夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
122 / 219
第四章

魔術師 8.

しおりを挟む
 ショーンを伴って、館の裏側にあるアーノルドの作業場へ向かった。どうやら彼は今日一日中、そこにいるらしい。

 コウと一緒にここへ来たときも、彼を引き合わせたのは作業場だったな、となんとも因縁めいたものを感じる。あの日の彼は、ちょうど人形を壊しているところだったっけ。こうして僕は、積み重ねられた僕の死体を彼らに披露しなければならなくなるわけだ。だが最近の彼の妻アビーは、彼女の人形から関心が逸れていると言っていた。いよいよ人形ぼくの必要性がなくなった、ということか――。

 どうにも引っ掛かる想いを抱え、ぼんやりと、浜辺に打ち寄せる波のような白薔薇の垣根に沿った道をそぞろ歩いていた。僕の少し後を歩くショーンは、しきりに歓声をあげながら、この白い海原に唸っている。「アイスバーグは珍しい品種ってわけじゃないんだ。むしろ育てやすくて素直に伸びていくらしいよ」そんな説明をしながら微苦笑する。僕に冠せられた高慢な白薔薇のイメージとはほど遠い。この花は可憐だった母にこそ相応しい。

 作業場の手前で、いったん足を止めた。ショーンに向き合い、彼をつくづく眺める。

 彼を信じて、任せてしまってもいいものなのか――。

「何度も言うようだけど、彼は精神病を患っているからね。一見普通に話が通じているようにみえても、互いの認識が噛み合っていないことが頻繁に起こるんだ。その度にきみは不快な思いをすることになるかもしれない。だから、無理はしないで。彼と会話することが感情的に難しいと思うなら、それでかまわないからね。すぐに中止して彼から離れてくれていい。仮に会話ができて、ヒントなり掴むことができたらラッキー、それくらいでいいんだ」

 ショーンは「判ってるって」とにっと唇の端で笑った。

「噛み合わないってことにかけちゃ、うちの母親だって同じようなものさ。俺にしてみりゃ、きみの父親のほうが血が繋がってないだけ、マシってもんだよ」

 彼特有の失礼な言い回しも、今は腹も立たなかった。藁にも縋る想いで僕は彼を頼っている。そういうことだと思う。


「アイスバーグさん、お仕事中すみません」

 作業場の小屋の入り口に立ち、声をかけた。窓もドアも開け放たれている。大きな作業机の前に彼は座っていた。棚の一点を見据えて――。
 彼よりも彼の見据える先が気になって、視線を追った。横並びの棚の引き出しを見ているのだ。そこに何かあるのだろうか。
 と、僕までもがそれに囚われかけたとき、彼を包んでいた緊迫した空気が緩み、作りもののような表情が満面の笑みをその面に加えた。

 彼女アビーの面談のために頼んだ助手だと、彼にショーンを紹介した。これが彼にとって一番の、余計な刺激を受けずにすむ肩書なのだ。彼は疑うこともなくにこやかに応対してくれる。夏季休暇中のためアルバイトの学生で、本来の専攻は民俗学で魔術の研究をしていると、コウのときと似たような説明をした。彼は思った通り、前回と同じ反応を示して喜んでいるようだ。

 ああ、やはりコウをコウとして認知したわけではなく、魔術の研究者としての記号だったのだな、とほっとしかけた時、「きみの助手の、ほら、前に訪ねてくれたときも一緒だった子、まだよくならないのかい? こうして助っ人をもう一人頼まなきゃならないなんて、よっぽど悪いのかい?」と、彼は僕を凝視して尋ねた。
 
 ぞくりと、鳥肌が立っていた。
 彼の瞳が――、とても狂暴な色彩いろを湛えているように見えたのだ。

 ええ、とも、いいえ、とも、どちらの返事をするのもはばかられて、僕は曖昧な笑みを浮かべて視線を逸らした。そして、ショーンはどう思っているのだろうか、とさりげなく彼を盗み見る。彼が健常者とは違うのは、まとう空気でいくらショーンでも判るだろう。
 けれどショーンは、彼の質問に臆することなく「ええ、残念なことにそうなんですよ、彼は僕の友人でもあるんです。同じ学部で研究テーマも被っていて――、」と、いつもと変わらない調子で饒舌に話し始めていた。会話の糸口を掴めたことを、しめたといわんばかりに。すかさず魔術関連に絡めていったことで、彼の関心を見事に掴んでいる。

 僕の苦手だったショーンのこんな一面が、今は僕を助けてくれているなんて。人なんて判らないものだな、とつくづく思う。


 僕は親しく会話を交わすこの二人を、ただぼんやりと眺めていた。僕の入りこめる余地はない。その内容にも、間合い的にも。今のショーンは僕の知らない誰かのようだ。こんな特殊な才能があったのか、と今さらながらに驚いている僕がいる。彼は一頻り喋るとちょっとしたタイミングを掴んで、「きみは戻ってコウの様子をみてくれるかい? 俺はもう少しお話を聴かせてもらうよ。こんな為になる話は滅多に聴けるものじゃないからな!」と、僕にその場を辞するきっかけまで作ってくれた。

 何かと主導権を取りたがる彼らしい物言いだな、とつい苦笑してしまったけれど、退出の機会を逃すわけにはいかない。それに僕がいない方がアーノルドの魔術の秘密を探りやすいとの、彼の思惑もあるのだと察した。

 僕は彼に軽く会釈して、この場を後にした。
 彼は僕など眼中にない。いつものことだ。僕の存在は、顔のない「心理士」という役割記号にすぎないのだから。だがショーンなら、きっと上手くやってくれる。「魔術師の弟子」という彼にとって魅力的な記号を、きっと上手く演じてくれる。

 僕とコウのために――。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

全寮制男子校でモテモテ。親衛隊がいる俺の話

みき
BL
全寮制男子校でモテモテな男の子の話。 BL 総受け 高校生 親衛隊 王道 学園 ヤンデレ 溺愛 完全自己満小説です。 数年前に書いた作品で、めちゃくちゃ中途半端なところ(第4話)で終わります。実験的公開作品

ご飯中トイレに行ってはいけないと厳しく躾けられた中学生

こじらせた処女
BL
 志之(しの)は小さい頃、同じ園の友達の家でお漏らしをしてしまった。その出来事をきっかけに元々神経質な母の教育が常軌を逸して厳しくなってしまった。  特に、トイレに関するルールの中に、「ご飯中はトイレに行ってはいけない」というものがあった。端から見るとその異常さにはすぐに気づくのだが、その教育を半ば洗脳のような形で受けていた志之は、その異常さには気づかないまま、中学生になってしまった。  そんなある日、母方の祖母が病気をしてしまい、母は介護に向かわなくてはならなくなってしまう。父は単身赴任でおらず、その間未成年1人にするのは良くない。そう思った母親は就活も済ませ、暇になった大学生の兄、志貴(しき)を下宿先から呼び戻し、一緒に同居させる運びとなった。 志貴は高校生の時から寮生活を送っていたため、志之と兄弟関係にありながらも、長く一緒には居ない。そのため、2人の間にはどこかよそよそしさがあった。 同居生活が始まった、とある夕食中、志之はトイレを済ませるのを忘れたことに気がついて…?

親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺

toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染) ※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。 pixivでも同タイトルで投稿しています。 https://www.pixiv.net/users/3179376 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/98346398

風紀“副”委員長はギリギリモブです

柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。 俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。 そう、“副”だ。あくまでも“副”。 だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに! BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。

高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる

天災
BL
 高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる。

やめて抱っこしないで!過保護なメンズに囲まれる!?〜異世界転生した俺は死にそうな最弱プリンスだけど最強冒険者〜

ゆきぶた
BL
異世界転生したからハーレムだ!と、思ったら男のハーレムが出来上がるBLです。主人公総受ですがエロなしのギャグ寄りです。 短編用に登場人物紹介を追加します。 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ あらすじ 前世を思い出した第5王子のイルレイン(通称イル)はある日、謎の呪いで倒れてしまう。 20歳までに死ぬと言われたイルは禁呪に手を出し、呪いを解く素材を集めるため、セイと名乗り冒険者になる。 そして気がつけば、最強の冒険者の一人になっていた。 普段は病弱ながらも執事(スライム)に甘やかされ、冒険者として仲間達に甘やかされ、たまに兄達にも甘やかされる。 そして思ったハーレムとは違うハーレムを作りつつも、最強冒険者なのにいつも抱っこされてしまうイルは、自分の呪いを解くことが出来るのか?? ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。 前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。 文章能力が低いので読みにくかったらすみません。 ※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました! 本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!

処理中です...