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第三章
隠れ家 5.
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コウの頭を静かに下ろし、身体ごと振り返った。赤毛が威圧的に僕たちを見下ろしている。腰をおとしたまま、腕を広げて背後のソファーの座面についた。
――コウを守りたい。こいつが、これ以上コウに踏み込むことを許すわけにはいかない。
赤毛の小憎たらしい顔を目にしたとたん、そんな想いが沸々と湧いていた。自分でも思いがけない熱をもって、想いは口から溢れでる。
「触るなって? それは僕のセリフだよ。きみにそんなことが言えた義理かい。コウをこんな目にあわせておいて――」
「それはお前じゃないか! お前のせいで、こいつの気脈がぐちゃぐちゃになって、使い物にならないから、こうして」
「使い物にならない? 彼に何をさせているの? コウはきみが自由にできる玩具じゃないよ。彼には彼の意志があるんだ。いい加減、きみはその幼稚な支配欲を手放すべきだね」
タープテントの薄暗い影の中にいてさえ、燃える焔のように輝く奴の赤い髪が、怒りで揺らめいている。空気までもがピリピリと震えて。
「こいつの意志だ。ここにいるのも。こんな無茶をするのも! それもこれも、お前が、」
と、低く脅しつけるような声音でなおも言いつのろうとしていたのに、赤毛は急に口を噤んだ。腹立たしげに眉をしかめ、身動ぎする。
いつの間に――。
赤毛の背後から、小さな女の子が顔を覗かせた。いや、小柄だけど幼くはないのかもしれない。コウと同じくらいか。
短い銀の髪に銀の瞳。どこか覚えのある面差し――。
「どこかで逢ったことがあるかな?」
僕をじっと見つめる不躾な眼差しに問いかけた。確かに、僕は彼女を覚えている。でも、どこで逢ったのかが思いだせない。
眼前の少女は、何も答えずただ僕を見つめているだけだ。感情の籠らない鏡のような瞳で……。
そうか、思いだした。父だ。父の眼差しに似ている。それに髪の毛さえ長ければ、この顔は彼の作った精霊の人形に生き写しなのだ。
「向こうに行ってろ!」
赤毛が、彼の服の袖を握りしめている彼女の小さな手を乱暴に振り払う。彼女は人形のような無表情で赤毛を見あげ、ついでもう一度僕を、いや、僕の後ろに横たわったままでいるコウを眺める。
カシャン――。
突風が吹き、赤毛の背後にあるダイニングテーブルに並べられていたワイングラスが倒れた。タープテントが煽られて、バタバタと激しく音を立てる。激しい風圧に、僕は思わず目を瞑り、顔をよけていた。
そのほんの一瞬。
目を開けたすぐ傍に、彼女がいた。銀の瞳が心配そうにコウを見つめている。僕のガードを気にもせず腕の上からのしかかり、コウを抱きしめて心臓に耳を当てる。
コウが――。
起き上がることもできないコウが、ゆっくりと腕を持ちあげ、彼女の頭をかき抱いた。
「アル、大丈夫だよ、しっかり目が覚めたから」
コウの瞳が僕を見ている。声も、さっきよりもずっとしっかりとして。
彼女は頭を起こし、くるりと振り返る。赤毛を――。
「そこをどけ、白雪姫! コウ、目が覚めたのなら、こっちへ来い」
鬱陶しい赤毛が、またわめきだす。冗談じゃないよ。
「それは無理だね。コウは僕が連れて帰る。見た目にも彼はこんなに衰弱してるんだ。病院に連れていくよ」
「必要ない」
「きみが決めることじゃないよ」
「そんなところへ行ったって、意味がないんだ。こいつにはな」
また水掛け論だ。身勝手な赤毛とは話にならない。奴の言うことをコウが素直に聞いていると、こき使われたあげくに殺されてしまうだろう。
「アル、僕は平気だから。ちょっと、その、疲れているだけで――」
コウが、やっと上半身を起こした。ふらつくのだろう。額を手で支えている。貧血も酷いのかもしれない。そんな彼に、あの子が心配そうに寄り添っている。
どういう関係? と不快な感覚が心を過ったけれど、眼前の問題は彼女じゃない。
「疲れてるって、どうして? こんなになるまで何をしていたの?」
赤毛は無視して、ソファーの端に腰を落とし、彼の肩を支えた。コウは今までのわだかまりなど忘れたように、素直に僕の肩に額をよせた。
「道を見失ってしまったんだよ。迷ってしまって。――でも、きみが呼んでくれた。僕が帰れるように。僕はきみを目指して帰ってきた。もう見失ったりしない。きみが、僕の還る大地なんだ」
夢と現実がごっちゃになってしまっている。まだ混乱しているのだ。けれど夢の中でさえ、きみは僕を捜してくれていたんだね。
コウは僕を待ってくれていたのだ。僕はもっと早く、ここにくればよかったのだ。
コウをしっかりと抱きしめて、首をひねって赤毛を見た。コウの僕への想いを、いつだって踏みにじる赤毛。コウの優しさにつけ込んで、彼に甘えるだけの奴。
当然、奴は僕を睨み返している。全身の毛を逆立てている猫みたいに殺気立って。
「アル、ありがとう。でも、僕がここにいることも、ここでしていることも、彼にやらされているわけじゃないんだ。僕の意志だよ。だから――」
コウは腕を回して、僕を一度きゅっと抱きしめてから、静かに腕を解いて立ちあがった。「だから」に続く言葉は、声になる前に彼のなかに呑み込まれてしまった。
「シルフィ、心配かけたね。もう平気だから」と、コウは彼女に小さく笑いかける。
そして彼は、なぜだか眩しげに目を眇めて見回した。日は傾いて、辺り周辺の明度は落ちてしまっているのに。その彼の視線が一か所で止まる。彼が見ているのは赤毛じゃない。タープテントの外だ。螺旋状に刈りこまれたトピアリーの横。こちらからの視界に入りづらく、会話を盗み聴くにはほど良い距離に置かれたガーデンセット、そこに座るエリックだ。
厄介なのは赤毛だけではなかったことを、僕は完全に忘れていた。
――コウを守りたい。こいつが、これ以上コウに踏み込むことを許すわけにはいかない。
赤毛の小憎たらしい顔を目にしたとたん、そんな想いが沸々と湧いていた。自分でも思いがけない熱をもって、想いは口から溢れでる。
「触るなって? それは僕のセリフだよ。きみにそんなことが言えた義理かい。コウをこんな目にあわせておいて――」
「それはお前じゃないか! お前のせいで、こいつの気脈がぐちゃぐちゃになって、使い物にならないから、こうして」
「使い物にならない? 彼に何をさせているの? コウはきみが自由にできる玩具じゃないよ。彼には彼の意志があるんだ。いい加減、きみはその幼稚な支配欲を手放すべきだね」
タープテントの薄暗い影の中にいてさえ、燃える焔のように輝く奴の赤い髪が、怒りで揺らめいている。空気までもがピリピリと震えて。
「こいつの意志だ。ここにいるのも。こんな無茶をするのも! それもこれも、お前が、」
と、低く脅しつけるような声音でなおも言いつのろうとしていたのに、赤毛は急に口を噤んだ。腹立たしげに眉をしかめ、身動ぎする。
いつの間に――。
赤毛の背後から、小さな女の子が顔を覗かせた。いや、小柄だけど幼くはないのかもしれない。コウと同じくらいか。
短い銀の髪に銀の瞳。どこか覚えのある面差し――。
「どこかで逢ったことがあるかな?」
僕をじっと見つめる不躾な眼差しに問いかけた。確かに、僕は彼女を覚えている。でも、どこで逢ったのかが思いだせない。
眼前の少女は、何も答えずただ僕を見つめているだけだ。感情の籠らない鏡のような瞳で……。
そうか、思いだした。父だ。父の眼差しに似ている。それに髪の毛さえ長ければ、この顔は彼の作った精霊の人形に生き写しなのだ。
「向こうに行ってろ!」
赤毛が、彼の服の袖を握りしめている彼女の小さな手を乱暴に振り払う。彼女は人形のような無表情で赤毛を見あげ、ついでもう一度僕を、いや、僕の後ろに横たわったままでいるコウを眺める。
カシャン――。
突風が吹き、赤毛の背後にあるダイニングテーブルに並べられていたワイングラスが倒れた。タープテントが煽られて、バタバタと激しく音を立てる。激しい風圧に、僕は思わず目を瞑り、顔をよけていた。
そのほんの一瞬。
目を開けたすぐ傍に、彼女がいた。銀の瞳が心配そうにコウを見つめている。僕のガードを気にもせず腕の上からのしかかり、コウを抱きしめて心臓に耳を当てる。
コウが――。
起き上がることもできないコウが、ゆっくりと腕を持ちあげ、彼女の頭をかき抱いた。
「アル、大丈夫だよ、しっかり目が覚めたから」
コウの瞳が僕を見ている。声も、さっきよりもずっとしっかりとして。
彼女は頭を起こし、くるりと振り返る。赤毛を――。
「そこをどけ、白雪姫! コウ、目が覚めたのなら、こっちへ来い」
鬱陶しい赤毛が、またわめきだす。冗談じゃないよ。
「それは無理だね。コウは僕が連れて帰る。見た目にも彼はこんなに衰弱してるんだ。病院に連れていくよ」
「必要ない」
「きみが決めることじゃないよ」
「そんなところへ行ったって、意味がないんだ。こいつにはな」
また水掛け論だ。身勝手な赤毛とは話にならない。奴の言うことをコウが素直に聞いていると、こき使われたあげくに殺されてしまうだろう。
「アル、僕は平気だから。ちょっと、その、疲れているだけで――」
コウが、やっと上半身を起こした。ふらつくのだろう。額を手で支えている。貧血も酷いのかもしれない。そんな彼に、あの子が心配そうに寄り添っている。
どういう関係? と不快な感覚が心を過ったけれど、眼前の問題は彼女じゃない。
「疲れてるって、どうして? こんなになるまで何をしていたの?」
赤毛は無視して、ソファーの端に腰を落とし、彼の肩を支えた。コウは今までのわだかまりなど忘れたように、素直に僕の肩に額をよせた。
「道を見失ってしまったんだよ。迷ってしまって。――でも、きみが呼んでくれた。僕が帰れるように。僕はきみを目指して帰ってきた。もう見失ったりしない。きみが、僕の還る大地なんだ」
夢と現実がごっちゃになってしまっている。まだ混乱しているのだ。けれど夢の中でさえ、きみは僕を捜してくれていたんだね。
コウは僕を待ってくれていたのだ。僕はもっと早く、ここにくればよかったのだ。
コウをしっかりと抱きしめて、首をひねって赤毛を見た。コウの僕への想いを、いつだって踏みにじる赤毛。コウの優しさにつけ込んで、彼に甘えるだけの奴。
当然、奴は僕を睨み返している。全身の毛を逆立てている猫みたいに殺気立って。
「アル、ありがとう。でも、僕がここにいることも、ここでしていることも、彼にやらされているわけじゃないんだ。僕の意志だよ。だから――」
コウは腕を回して、僕を一度きゅっと抱きしめてから、静かに腕を解いて立ちあがった。「だから」に続く言葉は、声になる前に彼のなかに呑み込まれてしまった。
「シルフィ、心配かけたね。もう平気だから」と、コウは彼女に小さく笑いかける。
そして彼は、なぜだか眩しげに目を眇めて見回した。日は傾いて、辺り周辺の明度は落ちてしまっているのに。その彼の視線が一か所で止まる。彼が見ているのは赤毛じゃない。タープテントの外だ。螺旋状に刈りこまれたトピアリーの横。こちらからの視界に入りづらく、会話を盗み聴くにはほど良い距離に置かれたガーデンセット、そこに座るエリックだ。
厄介なのは赤毛だけではなかったことを、僕は完全に忘れていた。
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