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第四章
彼岸 8
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コンコン、とガラスを叩く音に、どこかぼんやりとしたまま顔を向けた。ショーンだ。立ちあがって、庭へ続くドアの鍵を開ける。
「彼が気分を悪くするから庭には出るな、って言ったのに」
「その彼に逢ってきたんだよ。朗報があるぞ!」と小声で囁いている彼の視線は、僕の背後のサンルーム内に誰もいはしないかと忙しなく確かめている。そういえば、と僕も改めて室内を見回した。眠っていたからだろうか。スミス夫人の姿はもうなかった。
「きみも食べる? お茶を貰ってこようか?」
返事を聴くまでもないようだ。「あ、いいから。いいから座れよ」とショーンは僕を手招きして、早速サンドイッチに手を伸ばしている。
「儀式ができるぞ! おまけにもうじき満月だ! こんな絶妙な機会はそうそうないぞ!」
腰を下ろした途端に、ショーンは口のなかにサンドイッチを頬張ったまま身体をのりだしてきて、そんなことを囁いていた。
「儀式って? 順を追って話してくれないと判らないよ。僕はきみじゃないんだから」
僕のティーカップから冷え切ったお茶を喉に流しこむ。ガチャンッと乱暴に音を立ててカップをソーサーに戻したと思ったら、彼はまたサンドイッチを齧りながら、反対の手でズボンの後ろポケットをごそごそと探っている。僕はその間に、出過ぎて濃くなっているお茶をカップに継ぎ足してやる。緊張と興奮とで落ち着かない彼は、自分の衝動コントロールが下手なのだ。こうやって小刻みにキシキシと発散させていなければ、その攻撃性は自分自身を消耗させてしまうのだろう。
「きみに貰ったこれ、これを彼に見せてきたんだ。やっぱり、あったよ! きみの看破した通りだったよ!」
僕が何をしたって? つい眉をひそめてショーンがテーブルに置いた小さく折りたたまれた紙を睨んだ。手にとって開いてみる。
ああ、なるほど。パソコンからプリントした魔法陣のコピーだ。
「これだけで事足りたんだね?」
「それを確かめに行ってたんだ! 思った通りだった!」
だから何が?
ショーンは一人で納得して笑っている。いつものことだ。僕は疲れていて、自分からそれを追いかける気になれない。それよりも、甘くて温かいお茶が欲しい。
「坊ちゃん方! お目覚めになられました?」
スミス夫人だ。僕の心の声が聴こえたかのように、お茶を運んできてくれている。それに、サンドイッチの補充まで――。
「お腹がお空きなんでしょう! ちょうど台所の窓から戻ってこられるところが見えたんですよ! そんな顔してましたよ」と、夫人はまるで言い訳するように言い添えて、ショーンにせっせと給仕している。コウにしろ、あのガマガエル兄弟にせよ――。どうしてこう、勘がいいというのか、察しがいいというのか。
彼女を相手にショーンは実に愛想よく喋っている。初めから彼に任せておけばよかった。僕よりはよほど上手くやってくれたに違いない。今さら後悔しても遅いけれど。
白の花群が揺れている。大地が眩暈をおこしているのだ。
今日は風が強いから、飛び交う花びらが、風の道行を教えてくれる。
溶けて消えない根雪となって、大地を覆い眠らせる。
「きみは、」
ショーンの声に、視線を戻した。いつの間にかスミス夫人はいなかった。
「コウがいないとダメなんだな」
「自分でもそうだと思ってる」
「昔のきみに戻ったみたいだ。いつも退屈していて、どんなことにも何の興味も示さない」
「そんな以前に、きみに逢ったことがあったっけ?」
「一方的に知ってただけだよ。きみは有名だったからさ! それに……」
ショーンは言い淀んで、軽く息をついた。
「さっさとコウを目覚めさせないとな。――ほら、これ、見てくれよ。あれからずっと調べてて解ったんだ」
彼がぐいと伸ばしてきた手にあるのは、さっきとは違うコピー紙だ。ブリテン島の地図が印刷され、その上にいくつもの線が縦横無尽に引かれている。
「セント・マイケルズ・マウントのことを言ってただろ? それで気づいたんだよ。ここ、このカンブリア州は、英国内を走るいくつものレイラインが交差する霊的スポットなんだ」
また僕の理解の範疇を超えた講義が始まるのか――。もう、コウに関することだけ教えてくれればいい。簡潔に僕にできることだけを言ってほしい。
「この館から北上した位置にキャッスルリッグ・ストーンサークルがあるんだ」
それで? と僕は軽く頷いてみせる。そこから続く彼の説明は、要するにこの場所、その中でも裏山にあったあの『妖精の環』の場所が、レイライン上のエネルギースポットにあたる、ということらしい。
「これまで彼が行ってきた儀式は、あの場所が使われたに間違いないと思うんだ。あの白い石は、一種の結界を作ってるんじゃないかな。このあたりに住んでいて、この地の伝承やら伝説を信じている奴なら、あそこにわざわざ足を踏みいれようなんて思わない」
僕みたいに無知な輩は別としてね――。
「それで、あったっていうのは? 儀式に用いる呪文を彼から聞きだしたってこと?」
「そうじゃない。あの彼が、すまん、きみの父親だけどさ、警戒心の強い彼がそんなことを教えてくれるはずがないだろ! だから作業小屋へ不意打ちで押しかけたんだよ。思った通りだった。やっぱり作ってたよ」
「だから何を?」
「四大精霊の人形さ! 作るって言ったらこれしかないだろ!」
ショーンは自慢げに瞳を輝かせて言った。
確かに、彼ならば僕たちのように精霊の人形を探す必要はないだろう。彼は当たり前に、自らの手でそれを生みだすことができるのだから。
「彼が気分を悪くするから庭には出るな、って言ったのに」
「その彼に逢ってきたんだよ。朗報があるぞ!」と小声で囁いている彼の視線は、僕の背後のサンルーム内に誰もいはしないかと忙しなく確かめている。そういえば、と僕も改めて室内を見回した。眠っていたからだろうか。スミス夫人の姿はもうなかった。
「きみも食べる? お茶を貰ってこようか?」
返事を聴くまでもないようだ。「あ、いいから。いいから座れよ」とショーンは僕を手招きして、早速サンドイッチに手を伸ばしている。
「儀式ができるぞ! おまけにもうじき満月だ! こんな絶妙な機会はそうそうないぞ!」
腰を下ろした途端に、ショーンは口のなかにサンドイッチを頬張ったまま身体をのりだしてきて、そんなことを囁いていた。
「儀式って? 順を追って話してくれないと判らないよ。僕はきみじゃないんだから」
僕のティーカップから冷え切ったお茶を喉に流しこむ。ガチャンッと乱暴に音を立ててカップをソーサーに戻したと思ったら、彼はまたサンドイッチを齧りながら、反対の手でズボンの後ろポケットをごそごそと探っている。僕はその間に、出過ぎて濃くなっているお茶をカップに継ぎ足してやる。緊張と興奮とで落ち着かない彼は、自分の衝動コントロールが下手なのだ。こうやって小刻みにキシキシと発散させていなければ、その攻撃性は自分自身を消耗させてしまうのだろう。
「きみに貰ったこれ、これを彼に見せてきたんだ。やっぱり、あったよ! きみの看破した通りだったよ!」
僕が何をしたって? つい眉をひそめてショーンがテーブルに置いた小さく折りたたまれた紙を睨んだ。手にとって開いてみる。
ああ、なるほど。パソコンからプリントした魔法陣のコピーだ。
「これだけで事足りたんだね?」
「それを確かめに行ってたんだ! 思った通りだった!」
だから何が?
ショーンは一人で納得して笑っている。いつものことだ。僕は疲れていて、自分からそれを追いかける気になれない。それよりも、甘くて温かいお茶が欲しい。
「坊ちゃん方! お目覚めになられました?」
スミス夫人だ。僕の心の声が聴こえたかのように、お茶を運んできてくれている。それに、サンドイッチの補充まで――。
「お腹がお空きなんでしょう! ちょうど台所の窓から戻ってこられるところが見えたんですよ! そんな顔してましたよ」と、夫人はまるで言い訳するように言い添えて、ショーンにせっせと給仕している。コウにしろ、あのガマガエル兄弟にせよ――。どうしてこう、勘がいいというのか、察しがいいというのか。
彼女を相手にショーンは実に愛想よく喋っている。初めから彼に任せておけばよかった。僕よりはよほど上手くやってくれたに違いない。今さら後悔しても遅いけれど。
白の花群が揺れている。大地が眩暈をおこしているのだ。
今日は風が強いから、飛び交う花びらが、風の道行を教えてくれる。
溶けて消えない根雪となって、大地を覆い眠らせる。
「きみは、」
ショーンの声に、視線を戻した。いつの間にかスミス夫人はいなかった。
「コウがいないとダメなんだな」
「自分でもそうだと思ってる」
「昔のきみに戻ったみたいだ。いつも退屈していて、どんなことにも何の興味も示さない」
「そんな以前に、きみに逢ったことがあったっけ?」
「一方的に知ってただけだよ。きみは有名だったからさ! それに……」
ショーンは言い淀んで、軽く息をついた。
「さっさとコウを目覚めさせないとな。――ほら、これ、見てくれよ。あれからずっと調べてて解ったんだ」
彼がぐいと伸ばしてきた手にあるのは、さっきとは違うコピー紙だ。ブリテン島の地図が印刷され、その上にいくつもの線が縦横無尽に引かれている。
「セント・マイケルズ・マウントのことを言ってただろ? それで気づいたんだよ。ここ、このカンブリア州は、英国内を走るいくつものレイラインが交差する霊的スポットなんだ」
また僕の理解の範疇を超えた講義が始まるのか――。もう、コウに関することだけ教えてくれればいい。簡潔に僕にできることだけを言ってほしい。
「この館から北上した位置にキャッスルリッグ・ストーンサークルがあるんだ」
それで? と僕は軽く頷いてみせる。そこから続く彼の説明は、要するにこの場所、その中でも裏山にあったあの『妖精の環』の場所が、レイライン上のエネルギースポットにあたる、ということらしい。
「これまで彼が行ってきた儀式は、あの場所が使われたに間違いないと思うんだ。あの白い石は、一種の結界を作ってるんじゃないかな。このあたりに住んでいて、この地の伝承やら伝説を信じている奴なら、あそこにわざわざ足を踏みいれようなんて思わない」
僕みたいに無知な輩は別としてね――。
「それで、あったっていうのは? 儀式に用いる呪文を彼から聞きだしたってこと?」
「そうじゃない。あの彼が、すまん、きみの父親だけどさ、警戒心の強い彼がそんなことを教えてくれるはずがないだろ! だから作業小屋へ不意打ちで押しかけたんだよ。思った通りだった。やっぱり作ってたよ」
「だから何を?」
「四大精霊の人形さ! 作るって言ったらこれしかないだろ!」
ショーンは自慢げに瞳を輝かせて言った。
確かに、彼ならば僕たちのように精霊の人形を探す必要はないだろう。彼は当たり前に、自らの手でそれを生みだすことができるのだから。
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