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第四章
魔術師 8.
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ショーンを伴って、館の裏側にある彼の作業場へ向かった。どうやら彼は今日一日中、そこにいるらしい。
コウと一緒にここへ来たときも、彼を引き合わせたのは作業場だったな、となんとも因縁めいたものを感じる。あの日の彼は、ちょうど人形を壊しているところだったっけ。こうして僕は、積み重ねられた僕の死体を彼らに披露しなければならなくなるわけだ。だが最近の彼の妻は、彼女の人形から関心が逸れていると言っていた。いよいよ人形の必要性がなくなった、ということか――。
どうにも引っ掛かる想いを抱え、ぼんやりと、浜辺に打ち寄せる波のような白薔薇の垣根に沿った道をそぞろ歩いていた。僕の少し後を歩くショーンは、しきりに歓声をあげながら、この白い海原に唸っている。「アイスバーグは珍しい品種ってわけじゃないんだ。むしろ育てやすくて素直に伸びていくらしいよ」そんな説明をしながら微苦笑する。僕に冠せられた高慢な白薔薇のイメージとはほど遠い。この花は可憐だった母にこそ相応しい。
作業場の手前で、いったん足を止めた。ショーンに向き合い、彼をつくづく眺める。
彼を信じて、任せてしまってもいいものなのか――。
「何度も言うようだけど、彼は精神病を患っているからね。一見普通に話が通じているようにみえても、互いの認識が噛み合っていないことが頻繁に起こるんだ。その度にきみは不快な思いをすることになるかもしれない。だから、無理はしないで。彼と会話することが感情的に難しいと思うなら、それでかまわないからね。すぐに中止して彼から離れてくれていい。仮に会話ができて、ヒントなり掴むことができたらラッキー、それくらいでいいんだ」
ショーンは「判ってるって」とにっと唇の端で笑った。
「噛み合わないってことにかけちゃ、うちの母親だって同じようなものさ。俺にしてみりゃ、きみの父親のほうが血が繋がってないだけ、マシってもんだよ」
彼特有の失礼な言い回しも、今は腹も立たなかった。藁にも縋る想いで僕は彼を頼っている。そういうことだと思う。
「アイスバーグさん、お仕事中すみません」
作業場の小屋の入り口に立ち、声をかけた。窓もドアも開け放たれている。大きな作業机の前に彼は座っていた。棚の一点を見据えて――。
彼よりも彼の見据える先が気になって、視線を追った。横並びの棚の引き出しを見ているのだ。そこに何かあるのだろうか。
と、僕までもがそれに囚われかけたとき、彼を包んでいた緊迫した空気が緩み、作りもののような表情が満面の笑みをその面に加えた。
彼女の面談のために頼んだ助手だと、彼にショーンを紹介した。これが彼にとって一番の、余計な刺激を受けずにすむ肩書なのだ。彼は疑うこともなくにこやかに応対してくれる。夏季休暇中のためアルバイトの学生で、本来の専攻は民俗学で魔術の研究をしていると、コウのときと似たような説明をした。彼は思った通り、前回と同じ反応を示して喜んでいるようだ。
ああ、やはりコウをコウとして認知したわけではなく、魔術の研究者としての記号だったのだな、とほっとしかけた時、「きみの助手の、ほら、前に訪ねてくれたときも一緒だった子、まだよくならないのかい? こうして助っ人をもう一人頼まなきゃならないなんて、よっぽど悪いのかい?」と、彼は僕を凝視して尋ねた。
ぞくりと、鳥肌が立っていた。
彼の瞳が――、とても狂暴な色彩を湛えているように見えたのだ。
ええ、とも、いいえ、とも、どちらの返事をするのもはばかられて、僕は曖昧な笑みを浮かべて視線を逸らした。そして、ショーンはどう思っているのだろうか、とさりげなく彼を盗み見る。彼が健常者とは違うのは、まとう空気でいくらショーンでも判るだろう。
けれどショーンは、彼の質問に臆することなく「ええ、残念なことにそうなんですよ、彼は僕の友人でもあるんです。同じ学部で研究テーマも被っていて――、」と、いつもと変わらない調子で饒舌に話し始めていた。会話の糸口を掴めたことを、しめたといわんばかりに。すかさず魔術関連に絡めていったことで、彼の関心を見事に掴んでいる。
僕の苦手だったショーンのこんな一面が、今は僕を助けてくれているなんて。人なんて判らないものだな、とつくづく思う。
僕は親しく会話を交わすこの二人を、ただぼんやりと眺めていた。僕の入りこめる余地はない。その内容にも、間合い的にも。今のショーンは僕の知らない誰かのようだ。こんな特殊な才能があったのか、と今さらながらに驚いている僕がいる。彼は一頻り喋るとちょっとしたタイミングを掴んで、「きみは戻ってコウの様子をみてくれるかい? 俺はもう少しお話を聴かせてもらうよ。こんな為になる話は滅多に聴けるものじゃないからな!」と、僕にその場を辞するきっかけまで作ってくれた。
何かと主導権を取りたがる彼らしい物言いだな、とつい苦笑してしまったけれど、退出の機会を逃すわけにはいかない。それに僕がいない方がアーノルドの魔術の秘密を探りやすいとの、彼の思惑もあるのだと察した。
僕は彼に軽く会釈して、この場を後にした。
彼は僕など眼中にない。いつものことだ。僕の存在は、顔のない「心理士」という役割記号にすぎないのだから。だがショーンなら、きっと上手くやってくれる。「魔術師の弟子」という彼にとって魅力的な記号を、きっと上手く演じてくれる。
僕とコウのために――。
コウと一緒にここへ来たときも、彼を引き合わせたのは作業場だったな、となんとも因縁めいたものを感じる。あの日の彼は、ちょうど人形を壊しているところだったっけ。こうして僕は、積み重ねられた僕の死体を彼らに披露しなければならなくなるわけだ。だが最近の彼の妻は、彼女の人形から関心が逸れていると言っていた。いよいよ人形の必要性がなくなった、ということか――。
どうにも引っ掛かる想いを抱え、ぼんやりと、浜辺に打ち寄せる波のような白薔薇の垣根に沿った道をそぞろ歩いていた。僕の少し後を歩くショーンは、しきりに歓声をあげながら、この白い海原に唸っている。「アイスバーグは珍しい品種ってわけじゃないんだ。むしろ育てやすくて素直に伸びていくらしいよ」そんな説明をしながら微苦笑する。僕に冠せられた高慢な白薔薇のイメージとはほど遠い。この花は可憐だった母にこそ相応しい。
作業場の手前で、いったん足を止めた。ショーンに向き合い、彼をつくづく眺める。
彼を信じて、任せてしまってもいいものなのか――。
「何度も言うようだけど、彼は精神病を患っているからね。一見普通に話が通じているようにみえても、互いの認識が噛み合っていないことが頻繁に起こるんだ。その度にきみは不快な思いをすることになるかもしれない。だから、無理はしないで。彼と会話することが感情的に難しいと思うなら、それでかまわないからね。すぐに中止して彼から離れてくれていい。仮に会話ができて、ヒントなり掴むことができたらラッキー、それくらいでいいんだ」
ショーンは「判ってるって」とにっと唇の端で笑った。
「噛み合わないってことにかけちゃ、うちの母親だって同じようなものさ。俺にしてみりゃ、きみの父親のほうが血が繋がってないだけ、マシってもんだよ」
彼特有の失礼な言い回しも、今は腹も立たなかった。藁にも縋る想いで僕は彼を頼っている。そういうことだと思う。
「アイスバーグさん、お仕事中すみません」
作業場の小屋の入り口に立ち、声をかけた。窓もドアも開け放たれている。大きな作業机の前に彼は座っていた。棚の一点を見据えて――。
彼よりも彼の見据える先が気になって、視線を追った。横並びの棚の引き出しを見ているのだ。そこに何かあるのだろうか。
と、僕までもがそれに囚われかけたとき、彼を包んでいた緊迫した空気が緩み、作りもののような表情が満面の笑みをその面に加えた。
彼女の面談のために頼んだ助手だと、彼にショーンを紹介した。これが彼にとって一番の、余計な刺激を受けずにすむ肩書なのだ。彼は疑うこともなくにこやかに応対してくれる。夏季休暇中のためアルバイトの学生で、本来の専攻は民俗学で魔術の研究をしていると、コウのときと似たような説明をした。彼は思った通り、前回と同じ反応を示して喜んでいるようだ。
ああ、やはりコウをコウとして認知したわけではなく、魔術の研究者としての記号だったのだな、とほっとしかけた時、「きみの助手の、ほら、前に訪ねてくれたときも一緒だった子、まだよくならないのかい? こうして助っ人をもう一人頼まなきゃならないなんて、よっぽど悪いのかい?」と、彼は僕を凝視して尋ねた。
ぞくりと、鳥肌が立っていた。
彼の瞳が――、とても狂暴な色彩を湛えているように見えたのだ。
ええ、とも、いいえ、とも、どちらの返事をするのもはばかられて、僕は曖昧な笑みを浮かべて視線を逸らした。そして、ショーンはどう思っているのだろうか、とさりげなく彼を盗み見る。彼が健常者とは違うのは、まとう空気でいくらショーンでも判るだろう。
けれどショーンは、彼の質問に臆することなく「ええ、残念なことにそうなんですよ、彼は僕の友人でもあるんです。同じ学部で研究テーマも被っていて――、」と、いつもと変わらない調子で饒舌に話し始めていた。会話の糸口を掴めたことを、しめたといわんばかりに。すかさず魔術関連に絡めていったことで、彼の関心を見事に掴んでいる。
僕の苦手だったショーンのこんな一面が、今は僕を助けてくれているなんて。人なんて判らないものだな、とつくづく思う。
僕は親しく会話を交わすこの二人を、ただぼんやりと眺めていた。僕の入りこめる余地はない。その内容にも、間合い的にも。今のショーンは僕の知らない誰かのようだ。こんな特殊な才能があったのか、と今さらながらに驚いている僕がいる。彼は一頻り喋るとちょっとしたタイミングを掴んで、「きみは戻ってコウの様子をみてくれるかい? 俺はもう少しお話を聴かせてもらうよ。こんな為になる話は滅多に聴けるものじゃないからな!」と、僕にその場を辞するきっかけまで作ってくれた。
何かと主導権を取りたがる彼らしい物言いだな、とつい苦笑してしまったけれど、退出の機会を逃すわけにはいかない。それに僕がいない方がアーノルドの魔術の秘密を探りやすいとの、彼の思惑もあるのだと察した。
僕は彼に軽く会釈して、この場を後にした。
彼は僕など眼中にない。いつものことだ。僕の存在は、顔のない「心理士」という役割記号にすぎないのだから。だがショーンなら、きっと上手くやってくれる。「魔術師の弟子」という彼にとって魅力的な記号を、きっと上手く演じてくれる。
僕とコウのために――。
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