、精霊を使役する魔術だったんじゃないの? コウは召喚の儀式だと言って説明してくれたけれど、儀式の目的は、召喚した精霊の力を人形に封じ込めることだと言っていたと思う」

 そもそも僕にしてみれば、その違いからして判らない。自分の願いを叶えてもらう、要するに使役するために召喚するんじゃないの? 欲望を満たすための心理的手順がどんな名称で呼ばれようと、そこに大した意義があるとは思えないのだ。


「大違いだよ! いくらなんでもそれはないだろ!」
 
 ショーンは呆れ返って、その違いとやらを並べ立てる。そんな御託はいいから、何が問題かを言ってくれ。いささかうんざりしながら彼の言い分を聴いていた。その反応のなさにショーンは徐々に声のトーンをさげていき、やがて大きく嘆息する。

「そうかもしれないな――。彼の日記には精霊召喚の儀式をした、なんて一言も書かれてなかった。記述は、召喚するための器となる人形を作った、だったもんな」
「僕にしても、スティーブから聞いたことをそのまま記録しているにすぎないんだ。コウにしたって正確さよりも、解りやすさを優先して説明してくれていたのかもしれないし」
「そうだな。精霊召喚の儀式なんて基本中の基本なのに、この図面も呪文も、どの古文書にもヒットしないもんな。もし仮に、これがコウの試した儀式と同じだとしたら――」
「あ!」

 思わず声をあげていた。思いだしたのだ。ずっと噛み合わなかったパズルのピースがわずかな角度の入れ方で突然ぴたりと嵌るように、浮かんできた記憶が今の言葉に合致したのだ。

「コウと一緒に、彼と話していたときだよ、――僕も同じ儀式を執り行ったことがあります。コウ自身が、アーノルドにそう言ってたんだ!」
「それを早く言ってくれよ!」
「僕だって、今思いだしたんだ」
「ま、そんなもんか――」と、ショーンは深々と息をつくと肩をすくめて苦笑する。だが、すぐに真顔になって真剣な眼差しを僕に向けた。

「となると、あの旅行でコウの話してくれた手順を、この儀式に使えるってわけだぞ!」





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

逃げるが勝ち

うりぼう
BL
美形強面×眼鏡地味 ひょんなことがきっかけで知り合った二人。 全力で追いかける強面春日と全力で逃げる地味眼鏡秋吉の攻防。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

味噌汁と2人の日々

濃子
BL
明兎には一緒に暮らす男性、立夏がいる。彼とは高校を出てから18年ともに生活をしているが、いまは仕事の関係で月の半分は家にいない。 家も生活費も立夏から出してもらっていて、明兎は自分の不甲斐なさに落ち込みながら生活している。いまの自分にできることは、この家で彼を待つこと。立夏が家にいるときは必ず飲みたいという味噌汁を作ることーー。 長い付き合いの男性2人の日常のお話です。

いとしの生徒会長さま

もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……! しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

処理中です...