夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第四章

書斎 4

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 鳥のさえずりに起こされた。一瞬、ここがどこだか判らなかった。

 もう、朝なのだ。軽い仮眠のつもりが寝入ってしまったらしい。昨夜はコウのそばへ戻らなかったのか――。きっと、コウが淋しがっている。

 まだ上手く働かない頭でそんなことを考えながら、ゆるりと辺りを見渡した。僕からかなり距離を置いた机の前で、ショーンが僕を見つめていた。なんとも居た堪れないような、苛立たしいような、そんな顔をしている。
 何か不味いことでもあったのだろうか、と僕は吐息をついて起きあがる。

「おはよう、ショーン。今、何時だろう? 僕はよく寝ていたのかな?」
「あー、うん。そうだな、もう朝だな」

 歯切れの悪い調子で彼は応える。

「アル、朝飯にするかい?」
「ん」

 昨日とは打って変わって、彼はどうもぎこちない。僕は首を捻って背中越しの壁時計を確認する。早朝といっていい時間だ。スミス夫人は起きているだろうか――。ともあれ、コーヒーくらい飲めるか、と立ちあがって伸びをする。

「先に食堂に下りてて。僕はコウの様子をみてくる」

 ショーンは僕に背を向けていて、机の上を片づけながら「ああ」と返事しただけだった。


 
「コウ――。ごめん、昨夜は僕がいなくて心配していた?」

 ――大丈夫だよ。きみが僕のために一所懸命でいてくれているって、知ってるから。

 コウならきっとそう言ってくれる。それから、僕の首に腕を回して――、

 ――無理しないで。僕は待てるから。きみが僕を見つけてくれるまで、ずっと待ってるよ。

 僕をきゅっと抱きしめてくれる。

「うん。絶対にきみを取り戻すから。僕を信じて。待っていて、コウ」

 そんなきみに、僕は約束のキスをあげる。この可愛い唇に、そっと柔らかなキスを――。

 けれど現実は御伽噺のようにはいかない。キスでは目覚めない僕の眠り姫。きみが起きあがらないのは、僕が約束された王子じゃなくて、醜い獣だからだろうか。





 食堂のテーブルには、ベーコンエッグとトーストのごく普通の朝食が並んでいた。ショーンは僕を待っていてくれたらしい。

「スミス夫人、いたんだ?」
「いなかったよ。だから勝手に使わせてもらった」

 コーヒーを注ぎながら喋っているショーンは、いつもの彼だ。さっきの不機嫌はもういいらしい。
 だが一頻り昨夜の成果を話し終えると、彼はまた不貞腐れた表情をみせ、わざとらしく嘆息して僕から目を逸らすと、歯切れの悪い調子で言った。

「きみはとんでもない奴だな」
「なんのことを言われてるのか判らないよ」
「目の前で、あんな無防備な恰好で寝てるなんてさ、まさか一晩中、理性と格闘させられるはめになるなんて! どう考えても酷いだろ」
「それって、僕は危うくきみに襲われるところだった、ってこと? それはまた大変だったね。うん、きみの理性の存在証明ができてよかったじゃないか。表彰ものだな」

 彼には悪いが吹きだしてしまった。ショーンもばつが悪そうにニヤニヤ笑っている。どうやら僕は、彼の苦労そっちのけで爆睡して、彼はその間必死で作業を進めてくれていた、ということらしい。

「それで眠る間もなかったの? 部屋に戻って少し休む?」

 笑い話で済ませたことで、彼は苦笑いを浮かべたあとは「あー、いいよ。戻って続きをする。きみは?」と、すっかり真顔に戻っている。

「そうだね、今朝は、もう少しコウのそばにいたいかな」

 シャワーを浴びて、それからコウの身体も拭いてあげたい。パジャマを替えてあげて、それから――。

 ああ、コウに触れたい。

 きっと、昨夜いろいろ思いだしていたからだ。コウに出逢うまでの愚かな僕のことを。



 コウ、きみとの出逢いがどれほど僕の世界を変えたのか、きみは知ってくれているのかな。
 初めは本当に、どうして僕はこんなにもきみに惹かれるのか、どうしてきみなのか、不思議で堪らなかったんだ。

 くったくのない笑顔を向けてくれたから。
 瞼が腫れるほど、僕のために涙を流してくれたから。
 僕を愛してくれたから――。

 そんなのじゃない。

 きみが――、僕を見つけてくれた。

 きっと、初めから本当の僕を見つけてくれていたからだ。
 見つけてほしいという、僕自身にさえ見つけらなかった願いを抱える僕を、あやまたずに。
 

 ――きみは貪欲に広がりつづける闇のようだよ。

 そう言って、きみは僕を抱きしめてくれた。

 ――そんなきみに食べ尽くされて、僕は空っぽになるんだと思っていた。

 泣きながら、僕を抱きしめてくれた。

 ――でも見つけたんだ。僕はきみを愛しているよ、アルビー。その想いが僕に残りつづけていた。きみに全部あげるよ。この想いだけは尽きることがないから。

 泣きながら、恐れながら、きみはずっと貪欲な僕を抱えてくれていたんだね。
 きみを喰い尽くして、僕の空漠できみを占領したはずなのに、僕は愛で満たされていた。尽きることなく涌きでる澄みきった愛で――。

 きみの愛に占領されたのは僕の方だったんだ。そしてこれは、きみを満たす僕の愛でもあったんだね。だから僕はきみのなかにいて、きみは僕のなかにいる。僕たちは互いに支えあいながら、くるくると回り続ける。近づいたり、離れたり、互いの引力で引きあう星々のように。


 コウ、今度は、僕がきみを見つける。
 待っていて。必ず、きみを見つけるから――。

 

「コウのことを考えてるんだろ。そんな顔してるよ」

 ふっと視線を返すと、ショーンが何とも言えない顔で笑っていた。僕はふわりと微笑み返す。

「俺はな、きみのそんな顔を見るとほっとするんだ。コウは大丈夫だよ。あいつは、こんな顔して待ってるきみを残して、どこかへ行ったりしない。そうだろ、アル?」

 ショーンはどこか照れくさそうな顔で言い、カップを持ちあげそっぽを向いた。僕はただ「ありがとう」とだけ。



 ――アルビー。きみは僕の還る大地なんだ。

 そんなコウの声が、どこか遠くで聴こえたような気がした。




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