夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
133 / 219
第四章

取り替え子 3.

しおりを挟む
「ありがとう」と、ショーンに薄く微笑み返した。それから、大きく深呼吸する。

 大丈夫。たとえコウの心が僕から離れていたとしても、はっきりとコウの口からそう告げられるまで、僕は諦めたりしない。こんな形でコウを奪われたままで引き下がったりしない。コウを自分の人形のように扱う赤毛を、許したりしない。


「異界との境界。コウもそのことを言っていたような気がするよ」

 御伽噺の説明のときも、それから、初めてここへ来たときにも。
 心を落ち着かせて、僕はこれまでと何ら変わりない調子を務めてショーンに話しかけた。彼はほっとしたように息をつく。だがそれを表だってみせるのではなく、さりげなく頷いただけで、「それで」と視線で僕に続きを促した。

「世界は多重構造――、だっけ。アーノルドの世界を魔術的見解から説明してくれたんだ。それに、コウも『取り替えチェンジリング』という語句を使っていたと思う。そう、確か――」

 コウはなんて言ってた? アビーの墓の前で――。

 アビーは地の精霊グノームの血脈で、その血の継承を精霊は望んでいた。だからアーノルドは精霊にアビーのお腹の子を渡すことを同意し、代わりにアビーの命を望んだ。彼らがアーノルドとの取引に応じたのは等価交換だった。この契約はアーノルドからの一方的な願いではなく、精霊の望みでもあったのだ、と。
 だから精霊の加護を得て、僕は生まれることになったのだ、とコウは言ってくれたのだ。
 だが、この仮定に則って考えるなら、僕は、本当は産まれることなく冥界へ行くはずだった、ということになりはしないだろうか。アーノルドが真に望んだのは、彼女が僕を諦めて、すぐにでも治療を受けて延命することだったはず。要は僕という息子の死だ。それを精霊側が僕の命を望んだから、確立の低い延命治療よりも、彼にとってはより確実にアビーの命を守れるだろう魔術的方法に乗り換えた。

 彼のこの選択で、本来の運命が取り替えられてしまったのではないだろうか。

「僕の命と、彼女の魂が『取り替え』られた――」


「なるほど、なんだか繋がってきたよ! その契約者は彼なんだよな。そうすると、彼の妻は自分の子どもが『取り替え』られて、その対価が自分の魂の永続性だってこと、知らないんじゃないかな? 何も知らされないまま魔法のかかった人形を赤ん坊だって渡されてさ、信じてたんじゃないの? その魔法をさ、きっとコウが解いたんだよ! ここに来たときにさ!」

 急に思いついたらしい自説を、ショーンが一気にまくしたてる。ちょっと待ってくれ。僕はこの分野の話にはどうもストッパーが掛かって上手く認識が働かなくなるんだ。

 人差し指を唇にもっていって、「待って」と彼を静止する。ショーンはピタリと口を閉じた。そして困ったように視線を彷徨わせている。


「コウが魔法を解いた――」

 目を瞑って、あの日の記憶を想い返した。コウとここへ来た日の記憶。
 ティールームでの談話には、彼の妻アビーも同席していた。アーノルドは取り留めもなく喋る一方で、コウはそんな彼をぎこちなく見つめるだけだった。幼い頃の僕そのままに――。そんな彼に追い打ちをかけるように、僕は赤毛の人形サラマンダーの話を持ちだした。コウが僕に隠し続ける特別な友人のことを、この場でなら訊きだせるかもしれないと思ったのだ。

 コウは立ちあがって、彼の耳許でなにか囁いた。おそらくなんらかの呪文だ。彼は驚いて――、でもまたすぐに妄想か現実か判らないような取り留めのないお喋りに陥って。


「儀式に使ったアビゲイルの人形はそれですか? ――確か、この言葉でアーノルドが激昂したんだ」

 顔をあげてショーンを見あげた。

「あのキャビネットの人形のことかい?」
「本物はね。この時コウは、彼の妻アビーの膝にのせている同じ人形、彼女にとっては赤ん坊を指していたんだ」
「コウは本当の名前を言い当てたんだ! それで魔法が解けたんだよ!」
「どういうこと?」
「名前だよ、あの人形の。本物も偽物も名前は同じアビゲイルだろ?」


「そうだね。でも、彼女が初めて人形が赤ん坊じゃない、て気づいたのはこの時じゃなくて、僕のせいで――」

 少し考えてからそう言いかけ、途中で言い淀んで、続く言葉は掻き消えていた。

 本当に、僕のせいだったのだろうか。あのとき、スティーブが彼に何を話していたのか、僕は一切覚えていないのだ。思いもよらぬ単語が、彼の世界の綻びになった可能性もあるのではないだろうか――。

 以前そうバニーに指摘されたときは、まったく受け付けられなかった解釈が、ショーンの解釈で喚起されていた。

 魔術的世界の規則――。僕はあまりにもそれを知らない。


「きみの言う、世界の綻びってヤツができたんだろ。だけど今、彼の妻がすっかり人形に興味を失っているのは、少なくとも人形にかけられていた魔法が解けているからじゃないのかな? 彼女、『取り替え子』に気づいたんだよ」
「そして、施されていた魔術を破ったコウ自身が、帰ってきた子どもとして認知されることになった、てことなのかな――。物語としては、筋が通りそうではあるけど……」

 アーノルドは僕の連れてきた助手コウに逢っていない。それなのに僕たちがここへ来てすぐに、内的世界での彼女のコウの対象化は始まっているのだ。彼のなかの僕の記号は、すでにコウの付属物として組み換えられていたのだろうか。
 

「魔術的世界って、いったいどんな規則で働いているんだろう――」

 あまりにも理解できなさすぎて、思いきり顔をしかめて呟いてしまった。ショーンは苦笑いして、肩をすくめて言った。

「ごめん。俺は、それにコウにしたってさ、それを知るための修行中の身だからさ――」




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

エートス 風の住む丘

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」  エートスは  彼の日常に  個性に  そしていつしか――、生き甲斐になる ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?   *****  今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。  

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁
経済・企業
義務と規律に縛られ生きて来た英国貴族嫡男ヘンリーと、日本人留学生・飛鳥。全寮制パブリックスクールで出会ったこの類まれなる才能を持つ二人の出逢いが、徐々に世界を揺り動かしていく。青年企業家としての道を歩み始めるヘンリーの熾烈な戦いが今、始まる。  

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

処理中です...