夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
104 / 219
第三章

迷路 6.

しおりを挟む
 ぱちりと目が開いた。
 僕はスツールに腰かけたまま。
 正面にある全身鏡のなかから、白いリネンシャツを着た僕が、不快そうに眉をしかめて僕を見ている。

 僕の夢のなかのコウの夢――。
 コウのことばかり考えながらうたた寝してしまったから、こんな夢を見たのだろうか。幼いコウのあんな悲しげな姿を見るのは、たとえ夢でも落ちこんでしまう。これが僕の夢であって彼の夢ではないことに、心から安堵する。だがおそらく、彼が僕に「気持ち悪がられる」ことを怖れていた理由は、この夢から当たらずとも遠からずだという気がする。

 コウを忌み嫌う子どもたちの声。あれはコウ自身の声だ。彼が受け入れることのできないもう一人の彼。魔術的な世界に惹かれる自分と、そんな自分を嫌悪する自分。それは抑圧的だった彼の幼少期の家庭環境から分裂させられたものなのかもしれない。

 そしておそらくコウは、彼の探究する魔術的世界を、惹かれる以上に怖れてもいるのだ。夢のなかで僕が見た「気持ち悪いもの」は、コウの抱える象徴化された恐怖だろう。
 それは何に根ざしたものなのか。
 そこまでは判らなかったけれど。きっと、コウ自身にも解ってはいないのだろう。ともかくそれは、彼のなかで魔術と結びついている。

 だから僕のヘナタトゥーの模様に触発された。あの図案の魔術的な意味づけが彼の恐怖のスイッチを入れてしまったんだ。おそらく本人も自覚できないままに。抑圧された恐怖が彼の自律神経を狂わせ、体調不良を引き起こしていたんだ。

 そして次には、赤毛が彼に施した入れ墨タトゥーが、今度は僕に嫌悪感を抱かせることを怖れたんだ。
 コウのなかの拭ぐいされない不安と怖れ――。
 彼は、彼を脅かす魔術的世界から逃れるために魔術の探究に取り組んでいるのかもしれない。赤毛の手を借りて。

 コウは助けを求める相手を間違えている。赤毛の施した入れ墨はエクスポージャー法だといえなくもないが、繊細なコウには厳しすぎるやり方だろう。魔術的な象徴に対する恐怖を魔術で打ち消そうとするなんて、理屈は通るかもしれないが、根本的な問題解決にはほど遠いじゃないか。コウに入れ墨タトゥーを施す必要なんてなかったのだ。あの赤毛、いったいどういうつもりでそこまでのことをする。結局は、コウに対する所有欲と僕への嫌がらせか。

 それが一番納得いく答えに思えた。コウも言っていたじゃないか。これは、僕を好きになった罰なのだ、と。まったく、僕のコウになんてマネをしてくれるんだ。はらわたが煮えくり返る想いがするよ。
 けれどこれは、コウには赤毛に対するほどには、僕に対する信頼はなかった、ということ。コウの抱える内的世界への、僕の理解があまりにも乏しかったからだ。

 コウは初めに思った通り、やはりアーノルドに似ているのだ。
 超自然的な神秘に憧れ、依存せずにはいられない。そんな脆弱な自己のうえに、とても脆い自我が築かれている。アーノルドの創る人形ビスクドールのような、儚さ、危うさ、脆さ――。コウのそんな弱い一面が、赤毛やショーンのような奴らを惹きつけずにはいられないのだ。彼に対して支配力を発揮できると錯覚させてしまうのだ。それこそ、有り得ないことなのに。


 目が覚めるなり、そんなことを考えていた。まるで思索の海に溺れるかのように。バニーは僕の解釈をどうみるだろう。及第点をくれるだろうか。それとも、僕はまだコウを本当に理解できているとはいえないのだろうか。




 クローゼットルームから寝室へ戻ると、コウが目を覚ましていた。ベッドヘッドにもたれて、またぼんやりとどこかを見ている。

 ああ、僕に気がついた。
 良かった。微笑んでくれるんだね。

 ほっとして、彼のいるベッドに腰かけた。

「きみの夢を見てたよ」
 コウがはにかんだように笑って言った。
「僕もだ」
「とても幸せな夢だったんだ」
「僕のは、悲しい夢だったよ」

 僕の言葉に、コウの顔が曇る。

 ごめん。きみを悲しませたかったわけじゃないのに。
 きみはすぐに僕の感情を気にしてしまうんだね。

「僕の夢のなかで、きみはとても辛そうだったんだ。辛い想いをしているなら、すぐに僕を呼んで。僕はいつだってきみのもとへ駆けつけるから」
「夢のなかへ?」
「もちろん、夢のなかでも、どこへだって」

 コウは嬉しそうににっこりして、僕の手を握ってくれた。

「ありがとう、アル。きみはいつだって僕を助けてくれてるよ」

 こんなにきみを傷つけているのに?

 彼の手を持ちあげて、手首に黄色く残っている痣に唇を押しあてた。

「いつだって、そうありたいと思ってる」


 こんなにも愚かな自分に流されることなく――。


 


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王道学園のハニートラップ兎

もものみ
BL
【王道?学園もの創作BL小説です】 タグには王道学園、非王道とつけましたがタイトルからも分かる通り癖が強いです。 王道学園に主人公がスパイとして潜入し王道キャラ達にハニートラップ(健全)して情報を集めるお話です。 キャラは基本みんなヤンデレです。いろんなタイプのヤンデレが出てきます。 地雷の方はお気をつけて。 以下あらすじです。 俺、幸人(ゆきと)はある人物の命令で金持ちの息子が集う男子校に大きな会社や財閥、組などの弱味を握るために潜入させられることになった高校一年生。ハニートラップを仕掛け部屋に潜り込んだり夜中に忍び込んだり、あの手この手で情報収集に奔走する、はずが…この学園に季節外れの転校生がやって来て学園内はかき乱され、邪魔が入りなかなか上手くいかず時にはバレそうになったりもして…? さらにさらに、ただのスパイとして潜入しただけのはずなのにターゲットたちに本気で恋されちゃって―――――って、あれ?このターゲットたち、なにかがおかしい… 「ゆきとは、俺の光。」 「ふふ、逃げられると思ってるの?」 (怖い!あいつら笑ってるけど目が笑ってない!!やばい、逃げられない!) こんな感じで、かなり癖のあるターゲット達に好かれてトラブルに巻き込まれます。ほんと大変。まあ、そんな感じで俺が終始いろいろ奮闘するお話です。本当に大変。行事ごとにいろんなハプニングとかも…おっと、これ以上はネタバレになりますね。 さて、そもそも俺にそんなことを命じたのは誰なのか、俺に"幸せ"は訪れるのか…まあ、とにかく謎が多い話ですけど、是非読んでみてくださいね! …ふう、台本読んだだけだけど、宣伝ってこんな感じでいいのか? …………あれ……え、これ―――――盗聴器?もしかしてこの会話、盗聴されて… ーーーーーーーーーー 主人公、幸人くんの紹介にあったように、執着、束縛、依存、盗撮、盗聴、何でもありのヤンデレ学園で、計算高い主人公がハニートラップかましてセレブたちの秘密を探ろうとするお話です。ヤンデレターゲットVS計算高いスパイの主人公!! 登場人物みんなヤンデレでいろんなタイプのヤンデレがいますので、あなたの推しヤンデレもきっと見つかる!

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。

無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。 そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。 でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。 ___________________ 異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分) わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか 現在体調不良により休止中 2021/9月20日 最新話更新 2022/12月27日

処理中です...